第20回1000字小説バトル
Entry28
午前十時少し前、トーストに味噌汁の朝食を終えると、妻が箪笥 の一番上の引出しからB4版の薄い紙を取り出して、「これに署名 と印鑑をお願いしますね。別のやつのほうがいいみたいだから…… ハンコ、会社に一本あったでしょう」と私の前に出した。左上に紫 の四角形があり何桁かの数字が並び、その脇に「不倫届」と書いて あった。届出人の氏名、本籍、居住地等の欄には妻の几帳面な字が 並んでいた。 「今度から届出制に成ったらしいのよ。ちゃんと届けておかないと 転出とか年末調整とか介護のときに困るらしいし、届のコピーを見 せるとホテルとか映画とかレストランなんかも安く利用できるらし いのよ」 配偶者の欄は空いていた。要するにここに署名捺印せよというこ とらしかった。その下の「配偶者の認識」の五択欄の「知らぬが仏」 に丸がしてあり、「配偶者の認否」には「発覚して感情的になるが、 後に容認」と書かれてあった。 「子育てと家事とパートだけじゃストレスもたまるし、スリルもな いし、飽きるわよねえ。あんたも会社の若い娘に手を出してんなら、 早く届けておいたほうがいいわよ。健康保険なんかも使えるらしい し。友香ちゃんて言ったっけ、この間の娘?」友香とは一度食事を しただけだ。 右側には、不倫相手の氏名、性別、年齢、本籍、居住地等が別の 筆跡で書かれていた。「川本利夫」誰だろう。「相手はほら、この 前車を買いかえるときに親切にしてくれたディーラーの人よ。26 歳なんて書いてあるけど、本当かなあ。相当女遊びをしてるって感 じよ。でもまあ、独身だし。遊びは遊びって割り切ってる感じだし ね。憶えてる?あの人」 髪を染めた長身の若者の姿がおぼろげに浮かぶ。不倫相手が既婚 者の場合は、その配偶者、未婚で未成年の場合は、両親の認識、認 否が同様に五択になっていた。川本君の場合は空欄だった。 「本当は相手も届を出さなきゃならないらしいんだけど、彼はなん か特別な免許を持っていて、同時に十人までなら無届でいいらしい のよ。まあ、不倫相手にヤキモチ焼いてもしょうがないけど、失礼 しちゃうわよね。あら、あなた時間だいじょうぶ。遅番でも十一時 までには出社しなきゃならないんでしょう」 妻に促されるまま、不倫届を昨夜のうちに預かった娘の援助交際 届と息子の家出届と一緒に鞄に詰めて家を出た。途中、役所に寄っ て離婚届の用紙を一枚、死亡届の用紙を二枚もらった。便利な世の 中になったもんだ。
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