第5回1000字小説バトル
Entry28
「あっ! オクターブ下げた」 「ぎゃはは! 日吉、歌変わっちゃってるぞ」 渦巻く笑いが『HOWEVER』を熱唱する日吉君に集中した。 マイクを置き、息を殺しながらステージを降りる。席に戻っても止 まないブーイングの嵐に、日吉君の顔面は歪んでいく。 恒例になった営業課の親睦会。今日は珍しく皆が時間通りに集ま り、近くのカラオケボックスへ繰り出した。日頃の憂さ晴らしに、 留め金が外れた連中が雄叫びをあげている。 その中に、親会社から出向してきたばかりの網島課長が暗い面持 ちでいた。今日は彼の配属祝いも兼ねている。ウーロン茶を口に運 ぶ網島課長は、小さな体を折り畳むように潜んでいた。 討ち死にした日吉君に替わる曲が、BOSS201から流れてき た。 ――マイウェイ。 「誰よ、誰?」 「何でこんなのが流れてくるの?」 「うへぇ、聞きたくない」 口々に罵声が挙がった。と同時に、リクエストの主を消去法で探 り当てた。 一斉にすべての口が閉じられる。ライトはすでにマイクを握る網 島課長を照らし出していた。 「ほ、本日は、私のために……誠にありが」 言い切らないうちに、メロディパートが流れる。黒目がちの眼球 がマイクを見つめた。 ――あっ、高い! スピーカから流れる歌声は、誰の耳にもそう聞こえた。 低い歌い出しが要求される導入部から、網島課長の声はすでに高 域だった。普段の声より五音階は上だ。 最後まで続かない、と皆が確信した。 七三に分けられた網島課長の額に粒状の汗が浮かぶ。歌詞を流す モニターへの視線が震え、マイクを持つ細い指が引き締まる。 ステージを見上げる反町君と菊名さんの間で、日吉君だけが嬉し そうだ。 サビまであと四小節。もうすでに網島課長の喉は限界を超え、赤 みを増した首筋に血管が浮かぶ。 やがて演奏は盛り上がるだけ盛り上がり、サビへ突入した。 ――えぇ! 全員が目と耳を疑った。真っ赤な顔をした網島課長は口を動かす だけで、その声は全く聞こえてこない。 ――どうしたんだ? 周囲の心配をよそに、網島課長は細くて長い腕を広げ、無音のま ま唄いあげていた。もう日吉君はにやついていない。 網島課長の声なき声は、天窓を小刻みに震わせた。聞く者の耳に 不快感が充満する。ワイングラスが割れた。 「あれ何?」 菊名さんが指さす窓には、コウモリの影が無数に映る。それも元 気一杯に、はしゃぎまわっている。 網島課長がはじめて笑った。
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