第23回1000字小説バトル
Entry29
私はそれでも小説を書かねばならない。 そう、どこかでだれかが決意する。 それはありふれたことで、とても名前をつけるような事ではな い。 それでも我々は、彼を「次郎」と呼ぶことにする。 次郎は真っ暗な空間の真ん中で、決意する。 私はそれでも小説を書かねばならない。 次郎は真っ白なディスプレイに向かって、とめどなくあふれ出す 言葉をなんとかつかまえようとして、もがき苦しむ。 浮かんだとたんに消えてしまい、思い出そうとしても曖昧で、そ のうえ自分の貧しい才能では決してつかまえられない、言葉を。 彼は書こうとする。 次郎は、語り始める。 語り紡がれる言葉は、いままでに何度も何度も語られた言葉だ。 彼の語る物語は、ほんの少し前に誰かが語ったもので、その誰か が語ったものは、やはり、もっと昔の誰かが語ったものだ。さらに その誰かが語ったものは、もっともっと昔の誰かが語ったものだ。 そのことに次郎は気がつかない。しかし、やがて気がつくことに なる。 次郎は語る。 つまらぬ物語を。ありふれた物語を。これまでに何度も何度も語 られた物語を。 いくつもいくつも、次郎は書き続ける。 そうして次郎は気がつく。 自分は人間であることを。 人間はやがて死ぬということを。 次郎は自分の運命が恐ろしくなり、混乱し、そして今までの自分 を確認したくなる。 次郎は自分がいままで書いてきた小説を読み返す。 得意げに鼻を膨らませ、気取って足を組み、唇の端をゆがませて 書いた、斬新で独創的な小説を。 彼は読み返す。 何度も何度も読み返す。 読み返して、気がつく。 これはもうどこかで誰かが語った物語なのだ。 あの斬新で独創的に見えた物語の、なんと安っぽいことだろう。 情熱的に取り組んだ、数々の作品の、なんとつまらぬことだろ う。 次郎は思う。 先人たちの優れた作品に比べれば、私の作品など何の意味もない のだ。 そこに私が付け加える言葉など、一言たりとも残されていないの だ。 真っ暗な空間の真ん中に、彼は座り込む。膝を折り、顔を手で覆 う。 すると、覆った手のひらの内側に、きつく結ばれた唇の奥底に、 とめどなく無数の言葉がやってくる。 暗闇の中で、それは一層輝きを増して、彼を誘惑する。 「おまえはそれでも書かねばならない」 私はそれでも書かねばならない。 真っ暗な孤独の真ん中で、彼は決意する。 別に珍しいことではない。 ありふれたことだ。
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