第13回1000字小説バトル
Entry20
千歳がいきなり立ち止まった。横断歩道の真中。前からも後ろか らも絶え間なく人が押し寄せるっていうのに。迷惑な。仕方なく私 も止まった。彼女は訝しげな顔で向こうをじっと見ている。まるで、 雑踏の中から自分を呼ぶ声を拾い上げた時みたいに。 「ちょっと、何してんの? 」 腕を引っ張ってもこっちを向かない。 「ちとせー、赤になっちゃうよ」 応答なし。ぐいぐいと彼女を引っ張って道を渡るあいだ、千歳は ずっと一点を見ていた。何か小声で口走ったみたいだったけど、よ く聞こえなかった。 その日は二人で映画を見てパスタを食べた。クリームソースのパ スタを食べながらも、彼女はいつもにも増して気もそぞろな様子だ った。いつもだって起きながら夢をみているようなものなのに。考 え込んで、私の話もろくに聞いていなかった。 デザートまで満喫して外に出ると、すっかり暗くなっていた。 「どうする? 」「ん〜、もうお金ないし、帰る」次の目的地はあ っさり決まった。 駅までの道は意外に細く、暗い。もっと明るい道もあるけれど、 遠回りなのであまり使わない。 確かにこの道、よくテレビの特番に登場するほど治安が悪いらし いけど、私たちは一度もチラッともそんなもの見たことがなかった。 話には聞いていても、私たちとは縁のない世界。 だと思っていたのだけれど。 超音波、みたいのが聞こえた。女の絶叫だってすぐにはわからな かった。何か考えるより前に振り向いた。 「うそ」 何てこと。髪の長い女の子がしゃがみこんでいる。その足元の赤 いの…血? そんなことより。 自転車に乗り、フードを目深にかぶった人間が、すごい勢いで走 ってくる。その行く手には…振り向いてさえいない千歳。名前を呼 ぶよりも前に… 「なあに、咲ちゃん」 自転車は千歳と重なり、一散に走り去った。 目の錯覚なんかじゃなかった。 そんなことがあってすぐ、千歳の姿が見えなくなった。話には聞 いても、会わなくなった。誰も不思議には思っていないみたい。テ レビの中だけの事件と同じなんだ。 「咲ちゃん、また会えたね」 横断歩道を渡ろうとした時、不意に呼ばれた。千歳? 思わず立 ち止まると、後ろの高校生が舌打ちして私を追い抜いた。 「咲ちゃんも世界がずれちゃったんだね」 千歳は人ごみの真中からこっちを見ている。その明るい声が奇妙 に響く。そうだ、いつのまにか雑踏はひどく遠ざかっていた。 「ようこそ、私たちの住む世界へ」
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