第20回1000字小説バトル
Entry6
仕事からの帰り。 いつもの坂道を薫は少しうつ向きぎみに登って行く。 軽く湿った夜霧が緩やかな登りのカーブの車路を黒く染めている。 薫が顔を上げると、薄霧の向うに淡く光る街灯の連なりと木々の隙 間から覗く黄色い月が、乳白のグラデーションを創っていた。 KENTを取出しzippoで火を付ける。 薄明かりの中、薫の周りが青白く染まってゆく……ふいに あの昼間の、何とも言えないやり場のない気持が薫の心に蘇る。 「俺だったらどうする」 薫の独り言は、落葉と煙と月の淡い光に流された。 「篠崎課長、自宅から電話ですよ」 女性スタッフのぶっきらぼうな声、麻美。 「え?ああ、出るから。薫、ちょっと悪い!」 薫と設計プランの打合せの途中だった。 「俺だ……ああ……そうか……わかった、兄貴達には俺から伝える から……」篠崎は受話器を置く。太い溜息、瞳が震えている。 「どうかしたんですか課長?」 薫の無神経な言葉が篠崎の顔をゆるめていく。 「いや、親父が今……息を引取ったんだ……」 篠崎はなぜか優しい瞳で答えた。薫は言葉が出なかった。 何とも言えないやり場のない気持…… 薫はKENTを思いっきり吸った。 歩く靴の下、落葉が寂し気に音をたてる。 (俺の親父とおふくろ……)薫はもう何年も家には戻っていない、 たまに向うから留守電が入っているぐらいだ。 「これでいいのか……幾つになるんだろう……」青白い煙の中、 薫は呟いた。薄暗い坂道を登りきって夜空を見上げると、 月は霧の中に隠れてしまっていた。薫は決めた。 部屋に着くと、薫は引出しの奥から少しくたびれた便箋を取出し 窓際の小さな机に向かった。白い紙に紺色の文字がとぎれとぎれに 引かれていく。 『元気ですか。 俺は今、仕事も順調で会社の人とも上手くやってます。一人暮らし にもすっかり慣れて、昔と違いわりと部屋も綺麗にしています。 〜中略〜 なかなかそっちに帰れませんが元気でやっているので心配はしない で下さい。いつか直接見てもらいたい俺の住んでいる横浜の夜景と アパートの近くの風景写真を送ります。 家の事は兄ちゃん達にまかせて、親父とおふくろで一度……』 ペンを握ったまま机にもたれて眠る薫の顔。 いつの間にか幼い頃に見せた優しい寝顔になっている。 その寝顔の向うには、朝靄にけむる坂道が、朝陽と落葉の色で淡い オレンジ色に染まっている。 その窓越しの風景は、薫の静かで穏やかな優しい想いを、約束して くれる様に、静かに光を増していた。
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