インディーズバトルマガジン QBOOKS

第23回1000字小説バトル
Entry24

計算ミス

作者 : yamac
Website :
文字数 : 1000
 宇宙服の酸素が不足していることに気づいて彼は愕然とした。徐
々に呼吸が苦しくなっている。
「おかしい。計算では基地に着くまで十分保つはず」
彼は頭の中で検算してみた。そろばんで培った暗算力には自信があ
る。間違いはない。だが、いくら目を凝らしても月基地は見あたら
ない。方角が正しいことは太陽の位置から明白だ。
 一瞬嫌な予感が心に浮かんだ。「誰かが宇宙服に細工をしたのか
…」月基地の中で唯一の日本人である彼を、同僚たちが陰でJap
と呼んでいることは知っていた。が、こんな命に関わる悪戯をする
わけがない。彼は頭を振ってその考えを振り落とした。

 月面上では地平線はわずか3キロ先である。彼は基地の姿がすぐ
に地平線上に現れることを期待して歩き続けた。しかし、呼吸は苦
しくなる一方だ。急ぐあまり思わず脚に力が入る。だが月の重力下
ではすぐに2mほどの高さまで体が浮き上がってしまう。そして、
ゆっくりと着地する。彼の焦りは募る一方だった。
 ようやく地平線上に基地が現れたときはもう限界だった。酸素不
足で激しく頭が痛み、視野狭窄をおこしていた。ついに力尽き、彼
は仰向けに月面に転がった。頭上には真っ青な地球の姿があったが、
彼の目には映るはずもなかった。

 数時間後、基地からわずか1キロの地点で彼の遺体は発見された。
調査の結果、故障した月面ローバーの中に、基地までの距離を計算
したメモが見つかった。それにより予備の酸素タンクを持たずに基
地へ戻ろうとした判断ミスと断定された。

 地球ではこの事件を不審に思った記者がNASAを訪れた。
「ねえ、広報官殿。何で予備タンクも持たずに歩き出しちゃったん
でしょうね」
「よほど自分の計算に自信があったんだろう。故障地点の座標と基
地付近の月の曲率半径を知っていれば、距離などすぐに分かる。予
備タンクはかさばるからな」
「でも、無線連絡して救助を待つこともできたんでしょ?」
広報官は、だから素人は困るとでも言いたげに鼻を鳴らした。
「馬鹿言っちゃいけない。電離帯のない月では無線が届くのは目で
見える範囲だけだ」
「でもね、私の取材では基地で陰湿な差別があったという情報も…」
「くだらない鎌をかけるんじゃない。証拠品の計算メモの写しを見
てみろ」
渡されたメモを見て記者は呟いた。
「うーん、やはり事故ですかね。でもこんな計算をするなんて、ど
んな教育を受けたんでしょうね、この日本人は。円周率が3だなん
て…」






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