第22回1000字小説バトル
Entry16
「寝台車、鈍いな」 男は狭い寝台に横たわったままで、呟いた。 「本当鈍い」 何度目かの寝返りを打ってから、ぎりりと歯を噛み鳴らす。 車輪がレールの継ぎ目を通る、ガタンゴトン、という音の幅が限 りなく広い。 「もっと速く進めよ」 寝台車は、乗客たちの苛立ちも知らぬ風に、夜の闇をただひたす らゆったりと走り抜けていく。 「っ」 舌打ちして、彼は身体を起こす。低い天井に頭をぶつけないよう にして、かたわらのバッグを掴んだ。 「ったく、鈍い」 自分の呼吸のリズムを意識的に早めて、ぎゅっとバッグを抱き締 める。 ピン・ポン・パン・ポーン。 「!!」 男はびくっと肩を震わせる。 『お知らせします。信号機故障のため、現在藍川本線は全車両徐行 中です。次の停車駅、東藍川へは定刻より一時間遅れて三時十分の 到着となります。ご迷惑おかけします事を心よりお詫び申し上げま す』 放送が終わると同時に、寝付けなかった他の乗客たちの小さな話 し声が聞こえ始めた。 (午前三時に東藍川だと? それじゃあ、成田にはいつ着くってん だ) 男はじっとバッグを見つめていたが、決心したようにコートに袖 を通した。それから、寝台から降りた彼は、出入口がある車両の連 結部に来た。 ドアに付いた窓から外を伺う。雲が出ているらしく空は漆黒で、 山の稜線が僅かに白んでいた。手前の水田や農家がゆっくりと動く のが、暗闇の中でも見える。 (これでは無茶か? いや、もう少し鈍くなれば) その時。 暗闇の中に、一筋の光が見えた。点滅する赤い光。 (!!) そして、それに呼応するかのように列車はスピードを落としてい く。どんどん落としていく。もう、歩く早さと変わらない。 (確かこの先に――よし、このスピードなら大丈夫の筈だ) 男はドアの横に付いている非常レバーを引いた。そして、ドアを 手で開く。 吹き込んでくる激しい風と、遠くから聞こえるパトカーのサイレ ン音。そして今正に、寝台車は川に掛かった橋を渡ろうとしていた。 「今だ!」 男は寝台車から身を踊らせた。 やけにゆっくり、水面――いや、瞬く間に水面を通り過ぎて、河 原のごつごつとした岩場――が近付いて来た。 一瞬だけ見えた水面には死んだ医者の顔が、数時間前に男が殺し、 金を奪った医者の顔が、映っていた様に感じられた。 「寝台車、思ったより、速い……」
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