インディーズバトルマガジン QBOOKS

第14回1000字小説バトル
Entry5

桜、浪爛と。

作者 : ABSOLUTE"AZ"ZERO
Website : http://www.n-mix.com/absolutezero/
文字数 : 960
そのとき、彼女が僕に向かって云った最後の言葉が最高に傑作だった。
「狂ってる」こんなにも面白い台詞を、僕は今まで聴いたことがない。
正直云って、彼女にユーモアのセンスがあるとは考えてもみなかった。

僕は涙を流して笑いながら、蒼ざめた不健康な細面の美貌を覗き込む。
君が狂っていたなんて、一緒に暮らしていた間は全く気づかなかった。
やれやれだ。僕たちは今まで何をしてきたんだろうな。嫌な気分だよ。

僕の好物を作ってくれたことも、楽しく祝った君の誕生日も幻覚かい?
長くて綺麗な黒髪を神経質に右手でかきあげるその癖も狂ってるから?
何処までも深く澄んだ夜空色の瞳が、そんな危険な色だったなんてね。

僕は君のことを隅々まで知り尽くしているつもりになっていたんだよ。
でも、結局は何ひとつ解ってはいなかった。まさか狂っていたとはね。
僕だって、この世界で自分が正気だなんて、少しも思ってやしないさ。

そんなに恨みがましい視線で僕を見るのは、頼むから止めてくれよな。
確かに、君を理解することは出来なかったけれど、僕のせいじゃない。
不可抗力と言い切るつもりはない。でも限りなく不可能に近いと思う。

一昨日の深夜、僕たちの時間は、灼き切れるように終わってしまった。
よくある話だろう。三年も一緒にいれば些細なことから綻びが生ずる。
言葉の擦れ違いが断続的な沈黙を産み、致命的な距離を育ててしまう。

抱き寄せた身体は温かさではなく、絶対零度の冷たさで僕を拒否した。
そう、僕を受け入れてくれなかったのは、他の誰でもなくて君だった。
震えながら僕の言葉を拒んで、僕の生き方を聴き慣れた声で否定した。

君は二十歳のときに付き合っていた男に騙されて泣いたと云ってたね。
ポール・ニザンのようにドラスティックな人生を君は送っていたんだ。
その頃の僕と云えば、ただ呼吸を繰り返しているだけの毎日だったよ。

ごめん。今日は荷物を取りに来ただけなのに、長い話をしてしまった。
コーヒー、美味しかったよ。ちゃんと煎れられるようになったんだな。
このマグカップは要らないから置いていくよ。よかったら使ってくれ。

さて、そろそろ行くとするかな。もう二度と会わないつもりだからさ。
寂しそうな表情をするのは間違ってるぜ。きっと向こう岸で逢えるよ。

かつては婚約者だった屍体に手を振り、男は静かに部屋の扉を閉めた。	






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