第11回1000字小説バトル
Entry13
これが最後だと決めていた。 昨日の初雪のせいで、まっさらの白布を敷き詰めたかのような斜 面に、勝治はいた。河原と、あと一月もすれば凍りつく小川を挟ん で反対側に、その熊はいた。 勝治は両の手の猟銃を構えなおした。吐息がゆっくりと左手へ流 れた。 数ヶ月前から、普段は出るはずもない山道にまでこの熊が出現し だした。熊を討つことのできる人間は年々少なくなっていった。こ れで何頭目か。五十までは数えていたが、自分の年を越えてしまっ たあとはもう止めてしまった。 雪があらゆる音を吸ってしまっていた。雲が空を覆い尽くしては いたが、あたりは明るかった。ときおり何かの加減か、ガサガサと 物音がした。熊は探し物でもするように、ゆっくりと首を回した。 妻はとうにいない。ある日突然ふっつりといなくなった。勝治は 一人だ。一人で生きてゆける年齢ではもはやないと思った。もう、 命を切り売りするような仕事は止めようと決めた。暖かいところへ 行こう。もっと暖かく、熊のいない――。 妻は、いなくなった。そのころ二歳だった、息子をつれて。もう、 十年も前のことだ。 勝治は銃口を熊に向け、瞳を傾け照準を合わせた。熊は、勝治の 瞳と銃口を結ぶ直線上で雪のにおいを嗅ぐようにかがんでいた。 眉間――眉間だ。勝治の口から白い息がこぼれた。 熊はすっくと立ち上がり、こちらを見たかに思えた。 銃声が静寂を食い破った。 熊は前のめりに倒れた。雪がまるで土煙のように舞った。眼の覚 めるような赤さで、雪に血がにじんだ。 勝治はやせた一本の木に手をついた。皮を剥ぐ気力はまるでなか った。帰ろう――吐息が白く、胸に残った。 下ろされた銃口から、煙が消えた。 勝治は、見た。一頭の仔熊がやってきて、崩れ落ちた熊のもとへ、 おそるおそる近づいていく。 母熊であった。人々を襲ったのは、神経の過敏さによるものであ った。 『ぱぁぱ?』 柔らかい息子の頬。つたない言葉で呼ぶ声。 震える指で、勝治は弾を込め直した。仔熊は母熊に鼻をすり寄せ、 不思議そうに首を傾げた。 こもったような金属音は、引き金を引けばいつでも弾が飛び出る という合図だ。この寒さで勝治は汗をかいていた。そして、震えて いた。震えた指が、銃口をどこへ向けたろうか。 銃声は明るく暗い白と黒だけの世界に、長々と余韻を残して、消 えた。
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