インディーズバトルマガジン QBOOKS

第8回1000字小説バトル
Entry14

そして思い出になる

作者 : 茗荷丸 [みょうがまる]
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文字数 : 約740字
 引っ越しの荷物が満載されたトラックに友人を待たせて、僕は最
後の確認をするため部屋に戻った。築何十年か判らない古ぼけた木
造アパートの一室、一階の突き当たりの六畳間。そこはつい昨日ま
で、僕のささやかな城だった場所。
 家具が全部取り除けられて空っぽになった部屋。その真ん中に立
って腕組みをする。視線を四方に彷徨わせる。ここで過ごした二年
と少しの日々を思い返す。
 就職をきっかけに親元を離れて、初めての一人暮らしだった。家
賃の安さが気に入って即決した。初めての家事。洗濯、掃除、炊事。
慣れないことは長続きせず、食事は次第に外で買うようになった。
 彼女も出来た。色白の、笑顔が素敵な子だった。この部屋で何度
か夜を共にした。初めてキスを交わしたのも、そう、別れを告げら
れたのもこの部屋での出来事だった。
 色々な思い出がここにはある。いいものも悪いものも、愛しいも
のも憎らしいものも一緒くたになって。すっかり擦り切れた畳表に
も、くすんだ色合いの押入の襖にも、染みついて取れない部屋自身
の記憶がある。壁にも、柱にも。流し台にも、窓にも。その中で、
覚えておきたいことは覚えよう。忘れたいことは忘れよう。持って
いけるものは持っていこう。置いていけるものは置いていこう。
 そして、新しい街で新しい生活を始めるのだ。
 僕はもう一度部屋の中を見回した。これで最後、これでお別れだ。
 僕は呟く。
 さようなら、親愛なる六畳間。
 僕は呟く。
 さようなら、ここで過ごした二年と少しの日々。
 僕は呟く。
 さようなら、たくさんの思い出たち。
 僕は声に出さずに呟く。
 さようなら、床下で眠る僕の恋人。
 声に出さずに、もう一度。
 さようなら。
 そして僕は部屋を出た。






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