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第6回1000字小説バトル
Entry63

鬼灯(ほおずき)

作者 : 鹿野まどか
Website :
文字数 : 1000
「ほおずきって、鬼灯(おにび)と書くのだって」
 勇次を玄関で見送る母が、庭で揺れるみかん色のほおずきを見て
小さく呟いた。
「あれがなると、鬼が来るのよ」
 それまで早くなさい、遅刻しますよと追い立てていた母が急にぽ
つりとそう言ったので、勇次は興味なさそうに靴を履きながらも、
そっと母を盗み見た。
 引戸に手を添え、ほおずきを見つめる母の姿は、静かに水を湛え
る湖面のようで、いつもと違うその様子に、勇次の胸は細波たった。

 夕方、友人達の誘いも断り、荒い息を吐きながら勇次は玄関の戸
を開いた。
「……お母ちゃん?」
 板の間に吸い込まれて行く声を見送ると、勇次は慌てて靴を脱ぎ、
居間に入った。
 母の姿はなかった。
 震え出した足を廊下に向けた途端、勇次の体は宙に浮いた。勇次
は声を上げてもがいたが、丸太のように抱えられ、口を塞がれると、
頬が冷たく引きつった。
「静かにして、鬼が来るのよ」
 聞き覚えのある声に勇次は目だけで主を探す。そうして、体の自
由を奪っているのが母だと分かるまで、幾度も幾度も瞬きした。
 結った髪は乱れ、音のしそうな程きりりと着ていた着物もだらり
と伸び切り、化粧の落ちた青白い頬が、深くなり始めた闇にぼうっ
と浮かび上がる。
「……お母ちゃん?」
 声が震えた。
 そんな勇次にふっと笑顔を送ると、母は我が子を抱いたまま玄関
の引戸に鍵をかけた。
「お父ちゃんが帰って来るよ?」
 勇次の言葉に、母は表情を急変させてぴしゃりと言った。
「いいこと、勇次。絶対開けては駄目」
 母の言葉が終わるか否かで、戸が鳴った。
 父だった。
 戸惑って母を見上げた勇次は息を飲んだ。白く結んだ唇をさらに
白く噛んで、母は荒々しく勇次を奥の間に連れて行く。
「俺だ、開けろ!」
 父は苛立ち、扉を蹴り始める。母は耳元であれは鬼よ、鬼よと繰
り返す。
 乱暴な父の言葉と共に、薄い引戸のガラスが儚い悲鳴を上げて割
れた。勇次は耳を塞いだ。生温かい母の息に救いを求め、瞬きする。
母の姿で鬼が笑い、父の声で勇次を呼んでいた。

 以来父を見ることはない。女の鬼に食べられたのだと母は言う。
 今日も行ってらっしゃいと尻を叩かれ、無言で飛び出そうとした
勇次の先に、しなびた鬼灯が揺れていた。
 今夏最後となった鬼灯の前で勇次は止まると、かさかさと鳴る鬼
灯を引き千切り、玄関で見送る母に高く掲げた。
 母が静かに笑うのを確認して、勇次は「行ってきます」と駆け出
した。






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