第21回1000字小説バトル
Entry3
けたたましい始業ベルの後、準備体操の音楽がパン工場の労務課に も流れてきた。 「おい!武井、村上係長のインフルベンザの噂もう聞いたか?」 「ああ、何でも当社の大阪工場からトビヒして猛威をふるっている らしいなァ」 「ウイルスではないから、予防接種も役立たずだ。村上係長は発病 以来、新宿2丁目通いが始まったらしい」 「しかし熱も出ないしある意味では厄介だな。オレはごめんだね」 「そうだよ、癖になるのが始末に悪い」 その日の午後、田村は”安全第一”の腕章をつけて、構内巡回に出 た。半日かけてもまわれない程広大な敷地だ。 空はどこまでも高く、絵の具の青が輝いている。こんな秋晴れの気 分の良い日は巡回に限る。パンの香りの混じった風が樹木の緑を揺 らしていた。 国内最大のハイテク生産工場に、あの病気がねェ...。田村は休憩 室でタバコに火を点け独り言した。 そこへ息を切らせながら武井が走り込んできた。 「村上係長が午後の始業から見当たらないんだよ」 「急用でもあるのか」 「フランスパンとクロワッサンの生産ラインの担当が、パン酵母の 発酵温度の設定ができないと文句を言ってきている」 「今朝は元気に例の調子でオハヒヨウと言ってたぜ。病気による言 語障害が出てたよな」 「オレ、糞でもして持ち場に戻るわ。見つけたら頼んだよ」 最近、衛生第一の工場で日に2、3回はトイレに駆け込む従業員が 増えたなぁ。暫くして田村も便意をもよおしトイレへ駆け込んだ。 ひととおり、排便を済まして何気なくロールペーパーに手を伸ばす と、メモ書きがあった。 何だこれは!目の前に薄い字で'CAUTION'と書いてある。 警告だと...。 温度 高め 水勢 超 シャワー 連続15分 必ず平常心で菊の御紋及び蟻の戸渡りを狙うこと 何気なくその通りに操作してみた。ウグアウオウ、オオオウ、ウグ ッ。汗だくの手は決して操作を止めない。オヨヨヨヨ、ウイイイイ 手が言うことをきかない。ひざ小僧がガクガク震えだし、顔の表情 も三白眼でウルウルしている。強烈な振動とヤケドしそうな温水が どんどん神秘的な菊の御紋に分け入ってくる。 頭の中が蕩けそうな、めくるめく快感で真白になり、蟻の戸渡りへ は行き着けそうもなかった。 田村が虚脱して20分後にドアから出ると、隣から村上係長もトロ ンとした瞳で出てきた。 「ア、カカヒチョウ、オヒュカレ様デス」 「オマエモ、トフトフ、インフルベンザゾナ」 「オヨッ、オヒュカレ!」 前から武井も出てきた。
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