インディーズバトルマガジン QBOOKS

第6回1000字小説バトル
Entry65

My best song

作者 : 根本智也
Website : http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tomoya/index.html
文字数 : 999
 冷えたグラスに付着している水滴が、造り付けのテーブルの上に
丸い染みを作っている。頭上からは単調なドラムとベースギターの
音とが交じり合って降ってくる。
 ページを繰るパラパラという音が聞こえる。
 部屋の薄暗い明かりの中、マイクを持っている人物がゆっくりと
立ち上がるが、誰も彼の方を見てはいない。
 横の男が私の肩を叩いた。顔を向けると、彼はさっきまで自分が
読んでいた曲のリストの上にリモコンをのせて、私の前に差し出し
ていた。
「まだ一曲も歌ってないだろ。そろそろ何か歌えよ」
 見ると機械の中には一曲も予約されていない。歌はサビの部分へ
と入っている。気持ちよさそうな彼の声とは裏腹に、待っている人
は次にどの曲を歌おうかと悩んでいる。私の目の前の女性もさっき
からせわしなくページを繰っている。
「歌、下手だから……」
 横の男にそういった。歌はもっぱら聞いてばかりで、自分で歌う
ことはあまり考えてはいなかった。
 目の前の女性がリモコンを取り上げ、五桁の数字を入力する。機
械の電光掲示が1を描き出した。その女性も私に歌を歌うように勧
める。
「下手だって良いのよ。歌うことが楽しいんだから」
 流れている曲は終わりに近づいて、そして終了した。横の男も前
の女性も、そして私もお決まりの拍手をした。
 新しい曲が流れ出す。ゆっくりとしたリズムの音楽だ。男から目
の前の女性にマイクが手渡される。そのまま男は隣に座り、次の曲
を入れようと、すぐさま曲のリストを繰り出す。隣の男も、私が歌
を歌うつもりがないことを知ると、次の曲を探し始めた。
 歌っている女性の美声は誰の耳にも入っていないようだ。私以外
の人は皆ページを繰っている。曲の催促はもう始まっているのだ。
曲が終わる。またお決まりの拍手。誰も聞いてはいなかったのに。
いつまでこれが繰り返されるのだろう。
 やがてカラオケがお開きになった。私は皆とすぐに別れて一人で
家路についた。
 私はお気に入りの歌を口ずさんだ。題名も歌手も知らない。でも
私が一番好きな歌だ。歌えといったら歌えるし、むしろ歌いたいと
さえ思っている。でもカラオケでは歌わない。あの膨大なリストで、
題と歌手を知らずに曲を調べることは不可能だ。たとえわかったと
しても、やはりカラオケでは歌わないだろう。誰も知らない古い曲。
周りから白い目で見られるのがおちだ。
 だから私はいつも一人、カラオケからの帰り道でこの歌を口ずさ
む。






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