第7回1000字小説バトル
Entry30
風が変わったんだ。涼しくて気持ちいい。私はそんな風を楽しみ たくて、わざと自転車をゆっくり漕いだ。だから、土手の芝生に寝 転んでいた浩を見つけられたんだと思う。 「なにしてんのよ、こんなとこで」 私は自転車を土手の上に置いて、浩の側まで降りていった。浩は ちょっと私の方に目を向けたけれど、すぐ空に視線を戻してしまう。 「パンツ見えてるぞ」 頭に血がざあっと昇っていくのが分かった。慌ててスカートを押 さえたけど、浩はそんな私を見てもいない。馬鹿らしくなって、ひ とつ溜め息をついてから、私は浩の隣りに座った。 「で、なにしてんの? 悩み事?」 浩はなんにも言わない。普段はよくしゃべるくせに。 「ねえ、浩は千字どうすんの? もう来週締切りよ。今日も水沢先 生探してたよ」 浩がすうっと息を吐いた。私はじっと浩の目を見ていた。浩は食 い入るように、空を見ている。それから、ささやくように言った。 「なあ、太陽の裏側ってさ、どうなってるんだろうな」 私は浩の顔を見る。無表情は変わっていなかった。 「そんなの…、太陽は太陽よ。表も裏も同じじゃないの」 「でもさ、地球は太陽の周りを回ってて、太陽をぐるっと全部見て るんだけど、やっぱりあの太陽の陰に隠れてて、ここからは見えな い場所があるんだよ。そこはきっと明るいけど、地球は絶対に見え ない」 私は空を見上げた。今日の空は薄い青で、おまけに雲も薄い。そ んな空の中で、太陽の光は強烈だった。 「でも、待ってたら、また太陽の向こうから地球が見えてくるわ」 浩が私の方を見ている。私は空を見上げたままでいた。 「美夏はもう千字書いたのか?」 「まだ」 私は舌を出す。 「今日書くの、今日」 私は勢いよく立ち上がった。 「俺はだめ。書かない書けない」 また腕を枕に空を見上げた浩の手を、私は強引に引っ張った。 「もう、まだ一週間もあるのよ」 重くってなかなか立たせられないでいたら、浩はふっと私の手を 握って立ち上がった。 「行けるかな」 「え?」 「太陽の裏側にさ」 浩は笑って私に言う。 「あ…、うん、宇宙旅行だってそのうちできるみたいだし、浩がお じいちゃんになったころには、太陽の裏側だって行けるわよ。そう そう。念じればできるのよ、なんだって。書こうと思えば、千字だ ってすぐ書ける」 「ばーか」 私も笑った。 今日はやっぱり涼しい。風が変わったんだ。秋に向かって。
![]()
◆QBOOKSに掲載の記事・写真・作品・画像等の無断転載を禁止します。
◆投稿された各作品・画像等の著作権は、それぞれの作者に帰属します。出版権はQBOOKSのQ書房が優先するものとします。
◆リンク類は編集上予告なくはずす場合がありますのでご了承ください。