第21回1000字小説バトル
Entry1
朝日がまだ朝日らしさを失っていない時分に電車に乗り込む。 まだ通勤時間には早く人はまばらだ。 入り口近くの席に座り、バックの中から「掌の小説」を出す。 パラパラとページをめくり「火に行く彼女」のページを探す。 電車が動き始め、アナウンスが流れる。 穏やかな一日。学生の私は時々行く当ても無く電車に乗る。 そして、穏やかな気持ちで景色を眺め、文字を追い、思いに耽る。 何故川端康成は夢に彼女を見たのだろうか。 愛を知らないはずの彼がどうして涙を流したのか。 電車が陸橋に差し掛かり、単純な直線が規則的な三角形を作り出 す。 優しい光と暖かい影が交錯する。 小説に目を落としていた私は光と影の戯れに思わず目を細め、諦め たかのように小説を閉じる。 ふっと視線を正面に移す。窓の外には汚れていたはずの川が見える。 その瞬間の川は太陽に祝福されたがごとく光り輝いていた。 私はその瞬間、その川を美しいと思った。 普段気にも止めない汚れた川。 美しかったであろう水は緑色に変色し、川辺には大量にごみが捨て られ、それが当たり前であった川。 命の無い川のはずだった。 思わず涙が溢れそうになり、頭を下げた。 きっと美しいものというのは日常の中に潜んでいて、ある瞬間だけ、 しかも気まぐれにその姿を見せるものなのであろう。 周りを見渡せばきっと見つかるだろう。あなただけの美しいものが。 あなたしか知らない、あなただけの美しいもの。 きっとそれを見つけたとき、あなたは涙を流すだろう。 私がそうであったように。
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