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第3回1000字小説バトル全作品・結果一覧


#題名作者文字数
1社長室影法師-
2母の顔多田野英俊-
3陽春の候ニケル-
4タイムカプセル大西圭祐-
5超迷惑性恒常的生害促進症候群(隔離必須法定伝染病指定)新美薫-
6秋の遠足−大山・丹沢方面−よしよし-
7互いの思い込みで生まれるもの・・・それが愛よしよし-
8杉原久郎-
9英雄通り杉原久郎-
10ブルームーン紺詠志-
11みなれた笑顔君島恒星-
12ストーカーTKUTO-
13四季についての考察川島 圭-
14写真と寝言とエレキング川島 圭-
15秋月青葉-
16A邸の桜坂川柳子-
17人として森川音央-
18ある事件海坂他人-
19特効薬渡会 悠-
20自分勝手な男おじゃましまんにゃわ-
21お父さん?3吉-
22変化を伴う由来 ヒモロギ-
23僕のダメ家族モーゲン王-
24高島朝也-
25終線’1943工藤ユリカ-
26雪虫伊藤 修-
27時々僕のアタマはお喋りになる。オザキ トラ-
28素浪人皮剥ぎ血肉ノ介・柳蜘蛛蛮人S-
29照る月、響(とよ)むなり東京りんご-
30醜美なイリュージョンおあしす-
31忘れ物をした女山口泰司-
32鉄観音ゆきみ-

第3回1000字小説バトル
Entry1

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社長室

作者 : 影法師
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文字数 :
  音もなくドアが開いた。
「誰かね?ノックもなしに…」
「社長、私の顔、お忘れですか。そうでしょうな、子会社に追いや
られた社員のことなど、いちいち覚えている訳がありませんな」
「そういえば、君は確か元総務部の…。ところで何の用かね、アポ
もなしに突然」
「私、希望退職を迫られていましてね、出向して2、3年で本社へ
戻れるというのは大嘘ですな」
「辞める辞めないは、本人の自由意志だ」
「それが会社のいつもの言い方ですよ」
「君!何を言いにきたのだ」
「この文面を電子メールで全社内に流して欲しい」
「何だ、 この文章は!」
「社員を苛める前にもっとすることが沢山あるでしょうということ
です」
「こんなメールを流せるものか。君ね、我が社は何年も前から能力
主義になっているんだよ、力のないものは後進に道を譲るべきだ」
「能力主義って一体なんですか?誰が決めるのですか?私達の若い
頃、何にもしなくて、ポストも金もたっぷりもらっていたおっさん
がウヨウヨ居たじゃないですか。私達が中年になって、さあ、能力
主義だ、若い者らと一緒に勝負しろと言われても」
「帰ってくれ給え、人を呼ぶぞ」
「三十年勤めて、退職勧告は一通の電子メールでした。あんまり
じゃないですか。悲しすぎますよ。社長、貴方も私と一緒に辞めて
ください」
「馬鹿な、私は会社を守る責任がある」
「じゃ社長、私の三十年を返してください!」
「な、なにをする。刃物なんか出して。危ないじゃないか」
「辞めるのが嫌なら 私と死んでください」
「ひぃー。た、助けて」

  救急車のサイレンが遠ざかっていく。
  窓から赤いランプを見ながら、二人の男が話している。
「筋書き通りだな」
「不満分子を焚き付けて社長室へ乗り込ませるなど、容易い事でし
たよ、専務」
「こんな不祥事を起こしたんじゃ、社長も退陣だな」
「次期社長 おめでとうございます」
「まだ早いさ、でもそうなれば、私は現社長のような血も涙もない
リストラはしない」
「期待しております」

二年後―――
  音もなくドアが開いた。
「誰かね?ノックもなしに」
「社長、私の顔 お忘れですか…」

第3回1000字小説バトル
Entry2

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母の顔

作者 : 多田野英俊
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 まだ私が5才だった頃
父と母と弟と祖父と祖母の6人暮らし、でも母は私の弟を生んです
ぐに病気にかかり入院していた。その頃の私は悪性リンパ腫という
病気がどんな病気か分かっていなかった。
  その日、夜中の11時頃、急に病院から電話がかかってきた。父
が電話を取りすぐに顔色が変わり「はい、すぐ行きます」とだけ言
って私に
「今からお母さんの所に行くからじいちゃんとばあちゃん起こして
きて」と言った。その時なんとなく分かっていた。お母さんは今日
死ぬ。
 車の中で祖母はずっと手を合わせてとても小さな声でお経を唱え
ていた。ぼそぼそと聞こえるお経の声がとても恐くてたまらなかっ
た。父は少し息を荒げていて少し目に涙が溜まっていたように思え
た。弟は祖父に抱えられて眠っていた。父に「お母さん大丈夫なの」
と聞くと父だけではなく祖父も祖母も大丈夫だ、心配ないと口をそ
ろえて私に言った。

 母はいつもよりもやせ細って見えた。口にはマスクがかけられ、
体のいろんな所からいろんな管が伸びている。ベッドの後ろには大
きな機会がいくつもあった。父が母に近づくと母は少しだけ目を開
け苦しそうだったがほんの少し微笑んでいた。私も母の側に近づい
て「お母さん大丈夫?」と聞くと母は大丈夫と苦しそうに言って、
私の小さな手を握りしめた。明らかに大丈夫ではなかった。私の目
から急に涙が溢れ出した。母はそんな私を見て大丈夫、大丈夫だか
らと言って私の涙をか細い指で拭ってくれた。ベッドの後ろにある
大きな機械から出るいろんな音が母の寿命を縮めているように思え
た。
 30分が経ち母の息遣いがだんだん荒くなっていく。その時だ、母
は急に大きく咳き込み、息遣いもさっきよりも大きく速くなった。
そして私の方を見て枝のように細くなった腕を私の方に向け私の名
前を一生懸命、切れ切れになりながら呼んだ。私は「お母さん恐い」
と言って母の腕から遠ざかった。
 それからすぐに母は息を引き取った。母の目玉だけを大きく見開
いたやせ細った顔が、とても恐かった。

第3回1000字小説バトル
Entry3

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陽春の候

作者 : ニケル
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 昨日、卒業式があった。
 その間、長い学校生活で僕は何を学んだのかを考えてみた。恥ず
かしながらあまり授業に出席しなかったので、とても勉強をしたと
はお世辞にも言えない。
 昨日の弾けた飲み会を終えると、親しかった友人達はこの地を去
った。僕達は、心の隅にコッソリと住んでいた一人の友人に無礼を
謝った。友人の一人が、『人を許すことが出来たことが俺らの成長
の証だったんだ』と言って握手をした。一人、一人、車や電車と見
送っている間に、遂に、今なお此の土地に未練を持つ僕だけが取り
残されてしまった。僕も新たな生活に旅立とうとする友人に乗り遅
れないために、懸命に遅ればせながら荷造りを始めた。
 土曜日、部屋の大きな荷物を先に運び出すために、両親がトラッ
クでやって来た。
「卒業、おめでとう。」
 母さんは息子の卒業式に出席したかったらしいが、当然僕が無理
に止めた。
 三人で、荷物をまとめたり、運び出したり、部屋にこびり付いた
四年間の汚れを落としたりしていた。暫くぶりの対面で、三人とも
言葉数が少ない。
「婆ちゃん、元気か。」
「そうそう、お前のことえらく喜んで、就職祝い、年金から沢山出
してくれたぞ。お前のこと、婆ちゃんの孫ではないわって。おらの
孫がこんなに立派になるわけねぇだってよ。」
「俺、確かに、授業料殆ど損させたけど、大學で少しは成長したの
かな。」
「そう言う生意気なことを言う分、十分変わったわよ。」
 そう母親が台所の食器を洗っていながら、顔を出した。父親は、
その事を聞いていたことは確かなのだが敢えて答えなかった。
「じゃぁ、母さん達、大家さんに挨拶してくるから、明日ちゃんと
鍵を返しに挨拶に行くのよ。あんた、これからどうするのよ。」
「ああ、取り敢えず、あんな土田舎に戻ったら、まともな買い物で
きんから、此処で少し買い貯めておくよ。」
「気を付けて帰ってくるのよ。」
 其れから、僕は就職のための靴と時計を買いに行った。家に戻っ
たのは、何時であっただろうか。何遍も通い慣れたコンビニや床屋。
アルバイトでお世話になった人にも挨拶に行った。出来るだけ沢山
の写真も撮った。皆が「がんばれ、がんばれ」と言う。いつの間に
か、僕の本拠地は此処になっていたのかもしれないと、時間の流れ
を流石に寂しい気分になった。
 家に戻った時は辺りはもう暗くなった。当然、部屋に明かりがつ
いていないし、この地に友達も僕の存在すべき匂いさえもない。部
屋を見渡すと、あれだけモノが反乱していた汚い部屋が、布団とテ
レビだけになっていた。其れさえも、明日、僕の車で持ち帰るモノ
だ。取り敢えずは電気をつけて、何とも言えない寂しさを紛らわす
ために、テレビを付けるが全く面白くない。
 ふと、テレビの横に缶ビールが置いてあるのに気が付いた。僕自
身は酒は全く飲まないので、元もと缶ビールが部屋にはないはずな
のに。親父の下手な演出であろうよ。使い捨てのカメラのフィルム
が一枚残っていたので、その殺風景な部屋を撮ってやった。
 その時、顔を赤らめて、初めて卒業したのだと思った。

第3回1000字小説バトル
Entry4

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タイムカプセル

作者 : 大西圭祐
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 まさか、一人でクラス分のタイムカプセルを開けるとは思いもし
なかった。
 みんな大人になっていつのまにか忙しくなっていたんだ。でも、
それはわかっているし、しょうがないことだ。
 しかし、僕は仕事がないというわけではない。家も建ったし、女
房も、子供もいる。
 それに僕はあんまり同窓会などには出席しなかった方だ。

「先生。ごぶさたしてます。」
「いやあ、大きくなったなあ。久しぶり。元気してるか??」
「はい。私も、妻も子供も、とても元気です。」
「もう、結婚していたのか。おめでとう。
 ところで………他の奴らはどうした。」
「ボク一人です。」
「………みんな忙しくなっちまったもんだなあ。」
「はい。」
「タイムカプセルは右から数えて3番目の桜の木の下だったな。さ、
行こう。」

 このタイムカプセルは当時みんなで話し合って「30歳になったら
開けよう」ということになった。
でも、当時のボクらから見たら、30歳なんていう年齢は想像もつか
なかった。

「ここだな。」
「はい。先生はそこにいて下さい。ボク一人で掘りますから。」
「おお、そうしてくれるか。わしも、もう腰がいうことをきかなく
なっちまった。」

 当時、僕には死ぬ程好きな女の子がいた。
 いつもその女の子を見ていたような気がする。
 そして、タイムカプセルの話がでてきたとき、僕とその女の子は
席が隣だった。
「何書いてるの??」
 僕はなにげなく、その女の子に聞いてみた。
「だめ。30歳になってから。ね。」

 今思えばその時期が、僕の人生のなかで一番パワーがあふれ、輝
いていた時かも知れない。
 タイムカプセルを開けたら、その輝きを少し取り戻すことができ
るかもしれない。そう思って、今日ここに来たのだ。

「あっ、これかな??」
 バケツを見つけた。僕は迷うことなくそのバケツのふたを開けた。
 いろいろな奴の、いろいろな物が入っている。手紙に、折り紙、
コンパクトなんかもある。
 自分は当時かなり人気のあったヒーローの人形を入れていた。

「………」
 彼女の手紙があった。
 さっそく、開けてみる。
 中には可愛い字で、
「竹本君のおよめさんになれますように。」
 と書いてあった。
 竹本とは、当然僕のことである。
 何かが、込み上げてきた。
 ごめん。今僕にはちゃんと、優しい女房と、かわいい子供がいる
んだ。
 あのとき僕は君が好きだったのに、素直に言えなかった。
 僕は君を傷つけてしまったね。

 涙が頬をつたっていくのを感じた。
 僕は涙をぬぐい、その手紙をバケツしまってふたをした後、回れ
右をした。
「先生!!」
「なんだ?? どうかしたか??」
「僕、今、輝いてますか??」
 先生は不思議そうに首をかしげた。

第3回1000字小説バトル
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超迷惑性恒常的生害促進症候群(隔離必須法定伝染病指定)

作者 : 新美薫
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文字数 :
「俺すてられたんだ」「……そう」「もうじきしぬから」「どうし
て?」「俺のびょうきはなおんないんだ」「だからって人が人を捨
てるの?」「自分のいのちでさえすてれるんだから。他人をすてる
くらいどうってこと」「……おまえはそのひとのこと、」「わから
ない。でもいつでもほしいものくれてた。いつだって、俺のこと、」
 ――である日とつぜんその人は。もう俺にはおまえの欲するもの
を与えてやれないと言い残しひとり。すがたを消したのだと彼は言
った。「俺いっしょうけんめいしたんだよいろんなこと。俺だって
あのひとがほしがってたもの、あげたくて、いろんなこと考えてい
ろんなこと言って話して、だけど……」「おまえはすてられたんだ。
もうわすれなよ。……これからは。おれがおまえになんだって」

 ――結果青年も彼を捨てざるを得ず。おなじじゃないかとのらは
泣いた。かくして感染の勢いはとどまることを知らぬままにきょう
ものらは街をさまよう。

第3回1000字小説バトル
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秋の遠足−大山・丹沢方面−

作者 : よしよし
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Website : http://www2s.biglobe.ne.jp/~yoshi_s/yoshi.htm
文字数 :
 体力のないの私にとって山登りなど苦痛以外の何物でもない。あ
とは一本道だからと、最後尾の先生にも見捨てられてしまった。息
は弾み、喉が燃えるように熱い。
「あと少しだよ」
 声をかけられ、手放しそうだった意識を危うく取り戻す。私と同
様やはり遅れがちだった生徒が一人、付かず離れず歩いている。い
つも俯き加減で無口な彼女は、私はもちろんのこと先生でさえもそ
の声を聞いたことがないと言う。
「もう少しだよ」
 彼女は前方に目を向けたまま、この静かな山道でもない限り聞こ
えないような小さな声で呟く。それは苛立つでもなく、励ますでも
なく、山の空気のように耳の奥へと染みていった。

 その後、昼食時間ギリギリで山頂に到着した私達は2人だけでお
弁当を食べることになった。既に話す気力もないほど疲れきってい
たので、今ばかりは彼女の無口さが有り難かった。

 帰りは下りだけだ。短いとは言え休みを取って元気になった私は
軽快に山を降り始める。
 「待って・・・」
 小さな声を聞いた気がしたが、勢いのついた足は止まらない。

 でも、ちょっと調子に乗りすぎ。早速、道端に座り込んだ私を同
級生達は次々と追い越していく。
 やがて、その数が疎らになり途絶えた。疲れと寒さで膝を抱えて
いると、恐らく最後の一人であろう生徒が通り過ぎる。それはあの
無口な彼女だった。でも彼女はもうこちらに一瞥もくれない。私は
喉元まで出掛かった「待って」という言葉を飲み込む。自業自得だ。
自分の身勝手さ、思いやりの無さ、弱さ。そして、その代償。それ
らを身に染みて感じる。
 不意に、目で追っていた彼女の後ろ姿がグニャリと歪む。
「待ってよぉ。」
 口を突いて言葉が出ていた。今日は最低だ。自分の我が侭加減に
吐き気がする。
 それでも小さくなり始めた後ろ姿は立ち止まり、少しの間のあと
振り向く。いつも無表情な彼女が、今はムッとしているのを知って
何故かホッとした。私は重い足を励ましながら歩きだす。
 追いつくと、彼女が無言でタオルを押し付けてきた。私はその時
になって、ようやく自分が泣いている事に気づいのだった。

 ひどく胸がいっぱいで、なにか大切なものを見つけた気がするの
に、久しぶりに泣いたせいもあってよく思い出せなかった。ただ、
わかっているのは少しだけ優しい人になれそうなこと。そして、こ
の無口な彼女と仲良くなれそうな予感がすること。ただそれだけを
知っていた。

第3回1000字小説バトル
Entry7

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互いの思い込みで生まれるもの・・・それが愛

作者 : よしよし
Mail :
Website : http://www2s.biglobe.ne.jp/~yoshi_s/yoshi.htm
文字数 :
 結婚を来月に控えた幸子は、未来の夫である幸男と家探しの真っ
最中だった。
「明るいキッチンに広いリビング。それと寝室は・・・いや〜ん」
 と、絵に描いたよう幸せを満喫しているが、これでも結構忙しい。
結納に始まって式の準備に旅行の支度etc・・・。まぁそれでさえも
「し・あ・わ・せ」と指でクネクネ書いて、リボンをかけたいほど
なのだから、愛の巣探しともなれば夢は膨らむ一方だ。

「お手洗いは和式にしましょうネ♪」
 ピシ!
「・・・・・ネッ♪」
 ビシッ!!!
 幸子の言葉に反応して大気が音を立てる。それはポルターガイス
トでもラップ音でもない。彼女の向かいでは幸男が顔を引き攣らせ
ている。
「な、なにを言ってるんだい幸子。トイレは洋式だろ?」
 バキバキバキー!
 甘やかな空間に亀裂が走る。それは夫婦になろうとする2人が初め
て聞く崩壊という名の序曲か。

 幸子の話
 そう、あれは忘れもしない20年と少し前のこと、その日親戚の家
に伺った私は、初めてお会いした従兄弟のお兄さまに恋してしまった
のです。そう、それが私の初恋でした。
 but! 美しい思い出となるはずのそれは、後に起きた悲劇によって
忌々しい過去となったのです。
 私は伺った先でお手洗いを借りたました。見慣れぬ洋式に戸惑った
けど、もう今年は幼稚園生、母を呼ぶのは見っとも無い!
 私は勇気を出して洋式トイレに挑んだ・・・。
 誰だぁ便座上げっぱなしのヤツは! おかげで便器に落ちたじゃね
か! 便器に嵌まって泣いってるのを笑いやがった大人共、覚えてや
がれ。従兄弟のアニキ! お前もだ!

・・・と、言うわけで洋式トイレ反対。

 幸男の言い分
 あれは旅先の民宿でのこと。そこは和式で汲み取りだったけど当時
それほど珍しいものじゃなかった。僕はいつものように便器をまたご
うとした。ところが、その時にかぎって僕は片方のスリッパを便器の
中に落としてしまったんだ。困った僕は果敢にもスリッパを拾おうと
したんだよ。
 (今思えば、拾ったスリッパをどうするつもりだったのかなぁ)
 とにかく僕は便器の中に手を伸ばした。あと少しあと少し。ああ、
でも届かない。あともう少しだけ・・・
 と、その時だった、僕がバランスを崩したのは。

「私の負けだわ。洋式にしましょう。」
 沈黙を破ったのは幸子だった。
「わかってくれたんだね!」
 がっしと手を取り合う2人。響け幸せの鐘。歌え愛の歌。
 僕たちに恐いものはない。

第3回1000字小説バトル
Entry8

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作者 : 杉原久郎
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文字数 :
 男は待っていた。男の頭に美という名の人を食う虫が巣くったの
は、去年の冬。首都では例年になく早い初雪が降った。男は芸術家
でも詩人でもなかった。その日以来、男は少しずつやせていった。
年が明けて、長く勤めた会社に辞表を出し、わずかばかりの金をも
らった。その金の半分でカメラと三脚を買い、残り半分を棚の引き
出しに入れた。次の日、男は家を出た。いつもと同じように背広を
着て、妻からハンカチを受け取り、そして出張かばんの中にカメラ
と三脚を忍ばせ。いつもと同じ駅から列車に乗り北へ向かった。日
が北の果ての広大な大地に沈んだ頃終点に着き、タクシーを拾い見
渡す限りの雪原へ行くよう頼んだ。
 男は待っていた。そのひろい大地へ光が広がるのを。月のない空
の下うつ伏せになって待っていた。時計で四時を確認してからゆっ
くりと立ち上がり、カメラを西の方角へ向けて添え付けた。二三度
レンズを覗いて闇に見入った。全てが終了したのを確認してから、
たばこに火をつけた。小刻みにゆれる橙の光の向こうに終了した自
分の人生を見た。そこには闇が在った。光が地の果てから流れ出し
た。男は顔を上げ、ゆっくりとカメラの前に横になり、目を閉じた。
眼の裏の暗い影が明るい影に侵食されたとき目を開いた。男は溺れ
ていた。地の果てから溢れ出す光は地表を覆い隠しつつあった。男
は懐から剃刀を出した。それは光を受けて魚の鱗のように輝いた。
それからまだ闇の残る西の空を仰ぎ反り返った首に当てた。血は天
頂に吹き上げ男の体に、雪の大地に降り注いだ。白い大地がゆっく
りと赤く染まっていくのを横目でしばらく追っていた。最後の一瞬
を感じ、全ての力で左手に握ったシャッターボタンを押した。
 翌日のワイドショーは最近多いサラリーマンの過労による精神錯
乱を報じた。番組中、第一発見者の百姓は語った。「最初、遠くに
それが見えたとき、真っ赤な口紅を引いた女の絵みたいだった。」

第3回1000字小説バトル
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英雄通り

作者 : 杉原久郎
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文字数 :
 戦前の地図を開くと、血管のように入り組み合った旧市街に背骨
のように真っ直ぐ伸びる通りが載っている。美しいマロニエの木が
続くその通りには中ほどに英雄の銅像が建っていた。この町に初め
てガス塔が灯ったのもこの通りで、その頃は数々の名もない若手役
者がロマンスを演じた。いつの頃からかガス塔の淡い明かりはネオ
ンの輝きにけされ、ベテラン役者の愛憎劇と悲劇の舞台と変わって
いった。人々が新市街に移り、通りは長い人生の老年期に入ってい
った。
 この通りに一人の年老いた娼婦が立っていた。雨の日も風の日も
彼女はそこに立っていた。顔中に刻まれたしわには化粧が厚く塗り
込まれ、まだ若く美しかった頃にある将校から買ってもらった赤い
ドレスをやせた小さな体にいつも身に着けていた。彼女がいくつか
誰も知なかったが、人は出会った人の数だけ老いるという。そして
この老人は毎晩を本気で演じた。彼女もまた光の残骸であった。日
が沈む頃彼女は闇の中から現れる。そしてまだ美しく才気があった
時分に勝ち取った場所に立つ。しかしほかに娼婦の姿はなかった。
哀れかな女王のプライド、通りが光を失い始めたときに彼女は共に
消え行く運命を選んだ。彼女と共に残った娼婦たちはみな宗教には
いったか、もしくは自ら仏になった。
 日が沈みきると彼女は酔っ払いに石を投げられた。彼女はそれが
誰だか知っていた。そして男達も光の残骸であることも知っていた。
闇が深まると先刻まで石を投げていた男達の臭い息が彼女を呼んだ。
彼らは何か物でも盗むようにこっそりと彼女を抱き闇へ消えていっ
た。暗闇の中で悲しみをぶつけ合い、日が昇る頃彼女は男の汚物を
顔いっぱいに浴びた。
 ある朝彼女は死んだ。いつも立っていた女王の席に、いつも着て
いた赤いドレスを身に着けて、年老いた娼婦は小さな体をもっと小
さくして死んでいた。傍らには英雄の銅像が建っていた。英雄は深
いしわを眉間に寄せ、国の危機を救ったときに贈られたマントをつ
けて立っていた。日が沈みきると子供たちは英雄に石を投げた。日
が昇る頃小鳥たちは英雄の顔に汚物を浴びせた。雨の日も風の日も
英雄はそこに立っていた。
 昔、血管のように入り組んだ旧市街に背骨のように伸びる通りが
あった。美しいそのマロニエの並木道の名は英雄通り。

第3回1000字小説バトル
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ブルームーン

作者 : 紺詠志
Mail :
Website : http://www.geocities.co.jp/HeartLand/7945/
文字数 :
 天界一の弓の名手がいた。でも、なんかあって、地上へ落とされ
た。人間の女と結婚した。なんかあって、仙人から二粒の薬を手に
入れた。一粒で不老不死になれ、二粒のめば天界に行ける。二人で
一粒ずつのむ約束をしていたのに、人間の女は、こっそり二粒のん
だ。天に昇る途中、バチがあたって醜いガマガエルになり、天界へ
も行けずに宙にとどまった。それが月だ。

 そんな、僕が語った中国の神話を、リリは喜ばなかった。喜ぶは
ずがないか。
「『竹取物語』の方が、十ギガ倍いいわ。知ってる?」
「知らない」
 今日、リリは、ペキン発プトレメウス行の便で帰るため、高速リ
ニモ“土龍号”が僕たちを北へ北へと運んでいる。もう黄河をくぐ
ったんじゃないだろうか。ただ黒いだけの車窓に、青く染めあげた
髪を映して、天然の青い目を僕に向けた。初めて会った時、つい二
週間前のことだけど、この髪と目が気に入らなかったのに。
 赴任先のゲーリケから、父さんが連れてきた同僚の娘。僕より五
つも年下で、大学受験で忙しくなる前に功夫を習いたいと、バカげ
た理由でやって来たから、髪も青かったから、こいつはバカにちが
いないと思った。たかが半月で功夫が身につくものか。それでも毎
日、道場に通って適当なカタを覚えてきては、僕たち家族の前で披
露するから、ああ、正真正銘のバカなんだな、と同情すらしそうだ
ったのに。

 三日前、父さんに言われたから、僕はリリを連れて天望塔に登っ
た。僕の住む街から、地中から高く突き出していて、地上を見渡す
ことができる。見渡したって、なにもないじゃないか。僕たちが百
年かけて地中に潜っているあいだ、地上は百年かけて腐っていった
のだ。なんでもない灰色の礫地に、それでもなにか作業している重
装服の人間がいて、それを見下ろしていた僕だったが、リリはもっ
と遠くを見ていた。はるかかなた、海があった。僕はえらく納得し
て言った。
「そうか。月の海には水がないもんね」
 返事はなかった。白い海、写真で見たけど、昔は青かった。空も
今よりぜんぜん青かった。写真には嘘があるかもしれない。でも、
青かったと誰もが言う。リリの髪、いや、瞳のようにか?

 改札口で別れた。家に帰って、ネットで『竹取物語』というのを
読み終えたころには、夜の時刻になっていて、リリが月に着いてし
まう前に、また天望塔に登った。あげく、にじんだ月に向かって弓
を引くポーズをしてみた僕は、正真正銘のバカだ。

第3回1000字小説バトル
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みなれた笑顔

作者 : 君島恒星
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「わたしが帰ってくるまでに、出ていってよね!」
 捨てぜりふを残して、美代子が部屋を飛び出して行った。同棲し
て一年ちょっと・・・夢のようなふたりの生活が急にしぼんでいっ
た。それはきっと、美代子に新しい男でもできたからだろう。僕を
かまわなくなったからだ。気がつけば、そのことで大喧嘩になって
いた。男のことなど妄想だと美代子は涙で訴えていたが、不審な行
動が僕を悩ませていた。
 僕は捨てられたのだろうか? 
 自分の荷物を整理し始めた。ふたりで買ったものは美代子にあげ
ようと思う。
 アルバムが出てきた。あまり写真は撮っていないけど、型として
の思い出に違いない。写真を見ていると、不思議なことを発見した。
 美代子の顔が写っている写真がないのだ。
 すべての美代子の写真はおどけた顔をしているか、手で顔を隠し
ているものだった。まともに写っているものがなかった。そういえ
ば、最近まともに美代子の顔を見たことがなかった。どんな顔だっ
ただろう? 情けないな・・・いつからだろうか? 自問自答して
みる。記憶の奥にそれはあった。
「そろそろ結婚を考えない? 両親も心配しているし、できたらお
父さんに会ってほしいの」
 僕はまだ早いと笑ってごまかした。あの時からだった。
 逃げていたのは僕だったのか? 
 美代子への不信感や男の疑惑は、結婚はまだ早いと思っている僕
の妄想から生まれたものだったのか?
 美代子はふたりの同棲生活を、否定していたのかもしれない。い
つか思い出しても、証拠の写真には写りたくないという心境だった
のかもしれない。
 始めから? 
 始めから美代子は真剣な付き合いだったのだ。僕は果たして、真
剣だったのだろうか?
 いっしょに過ごした部屋を、ボーと眺めていた。
 荷物の整理はやめ、美代子の実家に電話を入れた。何と、美代子
の声が響いた。
「わたし、今日は休んだのよ」
 待っていたのかもしれない。
「お父さんにお会いしたいんだけど、何時に帰るかな?」
「その前にすることがあるでしょう?」
「何?」
「わたしとの仲直りよ」
 僕はスーツを着込んで出かけた。美代子は実家の前で迎えていて
くれた。いつもの、みなれた笑顔で・・・

第3回1000字小説バトル
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ストーカー

作者 : TKUTO
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「ヒーッヒッヒッ」
 異様な笑い声が階段から這い寄ってくる。私は階段を上りきると、
屋上のドアへ走った。
 開いて……いた。間一発のところで、屋上に転がり出る。
(あー、あんな化け物にまとわりつかれるなんて、ついてない)
 ドアの開く音で後ろも見ずに、慌てて手すりを乗り越えていた。
 眼下は霞んで見えない。手すりを掴んでいる手が、汗で滑って思
わずしゃがみ込んでしまう。
 後ろを見ると、あいつは追ってきていた。にやけ笑いの目が病的
に輝いている。
 私はやっと立ち上がると、事情を説明していた警察に通報した。
(あぁ、手すりまでもうちょっとだ。あいつが近づいてくる…)
「イヤーッ」
 身体中のアドレナリンが恐怖心を薄めていくのだろう。見えない
地上に、ひょいと飛び降りられそうな気がした。
「キャーッ」
 あいつの手が触りそうになって、私は飛んでいた。霞んだ景色で
は、どの位で地上に激突するのか判らない。風圧が顔を変形させる。
スカートで無くて良かったなんて、どうでもいい様な事が頭をよぎ
った。
「キャーッ。ウアーッ」
 気絶でもするかと思ってたけど、私は大声を出して恐怖心と闘っ
ていた。
 霞んでいた地上が見えた時には、第三者の目になっていた。

 地上20メートル程の高さになった私の周りには、胸から這い出
した私のストークが、落下の衝撃に耐えるのであろう姿に変形を始
めた。必要となる構成要素達を無数に集め、私の身体を包み込んで
いく。
 地上1ミリの所で落下速度はゼロになる。当然の事ながら停止し
た時の衝撃は一切感じられない。
 ストークの構成要素達が身体から離れると、それ(彼)はまた私
の身体に這い戻った。いつもの事ながら身体に入る時には、ちょっ
と気持ちがいい。
(ふーぅ。今回はストーカーになるのに時間がかかったわよ。高い
場所だったからいいけど…。精密検査の予約入れといてね)
 私が爽快になった身体で、ストークに無言で指示していると、屋
上では、警察があいつを逮捕していた。

ストーカー:
@忍びよるもの
A性的精神異常者の一行動
B身体に付帯(内蔵)する最低限必要な制御装置(ナノマシン)の
指示で、各所に存在する共有の構成要素(部品:ナノマシン)を使
用し、生命維持処置を行う医療機器の俗称。変形可能。種類により
事前の保護を目的とするタイプもある。内蔵タイプが胎児をイメー
ジさせる事から、【こうのとり】から派生した言葉とも言われる。

第3回1000字小説バトル
Entry13

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四季についての考察

作者 : 川島 圭
Mail :
Website : http://www03.u-page.so-net.ne.jp/yb3/k-k/
文字数 :
「オレ、冬嫌いだ」
 にきびでいっぱいになった顔をちょっとしかめながら、りょー君
が言った。
「なんで?」
 マッチは気になって聞いてみた。
「だって寒いじゃん」
 マッチはちょっとあきれた。なんでりょー君はこんなに単純なの
かな。
「あのね、冬がなかったらりょー君コタツにも入れないんだよ。雪
合戦もできないし、おもちも食べらんないし。りょー君おもち好き
でしょ?」
 マッチが説得に入る。マッチは冬が大好きなのだ。
「うん、そりゃ好きだけど」
「ほら、じゃりょー君冬好きじゃん」
「うーん、かもしれないな」
 りょー君はいつもこうだ。大胆なことを言ってはすぐにマッチに
説得されて、あっさりと意見を変える。
 りょー君はマッチよりもずっと体が大きい。顔も大人っぽい。そ
れに比べてマッチは体もちっちゃいし、童顔だ。けど考えることは、
マッチのほうがずっと大人なのだ。掃除当番の時だって、りょー君
はいっつもサボろうとする。そのたびに学級委員長のマッチがりょ
ー君をしかるのだ。
「りょー君どの季節が一番好きなの?」
 マッチの質問に、りょー君は待ってましたとばかりににっこり笑
って答えた。
「春と秋だよ。あったかいからね」
「けどさ、春には花粉いっぱい飛ぶし、秋には読書感想文書かされ
るんだよ。僕はあんまり好きじゃないな」
 りょー君は考えこんでしまった。りょー君は春にはくしゃみばっ
かりしているし、秋になるとマッチに読書感想文見せてくれと頼む
のだ。
「うーん、あんまり好きじゃないかもしれない。オレ花粉症だし読
書感想文大嫌いだもん」
「でしょ」
 りょー君もやっと分かってきたみたいだ。
 マッチはもひとつ気になって聞いてみた。
「りょー君夏好き?」
 りょー君はちょっと難しそうな顔をした。
「嫌いだな。だって暑いもん」
 やれやれ。

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写真と寝言とエレキング

作者 : 川島 圭
Mail :
Website : http://www03.u-page.so-net.ne.jp/yb3/k-k/
文字数 :
 私は変わったものを写真に撮るのが好きだ。つぶれた空き缶、
「青々ストアー」のチラシ、猫の箸置き、しましまのくつ下の片方、
などなど。私がこういうものを撮っていると、夫がいつも言う。
「お前、変なやつだなー」
 どうもピンとこない。変な写真撮ってるからって、なんで私まで
変なやつだと思われなきゃいけないのかしら。まったく。変な食べ
物が好きでも普通に生きている人はたくさんいるし、変な写真とっ
てても根はいたって真面目な人だってたくさんいる。
 悔しいから、言い返してやる。
「あのね、あなた寝言でいっつも変なこと言ってるのよ。ピヨピヨ、
とかさ。この変人」
 夫はしょんぼりしてしまった。言いすぎたかな。ごめんなさい。

 僕は変な寝言を言うらしい。ピヨピヨ、だって。あぁ。恥ずかし
い。それにしてもいちいち言わなくたっていいじゃないか。黙って
おいてくれれば僕も恥ずかしい思いをしなくてすんだものを。大体
変なやつだ、って言ったぐらいで何怒ってるんだ。まったく。変な
写真ばっかり撮ってたら、そりゃ変なやつだって思うよ。
 このまま引き下がるわけにはいかないな。
「あのなー、お前となりの佐野じいさんの趣味知ってるだろ」
 妻はかまわず、折れたシャーペンの芯の短いほうにカメラを向け
ている。
「ひとり怪獣ごっこだぞ。変なじいさんだと思うだろ?」
「素敵な趣味じゃない。ちょっと静かにしててよ、このピヨピヨ男」
「ちょっ、お前なー、ピヨピヨ言ってる男が変なやつとは限んねー
だろ。ピヨピヨいってたってオレのハートは熱いんだよ!」
 もうよくわかんなくなってきた。
 
 ワシは今日こそエレキングを倒すつもりだ。今まではエレキングに
花を持たせてやってきたが、もう我慢の限界だ。このままあいつにの
さばらせておっては、我が家の平和が潰える日も近い。いざ勝負!
「おい、エレキング。今日という今日は生かしちゃおけねぇ。くらえ、
必殺の佐野ビーム」
 ワシのビームの前に、エレキングはひとたまりもなかった。まぁ本
気を出せばこんなもんだ。
 エレキングは悔しさのあまり、男泣きをしている。そういえば隣の
奥さんが、負けて悔しさに震えるエレキングの耳を写真に撮りたいと
言ってたな。変な奥さんだ。

第3回1000字小説バトル
Entry15

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作者 : 秋月青葉
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Website :
文字数 :
 「お爺さん、こんにちは。」
 カイトは勢いよく山小屋の扉を開けて、息を切らせながも元気一
杯の挨拶をした。
 「ああ。」
 しかし、爺さんは此方に背を見せたままで、しわがれた声でボソ
ボソっと返事をしただけだった。
 「今日は出来上がるよね。」
 鞄を扉の側に置いて、完成間近のグライダーをまじまじと眺めた。
 「そうだな。」
 飛び跳ねるようなカイトの声に対して、爺さんの口調は何処まで
も鈍い。張り合いの無い爺さんの返事に、カイトは左の頬を膨らま
せたが、パッと堪った空気を吐き出し、
 「ここまで出来たのもお爺さんのおかげだよ。」
 と、真っ先に心に来る気持ちを伝えた。事実、小学生一人ではこ
こまで出来なかっただろうし、この計画をまともに聞いてくれたの
は爺さんだけだった。爺さんは返事の代わりにやれやれといった感
じで立ち上がり、ゆっくりと此方に近づいてきた。
 「これであの崖、飛び超えられるかな?」
 翼を擦りながら、一番の疑問を上目遣いで聞いてみたが、
 「さあな。」
 と、期待どうりの気のない言葉しか返ってこなかった。
 
 次の日、複雑な気持ちで山小屋に向かった。実際の所、あのよう
に小さな翼しか持たないモノで、崖の向こう岸まで飛べる自信が無
かった。想像していた完成品はもっとキラキラしたイメージだった
のだ。しかし、現物はどう見ても断崖きり立つ厳厳としたイメージ
に完敗していた。
 「何時までモウロク爺さんの所に通うのかしら?」
 昨夜盗み聞いた、母の言葉に心が冷たくなる。
 「そんなモノであの崖を飛ぼうなんて、無駄な事だよ。」
 友達の台詞が気持ちを惨めにさせた。
 そんな思いのまま山小屋に着くと、爺さんはグライダーを担いで
扉の前に立っていた。
 「行くぞ。」
 何時もの口調で爺さんがカイトを促した。
 「うん。」
 小さく頷き、口を噤んだまま爺さんの後を歩いた。カイトは二つ
の現物を同時に見た時、今までやってきた事が虚しくなるのではな
いかという恐怖感に包まれていた。
 「着いたぞ。」
 そう言って爺さんは腰を下ろした。カイトは走って崖の際まで行
って向こう岸を眺め、ゆっくりと景観を見回した。
 「これでは飛べんぞ。」
 爺さんが少しすまなさそうにボソッと言った。
 「分ってた、でも無駄じゃなかったよ。」
 そう言って、両手を広げ吹き上げてくる風をあびた。足元で大き
くきりたっている崖は、カイトの眼に以前よりも小さく映ったので
ある。

第3回1000字小説バトル
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A邸の桜

作者 : 坂川柳子
Mail :
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文字数 :
 夏子は建設会社に入社したばかりだった。現場管理というのが主
な仕事内容だが、実際は雑用係の毎日だ。今日の仕事は新築ビル周
辺の電波障害についての調査だ。込み合った住宅街の中に突如建設
されたビル。『テレビが映らなくなった』という苦情がかなりきて
いるらしい。また、近隣と揉めるのは嫌だな、と思いながら、調査
書を用意して、出かける事にした。
 調査の対象になる家屋は15軒あった。最後の家屋は、ビルの裏側
の木に囲まれた不思議な邸宅だった。A氏の邸宅だった。
外側から見ると、日本家屋のような佇まいだったが、玄関を開ける
と、不思議な和洋折衷の造りだった。『こんにちは。電波障害の事
で、御迷惑をおかけしています。少しお話を伺いたいのですが…』
 A氏は、快く家の中に案内してくれた。ただ、この家は、不思議
だった。生活しているような印象がない。物がない。
『最近、引っ越されたのですか? それとも…』『いや、ずっとこ
こだ』不思議な洋館の空間で、夏子はただ、家の造りの美しさと、
窓から見える大きな桜の木を呆然と見上げていた。『素敵なお住ま
いですね。』A氏はふふっと笑った。『2階の娘の部屋にもテレビ
があるので』と案内されたその部屋も、きちんと片付けられ、生活
感がまるでなかった。ただ、マントルピースの中に、本が整理され
て収納されていた。家全体は漆喰で壁が塗られていた、夏子はそっ
と、触れてみた。柔らかく、そして、冷たかった…
 会社に戻り五階のベランダから、A氏の邸宅を探した。ところが、
会社の窓からは、雑草と茂る木だけが見えていた。そして、怪しく
光る桜の花が・・・夏子が見た、邸宅は一体どこの邸宅だったんだ
ろう…夏子の手にあの、漆喰の感覚だけが残っていた。

第3回1000字小説バトル
Entry17

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人として

作者 : 森川音央
Mail :
Website :
文字数 :
 「千春に、そんなに壮絶な過去があったのか。」僕の心の中には
信じたくないという気持ちが湧き上がってくるとともに、なぜか再
確認するような言葉を無意識のうちに聞き返していた。
 「でも、浩之が思うほどではないと思うけどな。千春にとって。」
二人で飲んでいた千春の同級生である美佳がそう呟いた。僕にはそ
の言葉ははっきりと聞こえたが、美佳は僕に対して言うような感じ
ではなく、自分に言い聞かせるような口調であった。
 
 千春とは中学時代の同級生であったが、高校は別々になってしまっ
た。しかし、僕が大学生になって同じ学科の美佳と知り合いになり、
美佳が千春と高校が同じであったということを、彼女と知り合って
半年後に知ったのである。そして美佳を通して、再び千春と再開し
たという訳である。

 僕は千春に対して借りがある。それは、去年の冬のことである。
ふとしたきっかけで、僕は前の彼女と喧嘩をして別れてしまった。
その当時はとても辛かった。高校時代から三年半も付き合ってきた
彼女だったからである。そんなやりきれない僕を慰めてくれたのが
千春であった。

 「でも、中学時代の彼女を考えると、そんな事はないだろう。」
僕は屈託なかった当時の千春のことを思い出していた。しかし美佳
は、僕の言葉に対して黙ったままグラスを口に運んだ。たった三年
そこそこの歳月が人の人生をそうも狂わせるのか。いや、それだけ
時間があれば十分であるかもしれない。僕の人生経験が未熟なだけ
ということか。

 でも、なぜ失恋した時に、千春は何も言わずに僕のそばで一夜を
ともにしてくれたのだろう。僕が自暴自棄になっているのを見て、
彼女なりに何かを僕にしてあげたかったのであろうか。

 美佳との会話も、それっきり段々となくなってきた。このままい
てももう話すことはないだろうと判断して、今日はもう帰ろうと美
佳に言い、そして店を出た。美佳とは帰る方向が違うため駅の改札
で別れた。別れたあとも、週末の一時を楽しんだ人々の喧騒とは裏
腹に、僕は一人呆然と帰りの電車をホームで待っていた。
 しかし、世の中は時として不条理な運命を、人に押し付けるとき
があるのかもしれない。たまたまそれが、千春であったのだ。そう
思いながら、僕はさっきの美佳の言葉を思い出していた。

 「千春って、二回も中絶しているのよね。理由は教えてくれなか
ったけど。」

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ある事件

作者 : 海坂他人
Mail :
Website : http://www3.justnet.ne.jp/~yoshka/index.htm
文字数 :
 竜一は書棚から抜き取った本を、学生服の下に滑り込ませた。
 街に薄闇のせまる時刻であった。バス終点前の小さな本屋で、彼
は母の迎えの車を待っていた。
 しかし竜一は、高校生にもなって親の送迎に頼るという、この状
況にいつも不服を感じていた。家が遠く、部活で遅くなるからとは
いえ、それは不甲斐ないこととしか思えなかった。
 せめてもの自分を立てる手段として、彼は万引きをした。一匹の
雄として秘密の狩猟を行っているのだった。
 素早く、しかしさりげなく。竜一は今日もその通りにした。しか
し今日はいつもの仲間が誰もおらず一人きりであるということを、
彼は忘れていた。
 店の戸口で、嵐のような力が、彼を襲った。
 竜一は警察へ曳かれた。

「それでは、――につきましては無期停学ということで、先生方の
ご指導をお願い致します」
 形ばかりの校長の決裁の後、職員会議の議題は、書店から名前の
挙がった、彼の仲間たちに移った。
「生徒の写真帳を見せてほしいという要望で、何かと迷うところで
はありましたけれども……ここはやはり、こちらとしては従わざる
を得まいと……。」
「この五人に関しては、去年の夏からの常習犯、九分九厘までまち
がいないという話でありました。しかし、他に証拠はない状況で、
学校として事情聴取体制に入れるものかどうか……。」
「やはり、全体に対しての注意にとどめるのが無難かと……『生徒
の人権』は最近何かと喧しいことですし。」

「今日は竜一、来てないな。」
「風邪でも引いたんじゃねぇの。」
 真二が隣のクラスから、わざわざ訪ねてくるとは珍しい、と和也
は思った。しかも何か深刻そうな顔をして。
「ん……洋介がさ、あいつのお袋が学校に来たのを見たって。だか
ら……」
「……パクられたって事かよ。あのバカ……で、俺たちは……!」
「ま、証拠もないしな……」
 真二は薄く嗤った。
「ったく……あのバカヤロウ」
 和也は険しい表情で吐き捨てた。

 竜一は家の二階の、自分の部屋のベランダに腰掛けて、足をぶら
ぶらさせている。
 家庭訪問に来た担任は、今しがた帰った。
 学校ではもちろん、他にやった者はいないかという尋問があった
が、彼は知らぬ存ぜぬを押し通した。
 何日かして学校へ行けば、クラスの連中はきっと白い眼で見るだ
ろう。しかし仲間たちだけは、自分の英雄的な行為に感じ入ってく
れるにちがいない。
 竜一の寂しげな頬には、いつか幽かな微笑が浮かんでいた。

第3回1000字小説バトル
Entry19

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特効薬

作者 : 渡会 悠
Mail :
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文字数 :
 5年前、新型のウイルスが発見された。このウイルスに冒された
人間は、2〜3年の潜伏期を経て、発病。そして1ヶ月で死に至る。
特効薬は見つからず、患者(=死亡者)は恐ろしい勢いで増え続け
た。感染者の増加を示すグラフの右肩上がりの曲線は、その先を辿
れば人類は10年を待たずに滅亡することを示している。状況は絶望
的だった。
 しかし2ヶ月前、このウイルスの正体が明らかになった。それは
山奥にある小さな村の風土病だった。秘境という言葉の相応しい山
奥ゆえに、滅多によそ者は訪れない。7年前に来たという辺境専門
のカメラマンが、一番最近の訪問者だと言う。おそらくそのカメラ
マンがウイルスの媒介となったのだろう。その人物も既に故人とな
っていた。
 なぜこの小さな村が殺人ウイルスによって全滅していないのか。
理由は単純だった。特効薬が存在するのだ。
 村の長老は言う。
 「あんな病気は、はしかに較べりゃかわいいもんだ」
 薬を飲み安静にしているだけで、病気は治り、免疫もできて二度
と感染しない体になるそうだ。人類希望の特効薬は、この村の更な
る山奥にある深い森の中に生えているコケから取れると言う。我々
は早速、森へと向かった。
 森へ通じる道は遠く、足場も悪かった。1日で運び出せるコケは、
薬にして千人分にも満たなかった。ましてこの村から飛行場への道
のりは、どれほど車を飛ばしても3日はかかる。これではコケの採
集がウイルスの汚染に追いつかない。そこで、村から森までの道を
整備し、村近くの山を切り崩しヘリポートを作る許可を長老に求め
た。長老も村人も頑なに自然破壊に反対した。が、人類の存亡に関
わることだと押し切り、強引に工事を進めた。
 結果、大量のコケの搬出に成功し、人類はひとつ危機を乗り越え
ることができた。

 それから半年後、人類を再び新しい伝染病が襲った。伝播力、致
死率ともに前回より強力である。どうやらコケ採集の時に、あの村
から持ち出されたウイルスが原因だったらしい。あの孤立した村に
は知られざるなにかが、まだまだたくさん存在するようだ。我々は
またあの山奥の村を訪れた。
 まずはコケのお礼を言い、そして今回の伝染病の症状を詳細に説
明した。長老はニッコリと笑った。
 「あぁ。そんな病気は、はしかに較べりゃかわいいもんだ」
 そう言って、美味しそうにお茶をこくりと飲んだ。
 「ヘリポートで削ったあの山に、自生していたシダを使えたのな
らな」

第3回1000字小説バトル
Entry20

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自分勝手な男

作者 : おじゃましまんにゃわ
Mail :
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文字数 :
『慎重に距離をとり、必要以上に相手に深入りせず自分自身のこと
も必要以上にさらけ出さず─僕はそんな風に対人関係を築いてきた。
そりゃ、今までの知り合いのなかには(奴は、どことなくよそよそ
しい)だとか(冷たい)なんて言う人もいたよ。だけど、こんな僕
を理解してくれる人もいた。少なかったけれどね。君も、そのうち
の一人だ。わかってくれなくても、いちいち詮索せずただ黙って話
を聞く僕のことを重宝がる人もいた。なぜ人と距離をおくかって?
そう誰も傷つけたくないし誰にも傷つけられたくもない──適度に
距離を保っている限りそれは可能なことなんだ。それでも僕を混乱
させようと土足で踏み込んでくる奴もいた。でもね、それも一時的
なことでグラスの中の水を振れた時のようにしばらく揺れては、ま
た元の状態に戻る。僕が今の仕事を選んだのも、サラリーマンのよ
うに実際の仕事以外のことで必要以上に神経を使い、付き合いで酒
を飲む……自分の内側を無理矢理こじあけてしまう人間関係は我慢
出来ないと考えたからなんだ。今でもその判断は間違ってなかった
と思うよ。不景気なんだかんだいっても仕事は順調だし、僕の心は
平穏だった。昨日までは』 
 
 彼はそこまで一気に話すと同じ様にビールを一気に喉に流し込ん
だ。彼が自分のことをこんなに話すことは、今までの我々のつきあ
いで過去に例がなく私はただ圧倒されて話に頷くのが精一杯だった。

 沈黙の時間がしばし流れ、私はその空気に耐えられなくなり煙草
に火をつけた。 店の中の客は、私と彼の二人だけで、いつもは私
が連れてくる仲間との会話に口をはさむマスターも今日は静かに我
々と入れかわりに帰っていった客のグラスを洗っていた。

 彼は空になったグラスを睨みながらゆっくりと口を開いた。

『昨日、彼女が出て行ってから、なぜダメになったのか冷静に考え
てみたよ。 彼女は最後に(あなたは自分勝手なのよ)って叫んで
僕の前から去った。今まで僕は31年の人生の中で一度だって誰か
に”自分勝手”なんて言われたことがなかった。そのように思われ
ない様にと心掛けてきたつもりさ。慎重に距離をとってね……、で
もね、そんな僕の振る舞い、距離の置き方が、時には相手を傷つけ
ることもあるって……』

 煙草の煙は、ゆっくりとあたりを漂っていた。

第3回1000字小説バトル
Entry21

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お父さん?

作者 : 3吉
Mail :
Website :
文字数 :
 精神病院に勤めている俺の初仕事は患者の移送だった。移送する
病院が近いということと、気分転換にということで徒歩での移動と
なった。もちろん患者は暴力癖もなく、むしろおとなしい奴だった。
傍から見れば、俺達は友達同士といった感じだった。患者は街がめ
ずらしいのかキョロキョロしていたが、一体の人形を見て立ち止ま
った。

「お、お、お父さん」患者は泣き崩れ、人形にしがみついた。
「それは、店が看板として置いてある人形だ。君のお父さんじゃな
いよ」
「なな何を言う。お父さんじゃないか。お父さんじゃないかぁぁ」
  患者の泣き声につられ、野次馬が集まってきた。俺はいやな気分
になった。
「おい、もう行くぞ」俺は無理矢理、手を引っ張った。
「いやだぁ。お父さんと一緒に行くんだぁ」
「かわいそうじゃねぇか。一緒につれていってやれよ」
 無責任な野次馬が騒ぎだした。
「うるさい、こいつは○チガイなんだ」
「どうしてそう決めつけるんだ。彼のお父さんをき、き君は否定す
るのか」
「えっ」「えっじゃない。彼のお父さんじゃないと君は断定できる
のかと言っとるんだよ」
 スーツを着た白髪の老人が言った。
「いや、でも物理的に……」
「物理的にダメだといけないのかね。親子の情ってものはそういっ
たものを越えた次元にあるものじゃないのかね」
 そうだ、そうだなと群集の中に同意する者が現われだした。俺は
焦った。
「こ、こんなモノが彼のお父さんであるはずがないでしょう」
「こんなモノとは何だね。彼に失礼じゃないか。謝りたまえ」
「そうだ。謝れ」「失礼だぞ」「馬鹿野郎」「鬼、悪魔」「鬼畜、
けだもの」「お前には人の心がないのか」
 周りはどんどん盛り上がってきた。どうしていいかわからなくな
った俺をよそに、興奮した群集は老人を中心に店の中に入りだした。
店主に彼の“お父さん”を渡しなさいと交渉するためだ。このよう
な雰囲気の中で店主が逆らえるはずはなかった。彼はお父さんを抱
きしめ、歓喜の声を上げた。群集の目にもうっすらと涙が浮かんで
いた。

 俺は釈然としないまま、群集の輪から抜けだした。ただ、もう仕
事などどうでも良くなっていた。俺は通りを歩いている俺好みのグ
ラマーな女に走りよった。
「つ、つ、妻よ」

第3回1000字小説バトル
Entry22

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変化を伴う由来

作者 : ヒモロギ
Mail :
Website : http://home4.highway.ne.jp/deadsoul/
文字数 :
「はい、先生のやった通り石に石を打ちつけなさいガンガンガン」
 石器作りは猿人に進化した者にとって必修科目であり、これがで
きねば原人にはなれない。同級生が先生に提出した打製石器は一様
にギラギラと危うく輝いているというのに、カンジの石器だけでこ
ぼこに崩れていて、案の定先生の評価は一点だった。周口店上洞人
の先生はゼロの概念を解せず、つまりこれは事実上の零点なのであ
る。洞穴へ帰るカンジの足取りは重く、いつしか歩き方も四足歩行
となってしまう。

「なんで石器の一つもロクに作れないかねぇ」
「だけど母ちゃん、指が上手く動かないんだ」
「アンタちゃんと進化してんの? 今年の身体検査の脳容積は?」
「470cc」
「アンタそりゃ少ないわぁ、もっとキチンと進化なさい!」
「だけど母ちゃん、進化進化って、そんなに進化が大切なの? 僕
べつに今のままでいいよ」
 母親はこの進化嫌いな息子にやる気を出させるために、クロマニ
ョン人まで進化した母の友人は現在ラスコーで画家として大成し金
持ちになったとか、近所に引っ越してきたジャワ原人の新婚さんは
火の使い方を知らないため食事はいつも生肉で、奥さんはとうとう
病気になってしまったとか、ホモ・ハビリスの親戚は埋葬の習慣を
知らず、妻が亡くなっても死体を放置したままで、それは無残な光
景だったとかいう話をして聞かせたが、カンジを進化に駆り立てる
ことはできなかった。
「だって、四足歩行のほうが速いじゃないか」

 風すさぶステップでカンジはヒトと出会った。毛の無いヒトの外
見は醜悪で少し恐ろしくもあったが、初めてヒトを見たカンジは好
奇心を押さえることができなかった。エリートのヒトにできないこ
とは何もないと母ちゃんが言っていたが本当か、なぜ毛がないのか、
ここで何をしていたのか、矢継ぎ早に質問したが、ヒトは質問には
答えず、街へ連れて行ってあげよう、とだけ優しく言った。

 カンジは立派な部屋をあてがわれた。
「進化なんて別にすることもないさ。ここで好きな事をして暮らせ
ばいい」
 洞穴とは比べ物にならない程清潔で明るい部屋、日に三度も出さ
れる美味しい食事、周りには終始にこやかな顔でカンジを見つめる
大勢のヒト。ヒトって素晴らしい、無償で他人にこんなにも優しく
できるなんて。僕もヒトになりたいな。そう考えたら何となく脳容
積も少し増えたような気がして、カンジはオリの外のヒトたちにホ
ッコリと微笑み返した。

第3回1000字小説バトル
Entry23

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僕のダメ家族

作者 : モーゲン王
Mail :
Website : http://www.geocities.co.jp/Hollywood/9457
文字数 :
 僕の家族について簡潔に述べていこう。
 祖父はよく自分の昔話をする。聞くほうは当然苦痛だが、年寄り
の数少ない楽しみだと思って我慢している。ちなみに彼の趣味は盆
栽だが、たぶん下手の横好きだと思う。
 祖母は毎日我が家の食事を作っている。プライドを持っているの
だろう、たまに母が料理を作ると「家風に合わない味」などと不快
感を示す。実を言うと僕は祖母の料理はあまりおいしいとは思わな
いが、それを言うとショックでボケるかもしれないので黙っている。
 父は会社員だ。具体的に何をやっているのかは知らないが、スト
レスは溜まるだろうし僕たちを食わせるために働いているのだから、
夜中に泥酔して帰ってくるのはいい。だが寝ている僕を叩き起こし、
酔っ払い口調で「俺は父親だ」とわかきりったことを言ってからん
でくるのは非常に迷惑だ。酒の勢いを借りて「俺を尊敬しろ」と言
っているのだろうが、安眠を妨害されて尊敬できるわけがない。
 母は時々真顔で「そんな子に育てた覚えはない」などと理不尽な
ことを言う。覚えがなくても、そんな育て方をしたからこんなふう
に育ったのだ。それから「あんたのためを思って」と恩着せがまし
いのも困る。そういうことは言葉で伝えるべき性質のものではなか
ろう。愚痴や押し付けで子育てができれば苦労はしない。
 姉はすぐ僕をぶつ。「ブス」と口で言ったのだから口で言い返せ
ばいいのに、すぐ手が出るのは野蛮人の証拠だ。そして顔ブスで性
格ブスなのに、妙に色気づいている。ブスがいくら化粧や服で化け
てもやっぱりブスなのに、無駄な努力であると言わざるをえない。
残酷なようだがそれが現実なのだ。
 兄は何度も補導されている。その理由はいつも万引きだ。学習能
力がないらしい。半月前なんかエロ本を万引きし損ねた。こんな男
が兄だなんて恥辱としか言いようがない。
 弟は僕よりテレビゲームが上手いと威張る。そんなくだらんこと
で勝ったつもりか。中学一年にもなって分数の計算もできないくせ
に。己の無能ぶりをもっと自覚しろ。
 妹は僕を呼び捨てにする。生意気だ。いくら注意しても改めない。
腹が立って軽く小突くと、大袈裟に泣いて母を召喚する。母は問答
無用で「お兄ちゃんでしょ」などと言う。そんな理屈があるか。双
方の言い分を聞いて判断しろ。妹を無条件で正義とするな。その親
馬鹿のせいでこんな無分別な妹になるのだ。
 幸か不幸か、家族内でまともなのは僕だけだ。

第3回1000字小説バトル
Entry24

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作者 : 高島朝也
Mail :
Website :
文字数 :
 かつて来たことがある、その場所に立っていた。つぶれたと聞い
た。オレとダチとで闇に紛れてそこに行ってみた。すでに使い物に
ならない門に立ち禁のロープが張ってあった。乗り越えて中に入っ
た。
 噂を聞いたのがトロかったのか、つぶれてだいぶたってるようだ
った。

 かつては馬の形をしていたはずだが今は首が取れてしまっている。
ダチの一人が後ろにまわっていきなり腰を振っていた。もう一人の
ツレはどこかに落ちていたのだろう、かつては井戸に住んでいたは
ずの、首の長い女の顔を股間にあてている。オレはオレでライトの
ないステージにのぼり、一人でショーをやってみた。

 タラタラと歩きながら、割れかけてあぶない鏡を粉々にしてやっ
た。景色が見やすいように窓は外してやった。いつ来ても乗れるよ
うにゲートは開けてやった。

 かつて来たことがある、その場所に立っていた。つぶれたと聞い
た。長い間放っておかれていたのが、やっと撤去されたとも聞いた。
バカなガキどもが闇に紛れて忍び込んで事故を起こしたためらしい。
 今では小さな塔が立っていた。三階くらいの高さ。小さいころに
は現実世界から遠く離れた真っ白に輝く場所だったここは、今では
鉄の柱と導線が支配している。塔の下では老人が手に持った太鼓を
叩きながら念仏を唱えいた。私はずっと後ろで見ていた。

 ホントにバカなガキどもだ。せっかく私が使いやすいように手入
れしてやったというのに。私は、私の力で、その場所を元に戻して
やったのだ。誰が来ても楽しめる場所にせっかく直してやったとい
うのに、またその場所をこわしてくれやがった。
 老人の叩く太鼓の音が私の体の中でこだまする。念仏が頭の中を
駆けめぐる。

 日が傾きかけるころ、私は塔とは反対側を見ていた。上まで行か
なくとも、壁がなければ景色のいいところだったことを初めて知っ
た。上から見たはずの景色と変わらない景色をそこから望むことが
できた。案外あのガキどももこの場所を輝く場所へと戻してくれた
のかもしれない。老人の叩く太鼓の音と念仏が止まっていた。振り
向くと、老人は塔を背にゆっくりと歩き始めていた。私はその背中
が見えなくなるまでじっと見送っていた。

 誰もいなくなった。遠くに見える景色と街は、影と光を放ちはじ
めていた。まわりにある木と草のざわめきだけが耳に届いた。
 私は振り返った。無骨な塊がそびえ立っている。私はその塊を、
ペンキで塗りたくっていった。

第3回1000字小説バトル
Entry25

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終線’1943

作者 : 工藤ユリカ
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「ねえ、あなた、彼奴ら撃ってこないね」
 力無く、でも返事を期待しているのにあなたは何にも答えてくれ
ない。
 吐く息が、白い。
「……ふう」
 あたしは一人でため息をつく。
 と、向こうの方で微かに音がし、何かが動いた!
 それ、を目で確認する前にあたしの指は引き金を引き、
 そして。
 それ、は額から何かほとばしらせ、倒れて、
 ……辺りは又、静寂に包まれた。

 ……冷たくなって、あなたの横で、こうしてただ空を眺めている
のもどうかしら。気がついたら雪がまた降り始めている……
 もう、夏は永遠に来ないのだろうか。冷え切った躰の、感覚はも
う随分と前に失くなってしまった。
 それでも。
 昔の記憶を頼りに思い出そう。あのとき、あたしを優しく包んで
くれた温もりと安心感は躰の奥の奥の心の中にちゃんと在るんだっ
て。
 あたし、ちゃんと、生きている。
 あなたが生きろ、と言ったから。
 ……最後までここに……
 バカなやつと人に笑われてもいい、それがあなたとあたしの絆だ
から。
 ……雪。どうせ降るならもっと降って全てを埋めて……たくさん
の穴の空いた兵器や可哀想な人間達をその下に隠して、……お願い。
 いつのまにか、あたしは、浅い眠りに落ちていった。

 あたしは最初、其奴が近づいて来るのを何かの間違いだと思った。
激しくモーターを回転させ塹壕を踏みつぶして行く。
 あれは恐らくSdkfZ231装甲車、装甲は18ミリ……あの20ミリ砲
にはこの武器じゃ、勝てない。
 だけど。
 前部座席下にある燃料タンクに一発でもぶち込めば勝機はある。
あたしは最後の銃弾に焼夷鉄鋼弾を選んだ。
 其奴が目の前に現れたとき、あたしの銃が鉄の化物に火をふいた。
命中した瞬間あたしは、20ミリ砲の、直撃を食らう。
 ……焼夷鉄鋼弾は点火まで時間がかかるのよね……
 あたしは、もうずうっと前に先に逝ってしまったあなたの亡骸の上
に、この身を静かに被せた。

 レニングラード記念博物館。
 私が、そこで見たあの「絵」は、今もそこに在るのだろうか。
 独ソ戦「バルバロッサ」激戦地として知られるこの町に、静かに、
たたずむ。
 多くの市民が飢えと寒さで死に、900日間にわたる攻防戦の間、彼
らに支給されていたのは、たったパン一切れだったという。

第3回1000字小説バトル
Entry26

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雪虫

作者 : 伊藤 修
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 北大の杜に小さな雪虫が舞うように降っている。クラーク会館の
前でたたずむ竜門大介は、生まれて初めて雪虫を見た。雪の結晶の
ように薄い羽虫が、彼の黒い背広の肩に吸い寄せられるようについ
た。透き通る羽が夕陽に輝いている。彼はそれを指で摘んだ。何の
感触も起こさず、雪虫はとけるように消えた。 
 
 学生の姿もまばらな大学構内を、一組の男女が話しながら会館に
近づいてきた。大介は女の顔をじっと見つめた。それに気づいた女
は連れの男をその場に待たせ、小走りに大介の所にやってきた。二
人は黙って顔を見合わせた。
 女は田川順子という名で、同じ医学部一年の大介とは、医学と宗
教研究会に入ったときに知り合った。横浜という同郷のよしみで親
交を深め、夏には何度か身体を交わした仲だったが、秋になると急
に順子の方から別れ話を持ち出した。それは大介が医宗研をぬけた
直後だった。
「僕たち、まだ話し合う余地があると思うけど」
 彼女を呼びだした大介から話しかけた。
「あなたがそう思っているだけで、私には何もないわ」
 茶色のスーツを着た順子が気のない返事をした。
「そんな言い方はないだろう。僕が勝手に医宗研をやめたから、そ
れでだろう」
「あなたのようなお坊っちゃんは、基礎はやれても臨床は無理ね」
「それがどうして、君と僕の二人に関係があるんだ」
「あなたと私とは、生き方が違うのよ」
「医者になるという目的は、同じだろう。ただ僕は君たちみたいに
勉強をおろそかにしてまで、宗教活動に熱中することはできない」
「だから、あなたは勉強だけしていればいいのよ。出会ったことは
後悔していないわ。でも、もうだめなのよ」
 順子は大介の子を身ごもっていることを、どうしても打ち明ける
ことができずにいた。
「ひとつだけ答えてくれ。尾田先輩と同棲しているというのは本当
か?」
 彼女は医宗研の先輩である尾田を敬愛していた。
「よけいなことだわ! さようなら」
「順子!」
 大介は呼び止めたが、彼女は振り向きもせず走り去った。

 会館近くの芝生に腰を下ろして、どれほどの時間がたったのか分
からないが、大介はふっと空を見上げた。手のとどきそうな星が空
いっぱいに輝いている。こんなに沢山あったのか、と初めて気づい
たように感動した。同時に寂しさが突き上げてきた。
(今まで俺は、空のどこを見ていたんだろう)
 誰もいない構内で、ただ胸像のクラーク博士だけが彼を見守って
いた。

第3回1000字小説バトル
Entry27

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時々僕のアタマはお喋りになる。

作者 : オザキ トラ
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 時々僕のアタマはお喋りになる。
 潔く夜を刺す尖った三日月に励まされて、春の薄闇を浮かれて歩
いた。僕の後ろを小さな天使達が、羽虫のように群れをなして飛ん
でいる。官能的な音楽が、耳朶の後ろで唸り続ける。僕は奴等をい
ざなって、夜の果てまで旅をする。オマエの眠るスイートホームを
遠く離れて。

    昨夜 ざわめく気持ちに眠れぬまま、僕はひとりで酒を飲んだ。
 贅沢な夜だった。窓の外には青い月。心地良い風は、微かに花の
匂いがした。オマエはしどけなくほころんで、静かな寝息を立てて
いた。オマエの隣には、生まれたばかりの僕の息子が子犬のように
丸まっている。僕は、くんくん鼻を寄せてオマエ達の匂いを嗅いだ。
おなかいっぱい幸福で、やりきれない程切なかった。しみじみと壊
れて行く時間の中で、どうしようもなく不安になった。
 膨張し続ける永遠の宇宙がブラックホールを育むように、僕らの
崩壊も輝く未来を生むのだろうか。無残に重なる明日に、刹那の幸
福の愛おしさを、一体 どうやって紡げばいいのだろう。

 天使を引き連れ、僕はさまよう。
 裏通りのショーウインドに、僕はピンクのドレスを見つけた。今
時、珍しいゴージャスなやつだ。こんなドレスを着たオマエを連れ
て、王様のように気取って街を歩きたい。けれども僕は、僕の為に
この素敵なドレスを買う事にする。
 このドレスを身に纏い、メアリーポピンズのように空を飛ぼうと
企んだ。オマエはきっと何時ものように 愚かな僕を笑うだろう。

    光り瞬く街を見下ろし、僕は橋の上に立つ。
 ここから眺める人工の楽園は、生活の猥雑をすっかり隠して本当
に綺麗だ。心をこめて僕は息子に『ハッピーバースデー』と伝えた
い。この街に灯る幾万の灯りを、みんなオマエに捧げよう。この光
の海の片隅で安らかな夢を観ているオマエ達を、僕は本気で愛して
いるよ。けれども散々煩わしい生活の中で、やがて僕はオマエ達を
憎み始める事だろう。
 僕はそんな自分がとても恐いよ。震えるほどに苦しいよ。

    風に吹かれて僕のドレスはヒラヒラとひるがえる。らんちゅうの
シッポのようにとても優雅に。ゴウゴウと吹く風が人々の叫び声を
かき消して行く。右往左往と蠢く人影に、僕はゆっくり手を振った。
オシャベリ過ぎる僕の脳味噌を、僕は上手に始末しよう。
天使達が歓声をあげる。
 そして 全ての僕の記憶は、静寂の中に止まる。

第3回1000字小説バトル
Entry28

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素浪人皮剥ぎ血肉ノ介・柳蜘蛛

作者 : 蛮人S
Mail :
Website : http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3057/
文字数 :
  雨上がりの湿り気の、ねっとり纏いつく夜だった。
 その男は堀に面した柳の大木、ちょうど血肉ノ介の頭の高さで、
逆さ吊りとなってもがいていた。
「ほう……」
 血肉ノ介は物珍しげにこれを眺める。
 男は両手両足を柳の枝に絡め取られ、そのまま引き揚げられた形
である。何か言いたげな風であったが柳は猿ぐつわよろしく口元に
も巻き付いていて、男の言葉を奪っていた。その有様は血肉ノ介に、
折檻を描いた無惨絵を思い出させた。
「ただし色気は無し、か」
 血肉ノ介が口元の枝を外すなり、男は喘ぎ訴え始めるのだった。
「助けて、助けて呉れ、ば、化け物が」
「……どれ」
 血肉ノ介は男の見開いた眼の先を追い、柳を見上げた。
「あれか……」
 そこには一匹の蜘蛛が居た。地味な模様の、珍しくはない蜘蛛で
ある。ただ、馬ほどの大きさと、若い女の顔を持つ点で普通と違っ
ていた。
「あれは……お前の見知った顔か」
「知るか! 知るわけねえだろ! さ、急いで降ろしてくれ!」
「ふむ、そうか」
 と言いつつ、血肉ノ介は男を吊り下げたまま何やら思い巡らせて
いたが、ふと蜘蛛の方を向き声をかけた。
「……女」
 蜘蛛は首をゆっくり左へ傾ける。
「お前、ここ数日ずっとそこに居ったな」
 すると蜘蛛は右へと首を傾けつつ、紅を引いた唇をニイと歪めて
微笑むのであった。血肉ノ介は、すっと男に視線を落とした。
「……なあ、お前」
「何だよ」
 蜘蛛は二人をじっと見下ろしている。
「知っておろうが、何日か前だ、この辺りで…女が身投げしたな」
「そ、それがどうした」
「男に捨てられ、世を儚んだと噂に聞いた」
「関係無え!」
「のう、今一度尋ねるが……まこと、あの女に……」
「知らねえ、知らねえってば!」
 男は蜘蛛を忌まわしげに睨む。
「覚えがないと申すか」
 男は叫んだ。
「早く助けろよ、苦しいんだよ!」
「承知」
 血肉ノ介は、刀をすらりと抜くや男の胸へと突き上げた。

 蜘蛛の物言わぬ口が、不服げに動く。
「まだ責め足りぬか」
 血肉ノ介は、刀を男の袖で拭いながらクックと笑った。
「まあ許せ、これでも一応……生きている、男の側に立つ身ゆえ…
…ついつい救うてしもうたわ」
 刀をぱちりと納め、血肉ノ介は顎をしゃくった。
「そら、引いていけ」
 柳の枝がびんと張る。蜘蛛は細長い腕で、ずる、ずると男を引っ
張りあげ、やがて手元に達すると、愛しげにこれをかき抱くのだっ
た。

 その後血肉ノ介が蜘蛛を見かける事は無かった。

第3回1000字小説バトル
Entry29

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照る月、響(とよ)むなり

作者 : 東京りんご
Mail :
Website :
文字数 :
いつでも(追っ手が迫っている時でさえ)ミンの愛撫とともに交わ
す会話はひどく刺激的だった。
残された時間の乏しい俺たちは、一枚の毛布の中で貪るように朝ま
で語り合った。
「わたしたち、夜明けまで生きていられるかしら。」
突然、ミンは俺の下腹に細い指先を走らせながら、囁いた。
俺の視線はミンからそれて、この位置からは見えない窓の外の空間
へと彷徨った。
香港のビルは月を貫く意志があるかのように細く、高い。
削いだようにか細いビルの窓から下をのぞけば、奇妙にも落下より、
宙に浮き上がる感覚の方が強くなる。それも、天空を舞い上がるよ
うな軽やかなものではなく、落ちるでもなく、上がるでもない中途
半端な感覚に……。
それはどこか、俺たちの立場に似ていなくもなかった。
「国を捨てたこと、悔いていないか?」
俺は自分自身に問いかけるようにミンに尋ねた。
反政府運動に身を投じて十年、秘密警察に追われて国外に逃れた仲
間のうち、未だ無事なのは俺とミンだけだった。
だが、今はドアの向こうに殺気を感じている……。
「怖い……ヤン、わたしを抱いて。」
ミンは微かに震えながら唇を近づけた。
「もしわたしが殺されたら、生まれ変わっても、わたしを見つけて
くれる? お願い……約束して。」

昔、香港の入り江には、よく大陸からの亡命者の死体が浮かんだと
いう。
……昔のことだ。
俺の生まれ育った香港は、快適で進んだ都市だった。
だが、このもどかしさは何だろう。
まるでこことは別に、帰るべき故郷があるかのように、俺の体には
見知らぬ女の柔らかい肌の感触と、声の記憶が刻まれていた。
触れることができるほど生々しく、体も耳もはっきり覚えている。
俺はその女と何かを約束したはずなのだ。
今は忘れているだけで。
眼下に臨む暁の香港の街は、冷ややかな霞にも似た月光に包まれて
俺が中空に止まっているかのように、不思議と重力の感覚を欠いて
いた。もし今飛び降りたら、地面に叩きつけられるかわりに、宙を
浮遊しているにちがいない。
思い出せない何かを抱いて生きる男には、きっぱりした最期など相
応しくない、と言いたげに。

第3回1000字小説バトル
Entry30

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醜美なイリュージョン

作者 : おあしす
Mail :
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文字数 :
 「生涯で初めて丁寧にラインを引いたコカインを鼻の左穴から吸
込んだ時、といってもその時の俺は今以上にガキだったというより
かは金で買えないモノは世界に存在しないと本気で信じるアメリカ
のアッパークラスや、そいつの爺さんの爺さんの爺さん位のヤツが
死に物狂いの努力で手にした格式によって今の自分の存在が周囲に
認められているくせに『伝統は退屈だ』みたいなことを宣わって今
世界の何十億人もの人間が望んでいる恵まれた身分を自ずから破棄
してしまうバカなヨーロッパの貴族の末っ子のように単にコカイン
を気分転換の手段や性欲喚起剤として楽しむための経験と情報が圧
倒的に不足していたからそのコカイン初体験の時は虹の七色を総て
混ぜ合わせた色彩をして且つ液体と固体の中間のようにヌルヌルで
抹殺したくてもできない、マンハッタンのグリニッジビレッジ周辺
にいるホームレスの体にこびりついた垢のような物体が脳の、いや
身体の細胞という細胞総てにまで浸透した感じがして俺は生まれて
初めて自分が汚れた存在だと瞬間的にイメージしてしまったんだが、
しかしそれは時間に直すと0コンマ何秒とか言うぐらいの本当に短
い時間のことで、その状態を越えた後の俺は確実に進化した。昔猿
から進化した人間は何千年後には頭と指だけの生物になるといった
他愛もない小説を読んだが無論そんな陰惨な姿になるという意味に
おいての進化ではなくて、ロッキーの映画でスタローンが生卵を五
個だか十個だか忘れたが一気に飲み干すのを見て気持ち悪いと思う
反面その力強さにある種の尊敬を抱いたがその進化を感じたときの
俺は何百個もの卵を飲み干しても何の違和感も感じなかったと思う
ような、すなわち矛盾というものが全く介在することなく自分自身
を尊敬できたんだ。」私が嗅覚が狂う程臭いペニスをしゃぶったり
あそこに爪の伸びた指を入れられたりして金を稼いでいるのは子供
の頃叔父に犯されたトラウマで自分が嫌いになったからだと知って
いる彼はそう言って私に薬を与え私はその自分を尊敬できる薬を彼
から貰い続ける為にあそこに知らない人のペニスを入れて金を稼い
だがある日私が稼いだ金と共に彼は消えた。私はその日彼をバラバ
ラにする幻想を抱き寝たがそのバラバラになった彼が私を襲って私
の存在を無にしてしまう夢を見た。その夢の世界には嫌悪も尊敬も
薬もペニスも何もなくただひたすらバラバラの彼と形が消えていく
私だけがいた。

第3回1000字小説バトル
Entry31

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忘れ物をした女

作者 : 山口泰司
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Website :
文字数 :
  ある寒い夜、十一時に退社した恭子は家路を急いでいた。現在フ
ァッション雑誌の出版社に勤務する神崎恭子は今年で29才になる。
かつては人一倍デザイナーになりたいと思いを抱いていた少女は、
いつしか現実の厳しさの前でその熱意も以前ほどではない女になっ
てしまっていた。
 ようやく自分のマンションにたどり着いた彼女は玄関の右側にあ
るエレベーターに向かった。そのドアには「故障中の為、階段をお
上がり下さい。」という張り紙がしてある。彼女はため息をもらし、
自分の部屋が9階にあることを恨んだのだった。彼女は一種の覚悟
とも言うべき決意を胸に暗い非常階段を上がり始めた。ちょうど3
階にさしかかった時、下から老人の声がする。「おーい、お嬢さん
忘れ物!」その老人は疲れきった顔をしながら紙切れらしき物を
持った右手を挙げている。思い当たる節がない彼女は「私のではあ
りません。急いでいますので失礼いたします。」と言い、早足で階
段を再び上がりだした。それでも老人は後ろからずっとつけて来る。
「君にとって一番大切なものじゃないかね。」彼女はこの得体の知
れない老人が急に怖くなり走り出した。すると老人も追いつこうと
必死で走り出したのだった。ついに老人は彼女のバッグの紐に手を
かけた。「やめて下さい!人を呼びますよ。」と彼女は声を震わせ
ながら叫んだ。老人は「これを渡しさえすれば、・・ゼイゼイ・。」
と息を切らしながら手を差し出す。彼女はそれを受け取ろうと恐る
恐る手を伸ばし、老人の顔を覗き込んだ。その顔にはようやく受け
取ってもらえるという安堵感と同時にためらいの気持ちが感じられ
た。彼女は無意識に手を引っ込めると急に全速力で走り出した。も
う少し行けば自分の部屋に逃げ込めると思った。「もう!いいかげ
んにして、お願い!」と叫び、ようやく9階にたどり着きのドアを
開けた時、つまづいてしまい前の通路に倒れ込んでしまった。老人
が死ぬほど息を切らせながら倒れている彼女の前にそっと差し出し
た。彼女はそれを受け取るとじっと見つめたのだった。そして涙が
どっと溢れてきて紙の上の文字がにじんでいく。「君がこれ以上、
上に行ったのだったら、わしは追いつけなかったよ。」と言い、彼
女の肩をポンと叩いてこぼれんばかりの笑顔を見せると去って行く
のだった。そして彼女が手にした紙切れの上には一言、「夢」と書
かれていた。

第3回1000字小説バトル
Entry32

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鉄観音

作者 : ゆきみ
Mail :
Website : http://www.geocities.co.jp/EpicureanTable/7025/
文字数 :
むかし中国がまだ清と呼ばれていた頃、乾隆帝の御代にその不思議
なお茶は生まれた。
北京を遠く離れた南の福建省安溪県のある村だった。
仏教を心より信じるこの男、姓を魏、名を飲といった。
働き者で、優しい魏は村中の人間から好かれていた。

彼は毎日毎朝どんなに天気が悪くても暗いうちから起きあがった。
村はずれの井戸まで水をくみに行くためだ。そして、そのお水でお
茶をいれた。しかしお茶は自分が飲むためではない。家の観音様に
お供えをするためなのだ。生活の苦しい彼は自分ではお茶を飲めな
かった。

毎日観音様に手を合せお祈りをした。
村のみんなが幸せになることだけを祈った。
魏はそういう男だった。

ある日彼は山の奥深くにたきぎを取りにやってきた。その日は暑く
て、しばらくすると疲れてしまった。どこか休むような場所はない
かと探していると小さな観音様がいらっしゃるほこらのかたわらに
ちょうど自分が座れるような岩があった。

その岩の上に座り一休みすることにした。座るやいなや、持ってき
た竹の水筒の水を飲み干した。やっと一息つきふと気がつくと、岩
の隣に小さなお茶の木があった。

お茶の葉は太陽の光をあびてぴかぴかと輝き、自分自身で光を発し
ているようにさえ思えた。深い緑色だった。さわってみると茶葉に
は厚みさえあった。毎日山に入る彼もこんな茶葉は見たことがなか
った。
掘って家に持ち帰ることにした。
帰り際にふと振り返ると心なしか観音様が笑っていらっしゃるよう
だった。

家の庭にその木を植えると魏は一生懸命に育てた。生育も早くつぎ
木をしてどんどんそのお茶の木を増やしていった。

こうして、できたお茶はすばらしかった。それは安溪の深い森のよ
うに神秘的な色だった。お茶をいれるときに茶葉にさわると人々は
驚いた。重みを感じたのだ。ある人がこれはお茶の中の鉄だと言っ
た。鉄はそのころの中国ではたいへん高価なもので一般の人には手
の届かないものだった。香りはすばらしく、多くの人がその香りに
酔いしれた。

お茶は大評判となり彼はあっという間に大金持ちになってしまった。

ある日ふと思い立ち、魏はこのお茶の木のあった場所に行きたくな
った。するとどうだろう観音様のほこらなど、どこにもない。自分
が座った石もどこにも見あたらない。
魏は驚いたが別れ際の観音様のあのほほえみを思い出した。そして
やっとすべてがわかった。

このお茶は後に鉄観音と名付けられた。

バトル結果

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第3回1000字小説1等賞決定!!
作品『変化を伴う由来』のヒモロギさんに決定です!!
ヒモロギさん、おめでとう──マニエリストQ

お詫び
1等賞決定に際しミスがありました。
ヒモロギさん、紺さん、参加作者ならびに読者の皆様にお詫び申し上げます。
これにこりず、皆様これからもおつきあいくださいね。
マシンも少しずつ回復しつつあります。Qも頑張ります。
応援よろしくお願いいたします。



作品
変化を伴う由来(ヒモロギ)5
ブルームーン(紺詠志)4
(杉原久郎)1
忘れ物をした女(山口泰司)1
無効票*11

*1 締切り後に届いた感想票



変化を伴う由来(ヒモロギ)

ブルームーン(紺詠志)

(杉原久郎)

忘れ物をした女(山口泰司)







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