第17回1000字小説バトル
Entry27
どうして花火なんかがいいのだろう。 彼女は真っ暗な風呂場で線香花火を始めた。午前2時。きっちり 37度に温められた湯の中から、だらりと2本の腕を垂らし、線香 花火の先っちょにチャッカマンの鮮やかな炎を近付ける。ちりっと 音がして、片桐は目を覚ました。 「夕子! おい、夕子! 馬鹿野郎、何時だと思ってるんだ!」 風呂場から返事はない。ただちりちりと小さな光が弾ける音だけ が聞えてくる。火薬の匂いが片桐の鼻孔をくすぐり始めた。 片桐は舌打ちと寝返りを同時に打ち、敷島に火をつけた。夕子の それよりはいくらか大きい火の玉が寝室の暗闇に点滅する。3分ほ どのわずかな愉悦に気を紛らわせ、赤い光を押し付ける刹那、彼は ステンレスの灰皿に映る歪んだ自画像を目にした。 線香花火でウォーミングアップを施した夕子は、洗面器を裏返し てドラゴン花火をしつらえた。線香花火の残り香と37度のお湯を 肉体に染み込ませながら、しばしの静寂を味わう。やがて彼女の肉 体とそれを取り巻く世界との境目が渾然とし始め、静かなる意識が チャッカマンと化して導火線に火をつけた。 轟音とともに噴出する火柱に彼女はうっとりと目を細める。うっ とりと目をさらに細めて大きく息を吸い込み、静かに顔を湯の中に 沈めていく。微かな水圧によって轟音は遠ざかった。炸裂する火花 が水の向こうに浮かんでいる。ゆらゆら揺れる万華鏡の底で、光の 華が舞っている。 「夕子! おい、夕子ったら! もういい加減にしとけよ」 片桐は舌打ちをふたつ打ち、敷島に火をつけた。どうして。なあ、 どうしてなんだよ。火花が飛び散る爆音が鼓動を震わせるたび、彼 の右手は激しく動いた。その激しさは、腰を伝い腹を伝い腕を伝っ て左指を震わせ、敷島はその半分を残して灰皿に落ちた。 湯の中で梵我一如を大悟した夕子は、尾翼だけで飛んでいる飛行 機みたいに蚊帳の中に入ってきた。短い髪を気怠く解かしながら丸 まった片桐の背中を眺める。彼は湿ったティッシュの塊を握り締め、 静かな寝息を立てていた。 「またなのね」 微かに寝息が乱れる。 「ずいぶん勝手だわ」 背中がぴくりと動く。 「あたし、どうしたらいいのかしら」 がば、と起き上がった片桐の目は真っ赤に腫れ上がっている。 「だって、お前が花火なんかするから」 夕子は、すっかり起伏の失われたトランクスを睨み付け、枕の下 に忍ばせておいた高級スキン「うすうす」をぎゅっと握り締めた。
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