第12回1000字小説バトル
Entry14
数ヶ月前、彼がバイトを辞めてから、私達は以前と比べて会う機 会が少なくなった。今日こうして会うのは実に一ヶ月ぶりの事だっ た。 「最近どう?」 「べぇつに」 相変わらずの素っ気無い返事が妙に懐かしい。彼はコップの底に 僅かに溜まっていたルビー色をした液体を一気に飲み干した。 繁華街から少し離れた場所にあるカクテルバー。彼と始めて夜を 共にした日、ホテルの前にちょっとした背伸びのつもりで立ち寄っ たのがこの店だった。それ以降、お互いの部屋以外で夜を共にする 時は、必ずといっていいほどこの店にきている。 「そうだっけ?」 とぼけた振りをして彼は新たにカクテルを注文する。つられるよ うに私もマスターにこの店オリジナルのカクテルを注文した。 「ねえ、知ってる? このカクテル、イルカとのキスの味がするん だって」 彼の目の前で手に持った琥珀色の液体をゆらゆらと揺らしてみる。 「お前、イルカとキスした事あんのか?」 「ないけどぉ」 私が何を言っても返ってくるの素っ気無い返事だけ。彼にとって 私の話はくだらなすぎるのだろうか、何を言っても興味を示してく れない。彼にとっては退屈なやりとりかもしれない。それでもいい、 彼が側にさえいてくれれば…… 「ねえ、知ってる? この店って閉店するとユーレイが出るんだっ て、何でもその人がマスターの昔の恋人だった人らしいんだって」 「見た事あんの?」 「ううん」 「じゃあマスターに聞いたの?」 「ううん、ただの噂」 彼は呆れ顔でポケットから煙草を取り出し、一本くわえると「く だらない噂を真に受けるんじゃねーよ」と言って頭をぽんと軽くは たいた。 「あれ、マルボロやめたの」 「まぁな」 「ふーん。ねぇ、知ってる? 煙草の銘柄をよく変える人って。女 の人の趣味もよく変わるらしいよ」 「関係ないよ」 「そっか……そうだよね」 今回だけはいつもの素っ気無い態度が妙に嬉しかった。 「……じゃあ、これ知ってる? あなたが店長の娘さんに手を出し て、バイト、クビにされたって噂が流れてるんだけど……今でもそ の娘と付き合ってるだなんて、くだらない話でしょ?」 私自身が推すくだらない話だというのに、いつものような素っ気 無い返事が返ってこない。その口からはかわりに青い煙が吐き捨て られた。 私の話が初めて彼の興味を引いたのに、もう彼の側にはいられな 気がした。
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