第10回1000字小説バトル
Entry32
夜半、遂に我慢出来なくなって、私は私を呑み込んだ。狭い天井 を見つめ、ぬめぬめと半時間以上を費やし、私は私を嚥下した。 「物事に拘り過ぎる」「面白味の無い」「暗くて若さに欠ける」 「消極的な」「要するにつまんない」嫌われ者は、この世界から消 え去った。 翌朝はたいそう胃が凭れ、食欲は皆無だった。通勤途中、電車か らホームに降りると突然、喉に不快な感触が走った。洗面所に駆け 込み、鏡で見てみると呑み込まれた私の手が一葉の紙片を携えて、 手首まで這い出してきていた。私は周囲に気取られぬ様に紙片を素 早く掴み取り、手首を再度呑み込んだ。 「シアワセデスカ」会社に着いて、着席するのももどかしく開いた 紙片には下手くそな字が並んでいた。「お手紙ありがとう。お蔭様 で私はとても幸せです。自分自身に呑み込まれ、窮屈な思いを強い られて、やがて自分に消化されてしまう私の中の私に比べれば、私 はたいへん幸せです」昼休みに購入した食紅と爪楊枝を使って書い た返事を懐中電灯と一緒にビニールに詰め、輪ゴムで止めて、水と 一緒に流し込んだ。私の中の私は、それを受け取り、私の中でゆっ くりと姿勢を変えて読んでいるような気配だった。 帰宅後、一人テレビを見ていた。一日食事をしていなかったが、 空腹感は余り無く、疲労が身体を支配しようとしていた。無意識に 欠伸をすると呼気と一緒に紙飛行機が飛んで出た。開いてみるとく ねくねした字が並んでいた。 「お返事アリガトウ。ワタシは、ワタシを呑み込んでしまったワタ シが、そのことを悔やみもせず、シアワセに浸っていると知って、 なんだかとてもシアワセな気分になりました。おっしゃる通り、ワ タシはもうすぐワタシに消化されてしまう身の上ですが、ワタシを シアワセにすることこそがワタシの望みだったので、それが叶った 今はもう、ワタシがどうなってもかまいません。サヨウナラ」 私は私の手紙を読んだ。手紙を読んで涙した。涙しながら、自分 が消化されてもかまわないほどの幸せに包まれた私の中の私に思い を馳せた。私は私を羨ましいと強く思った。 羨望の念により、ささやかな優越感に支えられていた私の幸福は、 その土台からものの見事に崩れ去り、私は私の中の私より幸せでな い私に戻った。 私はまた悩みはじめた。 夜半、遂に我慢できなくなって、私は私を呑み込んだ。十三人目 の私もまた、ぬめぬめと胃袋に入っていった。満月の夜が近づいて いた。
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