第10回1000字小説バトル
Entry7
彼女は乗務員たちの様子が気になって仕方がなかった。パリから 離陸後三時間ほどが経った成田への帰国便である。さきほどから通 路側に座る彼女の横を、乗務員の誰もが、走らないまでも足早に通 り過ぎて行く。彼らの笑顔も不自然で強ばっているように見える。 今も前方で男が何か頼もうとしていたが、言葉少なに断られたよう だ。通常ならばあり得ないことである。 彼女は幼い頃からの「飛行機オタク」で、その度が過ぎた結果、 本来ならば楽しめるはずのものが、乗るたびに嫌な思いを味わって いた。飛行機はなぜ飛ぶのかに始まり、乗務員の訓練や仕事内容に 至り、果ては知らなくてもいい飛行機事故にまで興味を持ったせい だ。 乗るたびに離陸から着陸まで、それこそ数分おきにエンジン音に 耳をそばだて、窓から覗いては翼の振動や火煙の有無に目を凝らす。 その合間にも、乗務員の様子の変化を見逃すまいと神経をすり減ら すのだから、到着する頃には疲れ果て、「二度と乗るまい」と思う のだが、仕事であってはそうもいかなかった。 突然、張りつめた声でアナウンスが流れてきた。 「この機はトラブルが発生したためにドイツ・ハンブルグに緊急着 陸致します。間もなく着陸態勢に入りますので……」 今までの危惧がとうとう現実になったのだ。考えようではこの時 を待ち続けてきたのかもしれない、と思うほど、彼女は妙に冷静だ った。詳しい状況説明が無いせいだろう、周囲を見廻してもパニッ クとは程遠く、客達も見かけだけは落ち着いていた。このように、 客には事情も真実も知らされないまま墜落炎上というのが飛行機事 故のパターンなのだ。 再びアナウンスの声。 「現在、不要な燃料を放出しておりますので……」 燃料を捨てるということは、着陸時に燃料に引火、爆発の危険性 が予測されるということ。彼女は改めて非常出口を確認すると、現 実にはやったことのないドアの開け方の手順を頭の中で反芻した。 その時、突然どうしてそんなことを思い出したのか、彼女自身に も説明がつかない。とにかく、「今回だけは死ぬわけにいかない」 と強く思ったのだ。願ったとも、祈ったともいえる。実際、無意識 に胸の前で手を組んでいたのだから。 几帳面な彼女は、普段ならそんなことはしなかった。今回は国内 の出張から引き続きのパリ出張だったから、仕方がなかったのだ。 「どうかあれを他人が始末するハメになりませんように!」 あれ、とは……洗濯機に放りこんできた、数枚の下着である。
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