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第6回1000字小説バトル
Entry76

金魚の夏

作者 : オザキトラ
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文字数 : 986
 Rは私を金魚のようだと言う。
透き通ったガラスの向こうで、プクプク小さい泡を吐いて、遠い世
界に目を凝らす。赤い尻尾をひるがえし、生ぬるい水の中でぐるぐ
ると泳ぐばかりの、退屈な金魚。
 
『金魚はね。ガラスの鉢の中で、ひとりぼっちで、食って、糞して、
泳いで眠る。そんな毎日は苦しくないだろうか?』
『金魚は外の世界に憧れているのかな?何処かに行きたいと思うだ
ろうか?』

 Rはとてもお喋りで、Rの言葉は尖って痛い。Rは私の身体を痩
せた指で辿りながら、曖昧な物語を綴って行く。私は空ろに笑いな
がら、だらしなく流れ出す自分の欲望の行く先を見ている。

『下水道の果てには金魚の王国があるらしい。捨てられた金魚たち
が、汚水の中でぶくぶく太って大きくなって、群れをなして暮らし
ている』

 朝。目覚めるとRは居ない。
私はマンションの高い窓から、喧騒にざわめいている筈の町を見下
ろす。部屋はしんと静かで、何事からも取り残されている。ガラス
の向こうの騒々しい世界を思うと心が痛む。あらゆる時から遠く離
れて、金魚の一日が又始まる。

『2000年には、人間は皆金魚のように生きることが義務づけられ
るらしい。ただ黙々と、何も傷つけず、誰も殺さず』

 目を閉じて、息を潜めて、時間の流れに耳を澄ます。じくじくと
音を立てて、夏が熟れてゆくのが分かる。今年の夏はとても暑くて、
アスファルトから立ち上る陽炎が苦しい妄想を作り出す。知らない
間に私たちは行き詰まり、途方に暮れて傷つけあう。汚れた水が纏
わりついて、私は上手に泳げない。
 Rは私が逃げているのだという。何も考えない振りをして、ガラ
スの中に心を閉ざす、そんなやり方は卑怯だと責める。私は沈黙し
てRの顔を見ない。
 Rは金魚が欲しかった。ガラスの鉢に水草を飾り、青く光る石を
敷き詰めて、時々見つめていたかった。だけど金魚は歌いもしない
し、鳴きもしない。Rの心は癒されずカラカラ乾いて、尖ったささ
くれがチクチク痛い。もしも私が子犬だったら、お喋りな尻尾を優
しく揺らし、Rの心に寄り添うことも出来ただろう。もしも、私が
カナリアならば?
 
『金魚の目は哀しいけれど、とても恐いよ。考える事を止めてしま
うと、あんな瞳を持てるのだろうか』

 やがて忘れられた金魚は、白い腹を見せて汚れた水に浮かぶだろ
う。叫ぶ言葉も持たないで。哀しい目玉を閉ざす事も出来ないまま
に。
そして金魚の夏が終わる。






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