| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | おたく | Bailey | - |
| 2 | 大切なこと | Bailey | - |
| 3 | 超能力 | K.TAMURA | - |
| 4 | 向こう岸には早すぎるから | K.TAMURA | - |
| 5 | 桃子と弥生 | TAKUTO | - |
| 6 | 殺人は化粧の後で | TAKUTO | - |
| 7 | 抜け忍 | TAKUTO | - |
| 8 | 驢馬の憂鬱 | 鮭二 | - |
| 9 | 空き缶 | こめとりうを | - |
| 10 | アフリカ | 瓜生瑠璃 | - |
| 11 | 助手の憂鬱 | パピオ | - |
| 12 | このアパルトメント | HCE | - |
| 13 | 夜間飛行 | HCE | - |
| 14 | ヴォイス | 藤次 | - |
| 15 | 国語の問題 | 3吉 | - |
| 16 | そのための番組 | 大西圭祐 | - |
| 17 | 先生 | pavane | - |
| 18 | 海の色、空の色 | おーぎや | - |
| 19 | およよ妻の夜 | 一之江 | - |
| 20 | おれが掘った穴 | 大島健夫 | - |
| 21 | 邂逅 -死月姫- | 至暉 | - |
| 22 | 父親の意地 | ヒロト | - |
| 23 | 変身せよ! スペクタクルマン | 蛮人S | - |
| 24 | 温存療法 | 小沢 純 | - |
| 25 | 水の音が聴きたい | 竿山緑 | - |
| 26 | Episode01 | rnem | - |
| 27 | Episode02 | rnem | - |
| 28 | 罪多き者 | 山口泰司 | - |
| 29 | 少しだけ片思い | 渡会 悠 | - |
| 30 | スクランブル | 君島恒星 | - |
| 31 | ぼくと彼女の山本情事 | モーゲン王 | - |
| 32 | サーカス ★ | 紺詠志 | - |
| 33 | 究極の守り神とは | ニケル | - |
| 34 | おいしいお肉 | たみか | - |
| 35 | 言えない言葉 | 苦楽 | - |
| 36 | 夜中の薔薇 | 海坂他人 | - |
| 37 | (作者希望により削除) | - | - |
| 38 | あなたの希望 | 遠野ミナコ | - |
| 39 | 小学生に戻りたい僕 | 久保田路子 | - |
| 40 | 雲雀の鳴く河 | 鹿野まどか | - |
| 41 | タヌキの気持ち | 川島 圭 | - |
| 42 | 足跡 | 伊藤 修 | - |
| 43 | お話の読み方 | 高島朝也 | - |
俺はコンピューターの前でプログラムに追われている。どうして もうまくいかない事がある。何度もデバッグを試みているのだが。 もう桜が咲いている、理奈は淡いピンクのシースルーのワンピー スを着てやってきた。ヌーディーな口紅はベイビーフェイスの彼女 にしか似合わないというくらいにつやつやと唇を濡らしている。冴 えない俺とは似つかわしくない彼女だった。 ”ねえ彰ー” ”んー?” ”お願いがあるの。” 猫がじゃれるように彼女の頬が俺の耳にあたる。 ”ちょっと入用なのー” ”なんだよーまた俺から金せびろうっての?” ”そんなんじゃないけどー” 俺のジーンズのポケットから2万円を探し出すと、さっさと外へ出 ていった。 プログラムはまだうまく走らない。’くさくさするからパチンコ にでも行こう。’底の剥がれかけたビーチサンダルをひっかけると 外へ出た。 通りかけの茶店で理奈を見た。 茶色い頭の若い男と一緒だった。 パチンコも入らない。 プログラムはまだうまく行かない。 理奈が帰ってきた。 ”あいつ誰なんだよ?” ”誰でもいいじゃない。” 頭にきた俺はストレートのテキーラをボトルで飲んだ。酔っ払っ て寝てしまった。 気がつくと俺のPCが理奈の上に乗っていた。彼女は感電死して いた。モニターにはこう書かれてあった。 ”あきら...こんな女にうつつを抜かしていないで、私だけを 見つめて欲しいの。”
”ママ、僕また幼稚園でいじめられたんだ。” ケイは大きな黒い瞳を潤ませながら私を見上げた。 ”デービッドが、僕はね、おしゃべりがへんなんだって。だけど 僕、ポケットモンスターだって一番新しいやつ知ってるんだ、だか ら大丈夫。” Fubuのトレーナーの袖からのぞく小さな褐色の手で鼻をすすっ た。 ”そうだよねーケイちゃんは一番偉いんだよー 。” 彼を左手で抱え上げて台所へ立つ。カリカリと油の中に浮いている フライドチキンを右手で皿に移す、オーブンからはアップルパイの 甘ったるい匂いが充満する。電話のベルがなる。 ”パパから電話だー。” 私の手からすべり降りると受話器を握った。 ”ママに変わってってー。” 水のついた手をタオルで拭きながら受話器を取る。 ”かおるさんですか?” ”はい、そうですが。” ”御主人の会社の者なのですが、先ほど警察から連絡がありまし て、訪問先から戻る途中に事故にあわれまして、救急病院へ行く途 中です。場所は...” 受話器から聞こえる音が慌ただしい地下鉄のホームにいる自分にな ったようで、何も聞き取る事ができない。 ”え?” ”マウントサイナイ病院です。” ケイを連れて息をきって病院へ着いてみると、夫の会社の人と医 師が暗い面持ちで私を迎えた。 ”残念ですが。” ”ママ、学君が僕の髪の毛がまっすぐじゃないって、おかしいっ て言うんだ。だけど僕、今日のABCは一番上手に言えたよ。だから 大丈夫。” ”そうだよねーケイちゃんは一番偉いんだよー 。” 少し前より重くなった彼を左手に抱えて右手でサバの煮込みのふた を閉じた。網で焼かれた茄子の香りはやさしく二人を包んだ。
ヘルメットを外したら手を伸ばしているのが見えました。微笑み かければスプーンは簡単に曲がるのです。想い描きながら歩み続け、 目を開けたら壁をすり抜けていました。そう、すてきな予知夢です。
もうやめてしまおうと思った。重いものを1枚ずつぬいでいった ら「やめちゃえ、やめちゃえ」と手招きをしている。みんな知った 顔。 (あぁ、もういいんだ) だけど。最後の1枚を捨てようとしたとき、裾をつかんで首を横 に振るのは…。
和彦さんは弥生に何か吹き込まれたようだ。別れ話を切り出して きた。二股かけられるよりはいいけど口惜しい。 和彦さんと別れると、いつものように弥生も和彦さんと別れた。 私を苦しめる為だけにいるとしか思えない。 今日渋谷を歩いていたら声を掛けられた。キムタクと迄はいかな いがジャニーズ系のいい男だ。広之さん。その日のうちに近くのモ ーテルでH2。明日又会う事になった。 弥生に違いない。なんて事をしてくれたんだろう。目が覚めたら 午後7時だ。広之さんとは1時の約束だったのに。薬でも飲まされ たんだろうか? 留守電を確認したら広之さんからのメッセージが 入っていた。(今日の桃子は素敵だったよ。チュッ)泥棒猫め! 弥生の奴、今度という今度は許せない。私に成りすましたまま広 之さんに会うなんて。ルール違反もいいとこだ。今度弥生には罰を 与えよう。もう許せない。 最近、桃子は怒っているようだ。そりゃ彼氏を盗られりゃ怒るか …。だけど、広之さんは桃子には勿体無い。桃子には悪いが今度は 長く続きそうだから、少し内緒にして会っていこう。 この間渋谷でナンパした桃子だが、少し変わっていると思えるの は気のせいだろうか?2度目のSEXは、始めの時とは全然違って いた。この俺が桃子に教わったんだからびっくりだ。ああいう世界 もあったんだ。思わず別れた後で、留守電にメッセージなんか残し てしまったが、桃子とはもう少し付き合ってみよう。 広之さんったら、ベッドでの要求がこの前より激しい。愛してい けそうだったから頑張ったけど、怒っていた。 桃子は一体どうしたんだ。この間の桃子じゃない。あのめくるめ く様な世界はどこへいったんだ。こんな女じゃなかったはずだ。 桃子と別れて1時間もしないうちに、彼女からコールがあった。 どうしても納得できなかったので会う事にしたが、今回の彼女は別 人だ。この間の桃子だ。一体どういう事なんだ。彼女に聞こうか? 広之さんに、本当の桃子なのかを聞かれてしまった。私は弥生。 桃子じゃないの。『双子だったのか』そういうと広之さんは又私を 求めてきた。 家に着いたら身体がだるい。今日のSEXはちょっと過激だった からだろう。弥生には連絡できない様に罰を与える。 弥生の電話のコードを引き千切った。 −3日後の朝刊− 治療中の多重人格の女性自殺 未遂は5度、今回は電話故障で助からず。
慌てて目覚ましを見ると6時。飲み過ぎたんだろう。目覚ましを 止めていたみたい。風呂場へ急ぐ。 身体に塗った石鹸で余分な油分を、温水と冷水の交互のシャワー でアルコールと眠気を吹き飛ばす。タオルで拭った身体にローショ ンと乳液を擦り込み、三面鏡の前に座る。 ちょっと休憩。といっても、ミネラルウォーターを一杯飲むだけ。 奇麗な張りのある肌を保つのが、化粧の秘訣だから、肌に悪いたば こは5年前に止めた。何毎も基本(ベース)が物をいうのだ。 ちょっと小さ目の下着を付けると、さっそくお化粧。ファンデー ションを薄めに叩いて、アイシャドー。アイラインを引いて、ルー ジュとチークを入れ、はい出き上がり。どれだけ薄化粧で済ますか がポイント。無造作に髪を後ろでまとめると衣装選び。今日は金曜 だから、ちょっとルーズにしよう。そう思った時胸が痛んだ。 「検死の結果、犯人は被害者 織田薫の口紅に×××を塗り込んだ 様です。昏倒した後で顔に◇◇◇を掛け鼻孔が塞がったのと、口内 に入り込んだ◇◇◇が喉を焼け爛らせて塞いでしまい、直接の死因 は窒息死との事でした」 捜査本部の部屋中がざわついた。陰惨な手口に思わず唸り声が上 がった。 「それで犯人の目星はついたのか」 「容疑者は、被害者と交友のあった二人に絞られました。どちらも アリバイはありません」 捜査主任の後ろの黒板には容疑者の写真と名前が書かれてあった。 どうやら三人の関係から推測すると、恋愛関係のもつれが原因と思 われた。 容疑者1 武田崇(32)男性 1年半前から交際開始 容疑者2 上杉遥(27)女性 7ヶ月前から交際開始 『私は死んでしまったのね。あの人に殺されるなんて。あの人が捕 まるまでは見ていたい』 容疑者二人の尋問は続くが、自供は引き出せない。 薫は尋問の時に、犯人の身体に乗り移ってみた。恐くなってすぐ 出てしまったが、効果はあった。 「主任犯人が自供しました」 「やっぱり、恋愛関係が原因だったか」 「というより、犯人はどうやら最近入信した宗教の影響で、正常な SEXを求める様になり、薫との関係を止めようとしたようです。 しかし聞き入れてもらえず、犯行に及んだと自供しました」 『今度生まれ変われたら、女性(異性)だけを愛する様にしよう』 心残りの無くなった薫は消えて行く意識の中でそう思った。
「これからは、たっぷりおまんまが食えるからな」 男は10人程の子供達に声をかけ舟に乗せた。男は忍び養成の為 の人攫い。しかしこの子らの殆どは、このままなら餓死するだろう 事は解っていた。そういう時代であった。 子供らは早速小屋に押し込められ、教育が始まった。下忍として 死ぬ為の修行であった。ケガや病気は始めの年以降は放って置かれ た。自分で直せない者は死あるのみであった。 その隠れ里には子供が毎年10人程入ってきたが、5年後に一人 残れば良い方であった。 ないは秀吉が天下を取った年に、里から消えた。ないは連れて来 られてから8年程の修行の結果、大人にも引けを取らない腕になっ ていた。何度か仕事もした。 しかし下忍が勝手に里を出たという事は、死を意味した。それ程 彼らの術に対する秘匿は重視されていた。方々探したが見つからず、 ないの教育係丹助は捜索に向かった。刺客としての目的が果たせな ければ戻れない旅であった。そして時は流れた。 丹助も下忍であった。彼も子供の頃攫われてきた口である。彼の 右足は膝から下が無かった。伊勢一向一揆の際に織田信興を守って いたが、信興が死に、生きる残る為に自分の右足を切った。 当時は忍びは金で一時的に雇われ、生き残る為なら何でもした。 それが当たり前であったのだ。 その後第一戦を退き、教育係となった。その丹助も年老いていた。 ないは見つからない。名前が言えなかったからないという名になっ た若者を不憫にも思っていた。 ないは優秀であった。鍛えがいがあった。忍びらしからぬ心優し い男だった。日照りの畑の様に何でも吸収し、工夫もした。逆に教 えられる事さえあった。 ないを殺したくはない。その思いがないを探し当てなかったのか もしれない。丹助は目的を果たせないままに死んだ。だが、ないは その死を見とった。涙が流れた。 ないは逃げている間も鍛えていた。力が全ての世の中が嫌だった から余計に力を付けた。力が無ければ生きていけなかった。しかし 世の中の力は悪であった。自分がよくなる為の力であった。人を蹴 落とす為の力だった。ないはそんな力は欲しいとは思わなかったが、 生きる為には必要だった。人の為に力を役立てたかった。 丹助が死んだ時、ないは自分に名を付けた。人の左に付き添う様 に、そして丹助の助を取って佐助と名乗った。 その後佐助は権力に対抗する為、落ちぶれていたが、心根の良い 男の為に働き出した。
例えば、こういうメールを打っていた時にそれは起こる。 「……ある時期、磁場の歪みについて考えていました。ここは元々 磁場のゆるいところなんだから、華原朋美なんか歌っちゃ駄目だぜ、 という物語。そう、磁場コップのことです。バミューダとか、船や 飛行機がふっと消えてしまう、あの辺を連想していました。案の定、 華原朋美もふっと消えてしまいましたけどね、あははは。もしかし たら、そのお仕事、Mさんのおっしゃる通り、上原多香子が引き継 いだのかもしれません。謎の腰痛が多発しているというMさんちの お風呂場、ちょっと磁場がゆるいのではありませんか? 連休中の 磁場コップは、雪の日のJAF並みに忙しいので、気を付けてくだ さいね」 「お風呂場」のことである。「おふろば」の変換一発目で「オフ驢 馬」になってしまうこの機械、果たして文明の利器なのか? 5年 も付き合っていて、なんだ、そのざまは。 しかし、「オフ驢馬」とはいったい何だ。 ははん。私は背広を着た驢馬を思い浮かべる。記者懇談会で、 「ここからはちょっとオフ驢馬で頼むよ」と野中官房長官が言うと、 背広を着た驢馬は手帳をぱたんと閉じ、肩を落として部屋を出てい く。そして、改憲論議についての野中氏の本音は驢馬社会に伝わら ないのだ。ああ、なんてことだよ、驢馬社会。 「学習機能がついているはずだ」と私は電気屋の店員に詰め寄った。 「ちゃんと、学習してるじゃありませんか」と若くて美しい店員は 言った。「お客様の先を読んで変換しているのです。賢い子なんで す」 まったく、店員は若さと美しさに物を言わせて自信満々なのであ る。 「じゃあ何かい? 僕が驢馬社会の被差別意識について、常々考え ているとでも言うのか?」 ふざけるのもいい加減にしろ、と私は鼻息荒く手帳を閉じた。 「ひひん」と威嚇すると、店員は「ふふん」と笑った。
普段あまり飲まない缶コーヒーを飲みながら、川縁の土手を歩いて いた。 どーでもいいな、と呟いてみる。別になにか考えていた訳ではない。 ただ何となく、そういう気分に浸っている感じになりたかっただけ だ。そういうセリフが似合いそうな、そんなシーンのような気がし たのだ。 周りをちらと見渡す。今のセリフが聞こえるような所に人がいなか った事を確認して、コーヒーを一口飲もうとした。 もう中身はカラだった。 どーでもいいな。 もう一度言ってみた。今度は意味がないわけではない。 どーでもいいと思いたくなることすらない事について思い悩む事が、 どーでもよく思えたからだ。 やっぱり周りをちらと見渡して、カンに口をつける。やっぱりカラ だ。 どーでもいい、かぁ。心の中で言ってみる。 声に出してしまったような気がして、周りを確認した。 進行方向にゴミ箱が見えた。
アフリカの夜は漆黒よりも深い。黒光りする夜の向こうには何か があるに違いない…・・。安雄が言い残したセリフだ。 いつからかずっと部屋に閉じこもり孔雀の絵を描き続けている。 孔雀はメスよりもオスの方が美しい。だから完成したキャンパスに 唾を吐きかけ燃やすつもり。 孔雀の羽根に色を塗る。パレットの上で、赤と黒を混ぜる。途端 に絵筆の先についた黒に赤が侵入し、やがては浸食する。しかし黒 は触媒の赤を飲み込むだけで黒世界に統一されていく。赤が消滅し ていく。忌々しきは黒。 安雄は私を置いてアフリカに消えた。黒人の後を追って行ったの だ。安雄がアフリカに被れ出したり、髪を編んでみたり、黒人音楽 を聴き始めたのも何もかも、あの黒人の影響なのだ。 私は今、HIVに感染している。妊娠も判明した。おそらくお腹 の子供も感染しているはずだ。私はある観念にとりつかれる。 −Go Africa…・・ 孔雀の絵が完成した夜、アフリカのサバンナにいる夢を見た。ゼ ブラが草原を駆け抜ける。ゼブラの集団はまるでフーガの様に一つ の真実という主題に向かって追走し、一体化する。そして、合体し たゼブラは消滅し、後に、黒い汚点だけを残した。 孔雀を燃やした後、安雄の後を追い南アフリカの大地に降り立っ た。殖民地支配が残るこの町では、アパルトヘイトが根強く残って いた。直後、私は黒人の鋭い視線を浴びた。カラードについては関 心がないと目で返した。すぐに邦人の旅行者が安雄の居場所を教え てくれた。 夜になるのを待って、礼拝堂に向った。アフリカの夜空は真の闇 というのは本当だった。 「ヨクイラシテクレタネ」 神父が待ち侘びたように言った。賛美歌の中、安雄が姿を現した。 私を一瞥すると、神父と抱擁を交わした。 安雄は私に言った。 「差別と戦っていくんだ」 (ゼブラの一体化…・・。) 「できたの…・。赤ちゃん…・・」 私は言葉を待った。そして安雄は言った。 「ヘテロがホモを愛せば不幸になる」 「それでも私は構わない」 「じゃあ、一緒に死んでくれ」 「私は…・・生きる。でもあなたには…・・道はひらかれない」 私は礼拝堂を後にした。ふと、返り見た礼拝堂は恐ろしいほど、 真っ赤に燃えていた。炎に包まれた礼拝堂はまもなく跡形もなくな るだろう。 −私は焼け跡から出てきたロザリオを見つめている。神父のものだ。 通りすがりの黒人が私をみてマリアと言った。見つめ返す先にあ る瞳は黒く澱んでいる。
「博士! おめでとうございます」 「うん……ありがとう、とうとう完成したよ」 「博士、これで長年のご努力が報われますね。きっと博士を馬鹿に して笑っていたやつらを見返せますよ」 そう言うと、助手は博士の手を取り、我がことのように涙を流し喜 んだ。 「君にも本当に苦労をかけたね。君だけだよ。私の研究を理解して くれて、長い間文句も言わないで手助けしてくれたのは……」 「何をおっしゃるんですか! 博士。私は、ただ、ただ、博士…… くくくっ」 「いやいや……苦労をかけたね。これは私の君への感謝の気持ちだ よ。受け取ってくれたまえ」 博士がそういって差し出す手には完成したばかりの……。 「先生!どうなんでしょうか?」 「う〜ん……今度の発明品はなんだっけ?」 「これなんです。先生」 博士の助手がおずおずと差し出したのは……。 「君も苦労するが、だんだんとよくなってきてると思うよ……」 「そうでしょうか?わたしには、まだまだのように思えるんですが?」 「いや、そうでもないよ。今回の発明は、少しは脈があると思うよ。 私は」 「これがですか?」助手は、博士の発明品を手にして、先生の顔を まじまじとため息ととも見つめた。 「いや……なんというか。この病気には、根気と我慢が必要なんだ よ。助手……いや息子さんのあなたにはお気の毒だとは思うが…… 今回の発明品の電卓は、前回の置き時計より複雑だし……それに前 よりも小さくなってきた。少しは自分の置かれている環境がわかっ てきたということじゃないかな」 「はあ……? 小さくなった?」 「いやいや……うちの病院も、そうそう大きな発明品は困るんだよ。 置き時計の前は、自動車、その前は洗濯機、一番最初は蒸気機関車 だよ」 助手は先生の顔を見ながら……博士が、空を見上げていたことを思 い出し憂鬱になっていた。年老いた父親が、自分を偉大な発明家だ と突然思うようになり,心優しい息子が助手になってから10年が 過ぎていた。
401号室。 402号室。 403号室。 BBSを荒ら 晴れてるから 住人は居るが した相手に対 窓を開ける。 ここ数カ月間 してアタック 管理人に内緒 何もしない。 を掛ける。馬 で飼っている 電気水道ガス 鹿め串を残し 兎にこの頃元 料金等は自動 ていやがる。 気ないから。 引き落とし。 301号室。 302号室。 303号室。 セックスの最 以前の入居者 養育費の事を 中に彼女が合 は霊が見える 考えると娘へ い鍵で入って からとの理由 の愛情も冷め 来た。虫籠の で引っ越す。 る。こんな安 ムカデを眺め 現在新しい入 部屋にど うし る目をする。 居者募集中。 てこの俺が。 201号室。 202号室。 203号室。 幾ら二階とは バイトから帰 競馬で十二万 いえ不安なの ってくるなり 円を擦った。 で洗濯物に男 ギターを弾き 酒を飲み癪で 物の下着を混 続ける。プロ 隣の若造に静 ぜている。効 を目指すが上 かにしろと怒 果は未確認。 手くはない。 鳴りつけた。 101号室。 102号室。 103号室。 外回りの営業 見知らぬ男が 面倒臭いので をサボってビ 部屋に侵入し 窓の外にポリ ールを飲み干 て来た。無我 バケツなど置 す。この時だ 夢中で包丁を く。ゴミを入 けノルマの事 手に叫んだら れるだけで掃 は考えない。 男は逃げた。 除は後回し。
二十五億ドルの翼を担う。今の処は最新鋭のステルス性を誇るが ドッグファイトは出来ないしアフターバーナーすらないから逃げら れない。見付かったら殺されるだろう。 夜間のピンポイント爆撃命令。七十キロ後方には在来機が二機づ つ二手に別れ援護をする。彼等から百キロ四方のレーダー探知結果 はデータリンクで逐一に報告される。計算上では十八キロ未満でな ければ俺は発見されない筈。相手のレーダーの逆探知は可能だが自 分からは探る事は出来ない。勿論相手の逆探知を警戒する為だ。つ まり後方の在来機が今の俺にとっては両目となっている。 「引き返せ。二十六キロ前方から敵機が四機そちらに向かっている」 突然の無線。まさか計画が漏れていたのか。 「繰り返す。直ちに引き返せ」くそう。この機体に於いて初の実戦 でもある。失敗が許されないのは解ってはいるが。 「いいから、かたづけなさい」というままのこえでみんなぷろっく とかぬいぐるみとかになっちゃった。ただのおもちゃになった。ま まのせいだ。そんなことさえいわなければこのまま。 ぼくはなきながらあたまからふとんにはいってまくらにかおをお しつけてちからいっぱいめをぎゅっとつぶってちからをこめた。お なかのひっくひっくはとまらなくてよくきこえないこえでままのこ えがきこえててきっとままはぼくがここからでるのをまってるんだ けど、ぼくはぜったいにでてあげないのだ。
「お早う、あなた」 リビングに足を踏み入れた男は、その声に身体を凍り付かせた。 だが、すぐに“ヴォイス” の声だと気付き、小さなしみが浮き始め た手の握りを解いた。 「ねえ、気持ちの良い朝ね。太陽が見えたのは三日ぶりかしら」 声はキッチンの中から聞こえていた。男は少し緊張しながら、そ の方へ喋りかけた。 「ああ、そうだ。三日ぶりだ」 彼女の死から今日で一年になる。 今聞こえている彼女の声は、合成音声に過ぎない。三十年間この 家で彼女が話した言葉から応答パターンを解析し、あたかも彼女が そこにいるかのように会話できるのが、この “ヴォイス”というシ ステムだった。 “ヴォイス”は情報端末やコントロール・システム とも連動していて、様々な家事をこなすことさえできた。 「昨日のボールゲームはどうだったんだろう」 ソファーに腰を下ろして呟いた男の言葉に、システムが反応した。 「あなたのひいきのチームが勝ったわ。新しいオフェンスの人気は 上々よ」 この一年間、システムを使う気になれなかった。彼女を冒涜する ような気がしたからだった。だが、寂しさと一年という区切りが、 昨夜、彼にスイッチを入れさせた。 「試合を録画しておいたわ」 リモコンの操作音がしてスクリーンに映像が浮かび上がる。―― そう、いつもこんな感じだった。黙っていても、彼女は彼の望むこ とをすべてうまくやってくれた。 彼等はボールゲームを見ながら、惑星の裏側で起きている局地戦 のことや、新しいエアカーの話をした。彼女は――まるで変わらな かった。本物と。何を問いかけても、彼女ならそう答えると思う通 りの言葉が返ってきた。ときおり冗談も交えながら。 そう、こんな生活がいつまでも続くと思っていたのだ。つい、一 年前までは。 「どうかしたの、あなた」 ふと、黙り込んだ彼を訝る声が響いた。 「ああ、ようやく分かったことがあるんだ」彼はソファーの上で背 筋を伸ばし、姿の見えない妻の方へ顔を向けた。「――愛してた。 お前を。とても」 ボールゲームを解説する興奮した声だけが部屋に流れ続けた。 やがて、小さな警告音の後、今までとは違う低い合成音声が申し 訳なさそうな口調で応えた。 「ただいまの会話に呼応する応答パターンを確認できませんでした。 なお、新たにパターンを追加する場合は……」 「悪かった。もういい」 男はぐったりとソファーに身体を沈め、もう一度小さく呟いた。 「悪かった……」
私は職員室のドアを開け、自分の席についた。最近伸ばし始め、 やっと筆のようになった顎ひげを指でつまみ、インスタントコーヒ ーをいれた。またドアが開き、同じく国語教師である田中さんが私 の隣に座った。彼は私が生まれた時からこの小学校で働くベテラン 教師だ。 私と彼は一息つくと、早速今日の国語のテストを採点し始めた。 まず最初は漢字問題、二人とも機械的にマル、バツをつけていく。 次は文章題となり二人のペンを持つ手が止まる。 文章題の出典は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」問題は「どうしてカン ダタのつかまった糸は切れちゃったのでしょうか?」 田中さんの顔がやや曇る、逆に私は少しうきうきしながら解答を 見ていく。 “一番下ですっごいデブが糸につかまったから” “カンダタのひげが糸にこすれてて、それで切れた” “天使さんがあらわれてね、「悪人は天国にいれないぞ」って糸を 切っちゃったの” ガハハと笑い、私は全ての解答にマルをつけた。田中さんは違う だろうとか言いながらもやはり全てにマルをつけた。 「田中さんまだ慣れないんですか?」 「ああ、これが正解だとは思いたくないねぇ」 「そんな事はないです。文章に対する感想は個人の自由じゃないで すか。これこそ個性を伸ばす教育ですよ」 「そうかねぇ」 3年前から国語の文章題では全てにマルをつけなくてはいけなく なっていた。“個性を伸ばす教育”は20世紀後半からさけばれてお り21世紀になってもこのスローガンは変わることがなかった。むし ろ近年は加速していた。結果、国語に関しては今のような制度にな ったのだ。中年より上の世代はこの制度に抵抗があるみたいだ。ま あ仕方ないかもしれない。 問1.田中さんはどうして違うだろうと言ったのですか50字以内 で答えなさい。 隆は問1をさっと読んだ。最初に文章題を持ってくるのはQ大学の 毎年の傾向だな、と文章に全く目を通さずに解答を書いた。 “わかりません。” 隆だけでなく他の受験生も文章題の文章を読むことはない。教壇 では顎ひげの立派な初老の試験官が悲しそうにその光景を見つめて いた。
『ここに一人の指揮者がいます。彼は地元のアマチュアオーケスト ラの常任指揮者をつとめていらっしゃいます。指揮者と聞くとかの ベートーベン大先生のように髪の毛はもじゃもじゃでライオンのよ うな鋭い目をしているような人をつい思い浮かべてしまいがちです が彼の場合はその正反対といってもいいでしょう。髪の毛はストレ ートでサラサラ、優しそうな目をしていて、性格は意外と怖がり。 カエルが大嫌いだそうです。それでは今日もみなさんに彼の悩みを 聞いてもらいましょう。 彼は、いままでオーケストラや楽器などいろいろなものを操ってき ました。しかしこのごろになって他に操りたいものが出てきたそう です。さてそれでは早速その操りたいものを彼に聞いてみましょう。』 「ふん、何が「女を操ってみたい」だ。お前一人の力でなんとかし てみろ。」 私はテレビに向かってそう呟いた。 そもそも、こんな番組に出る奴なんてただ気弱なだけの奴だ。自分 一人の力じゃ何もできない。 しかし、そいつらを見ながら大きな優越感を得ていた。 そう、この番組を見ている時が一番幸せな時だったのである。 しかし、そんな日々が続いていたある日、突然あの番組が最終回を 迎えてしまったのである。そう、これはその日から私が優越感を得 られなくなってしまうということだったのである。 番組が終わって、最初のうちはなんともなかったのだが、だんだん とストレスがたまり、だんだんとプライドが崩壊し、だんだんと自 分という恐怖に耐えられなくなってしまっていた。 そんなとき、ふとテレビをつけてみると、『お悩みの人、大募集!!』 というテロップが目についた。 それを見た瞬間、私は何かに吸い込まれるようにそのスタジオへと 足を運んだ。 そして、今、私はカメラの前で司会者の質問に真剣に答えている。 人生わからないものである。 急に立場が逆転したり、昔の強さを見失ったり。 私があの時、夢中になって見ていた、あの番組は、それらを教える ための、そのための、番組だったのだろうか。
私はそっと一番上の引き出しを開ける。頭に昇った血が引いてい く。どうも最近、こいつに頼る頻度が増している。それでも、効果 が残っているというだけで、うれしかった。 彼は、私が中学二年生のときの担任で、国語の教師だった。熱血 教師というような印象ではなく、逆に落ち着いていて、怒ることは めったに、いや、結局、彼が怒ったところを私は一度も見なかった と思う。彼は作文の授業を好んだ。たぶん。実際、教科書に沿って 小説や評論の読解をしているときとでは、明らかに目の色が変わっ ていたように記憶している。そんな彼が、作文の授業の際によく言 っていたのが、「立」と「実」という言葉だった。自立と写実、と 置き換えてもいい。彼は、飾ることを嫌った。小手先の技術はいつ でもつけられる。今は感性のまま、見て聴いて感じたままをすくい 取るんだ。そんなことを、時折、珍しく熱っぽく語るのだ。 そんな彼がある日の朝、学校に来ないときがあった。それまで彼 が学校を休んだことなどなかったため、私たち生徒は少なからず浮 き足立った。教頭が現われ、一時限目の国語は自習、と伝えると、 教室はざわめいた。そのうち、女生徒の中から放課後に見舞いへ行 こうと言い出す者が現れた。じゃあ、みんなで見舞文を書いたらど うか、という意見が出た。盛り上がった。早速、学級委員が黒板の 前に立ち、当時書記だった私が控えることになった。始めは、彼の 印象を言っていったが、その大半を好意的な言葉が占めた。やさし い。あったかい。分かりやすい。テストが少ない。等々。それらを 連ねて、感謝の言葉を続け、早くよくなってください、そう結んだ。 臨時学級会議はそれで決着するかと思われたが、ふと一人の男子生 徒が立ち上がった。 「これじゃ、先生喜ばないんじゃないかな」 飾りに見えてしまう、そう言うのだ。反対意見も出た。これは私 たちの「実」に違いないと。だんだんと険悪な雰囲気になり、じゃ あ、お前はどう書きたいんだ、と問い詰めた。その生徒は、ぽつり と答えた。 「がんばれ、って言いたい」 結局、一時限目ではまとまらず、昼休みに持ち越しとなった。し かし、給食の時間に、彼はすまなさそうな顔で現れたのである。ま た、大騒ぎになった。 今、国語の教師を務める私の机の引き出しに、一片の紙切れが入 っている。そこには、一語、殴り書きでこう書いてあった。 がんばれ。
「へっへっへ」へらへらしながらミツルが近づいてきた。 「なんだよ。ミツル」右の眉だけぴくりと動かして、コウはミツル を見上げる。 「どうよ。電車の彼女とやらは」両手をズボンのポケットに突っ込 んだまま、ミツルはコウに顔を近づけた。 「どうもこうもねえだろ。名前も知らねえんだよ」 「でも、気になんだろ」 「そりゃあな。毎朝見られてんだぞ。じっと。じっと」 「あああ、わかった。わかった」両手をポケットから出して、ミツ ルはもういいよの仕種をする。「今度そいつ見に行くよ。なんかお もしれえよなあ。わくわくすんなあ」 「おまえがわくわくしてどうすんだよ。カノジョ、泣くぞ」 ミツルの腕の中にいるだけでユウは安心する。 終わった後にベッドで寝息をたてるミツルに苛立ちを覚えること もあったけど、いまではかわいいもんだと思える。 ときどき揺れるミツルの睫毛を見るうちに、ミツルの呼吸に包み 込まれるようにして、ミツルが今いる世界へといざなわれる。 ユウはゆっくりとミツルに沈んでいく。溺れているのではない。 深いところに向かって沈んでいく。潜っていくのとも違う。落ちて いくのでもない。ただ、沈んでいく。 苦しくない。苦しくないよ。 ミツルに溶けこんだたくさんの酸素がユウをやさしく満たしてく れる。ユウはミツルの中で静かに呼吸する。もうミツルの外にはで られない。見上げた空がどんなに広くても。太陽がどんなに眩しく ても。 毎朝同じ電車の同じ車両の同じ場所に、彼はいる。ユウはじっと 見つめる。 広い肩、背中。眩しいくらいにかっこいい顔。 彼はミツルと同じ制服を着ている。もしかしたら、ミツルのこと を知ってるかもしれない。小さな罪悪感にくすぐられる。 手すりにからまる彼の指を見る。逞しい腕を見る。誰にもみつか らないようにそっと想像する。 ユウにとっては、朝の、朝だけの楽しみ。 見つめられる気配を感じて、ユウは目を覚ました。ミツルの顔が 間近にある。 ミツルは突然何か思い出したのか、ユウの枕にしていた左腕をひ っこぬき、両腕をつっかえ棒にしてユウに覆い被さった。 「なんだよ。ミツル」右の眉だけぴくりと動かして、ユウはミツル を見上げる。 「へへ、コウって奴がさ」独り占めした愉快がミツルの頬からこぼ れてくる。 「?」 「ま、今度わかったときに話してやるよ」ミツルはユウにゆっくり と顔を近づける。 ユウはそっと目を閉じて、ミツルの背中に腕をまわす。
晴代が映画番組を見ていると、夫が帰ってきた。濃厚なラブシー ンに刺激されて悪戯半分にパジャマのズボンの中に手をやろうとし ていたところだったので、大変慌てた。 「ごはんは?」 「済ませてきた」 唇を尖らせてラップのかかった皿を冷蔵庫にしまう。 酒臭い。飲んできたのか、と晴代は少し腹立たしくなる。そうい う時は電話して、と何度頼んでもだめなのだ。先に食って寝てろよ というだけで、まだなら一緒に食事をという心遣いをわかってくれ ない。 夫はすぐに着替えてふとんに入る。晴代も電気を消すと夫の横の ふとんに入った。晴代は落ち着かない。 「ねえ」 自分の寝床を抜け出してこちらへすり寄ってくる晴代を、広志は 薄目を開けて見る。ああ参ったなあ、と思いながらも妻に腕まくら をしてやる。 「何」 「もうずっとしてないよ」 「そう?」 「そうだよ。ねえねえ」 「勘弁してよ。眠いんだから」 晴代は失望する。たまにはかまってくれてもいいのになと思う。 いやみを言いたい。 「飲んでばっかり。誰と?」 広志は一瞬言葉につまる。 「さっき言っただろう、関根さんだよ」 確かにそう言ったはずだと自分に確認する。 「そうだっけ」 「そうだよ」 広志は晴代の頬を指で探り、唇をつける。 「また今度な。今ちょっといろいろあるんだよ」 言って広志は突然小さく笑う。 「お前知ってる?」 「何?」 「お前さあ、およよって言うのな、よがるとき」 「嘘」 「本当だよ」 最後の「よ」に続いて響く高らかな笑い声。いかにもその様子を 思い浮かべているというように、閉じた瞼をぴくぴくさせて笑って いる。晴代は唇を尖らせる。 「だからだめなの?」 「そうじゃないよ、かわいいよ」 広志は妻の丸い唇に口づける。 ゴロゴロと転がりながら晴代は自分のふとんに戻る。広志の胸に 後ろめたい気持ちが少し顔を出す。ごめんな。薄闇の中こちらに背 を向けて寝ている晴代の肩を眺めて詫びる。お前に不満はないんだ よ。でもさ、やっぱり女はさ。ホテルの一室で、もどかしい思いで ブラウスのボタンをはずした時の興奮を思い出す。パジャマじゃさ あ、雰囲気でないもんなあ。 晴代は落ち着かない。さっきの映画がいけないのだ。あんな、む さぼりあうようなキスなんかして、首筋に唇を這わせて。あんなの もう、ずっとしてない。いいなあ。したいよう。 夫はまだ寝息を立てていない。寝ちゃったら自分でしようかな、 と思いながら、およよ妻の夜は更けてゆく。
台風の次の日の夜だった。ひび割れたアスファルトの上にはトタ ンの切れ端やでっかい枝がばらばら落ちていた。 まだぬるぬるした風が吹いていた。おれたちはおれのアパートを 出て、くねくね曲がった細い道路を、大通りに向かって歩いていっ た。おまえを駅まで送る途中だった。 神社の赤い鳥居の前で、おまえが転んだ。それで、鳥居につかま って立ち上がろうとした。でも鳥居は濡れていて、おまえはまた転 んだ。その時に、頭を鳥居の台座のコンクリートに強くぶつけたん だ。 神社の木々がざわざわ揺れていた。通り沿いの家々はもう寝静ま っていて、電気がついているところもなかった。おれはおまえを抱 え起こした。そしたらおまえのきれいな顔は血まみれで、おまえが 目を閉じて顔をしかめているのが街灯の光でわかったよ。 おれはきょろきょろ周りの暗闇を見て、それからおまえの鼻と口 を掌で塞いだ。おまえが動かなくなるまで、力を込めて塞ぎ続けた。 それからおまえの体を抱き上げて、神社の軒下に持っていった。 あらかじめ穴を掘ってあったからね。スコップだって隠してあっ た。あとはおまえをその穴に入れて、土をかければよかった。おれ は泥だらけになりながらおまえを埋めた。 もちろん、こんな話はただの嘘だぜ。おまえは今、おれの横で穏 やかな寝息を立てて眠っているし、おれたちの間にはおれたちの息 子も眠っている。だけど、こんな眠れない夜には、おれは時々考え ちまうんだ。おれがあのアパートの近くの神社の軒下に掘ったあの 穴は、今でもまだあるんだろうかってね。
それは、ニエであったのだ。 緑深き森の中、簡素な造りの祭壇の上で、まとった衣を広げて、 白き衣を赤き衣へと移り変えてゆくモノは……。 人々が、自らの幸福のために、捧げた犠牲とでもいうのだろうか。 自らが傷つく事もなく、自らの為だけに犯したそのツミは、犠牲 などと呼ぶのもおこがましい。 犠牲とは、一層重要な目的の為に、自分の命や大切なものを捧げ る事をいうのだ。 尊い犠牲などという言葉を口にする連中が、いつ犠牲を払ったと いうのだ。それは、ただの人殺しでしかないというのに。 自らが見てしまったものに対して、少女は、激しい吐き気と怒り に胸の内を支配されていた。 たとえ、いかなる思いがあったのだとしても、自ら犠牲を払う事 もなく、他力本願にも、他を踏み付けて生きようという人々が、そ れを罪とも思わない事に、少女は押さえがたい感情を感じていた。 罪と思う事もなく、それが当然であるかのごとき態度で、神とは 呼べぬモノにへつらい、そして、平然と神に祈る愚かさに、その浅 ましさに、少女は身動き出来なっかったのだ。 祭壇に捧げられた者と、少女だけがその場に残っていた。 静寂が支配したその森で、すでに息絶えたと思われた者が微かな 声を出した事に、少女は呪縛から解き放たれたかのように、静かに その身を動かした。 「だ…れ……。」 明らかに死に至る傷を負った者は、傍らに立った少女に視線だけ を向けた。 「私と、共にゆく?」 少女は静かだが、とても重要な言葉を口にした。助からないであ ろう、致命傷を負った人間に向ける言葉とは思えない言葉。 だけど、少女の言葉は、真実しか聞いていない。 「どこ…へ……。」 実に穏やかな表情で死に近づく者は、少女の頬を伝う涙を拭いた いと思った。 「望むままに。」 過去の出来事を紅い血によって思い出してしまった少女は、先程 までの怒りを忘れて、悲しみに支配されるままでいた。 「あなたの涙を、……拭えるなら、共に……。」 少女へと手を伸ばしながら、その手に少女の涙が落ちてくるのを 受け止めることで、その者は、少女に近付けた気がした…………。
いつかはこんな日が来ると思っていた。私の愛する一人娘のエリ カを奪いに、男が我が家を訪れたのだ。よりによって、五月晴れの 爽やかな日曜日に。全国に星の数ほどの支店を持つ、「いいおんな 美容整形クリニック」の創始者である、私の億万長者御殿へ。 「お父さん、エリカさんと結婚させてください!」 土下座して、男は私に懇願する。私を見上げるこの必死な顔を、 何と表現したらよいものか。まるで豆腐の角にぶつかったイノシシ そのものだ。醜いにも程がある。すぐに手術してやりたいくらいだ。 ホー、ホケキョ。庭でウグイスが鳴いた。ウグイスもそう思ったの だろう。 「ねえダディ、いいでしょ? 彼、今は売れない詩人だけど、その うちきっと何とかなるわ」 売れない、詩人? 愛する娘の意外な言葉に、私は思わずお茶を吹き出しそうになっ た。将来性のかけらもない、お先真っ暗な男なのだ。折り紙付きの 貧乏まっしぐら。転落人生間違い無し。不幸になるべくして生まれ てきた、哀れなやつだ。きっとこれから失敗と挫折が、雪だるま式 に増えてゆくのだろう。美容整形で財を成し、金で買える物は全て 買い尽くした私とは、正反対の男だ。 それに、エリカもエリカだ。よりによって、こんな甲斐性無しに 惚れるなんて。何不自由ない暮らしをさせてやったのに……ん? あるいは、その反動ってやつかな?金に困ったことが一度もないか ら、貧乏な男がかえって眩しく見えるのかも……おまけにこんなに 醜くて……いや、待てよ?エリカは不細工な男が好きなだけかもし れないな。貧乏好きな女など、この世にいるもんか。それなら…… ふむ、いいじゃないか。 「よし、望みどおり、エリカをキミにくれてやろう。ただし条件が ある。その顔だ。私の病院で手術を受けなさい。鼻をほんのちょっ とだけ高くしよう。少しは見栄えのする顔に変えてやる」 「キャー、ダディありがとう!」 「結婚を許してくれるなら、ぼく、何だってやります!」 二人はおおはしゃぎ。手に手を取って喜んでいる。私は静かに微 笑む。そうさ、男子たるもの、自分の顔に責任を持たなくては。私 の開発した整形技術をもってすれば、他愛もないことだ。醜い男を 美しくすることも。美しい男を醜く変えることも。そして、私がこ の男になりすますことも……娘は絶対に渡すものか。 ホー、ホケキョ。庭でウグイスが鳴いた。ウグイスもそう思った のだろう。
今週も怪獣が現れた。不細工な奴だった。 (よし、直ちに変身だ) 俺は右手を掲げ体内の通信回路を開いた。そう、平凡な独身男は 仮の姿、俺は超級サイボーグ・スペクタクルマンなのだ。ただ変身 に本部の許可を要するのが弱点である! 「本部、スペクタクル変身願います」 『駄目ダ』 俺は耳を疑った。 「なぜです」 『先週から部内規定が変わっていル。スペクタクル変身ニハ、マズ 稟議書を出し給エ』 そんな暇無えよバカと叫びかけて俺は黙った。 『分かったラ、直ちに提出セヨ』 「了解!」俺は四駆に飛び乗ると、燃える都心を本部へと走った。 途中、敵のヘドロ光線を九発かわしたものの最後に一発カドミウム 弾を喰らい、終盤三百米は全力疾走せねばならなかった。 「はあ、はあっ、戻りました課長」 「早く書けよ」 俺はなかなか起動しないパソコンの前で足踏みしながら手順を練 った。前に二話スペシャルで大スペクタクル変身した時のを流用し よう。日付と件名だけ変えてプリンタに送る。窓の外では戦車が交 戦中だ。じりじり出てくる書類を無理矢理ひっぱり出し、放るよう に提出すると課長は一瞥してシャチハタを突いた。 「ふむ、じゃ部長に回しとくよ」 「自分で持っていきます」書類を引ったくって部長室に走った。東 京タワーがひん曲がっていくのが横目に入った。 部長は専務と談笑中だった。 「部長! ハンコ願います」 「俺さ、もうすぐ出張で台北行き乗るんだけどね。来週でいいだろ」 「今すぐッ! 見て下さいッ!」 部長は渋面を作りながら、資料をめくった。 「で、見せ場は?」 「え? そ、それは……勇気が無くて立てない車椅子の少年をかば って敵の攻撃に耐え」 「なめてんのか! 平常企画はアイデア勝負って言ってんだろ。考 え直せ、ざっくりでいい!」 「部長ぉ、今は何とかこれで許可願いますぅ」 なんて間にも新幹線は焼け、都庁は倒れ、だがその時、突如銀色 のマスクの巨大ヒーローが現れた。俺達は悲鳴をあげた。 「シュピーゲルマンだ!」 奴はいきなり必殺技を繰り出しやがった。 「シュピーゲル・メッサー!」 怪獣は派手に爆発し煙となって昇る。我々はそれを憮然と眺めて いた。 「……まただ。部長がもたつくから!」 「自分の努力不足は棚に上げてその言い草は何だ。いい、お前もう いいっ!」 こうして俺の活躍は第八話をもって終了した。今や本当にタダの 独身男になってしまった俺には、せめて首都の復興特需でも願うほ かない。
ユードラの着信音で、意識が戻った。うとうとしていたようだ。 メイルを確認する。編集者からだ。5メガバイトの添付書類が付い ている。解凍を始めて、煙草を手にとりキッチンへ立つ。換気扇を 点け、灰皿を手に取り火をつけた。作業手順を確認しながら、煙を 深く吸い込む。時計が鳴った。2時だった。火をもみ消し、換気扇 を切る。Macintoshの前に戻り、解凍したファイルを確認する。3 つに分れたテキストファイルと、画像が10程ある。先に送られて きたレイアウト指示のファックスと照らし合わせ確認する。今度の 担当は、どうも抜けている。案の定、図5に相当するものが、見つ からない。まだ社にいるかもしれないが携帯へ電話する。留守電が 起動した。まあ、いい。図が不足な旨、吹き込む。外は、雨らしい。 微かな雨音が聞こえる。明るくなるまで、3時間はあるだろう。さ て、お仕事だ。テキストファイルを開いてクオークに流し込む。 昨日は、おかしな日だった。ネットで知り合った男と初めて会っ た。1対1で会うようなことは、普通しないのだが、そいつにはな ぜか会ってみる気がした。病院の予約があったので、こちらに近い 場所を指定した。そいつは、指定の茶店で麻のきなりのジャケット を着てコーヒーを前に座っていた。話ながら気付く。自分で誘って おいて、なぜか早く切り上げたくなる自分。Macintoshの調子が悪 いこととか、どうでも良いことを早口に言い切り口調で話している。 この気分は、伝わっているようなのに、そいつは、なぜか、落ちつ いている。まるで私の落ち着くのを待っているようなそぶりだ。そ いつが後日言った。「私は、とても緊張していたけれど あなたは、 もっと緊張していた」 その日、病院で検査結果を聞かされた。医者は言った。「初期の 癌です。温存療法で手術しましょう」それが、わたしの落ち着きを 奪っている。そう思うことにした。そいつに手術することを伝えた。 そいつは、真面目な表情で思いも依らぬことを言った。「切る前に、 あなたの乳房を見たい」初対面のその場でだ。私は、事務的に答え た。「お見せする訳には、いきませんが、母に頼んで写真を撮って おくつもりです」そいつは、答えず、優しい視線で私を見つめた。 ユードラの着信音、ファイルの不足分到着。ネットにはISDN で接続したままだ。木曜に入院する。それまでに、この雑誌の仕事 を吐き出してしまわなければ。
興樹と新しく暮らし始めてから、もう一週間になる。昔から変わ った人だと思っていたけど、興樹は突然部屋に転がり込んだわたし をたいしていぶかしみもせず、ちゃんと世話を焼いてくれた。訪ね てきた管理人さんにも、「妹です」とさらりといった。 よく晴れた、乾いた夏の日、興樹の学校がお休みだったので、二 人で出かけた。 興樹と一緒に、街を歩くなんてことは、初めてだった。地元の街 をぐるりと回っただけだったけれど、日が暮れるまで、歩き詰にな った。この人ってば黙々と、自分の行きたいところだけいくんだか ら。 わたしは深く息をついてから、ぼそりといった。 「……ず」 「は?」 「水――っ疲れた!」 「サカナかお前は」 笑いながら興樹がいう。 (あれ、わかるんだ?) そう思って見上げた。顔が笑ってしまった。 なんとなくそのまま歩いて、川を見に行った。マンションの横を 通り抜けて、石段を上がって、土手に出た。大きな川幅で、緩やか に蛇行している川。対岸が遠くてもうよく見えない。薄闇の中、水 の匂いがしていた。ぱあ、と、ひかりながら、音をたてて電車が通 る。わたしはなんだか元気になった。 「つい最近まで金魚飼っててさ」 振り返ったらわたしの、肩までの髪が耳を打った。はさみを入れ るような、澄んだ音で。 「……うん。それで?」 ゆっくりと歩きながら、ぼうっとした感じで、興樹は続ける。 「地方に住んでた時に買ったのを、こっちに持ってきてたんだけど 病気になってさ。ひれの長い、真っ白いやつだったんだけど。 水が悪かったのかなぁ。うろこが反り返って、だんだん底の方に沈 むようになって、それから浮かんだ。それで、ここに流したんだ。 ……こんなところで死にたく、なかったろうなあ……」 空が紫色で、あたりはどんどん暗くなる。川の水面は、点り始め た常夜灯に黒く光った。 「……川の底に、神様がいてね。真っ暗なところなんだけど、時々、 とてもきれいな色が見えるの。それがどんどん漂ってきて、願い事 はって訊いてくれるの。だからきっと……。そんなに悪いことじゃ なかったよ」 「なにそれ、童話?」 「うん」 水の音で、気配で、元気になる。たとえその水が、生臭い匂いで も。水はわたしの一部、身体に帰る。そうして循環する限り、私は 生きていかれる。 興樹の側で。
「ここ」へ来るまでに、時間も手間もだいぶかかったという人は 多いと思う。振り返れば、実に多くの時間をわれわれはパソコンや 通信に割いているし、無理に振り返らなければ、日進月歩の分野だ からその都度必要なことをしてきたまでだ。他人の手を借りなけれ ば接続できなかった人もいるだろうし、聞くほどにもない、あっさ りつながったよ、という場合もあるだろう。 私がインターネットを始めたのはかなり以前、是非はともかく、 グローバル情報化社会はインターネットなしでは渡れないというま ことしやかな噂が、にわかに実体化してきた頃だった。なにしろ 21世紀はまだうまい具合にちょっと先にあって、私が勤めている 会社の営業部に本格的にEメールが導入されたのも、ちょうどその 頃だったと記憶する。 しかし、まあ赤ん坊だった頃の私の娘と同じようなもので、おも ちゃというのはやはり使い始めがいちばん面白い。世界とアクセス するというような謳い文句通りの感興は次第に醒めるものだし、会 社でメールを確認したり、家へ帰って自分の部屋でビールの残りを 空けながらネットサーフィンしたり、といったことが単なる習慣と 化すまでに、さして時間はかからなかった。 そういえばアナログ最後の牙城であった副部長が、ついに「イン ターネットを始める」と宣言するや、「太田くん、本には目次、物 事には概要というものがあるだろう。インターネットのそのページ を最初に見せてくれ」と言い出し、食い下がられてひどく迷惑した ことを思い出す。今ならなかなか面白い意見だぐらいには思うが、 副部長の常識を迎え撃とうにも、私にしたって習慣に過ぎないわけ だから、常識と常識は睨み合ったまま、会話はロックしてしまった のである。 結局私の場合、当初の期待が大きかったぶん、物足りなさが強く 意識されたのだと思う。かれこれ4年も経つと、いつものようにア クセスしながら「ここ」インターネットとは自分にとって何なのだ ろうと、ふと思うようになった。手に入れたはずの装置は今や一般 的な道具だし、していることだって突き詰めれば情報の消費だ。つ まり全部が、まるごとゴミなんじゃないかと、直感的に思う日もあっ た。 日曜日だった。手際よくマシンを立ち上げ、故郷の軽井沢の写真 を載せた自分のホームページに異常がないか確認し、あとは気まま にリンクを追う。 と、クリックした途端、「そこ」へのドアが開いていた。
実際どうやって「そこ」に参加するのか、その具体的な方法につ いては、追い追い触れようと思う。ともかく、今あなたが使ってい る「ここ」インターネットのなかに、「そこ」はある。 誤解を恐れずに言えば、ある質のコミュニケーションを備えたネ ット社会ということになると思うのだが、例によってその全体像は 分からない。ひところ盛んに取り沙汰されたインタラクティヴィテ ィという性質を、いっそうパーソナルに落としてやりとりさせてい るという雰囲気だ。 そして、私は「そこ」で、言語を超えて、人に出会う。 説明が、少し先走りし過ぎただろうか。 技術的には、20世紀に開発された検索エンジンとプラグインを 複合させたような仕組みの、翻訳エンジンといったものが利いてい て、すべてのメッセージが日本語で読めるし、もちろん英語なり他 の言語で読むこともできるようになっている。そして私は、会社や 家族や故郷や、住んでいる場所や、手のなかの缶ビールやら、現実 社会で私を規定しているさまざまな要素をできるだけ希薄にして、 参加する。 このいわゆる超言語のしくみは、私見では、どうも地域を限定す るような用い方や訳しにくい言い回しをキャンセルすることによっ て成り立っている。逆に言えば、なるべく訳しやすい言葉で話して もらい、それによって誤訳を減らしていこうという技術的なコンセ プトを感じるのだ。また、訳しようによっては差し替え可能な言葉 を(日本語ならカナ、英語ならイタリックで)明示することによっ て曖昧さを残す工夫もなされている。 ネット内でもこのような超言語に関するトークは盛んで、主な反 論は、いかにも既存の型に流し入れるようにして言わなければなら ない不自由さを訴えるものだ。その対極に、技術的な便宜を超えて、 電子言語といったものの構築を目指す立場があるのだが、私はどち らかと言えば後者に賛成している。確かに私が35年間慣れ親しん だ言葉とは異なるものだが、代わりに、自分はたまたま日本語で書 いているけれどもその言葉は世界通貨のように通じるんだという快 感があり、そこに現実社会では決して味わえない、逆説的だが「リ アルな」手ごたえを感じるのである。 ともあれ、最初に受け取ったメッセージは以下のようなものだっ た。それは同時に、私というアイデンティティに突きつけられた難 問だったのである。 「あなたヲ、表現してクダサイ」
その教会は銀座四丁目から歩いてさほど遠くないビル街の中にあ り、それを知らぬものはそれが教会だと気づかずに通り過ぎてしま うに違いない。ある年の二月のなかばの日は朝から冷たい雨が降り 続いていた。 天から落ちてくる主の涙はあまりにも、もの悲しく冷たくそして 激しかったので神父はメランコリーな気分を感じながら藤椅子に座 り窓の外を眺めていた。 人間の愚かさと醜い欲望を他の誰よりも受け止めなければならな い。苦しいけれどそれが神のエージェントとしての自分たちの使命 なのかも知れないと神父は感じとっていた。 すると若い住み込みの伝道師が部屋のドアをノックした。 「神父様、教会の入り口で雨の中、懺悔を乞うている若者がおりま す。いががいたしましょう。」 「こんな雨の日の、しかもこんな時間に。入れてあげなさい。よほ ど悲しい事がおありなのでしょう。」 しばらくして平静を取り戻した青年は着替えを与えられて教会の 懺悔室に案内された。 懺悔台にひざまづいた青年に神父は話しかける。 「汝がいかなる過ちを犯したとしても、真実を神の前で告白するこ とを約束できますか。」 「はい、神父様。お約束いたします。」とその青年は罪を悔い改め ようと覚悟を決めたようだった。そして重い口を開きしゃべり始め た。 「わ・わたしは今までたくさんの人を殺してきました。また普通の 人よりもはるかに多くの嘘をついて人を騙してきました。」神父は 驚き、声を振るわせながら続けた。 「ほ・ほ・ほかに過ちはないかね。」 「はい、他の男に盗みをやらせた上に、その家の女性をレイプさせ ました。」と青年は目に涙を浮かべながら語ったのだった。 祭壇にあるロウソクの火が急にはためいたかとおもうとその直後、 そのうちの何本かのロウソクは消えてしまった。 「なんとひどいことを。汝は一体何者なのか。」 「小説家です。」
ちょっとした悪戯心だった。 おしゃべりな私に無口な彼。どのぐらい私が沈黙していたら、彼 から話しかけてくれるんだろう。デートの帰り、電車の中で実験し てみた。 1駅2駅。会話がないことに気付いてないみたい。 3駅4駅。ちらりと私の顔を盗み見る。いつもと違うって感じて くれた?さあ、なにか話しかけて。どんな話題があるの?今、どん なことに興味を持ってるの? 5駅。適当な話題が見つからないのかなあ?沈黙が続く。 6駅。違う。私の機嫌が悪いと思っているんだ、きっと。彼、怒 っているみたい。どうしよう。誤解を解かなきゃ。 ちょっと待って。どうして怒るの?私はただ彼から話しかけても らいたいって思っただけなのに。そうよ。私が怒られる筋合いじゃ ないわ。怒るべきは、私の方よ。私が明るくおしゃべりしなきゃ気 まずくなるなんて関係、間違ってるわ。恋愛って2人でぶつかり合 って、譲り合って、成り立つものじゃない。どうして私だけが彼の ゴキゲンをとらなきゃいけないの? こうなったら勝負だわ。絶対に私の方から口きいてあげないんだ から! 7駅8駅9駅。……どうしてこうなっちゃったんだろう。電車に 乗るまでは、本当に楽しいデートだったのに。こんな馬鹿馬鹿しい 実験、思いつかなきゃよかった。つまんない。彼はつまらなくない のかなぁ。……平然としている。平気なんだ。私がこんなに悩んで いるのに、彼にはどうでもいいことなんだ。なんか悲しい。 ほんの少しワガママ言ってみただけなのに。あきれられちゃった ね、きっと。ワガママって、愛されている自信がある人だけの特権 だったんだ。今でも十分幸せなのに、欲を出した罰かな。振られた らどうしよう。 私、そんなに気の弱い女の子じゃない。ううん、相当気が強いと 思う。なのに彼のことになると、どうして自信がなくなっちゃうん だろう。 私の降りる駅が近づいてきた。 今日で私たち、終わりなのね。こんなつまらないデート、誰だっ て二度としたくないと思うもん。ホント、馬鹿なコトしちゃったな ぁ。 私は泣き出さんばかりの表情をしていたと思う。 彼はそんな私の顔を見て、 「やっぱり、どこか具合が悪いんだろ?ちゃんと言えよ。心配する だろ」 ……悔しいなぁ。一言で私の気持ちを地獄から天国へと移動する なんて。 大好き。 でも、おしゃべりな私も、これだけは口に出さない。 気弱な女の最後の砦だから、ね。
「あら? あの子!」 信号待ちで停車していた車の中で、妻は熱い視線を送った。 「本当だ。似ている」 「わたしを見たわよ。目のあたりがそっくり」 「僕を見た。笑ったよな。今笑ったよな!」 「わたしたちに何か言おうとしているのかしら?」 その少女は7年前に交通事故で亡くなった娘の麻衣子に似ていた。 事故にあったのが7歳の時だから、生きていれば14歳になってい る。スクランブル交差点を歩く少女は、ちょうどその年頃だったの で、深く切ない記憶を刺激した。そして僕たちに微笑みかけた。少 女は指の爪を噛んだ。麻衣子がよく、困ったときにやっていた癖の ように…… スクランブル交差点が、ものすごく長い道程に感じた。 車に乗ったお母さんとお父さんがいる。自然に歩こうと努力しな がら前に進むと、ふたりの視線がわたしを射る。やっぱりわかるの かしら? 娘だって…… わたしはお母さんに微笑みかけた。驚くお母さん。お父さんもび っくりしている。きっと半信半疑よね。 これでは? 爪を噛んでみる。 いつもやめなさいと言われていた爪を噛む癖。涙が出てしまいそ う。気がつけば交差点を渡り終わっていた。 「最後の望みが、両親の前を歩きたいとはね!」 背中に羽根が生えているエンジェルが、わたしの前に現われた。 「これで、あなたもりっぱに進化できる」 わたしの背中に、真っ白な羽根が生え始めた。身体が軽くなって くる。 「さようなら……お父さんお母さん」 信号が青に変わった。今日は麻衣子の七回忌だった。 「麻衣子のこと、忘れられないわ」 「忘れる必要はないんだよ。今でも麻衣子は僕たちの中に生きてい る」 「それは想い出よ。麻衣子は天使になって次の人生を迎えているの よ。きっと」 「そうだな。僕たちの手は離れているんだよな」 「でも、あの爪を噛む癖だけは直してあげたかったわ」 妻は視線を空に向けた。 車は麻衣子の眠っている寺へ向かっていた。
ぼくはムラムラと村おこしを決意して、彼女をベッドに押し出し た。木村庄之助の軍配が上がる。 彼女は行司を部屋から蹴飛ばし、ぼくを振り返った。 「ちゃんと押し倒してよ」 ぼくは彼女を押し倒して唇を奪った。甘いレモンの味がする。 彼女は唇を外して咎めた。 「せいぜいが生温い蒟蒻よ」 もう一度唇を重ねる。なるほど、そうかもしれない。レモンなん て定説を唱えたのはどこのどいつだ。 口で口を封じたまま、ぼくは彼女の胸の肉まんに触れる。いや、 この大きさはあんまんかな。カレーまんかも。 彼女は「セーラー服を脱がさないで」との鉄則がある某クラブの 会員なので、このままでは丸裸の防御率ゼロにはできない。そこで 彼女自身の手で下着姿になってもらった。その先はぼくがやろうと 思ったんだけど、初めてなのでブラジャーのホックの外しかたがわ からない。でもすぐに知恵の輪が得意なことを思い出して事なきを えた。 3本アンテナみたいにビンビンに立ってる彼女の乳首とぼくのト ランクスの中身。ぼくは彼女の秘書を覆い隠しているシルクをおろ そうと手をかけた。 「おろすのはイヤ。産みたいの」 ぼくはうなずいて、おろすのはやめて脱がせた。 目に飛び込んできたのは、セクレタリーを守るアートネーチャー ふさふさ。ぼくは思わず彼女のそれに顔を寄せる。秋の森の落葉が 雨に濡れて放つ臭気のような。 「バカ。それってワインの形容よ」 ぼくは彼女に中指を突き立てて「ファッキュー!」と懇切丁寧に 宣言し、その指で入口を探ろうとしたが、彼女は首を振った。 「もっと太いのをちょうだい」 ぼくは頷き、服を脱ぎ捨てて生まれたままの姿になろうとしたが、 赤ん坊になったら戦闘不能となるので素っ裸になるにとどめた。 隆起する御子息は彼女の湿地帯に深々と入場行進してゆく。曲は トルコ風呂行進曲。ぼくの脳みそは白々と明けていき、彼女もぼく の長男に秘孔を突かれてひでぶあべしになった。 「し、死んじゃう!」 彼女の死亡宣言のせいで、ぼくは例の名台詞「お前はもう死んで いる」を言い損ねた。 息子ばっかり活躍してズルイと孫がダダをこねるので、ぼくは腰 振りダンスを続けながら、孫の手と二枚舌を彼女の胸のぷよぷよ2 にからめる。カラメルソースが彼女から溢れ出す。彼女は絶頂のな かで喘いだ。 「アン…ア…ン…アンッ! とっても…大好き…ドラえもん♪」 一曲歌われてしまった。ぼくドラえもんじゃないのに。
象牙色をした半球ドームの中は、いつも観客の熱気で満たされて いる。サバンナの猛獣が炎をくぐり、東洋の刀剣が宙に舞う。ドラ ムロールの休む間もない、めくるめくサーカス。 誰もが息を殺す演目がある。サーカスのメインイベントは、いつ の時代も変わらない。 メリー・ガールの綱渡りが始まった。 それを見上げるジム・ボーイは、ボールの曲芸が得意だ。ジムは よく、夜の部が終ると、メリーをキャッチボールに誘った。客のは けた広いドームで、二人きり、キャッチボールをしたら、どんなに かいいだろう。けれど、メリーは決まってこう言う。 「わたしには綱渡りしか能がないから、ボールは扱えないの。団長 を誘ったらいいわ」 「団長は残酷な人間だからイヤだ」 メリー・ガールの綱渡りは、今まで一度も失敗したことがない。 それは、だいたいの客が知っていることだが、じっとメリー・ガー ルの綱渡りを静観し、成功を祈る。祈るだけだ。ネットもマットも ない危険な綱渡りを、やめさせようと飛び出す者はいない。 ワイヤーを小刻みにゆらしながら、クラシカルな純白のドレスに 身を包んだメリー・ガールが渡る。メリーは決して下を見ないが、 ジムはいつも地上からメリーを見ている。今日もまた、キャッチ ボールに誘ってみようか。右手にボールをもてあそびながら、そう 決めた。 メリー・ガールは地に落ちた。 観客の悲鳴が上がった。これはプログラムにない悲劇的なアクシ デントだと、誰もが知っているし、目撃者としてどうすべきかも知 っている。ごくまれに起こる珍しい事件に遭遇した幸運を押し殺し て、悲鳴を上げたのだ。 ワイヤーが大きくゆれたのは、メリーの意志だろうか。それはあ りえないから、ワイヤーの意志なのだろう。なにせ団長は残酷な人 間なのだ。そう考える頭とは別に、ジム・ボーイの体は仕事をはじ めた。ボールをホウキに持ちかえて、おどけた調子で歩き出す。砕 け散ったメリー・ガールを片付けるために。 騒然となったドームの中、ジム・ボーイは軽やかに踊りながら、 メリーのネジや歯車をかき集めた。メリーの体から流れ出たオイル が褐色の水たまりをつくり、ドレスについていたスパンコールを数 枚、重たげに浮かべている。足を踏み入れ、思いきり転んで見せる。 けれど、このぐらいの衝撃で壊れるようには、ジム・ボーイは作ら れていない。 ジムの仕事で客席に笑いが戻り、サーカスは次の演目へと動きは じめた。
毎日がとてもしんどいです。昨日も疲れました。今日も疲れてい ます。明日も疲れるでしょう。人間という職業は、常に無常を伴っ ていて、最近何故私は生まれてきたのだろうと感じる歳になってき たのです。このまま定刻の通勤電車に飛び込めば、忌まわしい会社 ではなくきっと天国という楽園に連れていってくれるでしょう。私 は花火のように派手に消えたいのではなく、誰にも知られないでコ ッソリと消えたいのです。 その時です。背後の方から強い関西口調で叱るのです。 「何いってるんや。馬鹿野郎。お前がそんなこというてどうすんね ん。当の本人が自分の人生を投げ出して、わいはどうしたらええね ん。前世に比べたらお前はまだ幸せな方やで。流石にこのわいでも、 あんたに同情するほど悲惨な人生であった。しょうもないお前に詳 しく言ったら、又自殺すると言いかねんから、言わんけれども。 ……しかしな。わいから言わせてもうらうと、女の腐ったようなこ とばっかり言うてるから自然と幸せが逃げるんや。……うん、いい か。少しはおっちゃんの立場も考えてくれや。これ以上、面倒なわ いの仕事増やさんといてくれ。しゃきっとしろ。しゃきっと。」 ……すみません。これ以上貴方に愛想をつかれないよう出来るだけ 頑張りますので、これからも何とぞ宜しくお願いします。 彼は姿形は見えないけれども、幾分言葉も乱雑だが、何処か温か い存在でした。皆が一滴の染みも許されないほどの完璧な存在であ る必要はないのです。そうです。人間である異常、泥臭く生きれば いいのです。
おじいちゃんは、もうずいぶんヨボヨボだ。サンポに行っても、 ボクみたいにタカタカあるけない。ボクが「ハチガツ」生まれのワ カモノで、おじいちゃんは「タイショー」生まれのトシヨリだから、 しょうがないんだって。 でもおじいちゃんは、ぶるぶる足をひきずって、まいにちボクを サンポにつれていってくれる。だから、ボクはおじいちゃんがだい すき。おじいちゃんのシップのにおいだってだいすきだ。 きょうも、おじいちゃんとサンポに行くじかんになった。サンポ に行くまえに、おじいちゃんはボクの首にひもをつける。ボクが今 よりちっちゃかったとき、きゅうにとびだして車にはねられそうに なったんだって。そのときから、おじいちゃんは「ボクのために」 ボクにひもをつけるんだ。もうボク、おっきくなったのにね。 サンポのとちゅう、すごいことがおきた。おっきい車が、ボクた ちめがけてとびかかってきたんだ。ボクはすぐよこっとびして、じ めんにふせた。でも「タイショー」生まれのおじいちゃんは、ボク みたいによけられなくて、おっきい車につかまっちゃったんだ。お じいちゃんはちがいっぱい出て、バラバラになっちゃった。 ボクの目のまえに、おじいちゃんの手がぼとんと落ちてた。さっ きまで、ボクの首ひもをにぎってた手だ。ボクはいそいでおじいちゃ んの手をくわえた。おっきい車は、おじいちゃんのムネを踏んづけ たまま止まってる。ボクはおっきい車に見つからないように、あわ ててにげた。バラバラになりたくないもんね。 ボクはいっぱいいっぱい走って、いつもおじいちゃんとあそびに 来てたかわらについた。かわらにはだれもいなかったから、あんし んしてボクはおじいちゃんの手をはなした。それから、しばらく口 を大きくあけてはぁはぁした。いっぱい走って、とってもあつかっ たんだ。それから、ちょっとひるねした。 目をさますと、ボクの目のまえにすじすじした肉が落ちてた。ボ クはちょうどおなかがすいてたから、ガリガリ肉をかじった。すじ すじ肉は、シップのにおいがして、おいしかった。 肉を食べおわると、ボクは四つ足をしっかりふんばって立ち上がっ た。それから、きょうのねぐらを探しに行くことにした。 きょうから、ボクはノライヌだ。
とある居酒屋。それなりに女性に対して自信のある達川という男 は困っていた。聡子との初デートだというのに、まともに喋れない のだ。達川は昨日、飲んだお茶が思ったより熱く、下唇を火傷して しまった。口を閉じる事ができず「まみむめも」が「あいうえお」 になってしまう。文庫本などは「うんこ本」になってしまい、彼女 の前でそんなことは言えない。 気をつけねば。気をつけるといえば、彼女は小さい頃に「さる子」 と呼ばれ、猿に関連する言葉に敏感になっているそうだ。猿ネタも 気をつけねば。 達川はそう思いながら、口に日本酒を含む。 「達川さん。聞いてるの?」 「えっ何だっけ?」 「もう、普段家で何をやってるかって話よ」 「ああ、家ではほとんどの時間、あそこんいじってるよ。他にする ことないし」 「まあ、なんてこというの!」 聡子は顔を真っ赤にして、達川を軽蔑の目でみつめる。達川は 「パソコン」が「あそこん」になっているのに気づいていない。 「え?最近は、あそこんいじるくらい普通だよ。教えてあげようか? 結構楽しいよ」 「もう。最低!そんな人だとは知らなかったわ。」 「あそこんいじりの何がいけないの?」 「もう。知らない!バイバイ」 彼女は達川をひとりおいて帰ろうとする。 達川はなぜ彼女が怒っているかわからないまま言う。 「あいあい」 パチーーーーーン
羽目板のすき間から、細い光のすじがさし込んでくる。 ぼくとありすは、まっくらな屋根裏にいた。下は彼女の父さんの 寝室。 ありすは教室でぼくのとなりの席にいる。色白で、唇が赤くて、 (お人形さんみたいだ……) と、ぼくはずっと思ってた。彼女の頼みで、夜中にこんなところへ 来たのも、そのせいだ。 ありすの家はとても大きいお屋敷で、曲がりくねった階段と、広 い廊下と、たくさんの部屋があって、ぼくはよく遊びに来る。母さ んはなぜかいい顔をしないけれど。 母さんと言えば、ありすにはお母さんがいない。いつもいる小母 さんは、お手伝いさんなの、と言っていた。 兄弟もいないありすの家族は、お父さんだけ。何か書くのが仕事 らしく、いつも机に向かっていて、いろんなお話をしてくれた。 もう一人、この家には若い男のひとがいる。兄さんかと思ったけ れど、ありすはとても冷たい。お父さんの部屋にいて、このひとが 入ってくると、すぐにぼくを連れてぷいと出てしまう。お父さんの 止めるのもきかずに。 誰なんだろう、と思っても、きけやしない。 「パァパが病気なの。」 と、ありすは休み時間に、きんちょうした顔で言った。なんの病気 か判らないけど、死ぬかも知れないの。実はあのひとは妖怪で、毎 晩パァパの精気を吸い取ってるの。あたし、それを確かめることに したのよ。 「だから、一緒に来て。」 それでぼくはありすの家で晩ごはんを食べてから、迷路のような 家の中を彼女に連れられて、この屋根裏に来たというわけだ。 優しい声が流れてきて、ぼくははっとした。しばらく眠っていた ようだ。 そっと下をのぞくと、ベッドにはありすの父さんが横たわって、 その横のいすにはあのひとが座って、本を読んであげていた。 パァパは確かに、別人かと思うくらいやつれていた。でも幸せそ うだった。 しばらくしてパァパが眠ると、あのひとはそうっと本を閉じて、 パァパの額にキスをして、スタンドを消して出ていった。 気がつくと、ありすがぼくのすぐそばにいた。泣いてるようだっ た。 ありすが転校するという噂が流れたのは、それから何ヶ月か後だ った。 ぼくはすぐにありすの家に行って、パァパが死んだこと、ありす は遠くの親戚に引き取られること、そしてあのひとはどこかへ行っ てしまったことを聞いた。そして最後に、 ――大人になったら、迎えに行くよ。 と、約束したんだ。 パァパの代わりには、なれないだろうけれど。
「フクハラ君。髪の短いひと、好き?」 大学の食堂でカレーを食べていた僕に、目の前に座っているゴト ウさんが聞いてきた。 「僕は長い方が好きだけど」 ショートヘアのゴトウさんがまた聞いてくる。 「元気なのが取り柄の女の子って、どう思う?」 「それが"元気"を通り越して"短気"だったら勘弁願いたいね」 頬の辺りをひくつかせながらゴトウさんはそれでも聞いてくる。 「じゃあ、フクハラ君はロングヘアの大人しい人が好きなのね?」 「いや、そうとも限らないけど」 「どっちなのよ!」 ガタン、と音を立ててゴトウさんが椅子から立ちあがる。 あちこちからクスクス笑いが聞こえ、ゴトウさんは顔を赤らめて 慌てて座り直した。 「フクハラ君」 「何?」 「私のこと、好きになってくれる?」 まっすぐなそのゴトウさんの瞳が、僕は好きだ。 僕はすこし微笑んだ。 「…そうだね。君が、望むなら」
20歳になったちょうどその日から、夢の中でだけ、僕は小学生 になった。 ガラス張りの玄関の扉をくぐり、コンクリートの階段を上る。左 から2列目の、下から3番目が僕の下駄箱だ。「おはよう」美華ち ゃんだ。ぼくは美華ちゃんが大好きだった。一緒に教室に向かう。 僕は嬉しかった。それなのに、僕はなんだか恥ずかしくなって、 「図書館に行かなきゃいけないんだ」と言ってしまっていた。 僕は、仕方なく図書館に立ち寄った。朝の図書館はしーんと静ま り返っていた。本を借りることにした。江戸川乱歩の怪人20面相 シリーズだ。小学生の頃、無我夢中になって江戸川乱歩を読んだ。 小林少年になって、毎日一喜一憂していた。もう一度、小林少年に なれるだろうか。僕は探した。本は、見つからなかった。それどこ ろか、コロボックルシリーズや少年ケニヤ、僕が夢中で読みふけっ た本たちが、一つも見あたらなかった。 かわりにそこにあったのは、デカルト、特殊相対性理論……そん な本ばかりだった。僕は恐ろしくなった。 急いで図書館を出た。僕は走った。「廊下は走らずに」そんな張 り紙が見える。ほら、やっぱりここは小学校だ。大丈夫。行けるさ。 ここを曲がればいい。 「おはようございます」力一杯ドアを開けた。みんなが僕を見た。 ほっとした。美華ちゃんも笑っている。授業は始まっていた。僕は 静かに席につき、教科書を開いた。 「じゃ、窪田くん、128ページから、読んでみて」 僕は勢い良く立ち上がって大きな声で読み始めた。「1980年 代以降、金融市場におけるグローバル化の進展に伴い……」 違う。どうしてだ。僕は小学生だ。どうしてだ。どうして……。 こうして僕は夢の中で、ほんの少しだけ、小学生に戻る。そう、 いつだって、「ほんの少しだけ」なんだ。それでも僕は、これから も夢の中で小学生に戻り続けるだろう。教室のドアを開けたとき、 一斉に目の前に広がるみんなの無邪気な笑顔が、どうしても見たい んだ。
雲雀が滞空してピーチュクピーチュクヒチーチーピュルピュルと 早口に囀る。 乾燥した葦の河原に舞い降り、再びきゅっと上昇する雲雀の姿を 見た芳郎は、一目散に土手を滑り降りて、肩から掛けた鞄を放り投 げた。 「よっちゃん、学校に行かんのん?」 心細そうな声を上げる耕治に「お前は行けや」と肩越しに怒鳴る と、芳郎は用心しながら葦の繁みに身を隠した。しばらく芳郎を呼 んでいた耕治も諦めたようで、急に静かになった河原の中で、芳郎 は風で擦れる葦の音と自分の息の音をばかりを聞いていた。太陽の 日差しさえ聞こえてきそうな快晴だった。 ピーチュクピーチュクヒチーチーピュルピュル。 複雑な音階をたどる雲雀の囀りが、葦の影から芳郎の耳に入って きた。耳を澄ます。微かな音とともに、雲雀が青空に飛び立った。 芳郎は葦の中を駆け進んだ。鋭く伸びる細い葉が、頬や腕に当た って行く手を阻む。 目的の場所に近づくと、芳郎は根元を両手で慎重に押し分けた。 頬が緩む。巣は、物語の空中都市のように、ひっそりとそこに隠れ ていた。 しかし、巣を除き込んだ芳郎の頬はみるみる固くなり、口をきつ く結んだ為か、顎がぴくりとひくついた。芳郎は巣を乱暴にむしり 取ると、「こんなもの」と低く唸って、力一杯河に投げ込んだ。 巣はふわっと空気を含んで放物線を描き、別れを惜しむようにぱ っと羽毛を散らすと、べしゃっと耳障りなを響かせて河に落ちた。 巣は空っぽだった。 芳郎は頬を紅潮させて、やわらかな草の上にどさっと体を横たえ た。雲雀の雛がどうしても欲しかった。けれど、雲雀の声はたった 一つしか聞こえない。 腕の外側がちりちり痛むのに気づいて手を持ち上げると、葦の葉 で切ったのだろう、赤い筋が一筋走っていた。体を起こし、傷を口 に含んだ芳郎は、光る波間に目を凝らした。 水に浮かんぶ巣の上に、幾度も雲雀が舞い下りる。 突然、芳郎は弾かれたように服と靴を脱ぎ捨てた。風に泣く葦を かき分け水辺に出ると、全てを放り出すかように体を水に躍らせた。 夏至も過ぎた夕暮れ時に、桃色に染まった芳郎の体がゆらゆら浮 かんでいた河原には、今は赤とんぼが飛び交い、白無垢姿の笙子の 嫁入り行列が静々と進んで行く。 「結婚するん?」 息を切らして駆け込んで来た隣家の次男坊に、笙子は「雲雀の子 ォをくれたら、結婚よすわ」と、目だけで笑った。 何処かで雲雀が鳴いている。笙子は確かに耳にした。
僕はさっきロボットになった。つい30分ほど前。そして僕がロ ボットになった瞬間、僕とタヌキの関係はちょっぴり疎遠になった。 タヌキとやかんの間柄も、いささか微妙なものになった。 「おい、こっち向けよ」 タヌキは僕にちらりと冷たい視線を投げかけると、そっぽを向い て、やれやれとでも言うように首を振った。 僕はロボットになるということを甘く見すぎていたようだ。ロボ ットになったために起こる不具合や周囲の反応をあまり深く考えず、 あっさりとロボットになってしまった。 ちょっと前まで、僕とタヌキの関係はすこぶる良好だった。僕が おいでおいでをすると、タヌキはとことこやってきて、顔をひょい と上に向け、茶色い首を僕のほうに向けた。僕がその首を優しくな でてやると、タヌキはまるでネコみたいに気持ちよさそうに目を細 めニャーと鳴いた。 しかし僕はロボットになってしまった。哀れ、タヌキは僕を避け ている。 タヌキはやかんにさえ近づこうとしなかった。険しい目でやかん を見つめ、鼻息を荒げ威嚇している。 さっきまでは、タヌキとやかんも極めて固い信頼で結ばれていた のだ。タヌキはやかんを放り投げては追いかけて、やかんの取っ手 を首にかけて走り回った。やかんはタヌキのそうした扱いにも文句 ひとつ言わず、やかんならではの心の広さで、タヌキを包みこんで いた。 しかし今、タヌキはやかんを避けている。どうやら今の僕とやか んとは似ているらしいのだ。材質とか、そういったものが。しかし 僕とやかんは違う。僕は自らロボットになった。そのことについて、 やかんは僕に対して何ひとつ指図も示唆もしていない。やかんは完 全に無罪なのだ。これではやかんがあまりに可哀想ではないか。タ ヌキよ、やかんは僕とは違う。 「なぁタヌキ。僕を避けるのは分かるよ。勝手にこんな姿になって しまったんだからね。けどやかんは何も悪くないんだ。仲直りして やってくれないか」 タヌキが今の僕の頼みを聞き入れるわけもなかった。タヌキはテ レビのワイドショーに見入っている。 ワイドショーは百円ショップの特集をしていた。おびただしい数 の商品が店内には並んでいる。レポーターが、ひとつのやかんを手 に取った。そのやかんは、うちのやかんよりはるかに形が良く、材 質も良さそうなものだった。そのやかんを見るなり、タヌキはテレ ビを消した。そしてごまかすように、軽くあくびをした。 そんなタヌキの思いやりに、僕はちょっぴりほっとした。
竜門大介様 あなたが折角お見舞に来て下さったのに、泣いてばかりいてご免 なさい。たくさんお話したいことがありましたのに、思っているこ との僅かしか言葉にできませんでした。 あなたが帰った昨夜は、せきを切ったように涙が容易に止まらず どうしても眠ることができないものですから、とうとうベットの上 に起き上がって、明け方までじっと坐っていました。 窓から病室に月の光が射していました。その月光に照らされた私 の手足は、青白く、細く、まるで自分のものではなく、そら恐ろし い気さえ致しました。決して一年余の病苦による醜さだけではなく 生まれて二十数年の間、善悪正邪こもごもの無数の業をなしてきた にもかかわらず、ただただ虚弱な姿態として月光に照らされている ことが、異様な冷気として感じられたのです。 あなたの子どもを堕胎したことをご存知だったのですね。そうし た過去をさらりと忘れ去ったようなお顔をされたのは、あなたの思 いやりなのですね。 医宗研にいた頃の私は、あなたの気持ちがよく分かりませんでし た。いえ、人の優しさが分からなかったのです。あなたはきっと立 派なお医者様になられるでしょう。それにひきかえ尾田は、優しい 言葉は教えてくれても、優しい心は教えてくれませんでした。さら に、私といえば自分勝手な信仰の思いが、唯一本当のものだと信じ 込んでおりました。 あなたに何と言ってお詫びしてよいか分かりません。ぜひもう一 度、お会いしてお話がしたいのです。無邪気な願いとお思いになっ て、ぜひぜひお会い下さい。お願い致します。 田口順子様 先日は静臥中をお邪魔致し、申し訳ありませんでした。またこの 度は、お手紙を頂き有り難うございました。 あの日お見舞を終え、癌病棟から外にでましたら、雪が降ってお りまして、病院内の庭も道も一面真白になっておりました。僕が門 を目標に真直ぐ歩いていくと、未だ誰も踏み込んでいない雪道に、 一歩一歩足跡がくっきり残っていきました。門の所まで来てふっと 振り返ると、真直ぐに歩いて来たはずなのに、僕の足跡はあちこち に曲がりくねってついていました。 正直に申し上げます。僕は尾田先輩に頼まれて君を見舞いに行き ました。 ご健康をお祈り致します。さようなら。
ウニを抱いていた拍子に針で体を貫通させてしまった私は、以来、 ここの病院にいる。わりと軽めの怪我だったので、たいした手術を うけるでもなく、この大部屋にたたき込まれた。怪我のために物を 書くのに不自由しているということはない。 ふと手を止めてまわりを見渡した。 同室には私をいれて五人ほどがいる。変わり者の同室者たちを相 手にするのは常識人の私としては気を使ってしまうが、今となって は大切な友人たちだ。 お金持ちの家に突撃だとかいうワイドショーを食い入るようにチ ョーさんは見ていた。チャンネルをNHK教育にしてやると白目を むいて寝てしまった。 どこの穴からでも何でも自由に出し入れできるコージは、今もど こで手に入れたんだかわからない白い粉を吸い込み、体の中に巡ら せていた。多分三分経ったら口から出てくるに違いない。心の中で 「ミナカタくん」と呼んでやる。 カトーさんは夜な夜な男のところに忍び込み、寝ているまわりに 卵を蒔いて夢精するのを待っているという。今は入念にその下準備 をしているのだろうが、毛布の下のその動きはよくみえないので何 とも言えない。 みんな常識はずれで困ったヤツらだが、やはり大切な友人たちだ。 そうそう。いつもまわりにあるものをポケットの中にいれて物陰 に隠れるケンを忘れていたが、たまに私が書いた小説を気に入って 持っていく癖があるので、いなくなっては困るやっぱり大切な友人 だが、取り返した小説はすぐにゴミ箱に捨てることにしている。 そんな部屋に先生がやってきて診察を始めるとき、診てもらうの も面倒だ、という友人たちをなだめるのも私の役割だ。お見舞いに 来たその家族たちに愛嬌を振りまいてやっているのも私一人だけだ。 たまに運び込まれる六人目の同室の患者さんを魔の手から守ってや るのもまたこの私だ。全く常識人というものはつらい。 ユリと名乗るコージの兄、いや、元兄がやってきた。チョーさん やカトーさんがあげていたお菓子の賞味期限は切れていた。ケンが 持ってきたのは、どこで拾ってきたのだろう、真っ白なミミズのし っぽだった。それらのプレゼントを喜んで受け取りながら「これが 真実の愛なのね」と目を輝かせていた彼女の愛読書は私が贈った 「情熱の季節」というレディースコミックらしい。 退院の季節が近づいた。別れがもの悲しくなる季節だが、来月に は元に戻っている自分が吠えている姿が目に浮かび、少し力が抜け た。
●スケジュール
作品受け付け───5月16日〜5月31日
人気投票受け付け─6月1日〜22日迄(終了しました)
再投票───7月1日迄(終了しました)
結果発表─────7月2日予定
藤次さん作『ヴォイス』と紺詠志さん作『サーカス』が
共に感想票5点ずつで二つに割れ、再投票となりました。
結果まったくの1票の差により、この二つの優劣つけ難い作品に、
非情にも結論がくだされました。
第4回1000字チャンピオン決定!!
紺詠志さん作『サーカス』です。
紺さん、おめでとう。
藤次さん、素晴しい作品を有難う。
お二人に心より感動の拍手を贈ります。
| 作品 | 票 |
|---|---|
| サーカス(紺詠志) | 11 |
| ヴォイス(藤次) | 10 |
★再投票結果
●サーカス(紺詠志)
●ヴォイス(藤次)
(感想表記に1箇所間違いがありました。訂正しお詫びします)
★第1回目の感想票
| 作品 | 票 |
|---|---|
| ヴォイス(藤次) | 5 |
| サーカス(紺詠志作) | 5 |
| 国語の問題(3吉) | 4 |
| 驢馬の憂鬱(鮭二) | 2 |
| 変身せよ! スペクタクルマン(蛮人S) | 2 |
| ぼくと彼女の山本情事(モーゲン王) | 2 |
| あなたの希望(遠野ミナコ) | 2 |
| 雲雀の鳴く河(鹿野まどか) | 1 |
| ひきがね(京木倫子) | 1 |
| 推薦作なし | 1 |
●ヴォイス(藤次)
●サーカス(紺詠志)
●国語の問題(3吉)
●驢馬の憂鬱(鮭二)
●変身せよ! スペクタクルマン(蛮人S)
●ぼくと彼女の山本情事(モーゲン王)
●あなたの希望(遠野ミナコ)
●雲雀の鳴く河(鹿野まどか)
●ひきがね(京木倫子)
●なし
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