第12回1000字小説バトル
Entry13
「あの」電車の中で、見知らぬ少年に突然声をかけられた。「エル ーセラ島へ行かれますか?」 「え?」私は少年の前に立ち、カリブのガイドブックを読んでいる ところだった。バハマに住む友人夫婦を訪ね、三日後、日本を発つ ことになっている。 「行くつもりだけど」首都ナッソーからセスナで三十分。エルーセ ラは淡いピンク色の砂浜が有名な島だ。 私の答えに、少年が目を輝かせて言った。 「あの島の砂を、少しでいいんです、持って帰ってきてもらえませ んか?」 一体、何に使うつもりなのか。けれど、それは聞かないことにし て、帰国後、会う約束をして別れた。面識のない人間に、そこまで する義理もないが、断れなかったのはきっと、長い髪を金色に染め た少年の眼差しがあまりにも真剣で、丁寧な口調の中に切羽詰った ものを感じたからだろう。 一ヶ月後、地下鉄のホームで少年にピンク・サンドを詰めた小瓶 を手渡した。熱帯の温度を確かめるかのように、彼は瓶を指先でそ っと擦りながら言った。 「何かお礼をしたいんですけど」 「いいのよ」本当のところ、バハマからの日帰りツアーでも結構な 値段なので、迷ったのだが、少年との約束に後押しされた。けれど、 神秘的な美しいビーチは、高額な代金を払って行くだけの価値は十 分にあった。私がそう言うと、少年はほっとしたように頬を緩め、 何度も頭を下げながら去っていった。 半年ほど経った頃だろうか。ある小さな葬祭場の前で、私は立ち 止まった。ちょうど出棺の時間らしく、歩道にまで人が溢れ出して いる。仕方なく一通りの儀式が終わるのを遠巻きに眺めながら待っ ていると、ピンク地のジャワ更紗が掛けられた棺が運び出された。 葬儀には不釣合いな艶やかさだが、おそらく故人が生前好きだった 色なのだろう。参列者の年齢層からすると、亡くなったのは若い女 性のようだ。そうと判った途端、他人のこととはいえ、胸が締めつ けられる思いがした。そして、別れを告げる長いクラクションを響 かせながら霊柩車が走り出した時、ひときわ激しく泣きじゃくりな がら、一歩車道に踏み出したのは、紛れもなく、あの少年だった。 故人が少年の恋人なのか姉妹なのか、知る由もないけれど、遥か カリブの海から運ばれた、煌くピンクの砂は、棺の中で彼女と共に 永い眠りにつくのに違いない。私は心の中で合掌し、足早にその場 を去りながら、亡き人には、読経の声さえも波の音に聞こえるのか もしれない、と思った。
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