第9回1000字小説バトル
Entry4
午前九時ピッタリ、教授が教壇にあがる。窓の外は晴れわたり、 数羽のスズメが松の枝間をぬって、音もなく飛び去る。 「私は根暗なんですよ」 肘かけ付きの椅子に座った教授は、手にした杖を見つめながら呟 く。学生たちの冷静な反応に動じる様子もない。 「スポーツなんて嫌いですし、とくにそれらしいこともしなかった ですね」 チラホラと出席票に書き込む音が聞こえ始める。僕は軽く鼻をす すってみたりする。 「私の若い頃は、なんといっても戦争につきますね。スポーツどこ ろじゃなかった」 時折、教授は杖から顔をあげる。が、最前列に座っている女子学 生と目が合いそうになると、またすぐにうつむく。 「野球のバットを持つ代わりに、銃を持ちましたよ」 僕の横に座った女の子が、笑いながら「先生、かわいいよね」と ささやく。「そお?」と僕は答える。椅子の上の教授は、自分の足 もとの鳩にエサでも与えているような姿勢で、杖の握りをさすり続 ける。こんな老人が? 「もちろんスポーツをしていた物好きも確かにいましたよ」不意に 口をひらく教授。「でもね、みんな死んじゃいました。みんな、年 くってね。私のまわりに戦争で死んだやつなんて一人もいなかった んですよ」 十時をまわり、僕の横から女の子の小さな寝息が聞こえる。教授 は傍らの机の上に載ったままのテキストを、無関心な様子でめくっ ている。パラパラパラッ……ピタッ、そしてパラパラパラッ……ピ タッ。 「あっ」と、教授。「安心してくださいね、私はきみたちのうちの 三分の一しか落としませんから」 瞬間、教室内に小さなどよめきが上がる。しかし、教授は何も言 わずテキストを閉じると、今度は窓の外を眺めはじめる。案外、抜 け目のない人間なのかもしれない。僕は女の子を突ついて起こす。 「去年もおなじこと言ってたぜ」と、後ろから声。 「何が三分の一だよ、落とされたの俺達だけじゃねえか」と、もう 一人の声。 僕は振り返って、「この講義、厳しいの?」と訊ねる。 「んっ?」一人が答える。「大丈夫だよ、出席さえしてれば」 女の子も振り返る。 「テストもないし」 「そっ、出席だけだよ」 いつのまにか、彼らは僕の横の女の子に話し掛けている。事情の よく分からない寝起きの彼女は、ただ笑っている。 「まあ、今日は最初の講義だからね」 教授はそう呟くなり、終業のチャイムが鳴るまで、窓の外に広が る青い空を眺めていた。窓の外は雲ひとつない快晴。四月の空。
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