第19回1000字小説バトル
Entry35
お父さんは本の中にいるのよ、と母はよく言った。父は私が3歳 のときに死んでしまい、だから思い出なんてほとんどなかったけど、 父の書いた本を通して、私は父に触れることができた。そして幼い ころの私は母の言葉を聞いて、本に出てくる登場人物の中に父がい るのだ、と考えていた。心から信じていたのか、と言われると自信 はないけど、少なくとも、そう思い込んではいた。 作家として父はけっして多作だったわけではないが、『川沿いの アールアール』から始まる童話のシリーズは、番外編も含めると20 冊を超えた。父といえばアールアール、と言ってもいいぐらいで、 私も、そのシリーズは大好きだった。 「ぼくはもう大人だ」というのが、永遠の14歳アールアール・ アールの決めゼリフで、そんな彼こそが、しばらくのあいだ、私に とっての父だった。 母が私を子ども扱いすると、私はきまってアールアールのまねを した。「わたしはもうおとな」と言って腕を組み、鼻をつんと上に 向ける。そうすると母は笑って、「はいはい、ごめんなさいね」と 言うのだった。 父兄参観日には、アールアールの本を何冊か選んで持っていった。 叔父さんが来てくれると言ったとき、私は頑として断った。アール アールは父ではないということを認めてしまうと、なにかが壊れて しまうような気がして、とても怖くて、それだから私は意地を張っ た。叔父さんにはすごく失礼だったなあ、と今では思う。 アールアールはずっと14歳のままだったけど、私はやっぱり年 をとる。中学生になったころから、私はアールアールとの年齢差を 気にしはじめた。アールアールと同じ年齢になって、そして私のほ うが年上になってしまうことが、どうしようもなく不安だった。ア ールアールが父である、という私の幻想にとどめがさされてしまう と思った。父を失ってしまう、と思った。 シリーズの最終巻『線路沿いのアールアール』の最後の場面、彼 は家族と暮らしていた川沿いの家を出る。「ぼくはもう大人だ」と アールアールは言う。「だからしんぱいしないで。ちゃんとごはん は元気よくたべるからね」そして彼は大好きなメロンパンを口いっ ぱいに頬張るまねをしてみせる。 14歳の誕生日、母が私と友達に切り分けてくれたケーキを前に して、「私はもう大人だー!」と寂しい気持ちを抑えるごとく、叫 ぶように私は言った。そして大好きなショートケーキを元気よく、 口いっぱいに頬張った。
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