インディーズバトルマガジン QBOOKS

第10回1000字小説バトル
Entry31

公園デビュー

作者 : 鮭二 [しゃけじ]
Website : members.aol.com/Shakeji/papyrus.htm
文字数 : 1000
 いきなりひな子がぶっ叩いたのだ。ひな子が、最近お気に入りの
「ぐんぐん」という喃語を喉元から絞り出しつつ高速ハイハイで裕
也君の背後に近づくと、思いっきり後頭部をぶっ叩いた。
 砂場に冷たい空気が流れた。

 延子はお人好しでも人望家でもない中途半端な性質を疎ましく感
じることがあった。例えば渋谷の交差点だ。
「NHKホールはどうやっていくのかね」で始まる老婆の言葉。そ
れは「NHK歌謡コンサート」の素晴らしさであったり、渋谷の人
ごみについてであったり、新幹線を地元に引いてくれた「偉い」代
議士についてであったりした。延子は老婆の話を上の空で聞いてい
る。街宣車の演説が耳につく。日本は大変なことになっているらし
い。しかし、延子は遮ることができない。老婆の話も、街宣車の演
説も。
「公園通りをまっすぐに」
 ようやく隙間を見つけて延子は呟く。マックでシェイクを舐めよ
うと切実に思う。

「お幾つですかな?」と老人は言った。
 砂場からひな子とずりずり退却してベンチに腰掛けていると、秒
速30程の老人が、小刻みに右手を揺らしながら近づいてきた。
 ひな子が「ぐふふ」と笑いながら老人の右手を叩こうとして、延
子は慌てて自分の胸に抱き寄せた。
「おお、めんこいのう。じつはな」嫌な予感がした。「うちの孫も
同じくらいなんじゃよ」
 そして話が始まった。どうしてなんだろう、と延子は思う。より
によって、どうしてあたしなんだろう。老人の右手がさらに激しく
揺れる。ひな子が喜ぶ。老人は話を続ける。
「脳溢血で倒れたのが3年4ヶ月前じゃった」
 老人はひな子の手を握ろうとするが、うまくいかない。砂場で母
子達の歓声が上がる度に延子は気が気ではない。
「焦れば焦るほど、リハビリは進まんかった」
 老人は3年4ヵ月のリハビリストーリーを丁寧に語っている。ひ
な子は眠い時の合図で、頭をぱんぱん叩いている。老人の右手が催
眠術師の振り子のように揺れている。冬の一日はたぶん短い、と延
子は思う。砂場の母子がひと組ふた組と去って行く。
「……で、ぼちぼち歩けるようになっての。今日、やっとこの公園
まで歩けたんじゃよ」
 日は傾き、冷たい風が公園を吹きぬけると、最後の母子が帰り支
度を始めた。老人の話が終わったら、マックでシェイクを舐めよう、
寒いけど絶対に。延子はそれだけを考えながらひな子の体を支えて
いた。






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