第23回1000字小説バトル
Entry18
奴がやって来る。 あのクソ野郎はわずかな訪問の合図を送りつつ、突然やってくる。 先人が出てくるのを待つ間、こらえきれずハンカチで鼻をおおう。 ちらりと感じたカレーの匂い。 ルールー、カレー・・・カレェェェ・・・・ 出てきた男の横をすり抜けてトイレに入る。 このカレーの匂いはどこから? 襲われる脱力感。 ハンカチに黄色いご飯粒がこびりついていた。 固まりかけた黄色いご飯粒。 食卓を思わせるほのかな辛味。 芳香剤としてのカレー。 忘れないうちにメモ帳にペンを走らせた。 ◎盲点をついた芳香剤。例えばカレー。 カレェェェ・・・ 「今日の夕食はカレーかな?」 「いいえあなた。今日はお寿司よ」 倒されたちゃぶ台。肩を寄せ合う母と私。 暖かい食卓。ささやかな幸せは突然奪われた。 「いつものお父さんじゃない・・・・」 優しかった父親がその時見せた背中は哀愁を漂わせ、眉間には深い 皺が刻まれていた。 厳しい現実からの逃避。 しかしあのとき父は何も失っていなかった。 「奥さん、そりゃその商品とは関係ないことですよ。確かにカレー の匂いはしますよ。だって、 芳香剤としてのカレーなんですから 」 冷たくあしらわれた消費者センターへのSOS。 母親に忍び寄る狂気の影。 (カレーの匂い) そう書かれた遺書は時効となった3億円事件の捜査書類とともに燃 やされた。 呆然と自分を見つめる男。 くわえていたはずの花柄ハンカチは排水口で水の流れを止めていた。 いやなことを思い出してしまった。 誰にも知られたくない過去。 ・・・・・・ ・・・・? おかしい。何かがおかしい。 ・・・・! あの頃存在するはずのない 芳香剤としてのカレー。 そしてそれがもとで私の身に起こった 家庭崩壊。 すべては私の妄想の中で組み立てられた 過去。 私が書いた論文『夕食予想と父親の威厳との関係の考察』 「ユーアーベリーグッド」 ジェームス博士がそう言って立てた親指が、満面の笑みが消えてい く。 遺伝する狂気。 花柄のハンカチを取り上げた。音をたてて流れだす水。 濡れた手をそっとズボンに当てる。 遺伝するはずのない妄想の中での両親の狂気。 そっとズボンの前を濡らすハンカチ。 あのクソ野郎はわずかな訪問の合図を送りつつ、しかし確実にやっ てくる。 濡れたズボン。浮き上がるシミ。 「ユーアーベリーグッド」 ジェームス博士は親指を立て満面の笑みでうなずいた。 ジェームス博士の歯についた青ノリ。 些細な絶望。
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