第19回1000字小説バトル
Entry1
フローリングに飛び散ったグラスの破片。蛍光灯の鋭い反射に目 を細めながら、ぼくはひとつため息をついた。 翌朝には20ページ分のレイアウトを編集部に渡さなければならな い。それなのに、レイアウトはおろかラフスケッチすらあがってい ない。四つん這いになって、こぼれたウイスキーを拭くぼくの右手 首では、黒い数字が冷たく笑っている。 AM4:00。 わかっている。朝九時までに渡さなければ、まだ駆け 出しの自分の足場など簡単に無くなってしまうことぐらい。 ウイスキーなどあけなければ良かった。後悔しながら、こぼれた ウイスキーとグラス片をそのままにして、再びパソコンに向かう。 簡単だ。雑誌のデザインなど。ものすごくきれいに光り輝かせる か、 逆に目も背けたくなるほど下品にするか、どちらかにすればO Kだ。一週間もすれば忘れ去られる。 マウスに乗せた手は、しかし一向に動こうとしなかった。四時三 十分。時間だけはきっちり刻まれていく。 ウイスキーの瓶に、再び手がのびた。その時、グラスを一つしか 持っていなかったことに、今さらながら気づいた。たった一つを割 ってしまった以上、もうこの部屋にグラスはない。 昔はよくラッパ飲みしてたじゃないか。そう思い直して瓶の首を 握る。しかし、口に持っていくことはどうしてもできなかった。 --それ、みっともないからやめなよ。私グラス買ってきてあげる パソコンの前を離れ、再び床に屈みこむ。拭き残したウイスキー に、ぼくの顔が映っている。無精髭が顎を黒く染め、頭頂部の髪は 逆立っていた。そんなぼくの顔を、グラスの破片が縦横に切り裂い ている。ぼくは自分の顔を治癒するために、破片にそっと手を伸ば した。 --仕事の方が楽しいみたい ウイスキーは君が買ってきてくれたグラスで飲むし、君の嫌いな 鬚も毎朝剃る。そして君の横でラフを引き、マウスを滑らせる。そ れが当たり前になっていただけなんだ。 --友達の頃に戻れればいいのに もう、ラッパ飲みしていた頃のぼくではないんだ。君がぼくを変 えてくれたんじゃないか。 --元気でね。さよなら 鋭い痛みが走った。指先で赤い水玉が見る見る大きさを増し、ひ と雫、ウイスキーの水面にたれた。拾えなかった最後の破片が、別 れた日のように、ぼくの顔を赤く歪ませていた。 翌朝、無事レイアウトを編集者に渡した。ぼくは裕子の結婚式に 行くかわりに、商店街で新しいグラスを買った。
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