第9回1000字小説バトル
Entry15
大きくて丸くて白いマシュマロのようなものがあった。その前に 一人の男が立っていた。周りはどこだか分からない。林か、海か、 街中か。あるいは、真っ白い箱の中。 マシュマロが男に言った。 「腹が減った。おまえを食わせろ」 男は当然、首を振った。 「いやだ。なぜおまえのような変なのに食われねばならんのだ」 「そう言うな。一度食われてみるのも悪くはないと思うが」 「馬鹿な。食われて再びここに戻ることが出来るとでも言うのか」 マシュマロは大きな口をあけて笑った。口の中は真っ赤だった。原 色の赤。その奥もどこまでいっても真っ赤で、まったく終わりがな い。どこか恐ろしいのだが、反対に言いようのない美しさも持って いる。さらには、懐の深さ、温かさ。男は密かに、この中で静かに 眠りたいなどと思ってしまったのである。 「がっはっは。確かに戻れんよ。だがおまえは、いまちらと私の中 に入りたいと思ったろう」 すべて見透かされているのであった。 「うるさい。単なる気の迷いだ。もうそんなことは思っていない。 おまえになど食われてたまるか」 気の迷い。そう、男には今自分が足をつけている大地に対する未練 があった。マシュマロの魅力的なはらわたよりも、男はこのなんだ か実態すら分からないこの大地を愛してしまっていたのだ。 「足が動かぬ」 「ん?今何と言った」 マシュマロに指摘されるまで気づかぬほど、自然に漏れた声だった。 急所をさらしてしまったようで、顔がカアッと赤くなるのが分かっ た。 「恥ずかしがることはない。当然なのだ。おまえの今いる場所は針 のむしろ。それに対して、私の腹の中は、入るのこそ躊躇するよう な場所だが、一度入ってしまえばここほど居心地の言い場所はない のだから」 それでも男はまだ首を振った。愛する大地を捨てることは出来ない。 「詭弁だな」 ああ、言われてしまった。男の心にぐさりと突き刺さる。 「愛するだと?いつおまえがそこを愛した」 ほろりと涙、地に落ちて、ああ、足が自由になった。動ける。動け る。動いてしまう。 男はそのままマシュマロに飲みこまれた。上からかぶりついてく るマシュマロに、男は顔に一杯の無念の表情を浮かべていたが、だ が一歩たりともよけようとはしなかった。 すっかり男を飲みこんでから、マシュマロが満足そうに言った。 「ああ、なんてすがすがしい気分なんだ」 その声は、まぎれもなくさっきまでマシュマロの目前に立っていた 男のものだった。
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