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第17回1000字小説バトル
Entry22

衝動

作者 : 放物線
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文字数 : 999
 駅の構内を抜け夜の街へと踏み出すと、薄汚れた飲み屋のネオン
が先ず目に飛び込んでくる。その下品な輝きが、この街から私の居
場所を奪っていくかのようで、苛立たしい。私は、道を歩きながら
何度も何度も道端に唾を吐き捨てる。今ならば天に向かって吐くこ
とさえ出来る、そんな気分だ。
 この私の憤りは、定時から10分遅れた地下鉄のせいかもしれず。
吠えることしか知らない上司のせいかもしれず。恐らく表面的な要
因はそんなところなのだろう。しかし私の想いの奥底を貫く因子は
唯一つ。つまらぬ日常と知りつつも、其処から抜け出す勇気を持て
ない己の不甲斐なさ。それを許せぬ自尊心こそが、私の目付きを鋭
くさせ、重い溜息を吐かせているのである。

「返してー」
 先端の尖った私の心に、女性の悲痛な叫びが飛び込んできた。そ
れは一瞬作り事かと疑う程の、典型的なひったくりの光景だった。
女性の鞄を奪った男は、私の脇を一直線に走り抜けていく。ネクタ
イが小さく揺れた。その刹那、私は反射的に男の背中を追いかけた。
無論私が反射に導かれたその訳は、正義感などと云う真っ当な感情
に由来するものではない。それは「唐突な殺意」と換言しても良い。

 40代の後半にも見受けられるその男が、なぜ20代の私の目の
前で、原始的とも思えるひったくりと云う行為に及んだのか。その
理由を探った時、私の理性は崩壊する。
 その男の目に私と云う人物は、追いかけられても充分逃げ切れる
程に、精気を失った脆弱な男として映ったと云うことか。さもなく
ば、目前でひったくりを犯しても見て見ぬ振りをするような、そん
な狡猾な男として映ったと云うことなのか。
 何れにしても私はその男に酷く愚弄されたのである。平素であれ
ば、それは取るに足らない小さな怒りとして抑える事の出来る、下
らぬ痛みに違いない。しかし、肥大した自尊心に苦しめられる今の
私にとってそれは、「唐突な殺意」を育むに充分な、一つの致命的
な傷であった。凶行に至るに充分な程の。

 全速力で追いかけた私は直ぐに男に追いつき、馬乗りになって男
の鼻に右の拳を振り下ろす。返り血がYシャツを紅く染めようとも、
男の必死の謝罪が恐怖の叫びに変わろうとも、私の拳は止まらない。

 横でひったくりの被害者の女性が、泣きながら立ち尽くしている。
それでも私のこの衝動は、益々残虐性を増していく。

 もう全てが、穏やかに、月の無い夜の闇へと葬られようとしてい
た。






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