インディーズバトルマガジン QBOOKS

第22回1000字小説バトル
Entry15

眩惑

作者 : 百内亜津治
Website : http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/1516/
文字数 : 972
 朝、いつものようにトイレに閉じこもっていると、玄関のドアを
開ける音が聞こえた。それから足音が近づいてきて、わたしのいる
トイレの前で誰かが立ち止まったような気配がした。一体どういう
ことなのだろう。そして、ふう、という柔らかい溜息が聞こえてき
た。
「それにしても君……」
薄い壁を隔てて声がした。若い男のような声。
「物事に必ず始めと終わりがあるように、君だって君の会社だって
そうじゃないか」
こういう場合、答えるべきでないことは本能的に分かっていた。
「例えば君が好きだという“あけみちゃん”。あれは付加的効力に
反する人物だというのが専らの噂だ」
わたしは思わず“あけみちゃん”を頭に浮かべてみる。それにして
も、どうしてこんなに愛している人ほど、イメージがぼやけてしま
うのだろう。
「すべては君自身の責任だ。人的抗弁の無限責任を負わされるとい
うのは君にとって不本意だろうが、それが“必然”である以上、君
は何の口出しもできないはずだ」
何だか胸の辺りが苦しくなってきた。その感覚は、悲しみの平行線
上にあるように思われた。ああ、どうしてこいつはこんなに馬鹿な
んだろう。
「こうしたことは、だいたい人間の卑劣な責任回避の口実に過ぎな
い。そうした願望が君たちをどこまでも苦しめつづけたことだって、
当然といえば当然のことだ」
果たして永遠の愛とは一体どういう形をしているのだろうか。わた
しは映画「タイタニック」を2回も見たので、船の形をしているよ
うな気がするのだが。
「君には何も分かっちゃいないんだ。今や可逆的になった時間は、
それぞれの用途に応じて様々な仕方で分断されていくだろう。すな
わちあらゆる善と悪が渦巻状に交錯して、これら手の施しようのな
いアホどもを縛り付けるんだ」
締め付けるような苦しみは押し出される困惑に変わり、そしてそれ
はマイナス90度反転して湧き上がる怒りに変わることだろう。
「本質的な部分に近づくにつれて、それはある種の美しさを帯びる
ようになる。哲学は一種の詩だからね」
奴はそう言うと、ふっと鼻の先で笑うのだった。
 わたしは突然激しい興奮が胸の奥の奥から駆け上がってくるのを
感じた。それと同時に立ちあがって、ドアを激しく押し開けた。目
の前には、わたしと同じぐらいの背の「キリン」が立っていた。
「待ってたぜ」
奴はその薄茶色の口元を緩ませて、ニヤっと笑うのだった。






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