第13回1000字小説バトル
Entry2
彼らには到底理解できないだろう。錆びた鉄と酸化した油が混じ り合った、甘美なまでの芳香。金属同士が擦れ合って響かせる鳥肌 が立つようなスクリーム。そして、心臓の鼓動さえも狂わされてし まうかのような工作機械たちの律動。 小さな金属工場が軒を連ねて密集する、通称スチールスラム。そ こは私の秘密の通学路。 酸性物質を含んだ風雨によってすっかり劣化してしまった、今に も崩れてしまいそうな門をくぐると、そこはスチールスラムである。 最初にあるのは小さな溶接工場。もう顔見知りになってしまった 溶接工のお爺さんに挨拶をして、私はふらふらとスラムの奥へと入 っていく。ここには人間らしい生活感など一切なく、代わりに機械 たちの奏でる生活音で溢れている。工場長が新入りの工員を叱る怒 鳴り声さえ、ここでは小鳥のさえずり以下である。 「やあ、今日はもう学校は終わったのかい?」 冶金工場のおじさんが、口から銅の匂いをぷんぷんさせて話しか けてきた。私は軽く会釈をして「ええ。今は期末試験なんです」と 答えた。 「試験かい。大変だねえ、頑張りな」 「はい。それじゃ…」 「おぅ」 小さく手を振り合って、おじさんは工場に、私は更に小さな路地 に入った。 そこは左右に切削加工業者の工場が立ち並ぶ裏路地で、軒先に並 んだ無数のドラム缶からは金属の切り屑が溢れ出していた。ここは 金属と切削油の匂いが他所よりも強烈で、しかも、機械音と摩擦音 がけたたましい。耳も鼻もここでは完全に機能を失ってしまう。 工場の一つで、汚れた作業着の袖で汗でも拭いたのだろうか、顔 を黒くした青年がノギスで部品の寸法を計っている。最近、ここに やって来た青年だ。私は立ち止まって、青年が気付くのを待った。 しばらくして、ようやく私の視線に気付き、青年が顔をこちらに 向けた。 「こんにちは」 声は届かないだろうけど、私はできる限り声を張り上げた。青年 も微笑んで、口の動きだけで挨拶を返してきた。更に私が何か言お うとしたとき、そこの工場長がやって来て、青年に何か指示を与え はじめた。青年が私に手を振り、私はぺこりと頭を下げてその場を 離れた。 スチールスラムの正面に私の住むマンションがある。 「オ帰リナサイ。試験ドウダッタ?」 教育熱心な母親は、開口一番そう訊いてきた。 「別ニ。普通ヨ」 私は素っ気無く答え、自室に逃げ込んだ。引いてあったカーテン を開けると、スチールスラム全体が見渡せた。
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