第8回1000字小説バトル
Entry25
関東第7地区の販売キャンペーンで、またもや隣りの支社に敗れ た夜、満員電車に揺られながら、私は混沌とした敗北感に苛まれて いた。千住大橋の鉄橋には明らかに負けていたし、『ワキガが治っ た!』という本の広告にも負けたような気がした。 ぐずぐず考えているうちに、私の降りる駅が近づいて来た。目の 前に座る若い女がしきりに携帯電話をいじっている。まあいいか、 とも思う。もしかしたら駅前の東武ストアにも負けたと思うかもし れないが、とにかく家に帰って寝ちまうことだ。電車は竹の塚駅に 到着した。 その時である。どこかから熱いリズムが聞こえてきた。このまま でいいのか。そう思った瞬間、もうドアは閉まっていた。 ふつふつと闘魂が燃え上がってくる。竹の塚のホームがはるか遠 ざかっても、熱いリズムは私の体を流れ続けた。確かに浅草のサン バは終わっていたが、そんな事はどうだっていい。私は負け癖と闘 う。負け癖の腕を鉄柱に叩き付けてへし折ってやるのだ。 谷塚、草加、松原団地……女は腰を浮かす素振りを見せなかった。 北越谷、大袋、せんげん台……空席が目立ち、立っているのはやや 不自然な感じもしたが、女は泰然と雑誌を広げている。相手にとっ て不足なしだ。 春日部を過ぎると、車両には私とその女しか残っていなかった。 一対のつがいのように私たちは対峙している。固く握り締めた吊革 から汗が滲んでくる。心の中の蔵前国技館が私の一挙手一投足に息 を呑んでいる。 北春日部の駅に入る時だった。電車が大きく揺れて私の膝が微か に女の膝に触れた。女が顔を上げると熱いリズムがぴたりと止まる。 あれ、蔵前国技館はここだったっけ、という顔をしてホームを見る。 女の視線を後頭部に感じる。逃げよう、と思った瞬間、女が立ち上 がった。 遠ざかるヒールの音と入れ違いに、再び熱いリズムが流れ始めた。 もしかして、勝ったのだろうか。振り返ると、もう女の姿は見えな い。ただ、蔵前国技館の観客が私を見詰めている。そうだ、勝った んだ。私は思わず拳を突き上げ、雄叫びを上げた。凄まじい歓声が 鳴り響く中、私はゆっくりと腰を下ろした。 やがて、苛立たしげな足音が近づいてくる。 「車庫に入ります」と駅員は言った。 「ここは、蔵前ですか?」 「違います」 「明朝は、8時から反省会です。そこで私は根性なしと給料泥棒に ついての講義を受けるのです」 「ご苦労様です」と言って、駅員は乱暴に私の腕をつかんだ。
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