第12回1000字小説バトル
Entry26
衝撃は、たえがいたほどにむずかゆく、私の体を貫いた。私は我 を失いかけた。それほどに、水の大地は私の心を魅了した。眼下に 広がる、その青緑に沈む湖は。 遥か上方の太陽でさえ、ここは発見できまい。幻想にも近い、神 聖すぎる場所。美しすぎる水のうねり。私はなぜ、このような聖地 に行きついてしまったのだろう。一度おりたったら、もう抜け出す 事はできないと、よくわかっているのに。 水面に、巨大な影が蠢いた。何だろう、あの大きな塊は。こんな に高い所からでも、はっきりと形の見える巨大な生き物。 私は目を凝らし、その何体かの影をおった。まるで、時の流れな ど存在しないかのように、彼らはゆったりと旋回している。時に沈 み、消えたかと思うと、魚特有の輝きを発しながら水面に現れる。 「鮫だよ」 私の視線に気づいたのか、彼は静かに呟いた。 「なぜ湖に」 「湖にも鮫はいる。ゆっくりだが、着実に増えている」 私は視線を影たちに戻した。衝撃は、今や恐怖に変容している。鮫 …そうか、ジンベイザメだ。 「それでもやるのか? 」 不思議な事に、私は頷いていた。湖が私に頷かせたのだ。すでに身 も心もとりつかれてしまったのだろう。見れば、湖は静かに微笑ん でいる。 愛おしさに体が震えた。私は、引きよせられるように、青緑へと 突入した。 うまく、鮫たちのいない所に体が抱きとめられた。暖かかった。 せき止められて久しい水は、今まで体験した事のないほどぞっとす るぬくもりを有していた。 水中の激しい流れにもがいたものの、抵抗感もなく、私は深く深 く沈んだ。安堵と恐怖、そして極度の興奮。それは欲情に近かった。 巨大な影が、相変わらずゆったりと前方から近づいてきた。私は 動けなかった。呼吸が水でふさがれ、恐怖に心臓を破裂させながら、 その到来を待った。 見開いた目の前で、瞳を持たない鮫は、ゆっくりと私の横を通り すぎた。その様を見つめ、私は意味のない涙を流した。 それは鮫ではなかった。ゆらゆらと水中に漂う人の骨。以前生き ていた誰か。そしてそれを守るかのように群がる無数の小魚。なる ほど、この魚の大群が、鮫の形に見えていたんだ。薄れゆく意識の 中で、私はかすかにそれだけを悟った。 死体が、いや、鮫が、何事もなかったかのように、遠く離れて行 く。だが、私はもう寂しさも恐怖も感じない。これから私も鮫にな る。暖かい、何てここは懐かしいんだろう。 湖は静かに微笑んでいる。
![]()
◆QBOOKSに掲載の記事・写真・作品・画像等の無断転載を禁止します。
◆投稿された各作品・画像等の著作権は、それぞれの作者に帰属します。出版権はQBOOKSのQ書房が優先するものとします。
◆リンク類は編集上予告なくはずす場合がありますのでご了承ください。