第4回1000字小説バトル
Entry17
私はそっと一番上の引き出しを開ける。頭に昇った血が引いてい く。どうも最近、こいつに頼る頻度が増している。それでも、効果 が残っているというだけで、うれしかった。 彼は、私が中学二年生のときの担任で、国語の教師だった。熱血 教師というような印象ではなく、逆に落ち着いていて、怒ることは めったに、いや、結局、彼が怒ったところを私は一度も見なかった と思う。彼は作文の授業を好んだ。たぶん。実際、教科書に沿って 小説や評論の読解をしているときとでは、明らかに目の色が変わっ ていたように記憶している。そんな彼が、作文の授業の際によく言 っていたのが、「立」と「実」という言葉だった。自立と写実、と 置き換えてもいい。彼は、飾ることを嫌った。小手先の技術はいつ でもつけられる。今は感性のまま、見て聴いて感じたままをすくい 取るんだ。そんなことを、時折、珍しく熱っぽく語るのだ。 そんな彼がある日の朝、学校に来ないときがあった。それまで彼 が学校を休んだことなどなかったため、私たち生徒は少なからず浮 き足立った。教頭が現われ、一時限目の国語は自習、と伝えると、 教室はざわめいた。そのうち、女生徒の中から放課後に見舞いへ行 こうと言い出す者が現れた。じゃあ、みんなで見舞文を書いたらど うか、という意見が出た。盛り上がった。早速、学級委員が黒板の 前に立ち、当時書記だった私が控えることになった。始めは、彼の 印象を言っていったが、その大半を好意的な言葉が占めた。やさし い。あったかい。分かりやすい。テストが少ない。等々。それらを 連ねて、感謝の言葉を続け、早くよくなってください、そう結んだ。 臨時学級会議はそれで決着するかと思われたが、ふと一人の男子生 徒が立ち上がった。 「これじゃ、先生喜ばないんじゃないかな」 飾りに見えてしまう、そう言うのだ。反対意見も出た。これは私 たちの「実」に違いないと。だんだんと険悪な雰囲気になり、じゃ あ、お前はどう書きたいんだ、と問い詰めた。その生徒は、ぽつり と答えた。 「がんばれ、って言いたい」 結局、一時限目ではまとまらず、昼休みに持ち越しとなった。し かし、給食の時間に、彼はすまなさそうな顔で現れたのである。ま た、大騒ぎになった。 今、国語の教師を務める私の机の引き出しに、一片の紙切れが入 っている。そこには、一語、殴り書きでこう書いてあった。 がんばれ。
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