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第9回1000字小説バトル
Entry32

山から帰る家族

作者 : 一之江
Website : http://www05.u-page.so-net.ne.jp/qd5/s-kumiko/
文字数 : 1000
 琥珀色にまばらに輝く雲海が目の前に広がる。薄藍の大気に反照
してうねる月白の毛氈を、直也は目を細めて眺めていた。
 下界はどうしているかな。もう少しで帰れるというこの頃に、最
も家族を懐かしく思う。妻の顔を眺めながら、子供のたどたどしい
喋りを聞きながら、温かい味噌汁をずるずる音を立てて飲みたくな
る。雲海の琥珀が深みを増す。背後に足音が聞こえた。
「おい。飯だぞ」
 大岡が人なつこそうな笑顔で言った。
「ああ、そうか」
「なんだ、ホームシックか」
 直也は苦笑して俯く。二人は並んで、白亜に輝く丸いドームを中
空に掲げる建物に入る。
 暗い廊下に靴音が響く。食堂へ向かうのかと大岡の後をついてい
た直也は、彼が、そうではなく違う部屋へ行こうとしているのに気
づいた。俯いたまま微笑んで後に従う。
 計器群に占められたその部屋には先客があった。
「なんだ、やっぱりここか」
 照れたように笑って振り向く清水に、直也は口元を綻ばせて黙っ
たまま何度も軽く頷く。
「なんかやっぱりなあ、気になっちゃって」
 宿題を忘れた言いわけをする少年のように視線をわずかに逸らし
ながら答える清水の背中を、ものわかりのいい兄貴さながら大岡は
小突く。
 三人は暗い円形の中を走る光線を見つめる。漆黒のステージの上
を回転するコバルトグリーンの筋を、何か肅然とした面持ちで見守
る。
 これが世界一高いところにある観測レーダーさ。自慢話のような
口調でそう説明された日を、直也は思い出す。世界一ですか。そう、
設置されたのは昭和三十九年。じゃ、僕の生まれた年ですよ。その
ときも、この規則正しく旋回する緑色の線を慈しむような思いで見
た気がする。
「おお、何だよ」
 少ししゃがれた大きな声が響いた。三人は振り返る。
「飯だって言ってるのに、しょうがねえなあ」
 竹原が大げさに呆れ返ったような顔を作って、ゆっくりと近づい
てきた。
「まだ時間はあるんだから。飯ぐらい食っちゃえよ」
「そうだな」
 言いながらも、大岡は動く気配を見せない。竹原は鼻で笑うと直
也の肩ごしから、レーダーの丸く黒い窓を覗き込む。
「光栄だと思わなくちゃな」
 竹原は呟く。
「俺達みんなで、見届けてやれるのを」
 直也は頷く。
「明日、下りるのか」
「そうですね」
「そろそろ恋しくなった頃だろう。俺もだ」
 にやりと笑いながらも、竹原はレーダーから目を逸らさない。
 背後からまた、いい加減にしろよ、と笑いを含んだ声が響いた。






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