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第8回1000字小説バトル
Entry2

SHIKA

作者 : 逢澤透明 [アイザワスケアキ]
Website : http://www.geocities.co.jp/Berkeley/2435/
文字数 : 1000
 私が覚えている最初の思い出、つまり私にとって最も古い記憶は、
両親のことでも兄弟のことでもなく、その頃すでに年老いていた祖
母の思い出である。
 祖母は早くに夫を亡くした独り身で、私の両親が共働きであった
こともあり、私は生まれてからずっと祖母にあずけられていた。
 ある日のこと、つまりはこれが私にとっての最初の記憶なわけで
あるが、祖母が私に絵本を買ってきた。絵本といってもきれいな表
紙の有名な絵本作家が描いたものではない。ボール紙に流行りのア
ニメの登場人物がかいてある数百円の安物だった。
 その内容はよく覚えていない。ただそこに、小さい鹿のような動
物が草むらから顔をぬっと突き出し、僕に向かっておどけるような
笑顔を差し出している絵があったことだけ、鮮明に覚えている。
 祖母は、ページもろくにめくれない僕にその絵を見せ、「ほれ、
シカや。シカとゆうてみ」と、いつものぶっきらぼうな言い方をし
て僕にそれがシカであることを教えようとした。
「シカや。ほらゆうてみ」
 僕はまねをした。
「チぃか」
「ちがうて、シ、カ!」
「チぃか!」
「よう見とくんやで、口を見るんやで。ええか。シ、カ」
「んん、チィィかあ!!」
「声が大きなってるだけや」
 結局、私はうまく「シカ」と言えず、祖母はあきれてしまい、
それでも私は何度も何度も、しか、しか、と小声で練習していた。

       *

 小学校に上がってすぐに、半年ほど寝たきりだった祖母が他界し
た。葬式が終わった後に、姉からこんなものが祖母のタンスから出
てきたと一冊の絵本を渡された。
 ぺらぺらページをめくると見覚えのある笑顔に出くわした。
「あ、シカ」と私が反応すると姉は
「なに言うてんねん。鹿やないで。よう見てみいな」と戒めた。
 もういちど、そのページをよく眺めてみると笑顔の横に吹き出し
があり、
「ぼくは
 いたずらするけど
 さびしがりやで
 ほんとはやさしい
 バンビの
 バンバン」
 と書いてあった。

 バンビ。

「でも、おばあちゃん、鹿っていうとったで」
「ああ、おばあちゃん、字、よう読まんかったからなあ、てきとー
にいうとってんやろ」
 僕はもう一度、確かめた。
 醤油のしみがついていた。
 横でテレビを見ていた母が言った。
「おばあちゃん、おまえのために買うたんや。字読まれへんのに。
大事にせなあかんで」
 僕は黙ってうなづいた。
 そして、そいつを指差しながら、小さな声で、
「しか」
 と言った。






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