| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | キレル・キマル | わーすけ | 835 |
| 2 | SHIKA | 逢澤透明 | 1000 |
| 3 | 天国と地獄 | 岡嶋一人 | 934 |
| 4 | でも、あなたじゃない | 小沢 純 | 994 |
| 5 | 密室の謎 | てつや | 881 |
| 6 | red splash | zzz | - |
| 7 | もみじ君の冒険 | DIPSY | 998 |
| 8 | 天秤 | サトコフ | 827 |
| 9 | 墓地の猫 | こやま幸彦 | 902 |
| 10 | 蜘蛛の糸 | GIN=YU=SIJIN | 522 |
| 11 | 伝七爺さんのホーホケキョ | 河村純 | 900 |
| 12 | Dive into your body | 伊藤右京 | 約800字 |
| 13 | 電話 | 工藤裕也 | 627 |
| 14 | そして思い出になる | 茗荷丸 | 約740字 |
| 15 | 推敲 | しょーじ | 997 |
| 16 | 7時35分 | 君島恒星 | 2988 |
| 17 | 発明の跡 | sakutaro | 385 |
| 18 | 売人街 | 望月優輔 | 1000 |
| 19 | 解らない人は辞書を引こう | HCE | 500 |
| 20 | 駅前交差点 | 根本智也 | 1000 |
| 21 | 狂泉 | 千秋 桜 | 994 |
| 22 | 噴出 | 越冬こあら | 996 |
| 23 | タクシードライバー | 浅間 伸 | 994 |
| 24 | がんばっちゃったもんね | 3104 | 991 |
| 25 | 負け癖 ★ | 鮭二 | 1000 |
| 26 | ゴールドフィンガー | 狂 | 598 |
| 27 | シンデル博士の悩み | Bailey | 598 |
| 28 | 電話の向こう | 一之江 | 1000 |
| 29 | 足長おじさんの気持ち | アベタツヤ | 972 |
| 30 | ひかりの子 | 蛮人S | 1000 |
| 31 | 訪問者 | 夜啼き鳥 | 1000 |
〜今朝はなんかチガうな……〜 タイマー替りにかかるハズのFMがなぜか今日は鳴らなかった。 煙草が切れているのに気が付いたのは、今日2杯目のコーヒーを口 にした時だった。チェーンスモーカーである彼にとって、目覚めの 一服を奪われる事以上の苦痛は見当たらない。果たして、カートン 買いした最期の一箱と気付くや否や、その掌に300円握り締め、 その足は自販機へと向かっていった。 〜でも何故だろう〜 確か昨夜も眠る前に煙草を吸った。もはや、朝と夜の喫煙は、彼 の生活の一部となっている。いつもなら買い置きを忘れる事はない のだが。ようやく着いた自販機の前でその答えが見えてきた。 〜そうか、ついてないってか〜 彼がお気に入りと決めているラッキーストライクの下で、売切れ の文字が赤く笑ってる。仕方なく別の銘柄でとりあえずこの渇きを 凌ぐ事にした。あまりにいつもと違うシチュエーションに少々戸惑 いつつ、今日初めての一本に火を点す……。 〜嘘だろ、オイ〜 小気味良いカシュッ、カシュッ、という乾いた音と共に、ジッポ ーは、蒼白い火花を口から吐いていた。一見にしてガス欠と理解る ライター相手に悪戦苦闘しながら、彼は家路へと足を急いだ。 ようやく家に着いたときには、肺は酸欠状態にも近い悲鳴を上げ ていた。至福の一服にもなろうかとも云うべきこの一吸は、なんの 因果があって齎されたのだろう。今朝の出来事が、ふと彼の頭の片 隅を過ぎったが、アドレナリンが分泌し始めたニコチン中毒の彼の 中に、ソレを考えるだけの宇宙は存在し得なかった。 〜何も変わらないね、何も〜 ルーティンワークと化した喫煙も、タスクを負えばこれまた格別 だなんて、この煙草が吸い終わるころにはもう忘れているだろう。 それって、結局時間と苦痛の浪費なのだ。ぼんやりとした煙の中、 彼は確信に近い信念を、単純すぎる思考回路で弾き出したのだった。 彼にとれば今日1日、可笑しなツイテナイ日であったとしてもその 状況でヤニを咥えられれば、あんまり変わり無いのではないか。
私が覚えている最初の思い出、つまり私にとって最も古い記憶は、 両親のことでも兄弟のことでもなく、その頃すでに年老いていた祖 母の思い出である。 祖母は早くに夫を亡くした独り身で、私の両親が共働きであった こともあり、私は生まれてからずっと祖母にあずけられていた。 ある日のこと、つまりはこれが私にとっての最初の記憶なわけで あるが、祖母が私に絵本を買ってきた。絵本といってもきれいな表 紙の有名な絵本作家が描いたものではない。ボール紙に流行りのア ニメの登場人物がかいてある数百円の安物だった。 その内容はよく覚えていない。ただそこに、小さい鹿のような動 物が草むらから顔をぬっと突き出し、僕に向かっておどけるような 笑顔を差し出している絵があったことだけ、鮮明に覚えている。 祖母は、ページもろくにめくれない僕にその絵を見せ、「ほれ、 シカや。シカとゆうてみ」と、いつものぶっきらぼうな言い方をし て僕にそれがシカであることを教えようとした。 「シカや。ほらゆうてみ」 僕はまねをした。 「チぃか」 「ちがうて、シ、カ!」 「チぃか!」 「よう見とくんやで、口を見るんやで。ええか。シ、カ」 「んん、チィィかあ!!」 「声が大きなってるだけや」 結局、私はうまく「シカ」と言えず、祖母はあきれてしまい、 それでも私は何度も何度も、しか、しか、と小声で練習していた。 * 小学校に上がってすぐに、半年ほど寝たきりだった祖母が他界し た。葬式が終わった後に、姉からこんなものが祖母のタンスから出 てきたと一冊の絵本を渡された。 ぺらぺらページをめくると見覚えのある笑顔に出くわした。 「あ、シカ」と私が反応すると姉は 「なに言うてんねん。鹿やないで。よう見てみいな」と戒めた。 もういちど、そのページをよく眺めてみると笑顔の横に吹き出し があり、 「ぼくは いたずらするけど さびしがりやで ほんとはやさしい バンビの バンバン」 と書いてあった。 バンビ。 「でも、おばあちゃん、鹿っていうとったで」 「ああ、おばあちゃん、字、よう読まんかったからなあ、てきとー にいうとってんやろ」 僕はもう一度、確かめた。 醤油のしみがついていた。 横でテレビを見ていた母が言った。 「おばあちゃん、おまえのために買うたんや。字読まれへんのに。 大事にせなあかんで」 僕は黙ってうなづいた。 そして、そいつを指差しながら、小さな声で、 「しか」 と言った。
その昔、天国と地獄は大変仲が良かった。今のように天使と悪魔 が反目しあう事もなくお互いの領分をわきまえ、おのおのの仕事の 意義ををしっかり守っていた。 天国と地獄は基本的には似たような作業を行っている。ただ若干 その行程に違いがあるだけだった。天国に来た魂は、疲れを癒され 傷ついた部分を補修され、再生される。地獄に来た魂はこのほかに、 汚れを落とす作業が加わるだけである。ただ、この汚れを落とす作 業はとても大変な作業で、赤い水で洗ったり、火であぶって削ぎ落 としたりと結構な重労働を要求され、天井界では、「きつい、汚い、 危険」の3K仕事などと言われていた。とても、ひ弱な天使には勤 まらない、体力勝負の悪魔ならではの仕事だった。 また、人が死んで天国に行くか地獄に落ちるかはその人間個人の 自主性に任せられており、決して天使も悪魔もその人生に関与しな かった。関与しなくとも、善行の者は天国に来たし、悪行をつんだ 者は地獄に落ちてきた。それはとてもバランスの取れた状態で、次 に産まれるべき魂のストックも充分であった。 ところがある時、人間は薬というものを作り出し、手術という行 為を行うようになり、思うように死んでくれなくなった。魂の供給 が滞り始めたのだ。新しい命のストックは減り、人間界には人が溢 れ出した。 この事態を重く見た天国と地獄では、この状況を解決する為、そ れぞれの代表を出し、会議を開く事となった。出席した天使と悪魔 たちの間では活発な意見交換が行われ、その結果お互いに人の人生 に関与しようという結論が導き出された。死を恐れる者に対しては 天使が優しく導き、生に執着する者には悪魔が厳しく連行するとい う実に、自然なそして、尊厳のある結論である。 これで昔のように魂を確保できると喜び、会議も終了という矢先、 ある不用意な発言によって会議は大荒れになった。 その不用意な発言をしたのは天使だった。悪魔の一人がこう質問 した。 「さて、これで旨く行った場合、次の展開としては?」 それに対して、一人の天使がこう言ったのだ。 「あくまでもできると云う仮定の話ですが」 これを聞いた悪魔が怒った。 「悪魔でもとはなんだ。悪魔でもとは」 結局、会議は物別れに終わり天使と悪魔の対立は今もなお続いて いる。
短縮授業で早く帰れることになった。理系なので女子は少ない。 めずらしく、進学コースが同じ男子と話ながら駅まで来た。 私の家と逆方向行きの電車がホームに入ってきた時、ガクランの ポケットに両の手を入れた松下君が言った。 「行こうよ。動物園」 彼は、私の答も待たずに電車に乗った。そして、 「行こう」と私を呼ぶ。彼の帰り道も逆方向なのに。 ちょっと迷ったけど、結局私は扉の閉まる寸前に電車に飛び乗った。 彼は、それが当然かのように、うなずいただけだった。 その動物園は、二つ目の駅で降りた小高い丘の上にあった。私も 幼い頃に来たことがある。入口のキリンをかたどった門に見覚えが ある。入ると少し下り坂になっていて、最初にペンギンのプールが あった。水の中をジェット機みたいに泳ぎ回るペンギン達。凄いス ピードだね、と二人でしばらく見とれていた。私は、もう泳ぐには 寒いだろうにと思った。でも、考えてみればペンギンにとっては、 これでも暑いうちかもしれないと気付いた。 ペリカンが曇り空の下でうずくまるように、大きなくちばしをピ ッタリ体に押しつけてじっとこちらを見ていた。松下君は、相変わ らず両の手をポケットに入れたまま、適当な間合いを取って動物達 を見て廻る。女の子を誘っておいて手を繋ごうともしないの?と、 ちょっぴり不満になる。でも…いざとなったら断るくせに、私。 シロクマ君はノイローゼなのかと思うくらい同じところを行った り来たり、同じ動作を繰り返していた。平日の午後の動物園、私達 以外に、ほとんど人はいない。動物のほうが数が多い。もしかした ら、動物達に観察されてるのは、私達のほうかもしれない。そんな 考えが過った。 家に着いて受験勉強をと思ったけれど、便箋に手紙を書く。 『青木君へ 今日、授業が早く終ったので動物園へ行きました。どんより曇っ た冬の空の下で、ペンギンはジェット機のように飛び回り、ペリカ ンは物思う詩人のように私を見つめていました。 誘ってくれたのは、松下君でした。あなたじゃない。 あなたも時間が足りないのだろうけれど…。私は逢いたいです。 勉強すすんでいますか? では』 封をし、明日、青木君に渡そうと鞄に入れる。 数学の参考書を開く。置換積分…、ペリカンの物思いにふけるよ うな姿を思い出す。私と同じかな。声に出して言ってみる。 「私はあなたに誘って欲しいの。 でも、誘ってくれるのは、あなたじゃない」
「皮肉なものだな」 私は現場の状況を見て一人呟いた。 都内高級マンションの一室。目を剥いて倒れている中年男性。 名前は田辺晴彦、36歳の小説家。代表作は『コタツ殺人事件』と いう、色々な意味で意外性に飛んだ推理小説で、50万部も売れた ベストセラーだ。それ以来、奇抜な内容の推理小説を量産している という話しだ。 その田辺氏の遺体の首にはゴボウが巻きついており、死因はその ゴボウによる絞殺。ゴボウで絞殺できるのかと思うが、実際にされ てしまったのだから仕方がない。 遺体のあった部屋は寝室で、第一発見者の編集者によると、発見時 には出入り口と窓には全て鍵が掛かっていたそうだ。ついでに言え ば、室内には争った跡も荒らされた跡も無い。 まるで、推理小説のような状況で推理作家が殺されたのだから、 皮肉以外の何物でもないだろう。 「皮肉ですか?」 呟きに答えたのは部下の小林だ。若いがそれなりに優秀な奴だ。 「ああ。推理小説家が、密室で殺されたんだからな」 私がそう答えると、明らかに呆れた表情を小林は浮かべた。 「警部、密室だったとは第一発見者の言葉だけですよ」 「しかし、管理人に合鍵を借りて、一緒に……」 「合鍵を持っている可能性もあれば、鍵の掛かった芝居していたの かもしれないじゃないですか」 「むむぅ」 小林に否定され、私は思わず唸った。 「それに他殺でもなさそうですよ」 「なに!?」 驚く私に小林は書きかけの原稿用紙を渡した。それには、『ゴボ ウ使いの罠』と書かれた田辺氏の新作が書かれていた。 「実際にゴボウで人が殺せるか、田辺氏も疑問に感じた。そして、 実際に自分で試してみて、誤って死んでしまった」 確かに、そこには『ゴボウで人が死ぬのか』と登場人物が話し会 っている。 「そうすれば、争いの跡や防御創がない事も理由がつきますし、凶 器がゴボウなのも説明がつきます」 断言する小林。 確かにその可能性は高い。それどころか真相その物の気がする。 だが、本当にそんなオチでいいのだろうか? 「うーむ」 原稿用紙を片手に、私はいつまでもこの密室の謎について考えて いた。
「いやぁおやっさん、これで五件目ですよ」 ガタイのいいその刑事は、親分の顔を覗き込んで言った。しかし、 当の親分は黙ったままであった。彼は目の前のビルの屋上を見上げ ていた。 「あんな高い所からよくもまぁ・・」 その建物は300階建てで、はっきり言って200階以上は雲に隠 れて見えない日の方が多い。ホトケはどうもそんな建物から飛び降 りた様であった。 「しかし、原形留めてないですね・・当たり前ですけど」 「俺も色々現場踏んでるけど、ここまで悲惨なのはなぁ」 彼はそう言って煙草に火を点した。気を落ち着かせる為にはこれが 手放せなかった。 「彼は落下するスピードとか、地面への衝撃度なんか、きちんと計 算した上で実行したのでしょうかね?」 「さあな・・」 親分は辺りに散らばった破片を見つめていた。想像するだけでぞっ としそうであった。 暫くして、先に到着していた同僚が難しい顔をしながら彼らに歩 み寄って来た。「身元が割れたんだがね・・」と手帳を見ながら喋 り始めた。 「真心愛太郎、21歳、学生。詩や小説といった物が趣味で、近所 の間では変わり者で有名だったらしい」 「おいおい、その・・シとかショーセツってのはこの間も・・」 「ああ、最近の若者の間での流行り物らしい。俺も少し読んでみた が、どうにもこうにも解せん」 その刑事は呆れた様に首を振りながら言った。 「大体真心愛太郎って名前は何だ?」 「それなんだが、どうも・・二十歳の時に自分で改名したらしい」 「いやはや」親分はそう言って頭を掻いた。 「ただ・・最近恋愛について悩んでいると親しい友人に洩らしてい たと言うんだ」 「何だぁ、その・・レン・・アイってのは?」 「さあ・・」 ここ四件の若者による連続飛び降り自殺は皆こんな感じであった。 (最近の、いや、最新の若い者はさっぱり分からん) 親分はもう一本煙草に火を点けた。そして、飛び散った破片の中に チタン製の小さな歯車を見つけて、最近調子の悪い親指の関節には まるかどうかそっちの方が気になっていた。
僕は椛。今までは楓の子だったけど、秋風さんの力を借りて、独 りで飛び立つ事が出来ました。これで僕も一人前です。僕は秋風さ んと結婚して空中に舞い上がり、母さんを見上げながら 「さようなら」 を告げました。 秋風さんとの生活はとても楽しく、色々なものを見ました。母さ んがいたのは大きな公園の中で、近くには大きな池があり、側には 仲間の楓が何十本もいました。あれなら母さんから子供たちが全員 飛び立っても寂しくはないでしょう。 公園から出ると今まで見たことが無い物が見えてきました。 「秋風さんあの四角くて固そうなものはなんですか?」 しかし秋風さんも知らないのか、「ヒューヒュー」言うばかりで教 えてくれませんでした。 「はっはっは。そんな事も知らないのかい?あれはね人間が住んで る家ってやつだよ」 上の方で声がしたので見てみると、そこには銀杏の子がいました。 「こんにちは銀杏さん。これからどこに行くんですか?」 「俺かい?俺にも分らないんだよ。行先は俺の秋風だけが知ってる よ」 「ではどこから来たんですか?」 「遠くだよ。遠くの河の土手からやってきた」 それだけ言うと銀杏さんは、急に方向を変えてどこかへ飛んで行っ てしまいました。 「僕は一体どこに行くんだろう?」 しばらくすると秋風さんの声が聞こえなくなり、僕の体は真っ逆 さまに回転しながら落ちてしまいました。 「ここはどこだろう?」 辺りを見渡すと一面に芝生が敷き詰められ、後ろには土手が、前に は大きな河が見えました。そして土手沿いの道と並行して銀杏の樹 が何本も立っていました。 「秋風さんお願いです。僕をあの銀杏の樹の側に連れて行ってもら えませんか?」 すると「ヒューヒュー」という声と共に、僕の体はコロコロと転が り、銀杏の樹の根本に運ばれました。 「こんにちは銀杏のお母さん」 「こんにちは椛さん。ここら辺では楓さんを見掛ないからずいぶん 遠くからやって来たんだろう?」 「どうだろう?僕には分らないよ。どこから来たかは秋風だけが知 ってるよ。」 「ふふふ。面白い子だねぇ。私の子供たちにそっくりだよ。どうだ い、遠くから来たのなら疲れただろう?しばらくここで休んでいき なさい」 「うん。なんか今日は疲れちゃったよ。しばらくお母さんの下で寝 てもいい?」 「いいよ。好きなだけ寝ていきなさい」 その日僕は夢を見ました。僕が銀杏のお母さんの下で土さんと結 婚して、土さんと一緒にお母さんの中に入っていく夢です。
セミが鳴いていても 誰も疑わない季節の話 とても正確で頑丈だと巷で評判の それは軽トラックじゃないと持ち帰るのが大変な とてもとおっても大きな天秤を買ってきて 僕は早速それを近所の河川敷にある野球グラウンドに置いてみた 僕にはいろんなものを測りたくて ウズウズしている気持ちがあったのだ いてもたってもいられなくて 足の下で「のほほん」としている砂利を片方の皿にのせてみた ガコォン 天秤が傾いたので 嬉しくてつい僕も体を傾けてしまった 無我夢中で ありとあらゆるモノを天秤にかけてみた 力士とコショウを天秤にかけてみたとき ガグォオゥン と、あまりにスゴイ勢いで力士が下がったので 天秤が壊れたんじゃないかと心配したけど 力士とコショウを払いのけたら 天秤は何事もなかったような顔をして ちゃんと水平に戻ってくれたので 僕は安心して続きをすることができた 日も暮れてきたので これを最後にしようと ウソと真実を天秤にかけてみた ウソは軽いけど沢山あるし 真実は少ないけど重いから これは面白そうな組み合わせだと ワクワクしながらのせてみた ウソはすっごい大きいから のせるのにはなかなかコツが必要だったのだけど ふぅふぅ言いながらも なんとか天秤にのせることができた ぶぅらん、ぶぅらん、ぶぅらん。 天秤は、何度かお互いの地面を目指して 押したり引いたりを繰り返したのだけど 結局は釣り合ったまま動くことをあきらめてしまった 僕は試しに、 「こんなのウソだ」って 口に出してみたのだけど 天秤はウンともスンとも言わなかった 日がすっかり沈んでしまったし お腹もずいぶん減ってきたので 僕は天秤を持って帰ろうと ウソと真実を皿からおろすことにした でも真実は重くなりすぎていて とても持てそうになくなっていた ウソはあまりにも膨らみすぎていたので どこから手を付けて良いやら分からなかった 少しかじってみたけど 甘すぎて空腹には合わなかった 月を眺めるのに丁度いい時間になったので 僕は正確で頑丈な天秤を河川敷の野球グラウンドに置いたまま 軽トラックに乗り込んだ
今日は雨。誰か来る。喪服を着た三十代くらいの男の人と女の人。 幼稚園にあがったかくらいの女の子。その子の横には白髪の女の人。 顔つきから見て、喪服の女の母親だろう。傘をさしてまで、ご苦労 なことだ。 そういえば昨日はあいつが来た。四十代半ばくらいのおっさんだ よ。あいつは車でこの墓地まで来る。この辺では見たことのないナ ンバー。ずいぶんと遠いところから来るようだけど、ひと月に一度 はやってくる。 昨日は赤い箱を持って来ていた。ランドセルってやつだ。ここの 境内に遊びに来るガキがよく背負っていたっけ。 赤いランドセルを抱えながら寺の住職と話すあいつはすごく笑顔 で、そのときだけは、年齢よりもずっと若く見えた。 注意深くあいつの持ち物を見てみる。あいつは俺に煮干だとか、 魚の缶詰を持ってくることがある。一度、カツオブシを持ってきて くれたことがあったが、俺は好きではない。少し舐めてやめた。今 日は何もないのか。まぁいいさ。俺は飼い猫ではないが、俺にえさ を与えてくれるやつは腐るほどいる。俺はたくさんの名前を持って いる。別にえさをくれるのはあいつだけではない。 あいつがお参りする墓は、墓地のちょうど中央にある。他の墓と 一緒に並んでいるごく普通の墓だ。でもその墓石は俺の特等席。こ こからなら墓地をぐるっと見渡すことができる。そしてなによりも、 そこに座ると、気持ちがいい。墓地を治めている主みたいだろ。 その日も墓石の上で寝ていたのだけれど、あいつはいつも何も言 わない。それよりも、歓迎しているみたいに笑顔でこっちを見てく る。 目を閉じている間、俺はあいつの顔をジット見つめた。白髪はあ るけどまだまだ豊かな髪。四角い輪郭に、少し薄い眉。鼻は通って いて、唇はかさかさしている。若いときはもてたんじゃないか。い やもてるわけないか。 帰り際、あいつは俺を見て「久美」って呼んだ。あいつは誤解し ているみたいだけど俺はオスだ。失礼なやつだから返事はしてやら ない。 車の音がどんどん遠ざかる。住職と話しているとき、当分来られ ないと言っていた。北海道に転勤だって。 今日は雨。雨の日は、軒下で眠る。濡れるのは嫌なんでね。
私は家の庭に仔猫を埋めた。 寒いと、寂しいと、何度も何度も泣いて、私を苛んだその仔猫を、 私は埋めた。 何を言っているのか聞き取れないほどの小さい声が、彼女の唇か ら漏れ、そして冷たい夜の空気へと消えて行く。 息が凍り付くほど白かったから、もしかしたら言葉は凍り付いて しまっていたのかも知れない。 「埋めたのか?」 後ろから、計ったように声がかかる。夜の明かりは冷たくて、月 も出ていない雪雲りの日はその人を只の影にしてしまう。 「……泣くなよ。ドアを開けなかったのはお前だろ?」 がりがりとドアを引っ掻く音が朝方まで聞こえていた。仔猫の爪 は幾本か折れ、血がにじみ出していたのを覚えている。 それでも分厚い扉が開くことはなかった。 「知ってるわ。それに、泣いてなんかない」 頬が冷たいのは冬風のせいで、手に落ちてくる生暖かい物は冬空 の雪だと、彼女はそう自分に言い聞かせた。 扉を開かなかったのは自分だから。 暖かい場所に招き入れなかったのは、自分自身だから。 「だってこれは、当然の」 「当然のことだから……か?」 言われて押し黙る。まさに自分がいわんとしていた言葉が、白い 息と共に吐き出されたからだ。 「私には資格がない、あの猫を救うだけの資格が……そう言いたい のか?いや、そう言わなければならない……か?」 畳みかけるような二つの問いかけに、少女は黙り込んだ。 雪が世界から音を奪い、二人から言葉を奪い、沈黙と共に降る。 「蜘蛛の糸も望まないんだな。お前は」 極悪人がある日助けた一匹の蜘蛛。釈迦はその日の善行を認め、 地獄に堕ちた男に一筋の糸を下ろす。 自分に下る罰を待つ彼女はしかし、蜘蛛である筈の猫を助けなか った。 「奪うことしか知らない…。救うなんて知らない…」 土を盛り上げただけの墓を見ながら、少女はそっと呟いた。 あのドアを開け、招き入れることも知らなかった。再び仔猫をド アの外に出さなければいけないことが、分かっていたからかもしれ ない。 そう、知っていたから、開けなかった。 後ろに佇むその人は、そっと溜息を吐いた。部屋から小高い電子 音が響いていた。 「行けよ、仕事だぜ」 少女は何も言わずに、歩き始めた。 あの猫は永遠なんか求めてなかったぜ。 ただ一日、生きるだけで良かったんだから……。
伝七爺さんは毎朝5時キッカリに起きる。ここ十数年来続けてき た、爺さんの自慢のひとつだ。毎朝のお茶も欠かさない。お茶の葉 は、京都から送らせている高級品だ。伝七爺さんの一番の贅沢とい えるかもしれない。 ところで今朝のことだ。目を覚ましてみると7時をまわっていた。 伝七爺さんは時計を見て首を傾げた。そんなはずはないのだが・・ ・・・。乳白色の朝の光が、障子を透かしてやわらかく部屋の中に 居ずまいを正している。不思議な感じがした。爺さんの内臓に、ぬ めっとした奇妙な感触ががとぐろを巻いて居座った。 障子を開け、廊下に出てすぐのガラス戸を大きく開けると、外の 冷気が足許をさーっと流れていった。 「うう、寒い」膝が凍り付いたようになって、危うく庭につんのめ りそうになった。身体をたて直し、遠くを見上げると、紅葉の終わ った山なみの頂のあたりがうっすらと白くなっている。 「そうか、もう冬がやってきたのか」 裏山の方から、一羽のカラスが舞い降りて庭の柿の木に止まった。 熟した柿の実をついばんでいる。 「冬になれば食べ物も少なくなるだろう。いっぱい食べて行きなさ い」伝七爺さんは鳥や動物が大好きなのだ。村では頑固者で皆から 疎ましく思われているけれど、本当は、伝七爺さんは心の優しい人 間だ。 「おじいさん、熱いお茶がはいりましたよ」奥から嫁の声がした。 伝七爺さんは居間に行き、座椅子に腰をおろして嫁の入れてくれた お茶を音を立ててすすった。爺さんにとって最も幸せなひとときだ。 ふと爺さんは、ウグイスのことが気になった。この春に婆さんが 死んで、寂しかろうと嫁が町で買ってきてくれた。廊下の突き当た りに掛けてある鳥かごのところへ行くと、ウグイスは寒そうに震え ていた。 「よしよし、今熱いものを飲ませてやるぞ」爺さんは飲みかけの熱 いお茶を鳥かごの中のうつわに注ぐと、ウグイスは勢いよく飲み始 めた。 「うまかろう、うまかろう、うまかろう」爺さんが三度唱えるうち にウグイスはばたりと倒れて動かなくなった。 「眠ったのかのう。じゃあ、わしももう一度寝るとするか」 伝七爺さんは大きなあくびを一つして、いそいそと寝床の方へ向 かって歩いていった。
貴様はアホや。そんな疲れたなら、死ねば良い。俺は奴がそう言 うと同時に、奴を射殺した。血みどろの床に千円札一枚投げて帰っ た。これがお前の命の値段。 俺は十七の女を抱き、ホテルで眠った。女は俺の財布を盗んで消 えた。アホな女だ。金なんて、俺はいらない。俺は、お前が好きだ ったのだ。本気で。 いつしか若い頃会ったことのある女と、会ったら、あまりの綺麗 さに、脚がふるえた。俺は、一体何故、こんな美人と会ってしまっ たのだろう。俺は美人が好きだ。俺は、美しさにこだわる。美人で なければ、女じゃないし、だから抱きもしない。 酒呑んで、車乗って、降りてすぐ吐いて、その後公園で一夜を明 かし、朝の電車で帰ったら、また酒が欲しくなった。ポン酒じゃな けりゃ、駄目なんだ。生きてる意味が、欲しいんだ。 俺にとって、その十七の女は特別でもなんでもなかったのだが、 妙に気になって仕方がない。俺はその女の携帯にかけると、女が出 た。会おうよ。いいわよ。俺が気になって仕方がないその女は、細 身で色白の、完璧な美少女だった。その女のため、俺はどれほど俺 の金と、俺の人生を、使い込んだのか。俺と女は、ホテルで抱き合 い、その時、その女に、初めてだと言われた時は、俺はまさかここ まで引きづるとは思いもしなかった。逆転された。俺は女を、欲し くなった。女は俺を利用した。俺はしかし、女が自分以外の男がい ることを知っていた。まあいい。俺はこいつを、女にした男だから。 突然だった。闘争中の相手三人が、ホテルの部屋にあがり込み、 俺と女をめった撃ちにしやがった。俺はガラス窓に体当たりして外 へ飛び出し、右肩を射ち抜かれただけで逃げ延びた。女は、全身撃 たれ、死んだ。 俺はいつしか、海に出るようになった。船に乗り、太陽と海を交互 に見て、日焼けした肉体、サングラス。俺は海が好きだ。孤独を消 してくれ。すべてを消してくれ。 俺はまた、熱した肉体を冷やすため、大声あげて、海に飛び込ん だ。
五月に入ったあたりから、伸二の家に度々悪戯電話がかかってく るようになった。無言のまま切れてしまう事がほとんどなので男女 の判断すら難しかったが、恐らくは誰か一人の人間の仕業だろうと 伸二は推測した。 「そのうち飽きて止めるだろう。放っておけばいいさ」 伸二は妻の薫にそう言った。 「気味が悪いわ。こう何度もかかってこられると」 薫は伸二の言葉にいい加減さを感じたのか、そこから強く伸二に 電話番号を替える事を訴えた。伸二は仕事で使っている番号をいち いち替えるわけにはいかない、と尤もらしい事を言って逃げようと したが、結局は薫に押されるようにその要求をのむ事になった。 手続きは全て薫が行なった。伸二は身内や仕事関係の人々に新し い番号の事を伝え、これで電話の事はひととおり落ち着いたと安堵 感を浮かべていた。 しかし番号を替えてから無言電話は無くなったものの、今度はこ ちらが受話器を取ったとたんにいきなり怒鳴り散らして切るという、 「有言電話」が頻繁にかかってくるようになった。 その声の主はまちまちであったが、しかし皆一様にこちらを罵倒 するような言葉を浴びせて切る所は同じであった。はじめは伸二も 薫も何がなんだか分からなかったが、電話の内容を少しずつ拾って いくうちに彼らが相場か何かで詐欺に遭い、かなりの金額を騙し取 られた事を理解した。 電話は昼夜を問わなかった。回線を外そうにも旧式のそれは道具 なしでは外れなかった。夜中にベルの鳴り続ける電話を前に、二人 は無言電話を懐かしく思った。
引っ越しの荷物が満載されたトラックに友人を待たせて、僕は最 後の確認をするため部屋に戻った。築何十年か判らない古ぼけた木 造アパートの一室、一階の突き当たりの六畳間。そこはつい昨日ま で、僕のささやかな城だった場所。 家具が全部取り除けられて空っぽになった部屋。その真ん中に立 って腕組みをする。視線を四方に彷徨わせる。ここで過ごした二年 と少しの日々を思い返す。 就職をきっかけに親元を離れて、初めての一人暮らしだった。家 賃の安さが気に入って即決した。初めての家事。洗濯、掃除、炊事。 慣れないことは長続きせず、食事は次第に外で買うようになった。 彼女も出来た。色白の、笑顔が素敵な子だった。この部屋で何度 か夜を共にした。初めてキスを交わしたのも、そう、別れを告げら れたのもこの部屋での出来事だった。 色々な思い出がここにはある。いいものも悪いものも、愛しいも のも憎らしいものも一緒くたになって。すっかり擦り切れた畳表に も、くすんだ色合いの押入の襖にも、染みついて取れない部屋自身 の記憶がある。壁にも、柱にも。流し台にも、窓にも。その中で、 覚えておきたいことは覚えよう。忘れたいことは忘れよう。持って いけるものは持っていこう。置いていけるものは置いていこう。 そして、新しい街で新しい生活を始めるのだ。 僕はもう一度部屋の中を見回した。これで最後、これでお別れだ。 僕は呟く。 さようなら、親愛なる六畳間。 僕は呟く。 さようなら、ここで過ごした二年と少しの日々。 僕は呟く。 さようなら、たくさんの思い出たち。 僕は声に出さずに呟く。 さようなら、床下で眠る僕の恋人。 声に出さずに、もう一度。 さようなら。 そして僕は部屋を出た。
犯人は誰か、と言われれば確実な事は言えない。顔も見てないの だし、声を聞いたわけでもないのだ。 だが、俺にはわかっている。 犯人は俺の背中を刺した後、部屋の中を荒すこともなく逃げ去っ た。床に倒れながら、かすむ目で追った犯人の後ろ姿。その女の後 ろ姿を見て俺は、犯人を確信するに至ったのだ。 岡島恵子。 しかいない。この俺を殺す程憎んでいた女と言えば。 恵子と知り合ったのは15年前だ。 作家志望だが一向に芽の出ぬ俺に、よく尽くしてくれた。何の働 く術も持たぬ俺に「あなたはあなたのお仕事を」と言って、生活の 全てを面倒見てくれた。そんな恵子に俺は随分酷い事をしてきたも のだ。 己の不遇を嘆き、手を上げた。 子供を二度も、堕ろさせた。 書いても書いてもらちの開かぬ俺は、だんだん荒れていった。酒、 博打。そしてサラ金。莫大な借金の返済の手段として、俺は恵子の 身体を、売った。 借金を返し終えた恵子が再び俺の前に姿を現わした時、ああ、自 分でも恐ろしくなる、よくもそんな残酷な仕打ちができたものだと。 その時俺は既に違う女、恵子より十も若い、裕福な家の娘と所帯を 持っていたのだ。 俺は恵子を追い払った。歳をとり醜くなった恵子を。他でもない 俺の為に苦労し、やつれ果てた恵子を。俺は、捨てた、のだ。 糟糠の妻。それだけを夢に見、唯一の心の拠り所とし、ひたすら 俺を信じてきた女を、俺は裏切った。 あの時の恵子の目を思い出す限り、俺はやはり断言できる。たっ た今俺の背中に刃物を突き立てたのは彼女であると。 しかし、誤解しないでほしい。俺は彼女を恨んでいるのでは決し てない。悪いのはこの俺なのだ。 ああ、死にたくない。 万死に値するのは承知している。ただ、この虫けらの如き男を手 にかける事によって、恵子が「人殺し」の烙印を押されてしまう事。 それが無念でならぬ。 床一面にびっしりと刻まれた血の文字は、そこで終わっていた。 被害者が死の間際、執念で書き残したダイイングメッセージ。随 所に書き直しの跡が見てとれる。 「これは...すごいですね」 遺体の脇に立った若い刑事は、息を飲んだ。 「作家志望らしいからな。いいものを残したかったのだろう。それ にしても...」 先輩刑事は傍らにある電話機にちらと目をやり、そして大きな嘆 息を一つついて言った。 「こんなモン書く暇があったら、救急車を呼んでいれば、助かった かもしれないものを」
7時35分、バス停に並ぶ人の列の中に、今日も彼女はいた。今 日、僕は両親や親戚から言われて入会した、体裁のいいお見合いパ ーティーに参加する。28歳という年齢が回りを色めき立たせるよ うだ。女性に興味がないわけじゃない。むしろ好きだ。でも何故か 付き合っても、結婚のふた文字を意識することができなかった。 何故か? 僕は悩みながら、その答えを探し回った。そしてひとりの女性に たどりついたのだ。高校生の時から朝7時35分のバスに乗って駅 まで行っていた。そのときから同じ列に並んでいた同じ年くらいの 女性がいた。10年前から毎日姿を見ていたことになる。もちろん 、話をしたこともない。なのに、いつのまにか意識していたのだ。 他の女性と自然に接するようになるには、彼女と別れなくては…話 をしたこともない彼女と… でも、どうやって? その日の朝、僕は彼女の後ろ姿を見つめていた。彼女は振り向く と、列から離れて僕の前にやってきた。 なぜ? 僕は焦りながらも先に声を振り絞った。 「おはよう」 「おはようございます」 「なにか?」 「ごめんなさい。一方的に言わせてください。毎朝お会いしていま したよね? いつのまにか意識してしまっていたの。何も知らない あなたを、自分のイメージで作り上げていたのよ。ごめんなさい。 いつか声をかけてみようと思っていたのだけれど、イメージを壊す のが恐くって…」 なんと彼女も僕と同じ気持ちだったのだ。僕は同調していいもの か考えていたら、バスが来てしまった。彼女はお辞儀をすると、バ スに乗り込んでいった。僕も続いたが話すきっかけは、それっきり なくなってしまっていた。でもこれで、彼女とは切れた。いや、彼 女が切ってくれたのだ。 切なさを残しながら、見合い会場に行き名札を胸につけた。ビー ルを手にとり女性を見回した。その中に、僕を見ている女性がいた。 バス停の彼女だった。 「こんばんわ。お話いいですか?」 「ええ、もちろん。わたしこういうパーティー初めてなんです。あ の、ごめんなさい。朝、一方的に失礼なことを言ってしまって…」 僕は唇に人差し指をあてた。 「僕もあなたと同じなんですよ」 「え!」 「明日も7時35分のバスに乗ってくれますか?」 「もちろんです」 彼女は笑みを浮かべた。
「博士、助手が僕一人ではやはり人手が足りません、アルバイトを 雇いましょう」 「何を言っているんだね、そんな金はない」 「そんな、僕は一人では測定できませんよ」 「大丈夫じゃ、わしは大発明家じゃぞ。今、アンドロイドを作って やる」 「さすが博士、あの…女性のアンドロイドを作ってくださいね」 「もちろんだとも、やる気の出るような女性を作ってやるとも」 「よし、完成だ。助手よどうだ」 「すごいです、博士をはじめて尊敬しました」 助手は動き出したアンドロイドを眺めている。 「それにしても博士がアンドロイドを作れるなんて知りませんでし たよ。なんでこれを商品化して売り出さないんですか?」 博士は助手を一瞥すると、悲しそうな瞳を助手に見せないように 背を向けた。 この世界の住人はすべて博士が作ったアンドロイドなのだとは言 えなかった。 ましてや、目の前にいる助手が第一作目などということは…。
「オニイサン!買っていって!可愛い女の子、入荷シテル!若い子 沢山イルヨ。ガイジンもイルヨ!」 家族を失った。炎に包まれた我が家が、崩れ落ちる。俺はバイトの 帰りに貧しい友達といつものように飲み歩き、帰って来ようとした その時だった。 幸い、うちの近くの消防署はまだ機能していて、出動がかかり、汗 臭い消防士達が俺の家を消火していたが、みるみるうちに俺の家は 崩れ落ち、それから家族は全員黒くなって発見された。 原因はタバコの不始末。……タバコか。 ……親父はタバコ吸わないのに。 バイトの休みの日に、俺は東凶に行った。まだ、この国の首都が大 阪じゃなかった頃、東凶が首都だった。でも、どこかの国がミサイ ルを打ちこんで、ボロボロになったんだとか。俺が生まれる前の話 ね。こっちの静岡の方まで中学抗争のしわ寄せが来ちゃって入学し たてなのに中退しちゃって、バイトをはじめたから頭があんまり良 くないし、歴史も知らん。だから最近は新聞を頻繁に読んで勉強し てる。本屋もあるけど、本はあまり信用できないってバイトの人が 言ってた。なにしろ、東凶が首都だった時に書かれた本ばかりだか ららしい。なるほど。 駅には「東京」って書いてあった。本当はこう書くのか。こっちの 方が格好がいい。有名なトントン電車に乗って売人街に行った。ト ントン電車は気持ちが良い。神田を過ぎてすぐが売人街の駅 元々ここの売人街は秋なんとかいう地名があって、人じゃなくてパ ソコンとか電気製品をよく売ってた街だったらしい。俺は結構東京 には詳しいんだ。いつも保育所のガキどもに東京の話をしてやる。 ……そうだ。東凶は東京って書く事をしっかりあいつらにも教えて あげないと。……教育はリアルタイムだ。 何で俺が売人街に来たか、それは言わなくてもわかってるでしょ。 寂しいじゃん。お金ガッポリあっても一人ぼっちじゃ寂しいじゃん。 新しい家族を買うんだよ。いい家族を構成しよう。まずは知的な父 親と優しい母親。あと妹と弟だ。 新生・神崎家のでーた。 神崎俊輔 20歳 オレ。 神崎陽一 41歳 長野出身。未婚。リストラの果てに競売。「タ ランチュラ」中年男性売り場出身。 神崎香奈 40歳 千葉出身。離婚1回。殺人者の元妻。賠償金支 払えず競売。「サンコー」婦人売り場出身。 神崎彩乃 7歳 神奈川出身。ミサイル事件の孤児。親戚の手に よって競売。「サンコー」子供売り場出身。 神崎慶太 5歳 静岡出身。家庭側が育児放棄。競売。「サンコ ー」子供売り場出身。 よし。とりあえずこの5人で暮らそう。 彩乃と慶太が煙たがるし、前の家族みたいにオヤジもタバコ吸わな いから…… 俺もそろそろ……タバコやめようかな……。 でも、またこの家族が嫌になったら、タバコ吸いはじめればいいわ けだし。でも、逆に俺がやったみたいに、商品人間にタバコの不始 末で焼かれちゃったりしてね! それは勘弁勘弁……。
彼女に誕生日プレゼント、驚かせたいんだけど何が良いと思う? 「贈り物と言ったって動産の移動という点では結果的に送り主の所 有物を奪っている事と変わらないだろ。昔から『俺のものは俺のも の、お前の物は俺のもの』って言葉もある。英訳してみると『Mi ne is mine,yours is mine』つまり彼が 指しているものは『お前のもの』でありながらも、その上位の所有 者として『俺』がいる事だ。だから『It is my your s』になる」 へ。それで? 「で、だ。彼女にあげるんだったら『Mine is hers』 だから『It is her mine』になる訳だ。herとm ineを繋げてみろよ。フランス語だなんて洒落てるだろ。一緒に 住んでるんだからOKじゃないの、世話とかも」 でもなあ。天然記念物じゃないのか、あれ。 「判んないけど、それがどうしたってんだよ」身振り。 「彼女喜ばせたくないのか」 その日の夜中、俺達は取り合えず長野に向かった。
駅前での待ち合わせの時刻はとっくに過ぎているのに、友人が現 れる気配はない。今までこんなことは一度もなかった。むしろ私が 彼を待たせる方が多かったようにも思う。仕方なく暇な私は目の前 の光景をぼんやりと眺めていた。 九月も半ばを過ぎたというのに、頭上から降り注いでいる太陽の 光は一向にその強さが衰えようとする兆しを見せずに、容赦なくア スファルトに照りつけている。その上昨日降っていた雨が足下やそ こかしこに水溜りを作っていて、その蒸発する熱気がそよとも吹か ない風のためにあちらこちらで留まっていて、道を歩く人の胸の中 にむっと入り込んでくる。湿度だけはやたらと高く、夏の盛りより もむしろ不快なぐらいだった。天気予報では今日も雨が降り続くと 言っていたが、空には昨日までの黒雲とはうってかわって強い光を 放っている太陽と、その周りに申し訳程度にぽっかりと浮いている 小さな白い積雲、そして見るものを圧倒させるほどに抜けるような 青。それだけしかなかった。 目の前の信号が点滅を始めた。皆一様に早足になり、ゼブラゾー ンを踏みつけて行く。やがて信号が赤に変わる。人が渡り終わるの を待っていた軽自動車の群れが、やはりゼブラゾーンを踏みつける。 その真ん中に一人老婆が取り残されていた。もう渡るのを諦めたの か、車の来ない位置で腰を下ろそうとする。一台の車がクラクショ ンを鳴らす。老婆は慣れているのか気にする様子もなく、懐からハ ンカチを取り出して額の汗をぬぐった。 今度は直角方向の信号が青に変わった。またゼブラゾーンを人は 過ぎて行く。先程の老婆はただ待っている。その横をバイクやトラ ックが通り過ぎて行く。青から黄、そして赤。目の前の信号が青に なり、老婆は立ち上がって、ゆっくりとした歩調でゼブラゾーンを 渡り終えた。また点滅、赤、青、赤。繰り返される時間の流れの中 で、この老婆はいったいどれほどの意味があったのだろう。 足下にあった水溜りは強い陽射しのせいでいつの間にか涸れてし まっていた。また老婆が額の汗をぬぐう。その一滴がアスファルト に落ちて、黒い染みを作り出したがすぐに乾いてしまった。 彼はまだ来ない。いつまで私を待たせる気だろう。私が老婆にな るまでだろうか。そしてあのゼブラゾーンを渡り終えるまでだろう か。 額にじっとりと汗が滲み出してくる。ハンカチで額をぬぐった時 …… 「待たせたね」 それでもまだ、空は青いままだった。
ぼくがその泉のことを知ったのは、いつだったろう。 十七歳になっていた。恵まれた環境。優しい両親、信頼のおける 友人、美しい恋人。 それでも。 ふと考える。狂気とは何なのか、と、正気とは。 ぼくが、例えばぼくが、十人中九人の者に狂人とみなされたのな ら、ぼくはぼく自身がいくら言い張ったとしても狂人に他ならない。 現在のこの幸せも、十人中九人の者が認めるからであり、彼らがす べて消えさったとき、ぼくは果たしてどうなってしまうのだろう? ぼくがぼく自身であり、他の誰でもないということを、彼らがい ないところでぼくは証明できるだろうか……? ぼくはぼくという 「個」の真実を知りたい。人々に認識されなくなったときのぼく。 そのとき残ったものはいったい何なのだろうか、と。 けれどそれを知るためには、ぼくという人間の他、誰もいないと ころ……世界の果て、海の只中の小島にでもいくしかない。両親、 友人、恋人を捨てて。 ――――狂泉。昔、中国にあったという泉。その水を飲んだ国の 民はみな発狂したという。ただ一人、王のみが井戸水をのみ正気を 保った。しかし、狂った心に正しい心は歪んで見え、人々は口々に 叫んだのだ。「――――王が発狂した……!」と。 誰に否定できたろう? 王自身に、それが成し得たとでも? 十人中九人どころではない。 自分以外のすべての者が、おまえは狂人だと指差すのだ。彼らが狂 人なのか? 己が狂人なのか? 誰に責められよう……? 狂泉に 走った王を。王は泉に走りより、ひとすくいの水を飲んだ。それを 発狂したと形容するのは、ぼくら後世の人間だ。民は、王が正気に もどったと喝采したに違いない。 誰に言うことができるだろう? 彼らが狂っていた、と。本当に 王が狂っていたのかもしれない。民は正気だったのかも知れない。 ぼくらの、現在の世界は狂っているのかもしれない。ただ……ぼく らがこれを正しいと思い込んでいるだけで。 それを確かめる術は? ああ、そんなものは、どこにもないのだ。ぼくが本当の自分自身 を知るために、この恵まれた環境を捨てることができないように。 「もし」本当に、自分が消えてしまったら、「もし」本当にこの 世界が狂気だったら。 そのことを知る勇気がないぼくには、狂泉に口をつけることなど 出来やしない。 ぼくの庭には永遠に口をつけることのない泉がある。
涙が止まらず、夜中に目が覚めた。 女に振られたわけでもないし、就寝前にホロリと泣かせる本やテ レビの類を見た覚えもない。悲しい夢を見たわけでもない。それに もう、女やテレビや夢物語に涙を流す歳でもない。しかし、涙はポ ロポロと止め度なく溢れ続けた。 そうこうしているうちに、タラタラ鼻水が出た。ティッシュをと ろうと横を向くと、口の端から大量の唾液がドロドロ流れ出してき た。何が何だか解らないまま、スタンドの電気を付けてみると、爪 の間から血がジンジンと滲んでた。痛みも伴わず滲み出す血はたい そう奇妙なものだった。 ポロポロ、タラタラ、ドロドロ、ジンジンと流れ出す涙、鼻水、 唾液、血液の異様なぬくもりに包まれて、ずいぶんと汗もかいてい た。「このまま行くと、鼻血の方も漫画みたいにブーと噴き出すん じゃないかなあ」と、この状況に似合わない楽観的な想いが浮かぶ やいなや、鼻血がブーと噴き出した。押さえることも何かを詰める ことも拭うことすら出来ないまま、やっと上半身を起こしてみると カーテンと壁に鮮血の染みがついていた。声を出そうと思ったが、 唾液の止まらぬ口からはゴボゴボと泡が出るだけで、少し力むと今 度はウェーとゲロ吐いた。 悪い予感がまた走り、血だらけの手を胸にあて、パジャマのボタ ンを外してみると、胸部は心なしか膨らんでおり、乳首から母乳が タラリタラリと白い筋を作り、たれているのが涙越しに見てとれた。 「俺は男だぜ」と思うやいなや、爪の出血が勢いを増し、ピューッ と見事な放物線を描いて飛んだ。「人体の何割が液体で出来ている のか知らないが、こんな調子で吹き出しつづけたらそのうち死んで しまうんじゃあないか」と漸くこの状況にふさわしい考察が浮かび 始めたというのに、うまく論理が展開出来ないのは、そろそろ耳の あたりから脳味噌がダラダラこぼれ始めているからかもしれない。 どのくらい時間がたっただろう。全身から噴出する液体の数々に 精気を奪われ、朦朧とした意識のもと、残り少ない思考力でやっと 展開した推理の結果を見届けようとパジャマのズボンをずらしてみ ると、ピュッ、ピュッ、ピュッと、こちらの液体も勢いよく吹き上 り、男子の本懐ここに有りと、遠ざかっていく意識はもう、気持ち が良いのか悪いのか、とりあえず、ゲロと唾液の口許を少しだけホ コロバシ、涙の溜った目全体を出来うる限り細めてみた。 だっから夢精じゃ嫌だって。
私はタクシードライバー。 おや、あそこに手を上げているお客さんが。 「横浜駅まで、それと私は日夜横浜のタクシーに乗り、運転手さ んからその職業に纏わるおもしろい話を聞き自分でランキングを付 けているのですが、どうです、あなたもこのランキングに載りたい と思いませんか?」 載りたい! 私は即座にそう思い、冷静に5年前に体験した話をしました。 「分かりました。そう、あれは5年前のことです。ちょうどお客さ んみたいに手を上げている女性を横浜の甚大病院の前、歩道橋がそ こにはあるのですがそこで見かけました。 『埼玉の飯能までお願いします』 とおっしゃいましたので、私は早速地図を調べて飯能までの最短ル ートを捜しました。バックミラーに映るその女性は真っ白の洋服、 絹のように細く長い黒い髪、透き通るような白い肌、うつむいてい ましたが明らかに美人と称される姿をしていました。横浜から東京 に向かい東京を抜けて埼玉に入りました、そこは山道だったのです が、木々が夜の風にさらされて不気味にうなっていました。真っ暗 で照明という照明は車のライトしかなく、不安ながらも車を走らせ ていました。しばらくして、ふと、後ろのお客さんの気配を感じな くなったのです。そこで、バックミラーを覗くと女性が見えないの です。私は更に不安になり車を止めてゆっくりと後ろを振り返りま した。誰もいないのです。私は恐怖を感じながらも車を降りて辺り を見渡しました。見えるのは木だけです。するとその木と木の間か らかすかに灯りが見えました。こんな森に人家があるのだろうかと 思いながらも車で灯りが見える方向に向かうとそこで森が無くなり 人家が見えるではありませんか。私は月を目指す蛾の様にふらふら 車で向かい家の前で車を留めてそこの景色に驚ガクしました。その 家ではお葬式をやっていたのですが、誰のお葬式か写真を見てみる と、さっきまで私が乗せていた女性だったのです。写真では笑顔で したが、明らかに同じ人物であるということは容易に分かりました。 私が呆然と立ちつくしていると50代くらいの女の人が私に気付き 声を掛けてきました。 『なにか御用ですか?』 私は今起きたことを慌てて話しました。するとその女の人は大変驚 き 『もしかして、横浜から来たのではないですか!』 とおっしゃいますので私も驚き 『なぜわかったのですか?』 と興奮して答えるとその人は一言 『だって横浜ナンバーですもん!』」
入道雲が応援してくれました。太陽がバンザイしてくれました。 セミが喜んでくれました。がんばった夏休みです。 夏休みは学校のプールを自由に使うことができました。ある日の ことです。いつも水泳を教えてくれる山中先生が言いました。 「もしこの夏休みで二十五メートル泳ぐことができたらアイスクリ ームをごちそうしてあげるよ」 ボクは水泳がきらいでした。 プールは好きだよ、浮き輪とかボートに乗ったりプールサイドか ら飛び込むのは好きなんだよ。 山中先生のアイスクリームの話で、友だちのヒロ君とシゲちゃん はやる気まんまんでした。 「先生、ホントウ!」 「ゼッタイだよ!」 でもボクは言いました。 「できるかなあ」 それを聞いた山中先生はボクに質問しました。 「アイス食べたくなあい?」 「そりゃあ食べたいよ」 その日は朝からとても暑い一日でした。入道雲が不安そうにボク を見守っています。3コースにヒロ君、4コースにシゲちゃん、5 コースにボクが入りました。山中先生はニコニコ笑っています。 「大丈夫。あれだけ練習したんだ。できるよ」 太陽もうなずいています。といってもやはり心配なのか見ていら れない様子です。太陽は雲で顔をかくしてしまいました。プール全 体が雲の影に入り少し暗くなるとしーんと静まり返りました。 『ピーッ!』 山中先生が笛を吹くとボクは二十五メートル先のアイスクリーム を目指してクロールで泳ぎはじめました。もちろんヒロ君もシゲち ゃんも泳ぎはじめました。 「がんばれっ、がんばれっ、がんばれ」 プールの横に植えられている楠の木でセミも大きな声で叫んでいま した。 がんばった夏休みです。 たった3週間前は息つぎができませんでした。でも今はできるよ うになっています。山中先生はずっとニコニコ笑っていました。 ボクは気が付いていませんでした。太陽が顔を出して応援してい てくれたことを。明るく照らされたプールの横では何ごとかと思っ たヒマワリまでも首をのばしてプールをのぞき込んでいます。もち ろんボクはヒマワリが見ていてくれたことも知りませんでした。 ボクが気が付いたのは山中先生が両手を上に伸ばして喜んでくれ ている姿でした。 入道雲が応援してくれました。太陽がバンザイしてくれました。 セミが喜んでくれました。がんばった夏休みです。 三人で食べたそれはとても冷たくてとても甘く、暑かったその日 には最高のおやつとなりました。
関東第7地区の販売キャンペーンで、またもや隣りの支社に敗れ た夜、満員電車に揺られながら、私は混沌とした敗北感に苛まれて いた。千住大橋の鉄橋には明らかに負けていたし、『ワキガが治っ た!』という本の広告にも負けたような気がした。 ぐずぐず考えているうちに、私の降りる駅が近づいて来た。目の 前に座る若い女がしきりに携帯電話をいじっている。まあいいか、 とも思う。もしかしたら駅前の東武ストアにも負けたと思うかもし れないが、とにかく家に帰って寝ちまうことだ。電車は竹の塚駅に 到着した。 その時である。どこかから熱いリズムが聞こえてきた。このまま でいいのか。そう思った瞬間、もうドアは閉まっていた。 ふつふつと闘魂が燃え上がってくる。竹の塚のホームがはるか遠 ざかっても、熱いリズムは私の体を流れ続けた。確かに浅草のサン バは終わっていたが、そんな事はどうだっていい。私は負け癖と闘 う。負け癖の腕を鉄柱に叩き付けてへし折ってやるのだ。 谷塚、草加、松原団地……女は腰を浮かす素振りを見せなかった。 北越谷、大袋、せんげん台……空席が目立ち、立っているのはやや 不自然な感じもしたが、女は泰然と雑誌を広げている。相手にとっ て不足なしだ。 春日部を過ぎると、車両には私とその女しか残っていなかった。 一対のつがいのように私たちは対峙している。固く握り締めた吊革 から汗が滲んでくる。心の中の蔵前国技館が私の一挙手一投足に息 を呑んでいる。 北春日部の駅に入る時だった。電車が大きく揺れて私の膝が微か に女の膝に触れた。女が顔を上げると熱いリズムがぴたりと止まる。 あれ、蔵前国技館はここだったっけ、という顔をしてホームを見る。 女の視線を後頭部に感じる。逃げよう、と思った瞬間、女が立ち上 がった。 遠ざかるヒールの音と入れ違いに、再び熱いリズムが流れ始めた。 もしかして、勝ったのだろうか。振り返ると、もう女の姿は見えな い。ただ、蔵前国技館の観客が私を見詰めている。そうだ、勝った んだ。私は思わず拳を突き上げ、雄叫びを上げた。凄まじい歓声が 鳴り響く中、私はゆっくりと腰を下ろした。 やがて、苛立たしげな足音が近づいてくる。 「車庫に入ります」と駅員は言った。 「ここは、蔵前ですか?」 「違います」 「明朝は、8時から反省会です。そこで私は根性なしと給料泥棒に ついての講義を受けるのです」 「ご苦労様です」と言って、駅員は乱暴に私の腕をつかんだ。
風速50mはくだらない街が、地球の果てにある。ここの住人もや ってくる人も人生という荒波にロングボードで乗り損ねた人達が集 まる。その街の南東に位置するところに携帯電話屋がある。こんな 街でも携帯か使えるかどうかは分からないがその店は満員御礼の垂 れ幕をおろしまくりだ。入り口には「開店休業中」の札がかけられ ている。とてもノスタルジックな店に旅人らしき人物が入ってきた。 「わっしょい」店の奥からギンギラな声。店のオーナーだ。彼の声 はあまりに美しくハイポジよりはメタルな感じで、エフェクターは 使ってない。オーナーは客の姿を見るなり、悟った。「オッケー。 そこのトラベラー。おめえの熱い、周富徳ばりのカメラ目線じゃ、 いじってくださいとばりに戯ける出川のように気持ちがわかるよ。 藤原紀香って必死だろ?」オーナーのストロベリー講釈に旅人は参 ったと言わんばかりに内股全開になった。そして、背広の内ポヶか ら携帯電話をオーナーに手渡した。「お願いします」蚊の泣くよう な声で旅人は言った。オーナーは黙って携帯を受け取ると通話ボタ ンを押した。「リッキー・マーチン」携帯おまじないでは通話ボタ ンを押して名前を言って切ると言った人物から電話がかかってくる のだ。 旅人は嬉しそうに携帯を抱え何度も何度もおじぎをして店を出て いった。オーナーは旅人の背中を見つめそっと呟いた「あわてるな よ。お嫁サンバ」オーナーはその晩踊りまくった。
博士は悩んでいた。 博士は何をやったら良いのかを悩んでいた。 博士なのに考えることがなかった。朝起きて歯を磨いて薄汚れた白 衣を着て毎日時間通りに研究室へ向かう。ねずみに注射したり、ね ずみがうろうろするのを一日中眺めて過す。暖かい日差しが心地よ い秋も近づいたある日、ねずみが博士に向かって言った。 「あんたいつも博士らしくないってラボで噂されてるぜ、ぼーっと してて役にたたないってさ」ねずみは純白の毛に覆われた小さな後 ろ足で立ち上り、くるくるとした赤い目で博士を見つめた。 「噂なんてどうだっていいさ。私は考えることが苦手なんだ。ねず みの君に頭を使って欲しいくらいさ。」 「ものぐさで、身体を使うのを嫌う者がいるが、私の場合頭を使い たくないのさ。どうして博士になったかって? 小さいときは考え ることが大好きだったんだ。小さいときにジャングルジムが好きだ とか砂いじりが好きだとかというのと同じさ。子供の頃に頭を使い すぎたから、燃え尽きてしまったってやつかなー」 「ところで君はどうして人間の言葉がわかるんだい?」 「ふん、頭を使ってるからさー」 ねずみは誇らしげに鼻を鳴らした。ひげの先が風圧でかすかに揺 れた。 「そうか、君に頭を使ってもらえば私の頭は使わなくてよい。」 博士はねずみの頭脳を使う薬とチップを作り出した。さっそく使 ってみたら、ねずみは人間の生命を脅かすウィルスを撃退する抗体 を数々発見した。それからしばらくの間、博士はその研究に関して の講演会で大忙しだった。 「私は講演会に行くのも大嫌いだ」 研究室の革張りの椅子にふんぞり返ると大きなあくびをしながら、 ちらりとねずみを見た。 「君が代わりに行ってくれないか?」 「俺も外の世界へ出てみるのにいい機会だし」 ねずみはぶっきらぼうに答えた。博士はまさに人間の皮膚や骨格 を再生させたロボットを完成させた。ねずみにロボットを操縦させ る。博士の助手ということでねずみの操作するロボットは数々の講 演をこなした。 「博士ーそろそろ講演会も飽きてきたぜ」 ねずみは痩せこけた頬を鏡に写して言った。 「しょうがないなーそろそろ君に代わるねずみのロボットを作んな きゃー」
何してたの? で始まるあの人の電話も、無機的なブザー音のわ ずか後で切れる。その一瞬に、ああできればこの機械の向こう側、 その姿のすぐ近くに、気の遠くなるほど込合った線をひゅっと辿っ てあちら側に行けたらと、それは何度も思うことだけど、今日は何 かその思いが強かったのか、はっと気づいたときには、いつも名前 だけは聞いていた、小さな私鉄の駅にいた。 この前の逢瀬のときと同じスーツの後ろ姿を、息を呑んでしばら く眺め、しかしその背中がどんどん小さくなってゆくのに、こんな 突っ立っている場合じゃないと、とにかく追うことだと、後をつけ る。店じまいを始めた商店街の中をゆく。スポーツ新聞を持つ右手 を少し大袈裟に振り回して歩くあの人の左右に傾げる肩に、ただ息 をつめて視線を合わせ、いつの間にか履いていたヨットブルーのサ ンダルのコルク製の分厚い底が、アスファルトにぶつかる音を聞き 取られないようにと、そっと歩く。シャッターが閉まりかけたスー パーに入る。スーパーに入る。プラスチック製の籠を掴む無造作で 滑らかな手の動きに、胸を突かれる。中まで追う意気地はない。何 を言いつけられたのか、なめこなのか、脱脂綿なのか、ゴミ袋なの か、そんなことは知りたくない。 店を出て迷いもせずに歩いてゆく。ふと追うことに疑問を感じて 立ち止まる。それでも、ここまで来たからには、ともはや引き返せ ない気持ちを抱いて、そのまま後をつけてゆく。住宅街に入る。小 さな明かりの点る販売機の前で立ち止まる。マイルドセブン、マイ ルドセブンでしょ。無機的なブザー音。目を逸らせば、あそこか、 と何の意志の作用も待たずに足はそちらの方へと吸い寄せられて、 すばやく夜風を切る勢いで体は前方へ傾く姿勢で、息をきらしなが らただ進めば、目の前はもうドアで、ここまで来たらしかたないと、 何やらわからぬ納得をして、チャイムのボタンを押す。それで出て きた女に何を言うつもりなのかと、あっと思ったときには手後れで、 チャイムが鳴る。 そのチャイムを中で聞いたのに我に返り、あわててドアを開けれ ば、疲れた顔のあの人が、当然のようにそこにいる。ただいま、と いう抑揚のない声に、あの電話の向こうの甘ったるいやさしい声を もう聞くことはないのだろうかと、何か約束を破られたような気も するが、責めるあてなどないことに、いつものように気づかされ、 それでもその度にため息をつくことは、やめられない。
貴族の生まれだった。生まれたときから裕福な家庭にいた。お金 に困ることなど無かった。 私は俗に言う「足長おじさん」である。祖父の代から代々そうだ ったらしい。私の出す奨学金を受け取る女の子は「ルカ」といい、 高等女学院に通う。今市民革命の辺りの歴史を学んでいる、と先日 手紙が送られてきた。 ニャーオ 友人の「ルカ」猫である。彼女はほぼ毎日私に会いに来ては餌を ねだる。可愛らしい鳴き声で私はいつもほだされてしまうが、餌を 食べ終わると気ままなものである。 だが食後一度は私に身を寄せて、ニャーオと鳴く。ルカなりの感 謝のしるしかと思い、私はそのたびに笑顔を浮かべてしまう。執事 にはいつも「ノラ猫など触ってはいけません」と怒られるのだが、 もう止められなくなってしまった。 もう一方のルカからは毎月一通は手紙が届く。ほとんどが近況報 告と感謝の言葉だ。彼女に会ったことはない。援助を受ける少年少 女には会わない、それが足長おじさんたる貴族の誇りらしい……し かし私はルカに会いたい。食事をしたり散歩をしたりして、その上 で一言「ありがとう」と言って欲しい。裕福なのを気取って、上か らの善意を振りかざしたくなかったから……。直接会ったところで 何も変わらないのだろうが、しきたりに沿って慈善したところで、 それはギゼンだと思ったから……。 猫のルカの名前はルカから取った。ルカに直接会いたいというせ めてもの願いからである。最初は名無しの猫だったのだが、餌を与 える私の姿が足長おじさんの私の姿にダブって見えた。 しかし私には猫のルカとの時間の方が遙かに心地が良い。足長お じさんとして周りから賞賛されるより、ルカのニャーオという生の 声が私にとってどれほど嬉しいことか。もう一方のルカは私に感謝 の気持ちが抱けるのだろうか、そんな疑問まで浮かんでくる。 「たんとお食べ」 と食事の準備をすると、ルカはパクパクと食べ始めた。しっぽを振 り振りしながら、黙々と口を動かし続けた。 「ルカに会いに行こうか?」 とルカに話しかけると、いつもの調子で 「ニャーオ」 賛成してくれてるんだろ。 ルカに会ったときは正体をばらしてもいいだろう。執事や他の足 長おじさん達に「貴族の誇りを捨てたのか」と怒られるかもしれな いな。でもルカに満面の笑みでただ「ありがとう」とだけ言っても らえれば、そんなことも、どんなこともどうでもいい。
どこからか電子音が流れる。 ホームに現れた純白の流線形は、光児の目の前を厳かに進み、次 第にゆっくりと、長い時間とともに静止した。 やがて扉は開き、光児は初めての超特急、ひかり号へと乗り込ん だ。 デッキの美しい洗面台は豪華ホテルを思わせた。その隣では冷た い飲み水が紙カップで好きに汲めた。客車への扉は、開けようとし て伸ばした手の、届く前に開いていた。自動だった。 鼻を膨らませ、あちこち検分しているうち、光児は窓の景色が滑 り始めているのを知った。 「母ちゃん、もう発車してる!」 それは彼のよく知る電車のそれとは、全く違った。光児にも、そ して手にした紙カップの水面にすらも、それは全く気取られなかっ たのである。 母親はくすくすと笑い、なお加速を続ける車窓へと視線を戻す。 父親は熱心に外を見たままだった。光児も慌てて席に着き、それに ならっていた。 光児の目前を車が飛び、ビルが走る。静寂の速力は鉄橋を駆け、 郊外へと抜け、 (そう、あれは、) かつて知る術すら無かったパノラマをもって―― (万博の年だった) 少年は未来へ、未来へと連れ去られていく――まだ若く――そこ にいた父母とともに―― こだま号の狭いシートで、光児は頭を振り、缶ビールの口金に指 をかけた。緩慢な動きで口元に運んだ時、列車が音をたて揺れた。 缶からこぼれた液体が背広の袖から、ふくらんだズボンの膝へと落 ちて濡らすのを、光児はぼんやりと見ていた。新幹線というのは、 いつからこんなに揺れるようになったのだろう。 経営する会社が二度目の不渡りを出した夜、光児は社にも家にも 戻らなかった。翌朝、彼はこだまの車中で流れる風景を眺めていた。 アナウンスが熱海への到着を告げ、光児はふうと席を立った。 閑散としたホームで、光児はその時を待った。やがて彼方から見 慣れぬ新幹線、現実離れした尖型が、乾いた唸りと共に現れ、迫っ た。 光児は線路に向かって駆けた。後頭の奥で、何かが熱く弾け、ど っどと疼いている。重い足が勢いづき、震える膝が交互に前へ飛び 出るのを、理性はただ傍観していた。人は死ぬ時、そんな風に動け たのかと呟いていた。光児は安全柵に足をかけ、身を持ち上げた。 警笛が、飛ぶ。 それは音ではなかった。それは速力の壁となって光児を打ち、圧 し倒し、遙か此岸の内側へと吹き飛ばしていた。 駅員が駆けてくる。光児は腰を震わせながら、ただ、逃げよう、 とだけ考えた。
なにもかもが新しい我が家の食卓に彼が現れたのは夏のことだっ た。まだ明るい空が広がる夕刻で、キッチンから食器のぶつかり合 う音が聞こえてきていた。 「こんばんは」男は言った。応対に出たのは私だが、誰なのかさっ ぱりわからない。そこへ妻が顔を出し、高い声をあげた。 「あら、珍しい。どうしてるかと思っていた」 男は言われるままに上がり込んできた。知り合いなのだ。 妻と私は見合い結婚で、お互いをあまり知らない。見ると男は、 飯茶碗と箸を持参している。 三人で囲む食卓に私はなじめなかった。しかし妻は終始にこやか に振る舞い、ご飯のお代わりを促している。 男は食事が終わると、持参の茶碗と箸を流しで洗い、誰にともな く頭を下げると、玄関から出て行った。 二人になって私が妻に訊く。「誰なの?」「誰って、知り合いよ」 「それはわかっているさ。どういう知り合い?」「うーん、夜ご飯 を食べに来るくらいの知り合いよ」 その通りではあるだろう。しかし、なにか違和感がある。生活習 慣の違う二人が一緒に暮らし、もちろん行き違いはあるだろう。し かし、それとも違う。いや、私がこだわり過ぎなのだろうか。 妻は夕食の片付けを終えると疲れたと言い、先に休んだ。私も程 なく床に就いたが、頭の中を様々に思いが駆け、寝付けないのだっ た。 男は不定期に現れるが、必ず、飯茶碗と箸を剥きだしで持ってい る。バッグかなにかに入れるがいいし、そもそもそんなものを持っ てくる必要などないのだ。 食後に私は、男をブランデーに誘った。 「いかがです?」「いえ、けっこうです」「いいじゃないですか。 一人でやるのも寂しいものです」「それは夜ご飯ではないから」 「そんな固いことを言わずに」「そんなものを……あなた」 最後の科白の時は、蔑みの表情さえうかがえる。男は気分を害し たのか、そそくさと出て行った。 ふとテーブルを見ると、彼が持ってきた飯茶碗と箸が残っていた。 私は代わりにそれを流しで洗った。なんの変哲もない茶碗と箸で、 すぐに漱ぎ終わり、布巾で水気を取った。迷った末、家の食器とは 別に電子レンジの上に置いた。 主人のいない茶碗は次の夜ごはんを静かに待つ。
作品受け付け───9月15日〜9月30日迄(終了しました)
作品発表─────10月1日〜
人気投票受け付け─10月1日〜30日迄(終了しました)
結果発表─────10月31日
第八回1000字チャンピオン決定!!
鮭二さん作『負け癖』に決定!!。
鮭二さん、おめでとう。
心より感動の拍手を贈ります。
| 作品 | 票 |
|---|---|
| 負け癖(鮭二) | 5 |
| 天国と地獄(岡嶋一人) | 2 |
| そして思い出になる(茗荷丸) | 2 |
| 電話の向こう(一之江) | 2 |
| 訪問者(夜啼き鳥) | 2 |
| キレル・キマル(わーすけ) | 1 |
| SHIKA(逢澤透明) | 1 |
| もみじ君の冒険(DIPSY) | 1 |
| 推敲(しょーじ) | 1 |
| ひかりの子(蛮人S) | 1 |
| 無効票 | 1 |
●負け癖(鮭二)
●天国と地獄(岡嶋一人)
●そして思い出になる(茗荷丸)
●電話の向こう(一之江)
●訪問者(夜啼き鳥)
●キレル・キマル(わーすけ)
●SHIKA(逢澤透明)
●もみじ君の冒険(DIPSY)
●推敲(しょーじ)
●ひかりの子(蛮人S)
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