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第3回1000字小説バトル
Entry9

英雄通り

作者 : 杉原久郎
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 戦前の地図を開くと、血管のように入り組み合った旧市街に背骨
のように真っ直ぐ伸びる通りが載っている。美しいマロニエの木が
続くその通りには中ほどに英雄の銅像が建っていた。この町に初め
てガス塔が灯ったのもこの通りで、その頃は数々の名もない若手役
者がロマンスを演じた。いつの頃からかガス塔の淡い明かりはネオ
ンの輝きにけされ、ベテラン役者の愛憎劇と悲劇の舞台と変わって
いった。人々が新市街に移り、通りは長い人生の老年期に入ってい
った。
 この通りに一人の年老いた娼婦が立っていた。雨の日も風の日も
彼女はそこに立っていた。顔中に刻まれたしわには化粧が厚く塗り
込まれ、まだ若く美しかった頃にある将校から買ってもらった赤い
ドレスをやせた小さな体にいつも身に着けていた。彼女がいくつか
誰も知なかったが、人は出会った人の数だけ老いるという。そして
この老人は毎晩を本気で演じた。彼女もまた光の残骸であった。日
が沈む頃彼女は闇の中から現れる。そしてまだ美しく才気があった
時分に勝ち取った場所に立つ。しかしほかに娼婦の姿はなかった。
哀れかな女王のプライド、通りが光を失い始めたときに彼女は共に
消え行く運命を選んだ。彼女と共に残った娼婦たちはみな宗教には
いったか、もしくは自ら仏になった。
 日が沈みきると彼女は酔っ払いに石を投げられた。彼女はそれが
誰だか知っていた。そして男達も光の残骸であることも知っていた。
闇が深まると先刻まで石を投げていた男達の臭い息が彼女を呼んだ。
彼らは何か物でも盗むようにこっそりと彼女を抱き闇へ消えていっ
た。暗闇の中で悲しみをぶつけ合い、日が昇る頃彼女は男の汚物を
顔いっぱいに浴びた。
 ある朝彼女は死んだ。いつも立っていた女王の席に、いつも着て
いた赤いドレスを身に着けて、年老いた娼婦は小さな体をもっと小
さくして死んでいた。傍らには英雄の銅像が建っていた。英雄は深
いしわを眉間に寄せ、国の危機を救ったときに贈られたマントをつ
けて立っていた。日が沈みきると子供たちは英雄に石を投げた。日
が昇る頃小鳥たちは英雄の顔に汚物を浴びせた。雨の日も風の日も
英雄はそこに立っていた。
 昔、血管のように入り組んだ旧市街に背骨のように伸びる通りが
あった。美しいそのマロニエの並木道の名は英雄通り。






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