| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | 空っぽの家 | 高橋英樹 | 993 |
| 2 | 蜘蛛 | 森田英一 | 1000 |
| 3 | つくしんぼう | さとう啓介 | 1000 |
| 4 | 気球 | のぼりん | 999 |
| 5 | 汗垂るる人 | 有馬次郎 | 1000 |
| 6 | blind soldier | 筬島 桂 | 635 |
| 7 | だれが一番おばかさん? | 羽倉諒 | 993 |
| 8 | イイオンナ | マコト | 970 |
| 9 | 「僕らの時」 | Ryo | 1588 |
| 10 | コピーライター | RIBOS | 1000 |
| 11 | あこがれ | Naoki | 942 |
| 12 | ※作者希望により削除しました | ||
| 13 | お楽しみ券 | BEAN | 997 |
| 14 | 蒼の首輪 | 織衣 桃花 | 746 |
| 15 | 空っぽの水槽 | 西村卓磨 | 999 |
| 16 | でせう | 梅田 径 | 953 |
| 17 | あなたはそれを、悪運だ、といった | OresamaX | 1000 |
| 18 | カレー | くるり | 996 |
| 19 | 夕食うんこ | 百内亜津治 | 1000 |
| 20 | 二年前 | ひょん | 1000 |
| 21 | 次の千年期に | るるるぶ☆どっぐちゃん | 996 |
| 22 | 猫になる | 蛮人S | 1000 |
| 23 | 風の草原 | 伊勢 湊 | 1000 |
| 24 | 計算ミス | yamac | 1000 |
| 25 | 紙飛行機 ★ | 川島ケイ | 1000 |
| 26 | 森に願いを | 川辻晶美 | 1000 |
| 27 | 盗作 | 越冬こあら | 1000 |
| 28 | ストーカー引き受けます | 太郎丸 | 1000 |
| 29 | 次郎 | 逢澤透明 | 1000 |
| 30 | 年頃 | 羽那沖権八 | 1000 |
昨日が終わり今日がはじまった。昨日もなにもなかったし、今日 もたぶんなにもない一日になるに違いない。夜の闇のなかで僕はビ ールを飲み続けていた。空っぽの冷蔵庫と空っぽの家と空っぽの僕 が台所のいつもすわる席に腰をおろし、ただビールを飲み続けてい る。なんの音もしないところで蛍光灯の電気もつけずに僕はなにも ないところでじっとしている。 玄関をたたく音がした。 「あいてるよ」と囁く。すると彼女が入ってきた。 「なにしてるの? 電気もつけずに」 「うん、ちょっと考えごとをしていたんだ。電気をつけたければつ ければいい」 「あなたがそうしたくなければこのままでいいわ」彼女はそういい ながらいつものところへすわった。 「私にもビールをくれる?」 「そんなこと聞かなくていいよ。すきなだけ飲めばいい」 「もうだいぶ酔っているみたいね。私になにかできることがあるな らば手伝うわ」 「いいんだ。これは自分の問題なんだ。君には関係ないよ」 そんなことをいっても僕には答えがみえてくるとは思えなかった 。 「あまり考えすぎないほうがいいわよ。決してあなたが悪いわけじ ゃないわ」 「なぜそんなことが君にはわかるんだい。僕は悪い人間さ。何もし なかったし、何もできなかった。ただ時間だけが過ぎただけだ。君 にはもうしわけないと思っているよ」 「もういいのよ。気にしないで。もう終わったことなの」といって から彼女は微笑んだ。 僕は缶ビールの缶を握りしめた。溢れでてくる涙がとまらなかっ た。 「あなたにも失ったものはあるし、私もそうよ。ただ私のほうが失 ったものがおおかったってだけのことだわ」 「こういうことはものさしではかれることなんかじゃないよ」 「そんなものよ。私は運がわるかっただけ。あなたは何も悪くはな いわ」 彼女は席を立ち僕のほうにきてキスをした。そして着ていたもの を脱いで僕の上にすわった。 「いいのかい」と僕は聞いた。 「いいのよ」と彼女はいって僕の手を彼女の下腹部にみちびいた。 彼女も僕の下腹部に手を入れた。 そして僕の頬に彼女の頬をつけた。化粧のかおりがしてあたたか さがあった。 「ありがとう」と彼女はいった。 「ありがとう」と僕もいった。 そして彼女は帰っていった。窓からはもう朝の光がはいってきて いた。彼女にはもう会うことはないだろう。 あけた缶ビールの数はどうかぞえても僕が飲んだ分しかなかった 。 もう朝だ。僕は玄関をあけ外にでた。
電車で帰宅する途中、珍しい光景に出会った。 午後十時。僕はドアの隅に立っていた。ふと視線を上げると、天 井と手すりの間に動く物体を発見した。 蜘蛛だった。 小さな鬼蜘蛛が中吊り広告ほどの空間に巣を張っていたのだ。何 の偶然か、電車の中に迷い込んだ蜘蛛はそこを自分の塒にしようと していた。 僕はすぐにその蜘蛛から視線を外すと、他にこの蜘蛛を発見した 人はいないだろうか、と周囲を見渡した。だが、蜘蛛の巣作りを見 ている人はいなかった。僕はその事実になぜか安心感を覚えた。僕 だけがその蜘蛛を見ていた。 蜘蛛は体から出した糸を放射状の巣にしていく。誰に習ったわけ でもないのに、迷いもなく左回りを続けながら糸を紡いでいく。蜘 蛛を目で追いながら、僕はまた周囲を見渡した。しかし、数分前と 同じく蜘蛛に気づく人はいない。今度はやりきれない気持ちになっ た。 「蜘蛛よ、こんなところで巣を張っても獲物は掛からないぞ」 蜘蛛はそれを知る由もないだろう。彼はただ本能に従っているだ けなのだから。 「キミはそうやって巣を張っているけど、すぐ人間に壊されてしま うよ」 僕は蜘蛛に教えたかった。しかし、彼はなりふり構わず巣を作る。 そんな姿が無性にいじらしく、悲しく、虚しいものに思えた。同時 にそれを美しいとも思った。蜘蛛は人間から決して愛される生き物 ではない。そんな醜い生き物が繊細で芸術的な創造物を独りで作る ことができるのだ。なぜ作るのか、なぜここで作るのか、という疑 問はナンセンスだ。それゆえに僕は虚しさの中に美しいという衝動 を感受したのかもしれない。 電車は僕の降りるひとつ前の駅で止まった。ドアが開くと外から 蛙の鳴き声が聞こえてくる。 それにしてもこんなに分かりやすい場所に珍しい光景があるのに、 どうして他人は見つけることができないのだろう。それとも見て見 ぬふりをしているのか。 僕の降りる駅が近づいている。この蜘蛛はこれからどうなるのだ ろうか。たぶん、明日には駅員の手によって取り除かれるだろう。 僕は蜘蛛に情が移ってしまったのか。もちろん、彼らに悲しみや怒 りなどの感情はない。ただ僕の勝手な擬人癖がそう思わせたに過ぎ ない。 でも。 僕は蜘蛛の行く末を思うと悲しくなる。人間のひと払いで蜘蛛の 家は壊される。それを僕にはどうすることもできない。 電車が駅に止まる前に僕は蜘蛛から目をそらした。蜘蛛の巣は完 成までもう少しだった。
柔らかな若草の上。 旦那と二人で寝そべりながら、ほのかな春の陽射しを身体全体に浴 びている。「春だな〜」と旦那の低い声が、私の眠気を誘惑する。 慌ただしい毎日から開放された私は、こんな時間を過ごすのは何 年ぶりだろうと、うつろな感覚の中でゆったりと考た。 いつも忙しい旦那。帰りは遅いし、たまの休みも自宅でパソコン に向かい、仕事か何かの書き物。自分は稼いでいるんだから好きに させてくれみたいな感じだけど、私から言わせればそんなの関係な いわ、自分勝手なだけよ、と思ってしまう。 娘達も手がかからなくなったのはいいんだけど、塾や部活や遊び で忙しくて、見えない所で手がかかるんだよね。 「ママ!明日、朝練あるから早く起こしてね」 「ママ!ユイちゃんと横浜行くの、チェックのスカートにアイロン かけててね」 「おい、今日は会社の仲間と飲みに行くから遅くなるぞ」 みんな自分勝手だわ、私だってやりたい事はいっぱいあるのに! 私の時間はどこに行ったの?昔は優しくて、何でも一緒にやってく れたのに、最近は私が全部やってるのよ!だいたいあなたも大きな 子供じゃない!私の事も少しは気づかってよ! 肩を怒らせて旦那に噛み付いた。旦那の驚いた丸目が点になって いる。子供達もビックリした顔で「ママ?大丈夫?」と私の顔を見 る。私は顔を横にプイッと反らした。 すると、どこからか聴こえてきた音楽に合せて三人が申し訳なさ そうにパラパラを踊り出した! えっ!何?なに踊ってンの?……夢? ほっぺがくすぐったい。遠い所で旦那の笑い声がする。 何なのこのほっぺの感覚は? 白々とした感覚の中、旦那が私のほっぺを何かでくすぐってる。 「やっぱ寝てたのか、こんな所でも無心に眠れるのはおばさんの証 拠かな」 私はムッとしたが、久しぶりに旦那の懐かしい笑顔を見て何とな く嬉しかった。 「ママ、ほら見て、向うの土手にいっぱいあるんだ」 旦那の手にはいっぱいの土筆が、いかにも「春ですよ〜」とばか りに可愛いらしい頭をのぞかせていた。 「それどうすんの」 「持って帰って食べるんだよ」 「えっ、どうやって食べるの?」 「お前知らないのか?これ旨いんだよ。大丈夫、俺作るから」 旦那は優しい笑顔で、私に「ほらっ!」と一本差し出した。 私はそれをつまんで、これって食べられるの?と思いながらも、 その可愛い姿に見とれるうちに、ちょっとだけ嬉しくなってきた。 「そっか〜尽くしんぼうか〜……。」
ヨットに乗って太平洋を横断していた冒険家たちが思わぬ嵐にあ って遭難した。 救援隊が繰り出されたが、彼らの行方はようとして知れない。長 い月日が流れ、いつの間にか誰も彼らの生存を期待する者はいなく なってしまった。 ところが、彼らは生きていた。なんと無人島に流れ着き、そこで 過酷なサバイバル生活を送っていたのである。 国中がこの冒険者たちの奇跡の生還に沸き返った。何よりも、無 人島からの脱出方法が奇想天外なものだった。 彼らは、一個のガス気球に乗って戻ってきたのである。 気球は完全な手作りだった。ゴンドラはヨットの残骸を組み合わ せ、気球を結ぶ綱はジャングルのツタを撚りあわせたものだった。 そして、もっとも大きな奇跡は無人島にヘリウムガスのボンベが流 れ着いたことであった。 後になって分かったことだが、海を挟んだ隣国の海洋研究所が同 じ嵐の犠牲になって、その設備一切を海に流してしまったというこ とである。ヘリウムガスのボンベもそこから流れきたものだろうと 思われた。 記者会見の場で過酷な漂流と、無人島生活にやつれきった男たち が現れた。しかし彼らの目は、生きて再び故郷の土を踏んだことの 喜びにあふれていたし、困難な状況を克服した達成感に輝いて見え た。 ただ、残念ながら、最初は三名だったクルーは二人に減っていた。 「手放しで喜ぶわけにもいきません」 報道のひとりがそのことに触れると、二人の冒険家は一様に悲痛 な顔になった。 「我々は、一人の犠牲者を出してしまいました」 彼らを取り囲むマスコミはそれ以上の質問をためらった。ひとり が話題を変えようと別の質問をした。 「気球を作って無人島を脱出するとはすばらしいアイデアでしたね。 見たところ、すべて手作りということで、綱やゴンドラの材料はわ かりましたが…」 その時である。 同じ会見場に展示されてあった、帰還に使用した気球に近づくひ とりの男がいた。その行為は気球を一目見ようという好奇心から出 たことだったが、実際近づいてみると、彼には別の疑問が沸きおこ ってきたのである。 気球の表面に産毛のようなものがある。 運の悪いことに、さらによく見ようとした男のくわえ煙草が、気 球に触れて穴を開けてしまった。 一瞬にして、気球は大音響とともに爆裂した。天から霧雨のよう なものが、その場にいた全員の頭上に降り注いだ。 なんとその雨は、彼らを見る見る赤く染め上げていったのである。
私の横でエアロバイクを無心に漕いでいる無精髭の男が呟いた。 「インドアスポーツの中でも、雨の日のジムは窓越しに見る街の風 景が埃を洗い流され素敵に見えるので少しは安心できて、街がまた 再生されていくのだと思うと元気になるので好きだ」 私は「そうですよね」とだけ呟きかえした。 「沈黙と静寂の中で、生の証である汗が洪水の様に滴り落ち腋臭や 口臭が入り交じる単純流れ作業の様に見えるジムでも何故か一歩で も前に進める気がしてとても好きだ」 「うーん、やっぱりそうかも」と呟く幼気な私。 「フルマラソンやトライアスロン完走という程の余韻を、流す汗の 結果に於いてジムの中では長く引きずれそうにも無いが、妙な共同 体意識の内では汗を流した分、個別の満足がある点で差別も無く平 等なのかもしれないので好きだ」 「当然ですよねぇ」と懲りない私。 「メルセデスで来ようが、3区間のバス代を節約して徒歩15分で 来ようが、汗臭い人間同士が結局日々、死に向かって運動している のを考えると、この場の汗の瞬間は理屈抜きで裏切りも無くて安心 できて好きだ」 「うんうん納得」いつの間にか微笑んでいる私。 「この様な場所で燃え尽きる程の自己表現をしたい。たとえ心臓が 停止するような結果になろうとも。脱水症状になろうが貧血を起こ そうが心筋梗塞になろうがゲロを床に吐こうが、いい女が目に飛び 込もうが他人の事など考えず心の中で唾を吐き続け、死に向かって 今日一日を生きるのは、細胞の老化と再生の規則性が不変であるの と同じ位、実に適格で楽しめるのだ」 「そうです、はい。楽しんでます」 自信に満ちた声でウインクしてみた。 「やはりスポーツジムはいい。特に雨の日のスポーツジムはね」 男も両目でウインクを返す。 「自己否定などする暇があったらスポーツジムで燃え尽きろ!一般 人の10倍ぐらいぶっ飛ばして、人の気持ちも考えず自分の事だけ 考えて世の中のアホどもは死んで二度と再生することは無いと心の 中で叫び床にゲロを吐いても鼻血でシャツが真っ赤に染まっても、 雨の風景を見るとそれが自分の魂をも含めてすべてを浄化してくれ ると確信し、安堵してしまうこともたまには良い。それ故また来よ う!雨の日のスポーツジムへ」 「......」 「真の汗は薄っぺらな社交辞令など完全に否定してしまう」 「ね、そうだろ?」 「...ええ、まあ」ああ、身体が熱い。 私は、決して社交辞令ではなく、この男を好きになり始めていた。
目の見えない戦士がいた。 彼は戦闘機がベッドとなってから久しい。 ある夜、彼は言った“この町はおもちゃみたいだ”と。 そしておもむろにミサイルのカバーを開けると 闇夜に浮かび上がるその目みたいなボタンを押した。 “GAME OVER”とタバコに火をつけながら。 赤いスィッチは彼に何一つとして語りかけることはない。 彼は幼い頃、ゲームでよく遊んだものだった。 今だってなにも変わっちゃいない。 変わったことといえば彼の身体がほんの少し大きくなったくらいだ。 誰のために戦ってるのか? なんて遠い記憶の中でひっそりと、どこかに行っちまった。 彼には年老いた母が一人、湖しかない田舎町に住んでいる。 彼女はなにも望んじゃいない。 この男の存在を忘れなどしない。 ただ待つことに疲れ果ててしまっただけなんだ。 彼女のけばだったコートの襟を握りしめて甘えてみせる 幼なかった時間をたどる男の写真を日差しなんか入りゃしない 窓辺に記憶の断片たちと規則正しく遊ばせている。 この女が懺悔とも何ともつかないため息を漏らした頃、 男は眠りについた。 硬く黒い髭から落ちる脂ぎった汗が、この男の流す最後の涙だ。 ただ彼は母親の胸で甘えていたかっただけなんだ。 そんな簡単なことができなかった。 ただそれだけなんだ。 何もこれは悲劇なんかじゃない。 彼は生きているのだから。 この男が死んだような目を向けてもこの老女は知っている。 彼の瞳には光があるってね。 そう、彼は生きているんだ。 その証拠に彼は小豆色の血を燃やして 今夜もゲームを続ける。 目を閉じたまま
アブはハチに聞きました。 「ねぇ、とても熱心に蜜を集めているハチくん。僕に教えておくれ よ」 「なんだい?」 「命ってなんなのさ」 ハチは困って飛び上がりました。 「そんなの僕に分かる分けないだろ。あっちのチョウチョくんにで も聞いてくれよ」 アブは真っ白なチョウチョの隣に座って、お願いしました。 「ハチくんに聞いたんだけど、分からないって言われたのです。チョ ウチョさんに聞いてみろと」 「おや、何かな?」 「命って何なのでしょうか?」 チョウチョは翅を羽ばたかせました。 「それは私にもちょっと……スズメさんなら分かるかも」 アブは高く飛び上がって、スズメのお宿まで飛びました。 「わかんないよそんなの。ハトおじさんなら知ってるかも」 今度はハトに聞きました。 「いやぁ、無理だねぇ。タカ兄さんなら、答えてくれるかもしんな いけど」 期待を込めて、タカのところにいきました。 「ごめんなアブくん。おいらにもわかんないや。ヘビのおじいさん なら物知りだよ」 おそるおそるヘビの頭に止まりました。 「ありゃぁ、そりゃむずかしい問題だべ。どうじゃろ、ちょっくら のっけてやるけん、地底の竜王様んとこさ、聞きにいかんべか?」 アブは大喜びしました。ヘビはアブを連れて竜王に目通りを願い ました。 「なんと! アブがそんな問いを抱えていたのか。だが無理だ。儂 とてもそれには答えかねる。答えてくれそうな生き物といったら、 人間くらいだ」 ヘビはアブと一緒に人間のところにいきました。ちょうど遊んで いた子どもがいたので尋ねました。 「ええ? 分からないよ。僕、そんなこと考えたことないもん。僕 のお父さんはがくしゃさんだから、しってるとおもうよ」 子どもは快く、お父さんを連れてきてくれました。 「なんて珍しいアブなんだ。それこそは私が一生をかけて探してい る問題なんだよ。だから、すまないけど答えて上げられそうにない 」 アブとヘビは竜王のところに戻りました。人間も教えてくれませ んでしたと。 「言い忘れていたよ。子どもと哲学者には聞いても無駄だ。立派と 呼ばれている者に聞くとよい」 アブは言われたとおりにしました。 それはお金を稼ぐことさ。子どもを育てることさ。人を殴ること さ。おいしい物を食べることさ。お酒を飲むことさ。神様の言うと おりにすることさ。人と仲良くすることさ。 アブはたくさん教わりました。思ったのです。 どれが本当なんだろう?
実際、アタシほどイイ女なんていないと思うわよ? いつも優しくって、ウルサイことなんて全然言わないし? もちろん詮索だってしない。友達と遊びに行くって聞いた ら「楽しんできてね」って笑顔でお見送り。 お給料日前でお金がないならアタシが出してあげる。欲し い物だってちゃんと覚えておいてプレゼント。 アナタはとってもスタイルを気にする人だから、でもアタ シから見ればアナタはいつだってとってもステキだわ。格好 良くて見惚れちゃう。 いつでもアナタをたてて、でしゃばったりしない。アナタ が誰かと話をしてるなら、アタシは後ろで微笑んでいるわ。 アナタの言うことには絶対に逆らったり反対したりしな い。アナタがいつだって正しいの。 もちろん浮気なんてとんでもないわ。アタシはアナタ以外 の人間なんてどうでもいいもの。アナタの為なら何だってす るわ。 ね? 最高の恋人でしょ。こんなイイ女、他にはいないわ よ? それなのに。 サヨナラ? それは何? アナタみたいなワガママな人、アタシが甘やかしてあげな くちゃダメなんだってば。他の女になんて、絶対無理よ? 他に好きな人がいるの? 何よ、それ。アタシのこと好きだって言ったじゃない。 大事な人? 他の女が好きで、でもアタシも大事? 手放 せない? そんなのイヤよ。アタシにはアナタだけなのに。アナタに もアタシだけ。ずっとそう信じていたのよ? 好きだった? でも近くにいすぎた? だから恋人じゃ ないけど大事? ふざけないで。アタシはずっとずっとアナタのためだけに 生きてきたのに。 …わかったわ。 嬉しそうな顔をするのね。 アタシはアナタのことなら何だってわかってるわ。アナタ が本当は嘘を言っていたことだって知っていたの。アナタの 嘘くらい、すぐわかるのよ? それでも黙っていたのにね。 アナタはアタシのこと、何もわかっていなかったのね。 確かめなくていいのかしら? アタシが何を「わかった」 のか。 アナタに捨てられるくらいなら生きていられないって、ず っと思ってたわ。それは本当よ? いまだって死んでしまい たい。 でもね。 アタシもアタシ自身のことはわかっていなかったのね。そ れがいま「わかった」の。 だから。 「わかったわ」 アナタってばそんなにほっとした顔をして。 でもすぐにきっとわかるわ。 アタシが一番イイオンナだってことが。
父は僕の目の前で自殺した。静かに自分の頭を打ち抜いて、、、、 、 僕は、その時はじめて父の涙を見た。 僕は生まれた時から、父と二人で、暮らしていた。外界とは閉ざさ れた山奥で、、、 父は、母の事を語ろうとはしなかったし、僕も聞きたいとは思わな かった。 父は僕に多くの事を教えた。飢えをしのぐ方法、何時間も同じ場所 から動かない方法、 そして人間を効率よく殺す方法、、、、、 しかし、父は僕に感情は教えなかった。だから僕は感情を知らなか った。喜び、悲しみ、怒り、、、 すべての感情と呼ばれる物を僕は感じたこともなかった。いやむし ろ理解すらしていなかった。 それが何か、どんな物か、どういうときに感じるか、僕にはわから なかった。 そうあの時までは、、、、、 「すべての感情は人間の作り上げた、ただの決まり事なんだ、悲し い時に泣くなんてだれがきめたんだ?もしかしたら悲しい時は笑う もんかもしれないだろ?だれかが悲しい時にないて、ただそれがそ うってきまっちまっただけなんだよ。」 父はいつもそう言っていた。しかし僕には、悲しいがなにか、泣く がなにかわからなかったし、わかろうともしなかった。 僕が初めて父の仕事についていったのは5歳の時だった。父は高層 ビルの上で何時間も、小さな丸いレンズをのぞき込み、微動だにも 動かなかった。そしてしばらくして、静かに引き金を引いた、そし てレンズの中に捕らえられていた男は、静かに崩れ落ちた、、、、 父と僕は足早にその場を立ち去った。帰り際、父は僕に言った。 「生きるためには迷うな、迷ったらこれを引け。」 そう言うと父は銃の引き金を引くジェスチャーをして見せた。 僕は迷いと言う意味が分からなかった、ただ父のなかには感情と呼 ばれるなにかが存在していて、父はそれを否定し、抑圧しようとし ているのはわかった。 迷ったら引き金を引け この言葉の意味は分からなかったが僕の中の深い所へしみこんでいっ たように感じた。 僕が15歳になった日の朝、父は僕を呼んで言った。 「もうお前に教えることはなくなったな」 父はそれだけを言うと、静かに、銃を僕のほうへよこした。 僕はそれを静かに受け取った。 その年父は死んだ。 それから10年がたった今、僕はまだ仕事を続けている。 ある日、僕はいつものように仕事を請け負った。あるマフィアのファ ミリーを全員殺害するという仕事だった。 僕はマフィアのアジトへ足を運んだ。 その建物の前に着くと、入り口に居た二人の男の額を打ち抜いた。 サイレンサーから、小さな音がしたのと同時に男はしずかに、崩れ 落ちた。 僕は静かに中へ入った、ドアを開けると同時に動くものすべてを打 ち抜いた。 あたりは一瞬で静けさに包まれた。鼻をつく鉄臭いにおいと、硝煙 にくぐもった空気が妙に心地よかった 僕の目はドアのかげから一匹の犬が足を引きずりでてくるのを捕ら えた、静かに今にも消え入りそうな声をあげながら、、、、 僕は額に照準をあわせた。 犬は助けを求めるかのように、僕の方へゆっくりと近づいてきた。 僕は引き金を引いた。 犬は静かに吠え、宙を舞い、鈍い音とともに、息絶えた。 僕は静かに歩き出し、一番奥の部屋へと向かった。 中に入ると、一人の男が、涙を溜めわめいていた。 僕はその男の額に照準をあわせると、まだ命乞いを続けていた男を 打ち抜いた。 男は、その場に崩れ落ち、静かになった。 その場を立ち去ろうとしたその時。部屋の奥に小さなベットがおい てあるのに気づいた。 僕はそっと近づき中をのぞき込んだ。 中には小さな赤ん坊が寝ていた。 僕は銃を構えた。 赤ん坊は無邪気に笑い僕の銃に手を伸ばしてきた。 赤ん坊の手が僕の銃に触れた。 その瞬間、僕の中で何かが弾けた気がした。 僕は静かに引き金を引いた。 弾は僕のこめかみを静かに、通り抜けた、、、、、、、、 目から涙と言う物がこぼれていた。 その時はじめて僕はわかった。 父は僕を愛してたんだ、、、、、、、、
俺は、フリーのコピーライターをやっている。一時は一世を風靡 した職業だが、今は昔ほどのステイタスはない。だが、俺は純粋に これだけで喰っている数少ないライターのひとりだ。俺のコピーは、 それほど評判がいいらしい。 自慢じゃないが、俺ほど楽にコピーを考え出せるやつはいないだ ろう。何しろ、俺は頭を使わない。使うものは英和辞典一冊のみ。 これをパラパラとめくって、適当な形容詞を見つけ出し、それをク ライアントの社名にくっつけるだけなのだ。 『エキサイティング佐藤生魚店』 『ゴージャス田中仏壇』 『ダイナミック鈴木産婦人科』 『デンジャラス渡辺釣具点』 これらは、俺が手がけたコピーの一部だ。作り方が作り方だけに、 たいていミスマッチなコピーになるのだが、それがまたいいらしい。 俺の今までの経験では、肯定的な形容詞であれば、まず間違いなく 受け入れられる。逆に否定的なものはダメだ。アンビリーバブル伊 藤弁護士事務所とかでは、さすがにまずいからだ。 「先生!大変です。このあいだのコピーの件で、クライアントがめ ちゃくちゃ怒っちゃってるんですよ!」 広告代理店の、俺の担当者が血相を変えて飛び込んできた。 「このあいだって、ああ、俺がバカンスでいない間に契約が取れた ら、適当に頭につけとけって前もって預けてあったやつか?」 「そうですよ!先生が遊びに行っちゃってすぐ契約が取れたもんだ から、アレ頭につけて渡したら、『ふざけてる』って先方さん、そ りゃもうえらい剣幕で…。聞けば、先月、専務さんが女子社員のお 尻を触ったとか触らなかったとかで、訴訟問題にまでなりかけてる そうじゃないですか。そうと知ってたら、渡すんじゃなかった。い くらなんでもタイミングが悪すぎましたよ」 担当者は今にも泣き出しそうである。いつも、俺の担当でよかっ たと言っている彼とは別人のようだ。 「ちょっと待ってくれよ。コピーと、その訴訟とやらがどう関係あ るのか、さっぱりわからないじゃないか。ところで俺、どういうの 渡したんだっけ?バカンスの準備で忙しかったものだから、全然覚 えていないんだ」 担当者の顔を見れば、何かただごとでないことが起きたという事 はわかる。だが、たかがコピーでそれほど深刻な事態が起きるなど ということがあるのだろうか? 「セクシャルですよ!先生が考えたのは」 「あ、そうだそうだ。思い出した。で、クライアントの名前は?」 「原セメントさんですよ」
しんと静かな十月の山道を一人で歩いていたときのことだ。日が 陰り、早くも眼下に街の灯が見おろせた。冷たい澄んだ風が木々の 頭をかすめていく。僕は落ち葉を踏みしめながら、小川のそばの目 的地にむかって急いでいた。その時、急にくっきりと古い記憶を思 い出した。とても古い記憶だ。やわらかい匂いのような、あこがれ を伴った記憶。 そこには穂先をたれた稲がどこまでも見渡す限り続いていた。風 も、音もない夕暮れのあぜみちを、僕はがたごとと自転車に乗って、 中学校から帰る途中だった。道の先には一人でてくてくと歩いてい るNがいた。紺色のスカートと、紺色のベストを着ていたが、それら は肩まで伸びた髪とつながって、細長い黒い塊になっていた。 僕は緊張して声もかけずに通り過ぎそうになったが、こちらの緊 張が伝わったせいか、彼女はちらっとふりむいて驚いたような表情 をした。その一瞬の表情をはっきりと目にしたわけではないのだけ れど、その一瞬の雰囲気のようなものは心に深くくい込んできた。 悲しい何かだった。石を落としても音が返ってこない井戸のように 悲しい何かだった。けれどもそれは錯覚かと思われるほどの一瞬の ことで、後ろから近づいたのが僕だとわかると、彼女はいつも通り にっこりと微笑んで、そのあとは自転車を降りて、中間試験のこと や、気に入らない教師のことなどを話題にして、いっしょにあぜ道 を歩いた。 あの夕方、Nが最初に驚いたようにふり返った一瞬の深くて悲し い何かを、僕は日々の生活に追いまくられ、まるまる二十年も現実 の思考から追い出していた。ただの錯覚と考え、気にせずに生きる ことに、わずかな疑問さえ感じなかった。なぜなら僕は中学生だっ たあの頃から、ずっと遠くを見ていたし、遠くを見ることこそが必 要なことだと考えていたからだ。 Nが死んだとき、自分でも何を失ったのかよくわからなかった。 失ったのではなく、取り残されたような気がしたのだ。僕は彼女の 気持ちが理解できた。ある意味では二人の違いというものは、そん なに大きなものではなかったから。しかし視点を変えれば、彼女は はるかに先を突き進んでいた。才能があり、才能をあとおしする環 境もあった。 日暮れの山道は匂いもあこがれも、すべてあのときのまま。音の ない静かな道なのだ。
「トントン」 二日酔いの早朝に、誰かがドアをノックしている。僕はドア越し に覗き穴から外を見てみた。すると、そこにはカメの絵の書いてあ る野球帽を被ったゾウガメがいた。彼は僕の気配を察知したらしく 「あの〜お届け物ですが〜印鑑お願いします」と言った。 僕は、ドア越しにいるゾウガメが悪名高い読朝新聞の勧誘でない ことを祈りながらドアを開けた。 「朝早くすみません。お届け物です」 「ご苦労様。サインで良いかな?」 「えーと、上から印鑑といわれているもので、印鑑でお願いした いのですが」 「大丈夫だよ。普通はサインで大丈夫だからさ」 二日酔いの僕は印鑑を探すのが面倒だったのでサインで済ませよ うとした。彼はちょっと困った顔をしてからサインでいいと言った。 サインを済ませると、彼は帽子の重さに耐え切れないような動き でペコリと頭を下げ、ゆっくりと去っていった。 ゾウガメが持ってきた届け物は立派な箱に入っていた。送付者の 欄には見覚えのない名前が記されていた。箱を開けてみると、そこ には紙切れが一枚入っていた。 何でこんな箱に入れて送ってきたのかはわからないけれど、僕は 紙切れを手にとってみた。 *************** * お 楽 し み 券 * * * *これを知らない人に * * 送って下さい * * * * ゾウガメ急便 * * 4656−5772 * *************** こんな紙切れだった。 僕は何かの悪戯なのかと思った。しかし、これがゾウガメ急便の 陰謀であっても、さっきのようにゾウガメが誰かに贈り物を届ける 姿は悪くないし、なかなか素敵な光景だと思ったので、誰かに送る ことにした。 きっと、これがお楽しみということなのだろう。 さて、誰に送ろう。僕は電話帳を引っ張り出して、適当なページ をめくってみた。342ページの鈴木博という15人連続の同姓同名が 目に付いた。そして、その4番目の鈴木博さんに送ることにした。 4656−5772に電話をすると女性が電話に出て、これから荷物を引 き取りにくるという。女性の話だと、ちょっと配送員のゾウガメが 出払っているのでちょっと時間が掛かるが気長に待って下さいとい うことだった。 あれから、一週間がたつがまだ僕の手元にお楽しみ券はある。僕 は、毎日荷物を引き取りにくるゾウガメのためにコーヒーとクッキ ーを用意して待っている。 時々、電話帳の4番目の鈴木博さんがゾウガメからお楽しみ券を 受け取る場面を想像してみたりしながら……
私ノ好キナ猫ハ梅<埋メ>ノ木ノ下ニ埋マッテイル・・・ 代々飼っていた猫だった。名前はアオと言う。 彼はアンという名のトラ猫の子として生まれた。 アンの子は三匹。アカ、アオ、キーと名づけられた。何故なら、 首輪の色が赤、蒼、黄だったから。 アカは勘が鋭く気が強く、頭の良い猫だった。 アオは体ががっしりとして毛並みの良い活発な猫だった。 キーは性格の良い大人しい猫だった。 四匹はとても美しい親子で、私たち家族は彼らを愛していた。 しかしある時、彼の母のアンが車に撥ねられた。 アカは行方不明になった。 せめて、死体だけでも見つかればアカも弔ってやれたのに……。 哀しみの中、私たちは確かにそう話していた。 居なくなってしまった彼女達の分もと、私たちは残りの兄弟をい つも大切に慈しんだ。 秋の気配の漂う日、アオが行方不明になった。 必死で探した。家の中も、裏の山も、近所も、道のむこうも、川 の向こうも。だが、三日経っても、彼は出てこなかった。 諦めかけたある日。 「鈴の音……ほら、鈴の音がする!」 あのとき、アオしか鈴は付いていなかった。 立ち上がった母が目にしたのは、蒼い首輪をした猫が家の前の歩 道へスルスルと歩いていくところだったという。 「アオ、待ちなさい!」 玄関を開けたときには、道路を渡っていく猫の影……。 「ねぇ、アオが居たよ!早く来て!」 母は叫ぶと、道路の向こうの駐車場へ、その影を追っていった。 暫くして、探しに出ようとした私たちの元へ、母が帰ってきた。 「車の下に潜り込んでいるの……。」 急いで駆け出した私たちが、車の下のアオを引き摺り出した時。 「アオ」は冷たく固く、なっていた。 夕暮れの中。 私もあの時、アオの鈴の音を聞いていた。
六十センチのガラス製水槽が三つ僕の部屋にバランスよく並んで いる。一つにはグリーンアロワナの幼魚、二つ目にはアジアアロワ ナの幼魚、そして三つ目には魚はおろか、水さえも入っていない。 いや、‘入れていない’と言った方が正しいだろう。 僕はハッとして気づく。左腕に退屈そうにくっついている自慢の ロレックスに目をやると、十一時をさしていた。えらく長い間水槽 に見入っていたようだ。朝起きてぼんやり水槽を眺めることが習慣 になっているらしい。 水槽を眺めている間、しかも何も入れていない水槽を眺めている とき、僕はいつもある事を考えるともなく考える。 ―もし僕が水槽の中に入れたなら、魚になって泳ぐことが出来たな ら、それを眺めてくれる人はいるだろうか、飽きることはないだろ うか、僕のように空っぽの水槽を眺める方が長くはないだろうか― そんなことを考えながら僕はまた水槽の中へと入っていく。 次にハッとして気づいたのは三十分後、携帯電話の着信音が僕を 現実に連れ戻した。 電話は三日前知り合った女性からだ。着信音が三回鳴り終わるの を待ってから出よう。 「もしもし」「もしもし」と二人の声がかぶった。少し気まずい感 じがしたが、相手は気にしてる様子もなく続けた。 「今日会えないかしら」 一瞬断る理由を探したが見つからなかった。日曜日の昼間は家で ダラダラ過ごしたかった。 「僕の家はどうかな?外に出る気分じゃないんだ。嫌ならいいんだ けど」 あっさりと商談は成立した。 彼女が僕の部屋に来て五分が経ったとき、不思議そうに僕に聞い た。 「この水槽には何も入れないの?」 「何も入ってないように見えるかい?」と僕は言った。彼女はもう 一度用心深く見た。 「やっぱり何も入ってないみたいだけど」と彼女は言った。 「その水槽には未来が入っているんだ。横の二つの水槽にはもうす でに魚が入っている、でも空っぽの方にはこれから魚が入る。僕は 未完成の状態が好きなんだ」 「じゃあ全部空っぽにすればいいんじゃないの?」と彼女は言った。 「一応魚は好きで飼ってるんだ。だけどその隣に何も入れない水槽 を置く、そして未だ来ないものを楽しみに待つんだ」と僕は言った。 「変ね」と彼女、「かもね」と僕。 それから一時間もたたない内に、彼女は友達からの電話で僕の部 屋を後にした。 ロレックスが夕方の四時をさした。 僕は空っぽの水槽に入れる魚と、四つ目の水槽を買いに出かけた。
蛭川建設重要緊急会議は荒れていた。いつ踊りだすか分からない ぐらいに。 出される意見は、概ね非建設的だった。が、建設的意見を述べる ことの危険性は、此処にいる誰もが理解していた。 「しかし、20ちょうですぞ。この機を逃すわけには……」 「だからこそ、リスクをご理解いただきいと思うわけです。顧客と 手を切ってまで行う価値がありますか?」 そのなか。融資部長の間宮謙吾は、まったく違うことで頭を悩ま していた。貧乏ゆすりを抑えるのにも一苦労だ。今日は三女15歳 の誕生日。 7時に予約していた店に行かねば、嘘つき呼ばわりされる。口を聞 いてもらえるかどうか。死活問題だった。 無論、会議の重要性は十分認識はしている。 発端は、政府側が公的資金を使っての回しを行いたいと極秘裏に各 ゼネコンに伝えてきたことに始まる。回しというのは同一の土地を 使って、幾度も建設計画変更を行う事だ。建設の繰り返しにより、 ほぼ無制限に金を流す。その1順目をうちで、と言われているのだ が、いろいろと絡むものもある。 もっとも、間宮にとっては、今、家庭事情が一番深く絡んでいた。 「政府のいうことを信じるのですか?総理だって、いつまで持つや ら」 「……どの道、連絡役を選ばねばならぬことに違いはないでしょう 」 間宮は幾度も時計を見た。6時までに終わらせなければ、恐らく 店には間に合うまい。隣席のひそひそ話しに終始する会議に終わり は見えない。間宮に苛立ちが募る。 「わが社の業績を伸ばすチャンスだと思いませんか?」 「こんな危険な賭けで、今までの顧客を失うのは困る」 2つの意見で、すでに午前から10時間がつぶれていた。 とまれ、やる。やらない。どちらにしろ、政府に連絡をつける者 が必要だ。犯罪に近い行為。失敗したら自分のポストも失う。 「見たことありますか?20ちょう」 いくら総資産150兆の、この会社でも、さすがにそれほどの額 を一度にみたものはおるまい。 もう5時55分だ。間宮は、半ば投槍に覚悟を決めた。元劇団員 特有の音声滑舌を炸裂させる。 「私がやります! 20兆もの大金を動かせるのは私しかいません !」 一瞬沈黙した会議場で、困惑の所為か会長がやや的外れなことを 言った。 「ま、間宮君。20兆だぞ。第一、み、見たことあるのかね?」 「え? ………ええ。近所の豆腐屋で」
長い夢を見ていた。とおい眺めの向こうに、まぶしい水平線。その 雲のはるか彼方から、久しぶりのしめった風。いつも見なれた岬を ぐるりとまわって、ひとつまたひとつと、うねりを繰り返し押し寄 せ、せわしなく砕けちる波。この波、そしてあの波と数えながら、 やがて意識から音が消えて、空も風もそして波も消える。 喉のかわきで幾度となく目がさめる。 "Water please. I wanna something to drink." 氷のひと欠片をスプーンでもらうと、語りかけてくるその相手が誰 かを確かめるすべもなく、夢へと意識は続いていく。 横たわる背中から腰まで、落としきれなかったザラザラとした砂の いつもの感触がある。バンの中での暮らしではいつも慣れっこの、 この砂がわずらわしい。頭を起こし砂を払い落とそうとして左足に 走った鈍い痛みが、事故の記憶を呼び起こし、意識が回復した。 部屋を眺めると、青いカーテンと白いシーツ。 「オレは、助かった」 部屋の景色はみたくはなかった。 目を閉じると、ビーチに何とかたどりつくまでの記憶がオレを苦し めた。麻酔のせいだろうか。リアルな記憶が、幾度となく浮かぶ。 「帰れるのか、ビーチまで…」 左足が効かない。やぶれたウェットスーツから真っ赤な鮮血がにじ み出している。シャークアタックを笑っていたことが悔やまれた。 そういえば、あのサーファが笑いながら言っていた。 「あいつらは、ガブリと食いちぎって、吐きすてるのさ。オレ達の 肉はアザラシとちがって、脂肪が少ないし、まずいらしいぜ」 「食わないのなら、オレに気づかないでくれ」 祈りながら、顔を上げて水面を眺め通り過ぎる波を確認する。 「ダメ、ダメ、ダメ…」 幾度と数えながら、わずかな隙間で息をつなぎ、またもぐる。 ついさっきまでたのもしく見えいた波が、今はすでに恐怖に変わっ ていた。小さめの波を待ち、板を抱えてのり、やはりこれでは波に ついていけず、波にまかれ、またもぐって波を待つ。 血がとまらない。恐らく傷は深い。自分を深く傷つけたボードを必 死で手繰り寄せる。腹が立つが、これがなくては決して帰れない。 傷口が痛むが、はっきりとした意識があるだけ、まだ、ましだ。 血液はいつまで持つのだろう。 人の限界はどこにあるのか。 オレは死ぬとき苦しむのか。 医者が意識が戻ったのを聞きつけて、俺に声をかけに来た。 目を空けるなり、気遣いのことばと、診断名を告げた。 「君は、左足の動脈・腱・神経すべてを、事故で切断した」
奴がやって来る。 あのクソ野郎はわずかな訪問の合図を送りつつ、突然やってくる。 先人が出てくるのを待つ間、こらえきれずハンカチで鼻をおおう。 ちらりと感じたカレーの匂い。 ルールー、カレー・・・カレェェェ・・・・ 出てきた男の横をすり抜けてトイレに入る。 このカレーの匂いはどこから? 襲われる脱力感。 ハンカチに黄色いご飯粒がこびりついていた。 固まりかけた黄色いご飯粒。 食卓を思わせるほのかな辛味。 芳香剤としてのカレー。 忘れないうちにメモ帳にペンを走らせた。 ◎盲点をついた芳香剤。例えばカレー。 カレェェェ・・・ 「今日の夕食はカレーかな?」 「いいえあなた。今日はお寿司よ」 倒されたちゃぶ台。肩を寄せ合う母と私。 暖かい食卓。ささやかな幸せは突然奪われた。 「いつものお父さんじゃない・・・・」 優しかった父親がその時見せた背中は哀愁を漂わせ、眉間には深い 皺が刻まれていた。 厳しい現実からの逃避。 しかしあのとき父は何も失っていなかった。 「奥さん、そりゃその商品とは関係ないことですよ。確かにカレー の匂いはしますよ。だって、 芳香剤としてのカレーなんですから 」 冷たくあしらわれた消費者センターへのSOS。 母親に忍び寄る狂気の影。 (カレーの匂い) そう書かれた遺書は時効となった3億円事件の捜査書類とともに燃 やされた。 呆然と自分を見つめる男。 くわえていたはずの花柄ハンカチは排水口で水の流れを止めていた。 いやなことを思い出してしまった。 誰にも知られたくない過去。 ・・・・・・ ・・・・? おかしい。何かがおかしい。 ・・・・! あの頃存在するはずのない 芳香剤としてのカレー。 そしてそれがもとで私の身に起こった 家庭崩壊。 すべては私の妄想の中で組み立てられた 過去。 私が書いた論文『夕食予想と父親の威厳との関係の考察』 「ユーアーベリーグッド」 ジェームス博士がそう言って立てた親指が、満面の笑みが消えてい く。 遺伝する狂気。 花柄のハンカチを取り上げた。音をたてて流れだす水。 濡れた手をそっとズボンに当てる。 遺伝するはずのない妄想の中での両親の狂気。 そっとズボンの前を濡らすハンカチ。 あのクソ野郎はわずかな訪問の合図を送りつつ、しかし確実にやっ てくる。 濡れたズボン。浮き上がるシミ。 「ユーアーベリーグッド」 ジェームス博士は親指を立て満面の笑みでうなずいた。 ジェームス博士の歯についた青ノリ。 些細な絶望。
また憂うつの朝がはじまった。いつものようにトーストを焼き終 わると、キリンはわたしのうしろに黙ったまま立っているのだった 。そしてテーブルに運ぶと、奴は勝手に食事をはじめて、牛乳で口 元を真っ白にしながらわたしを詰問してくる。 「君はあけみちゃんに丸3日電話も入れないで、それで本当に彼女 を愛していると言えるのか?」 よけいなお世話だ。おまえがいるから彼女に会いたくても会えない んじゃないか! わたしは座っているキリンを激しくにらんだ。す ると奴は突然立ちあがってわたしの腕を捕まえようとした。わたし は身をかわして、そのままアパートを飛び出した。 夕方になるまで、高校時代の友人の家にいた。そして、家に戻る 途中あけみちゃんのアパートに寄ってみた。彼女は留守だった。 重い気分のまま家に戻った。居間では、キリンが険しい表情で座 っていた。それからわたしの方を見ると、立って冷蔵庫を開けた。 わたしは何となくテレビを付けた。 「うるさい」 キリンはテレビを消し、持ってきたケーキの箱をテーブルに置いた。 「これが今日のおまえの夕食だ」 そう言われたので箱を開けてみると、一本のうんこが、柔らかなカー ブを描いて横たわっていた。わたしは箱を乱暴に閉めてから、キリ ンをにらんだ。 「食え!」 キリンはそう叫ぶと、木刀を持ってわたしを威嚇した。ここで逃げ てなるものか。わたしは負けじとキリンを強くにらんだ。 それからキリンは、わたしを木刀でたたきはじめた。わたしはうず くまってそれに耐えていた。もうろうとしてきた意識の中で、寝室 のドアが開くのが見えた。女性が出てきて心配そうにこちらを見て いる。あけみちゃんだ……。一体どうしてここにいるんだろう? 「お願いだからお食べになって……さっき私もあなたのを食べまし たの……」 「俺が連れてきたんだ。意気地なしのおまえに代わってな」 キリンはそう言うと得意げな表情をした。 「そう、これは彼女のうんこだ。愛し合うふたりが、お互いの排泄 物を食する……ああ、これ以上の愛情表現があろうか……」 一瞬、キリンは大きな目をうるませたが、すぐに気を取りなおして うんこをつかむと、わたしの口の中に強引に押しこんできた……。 再び失いかけた意識の中で、思ったよりも甘いそれを口の中で味 わっていると、あたたかいものがわたしにおおいかぶさり、そして 柔らかい唇がわたしの唇にふれて、ふたりの愛は確実にそして激し く深まっていくような……。
朝刊を読んでいる僕に彼女が訊ねた。 「面白い記事が載っている?」 「チリの首都サンディアゴに故アジェンデ大統領の記念館が完成し た」 「アジェンデ大統領?」 「偉い人だよ」 「記念館が建つくらいだからね。何をした人なの?」 「ピノチェト将軍に暗殺された」 「暗殺されると偉いの?」 彼女と暮らすようになったのは今年の春から。学生時代からのつ き合いで、二人が大学を卒業し、社会人になったのを契機に、同棲 を始めた。 毎朝、いっしょに自宅を出て、同じ電車に乗り、それぞれの会社 に出勤していく。 僕の会社は彼女の降りる駅の三つ先にある。通勤時間は約四十分 かかり、僕は車内で新聞を読み、彼女は音楽を聴いて過ごしている。 同棲生活も半年を過ぎれば、会話は自然と減るし、片時もはなれ ず手をつないでいることもなくなる。 彼女は家でも新聞を読まない。社会人失格じゃないか、と僕が非 難しても、今時、必要な情報は全部インターネットで集められる、 と彼女は反論する。 しかし、本当の理由は、インクで指が汚れるのがいやだからとい うことを、僕は知っている。 今朝はハンドバッグにMDウォークマンを入れておくのを忘れた のか、僕の隣から彼女はずっと新聞を覗き込んでいる。 「他には?」 「東ティモールで国連職員が暗殺された」 「東ティモール? アフリカの国?」 僕はたまたま開いていた国際面から見出しをいくつか読み上げた。 「ザンビアで飛行機事故、六十四人死亡。カザフ国防相解任。パレ スチナ和平協議難航。猫を射殺した男に禁固二十一年の実刑判決、 アフリカ連邦地裁」 「ひどい。猫を撃ち殺すのも正気の人のすることじゃないけれど、 刑務所に二十一年も入れる裁判官も乱暴」 国際面を閉じ、社会面を開いた。 「追突事故で四人死亡。ピザ配達人、現金を奪われる。中学校教諭、 猥褻行為で逮捕」 「嫌な事件ばっかり。毎日、そんな記事を読んで、気分が暗くなる でしょう」 「これが世の中の現実なんだから、仕方がない。新聞は社会に開か れた窓なんだ」 「爽やかな一日の始まりに、どうして猥褻教師の話を教えてもらう 必要があるの? あなたがザンビアで飛行機に乗ることもないでし ょう」 「それはそうだね。ピザを配達することも」 「追突事故もやめてね。それなら、どうして毎朝、新聞を読む必要 があるの?」 彼女の疑問はもっともだったが、昔好きだった女の子がこの新聞 の記者をやっているからだとは、答えられない。
ついにタイムマシンは完成した。 初飛行は「千年後の未来」。これは適当に決めた数字では無い。 というのも長年の友人とタイムマシン完成祝いに一緒に酒を飲ん だ際「人類は滅ぶか」という賭けが持ち上がり、じゃあ賭けとして 何年後が一番面白いのか。一億年後には当然滅んでいるだろうし百 年後は想像できる分面白くない。きっと千年後が一番面白いだろう という話になり、だからこれは、厳密な議論とアルコールの力を借り て出した根拠の有る数字なのだ。 私は「滅ばない」に賭けた。 「人類の英知を甘く見てはいけない」 友人は「滅ぶ」に賭けた。 「人類の愚かさをお前は知らないのさ」 そして初飛行の日はやって来た。 コクピットに座りスイッチを入れると振動が始まった。やがてそ れは暴風の中にいるようなそれに変わり。 凄まじいGが体を襲う。計算ではそれは約20秒で収まるはずだ。 30秒。40秒。 1分を過ぎても振動は収まらない。 警告音が響きだした。 デンジャー。デンジャー。 赤熱する機体。次々と飛び散る計器類の破片。ぐにゃりと、まるで アメ細工のようにコンソールが曲がった。 失敗だ。そう思った。 振動はますます激しくなる。機体はゆがみ、ねじれ。昔テレビで見 た巨大な、高名な画家が描いた気狂いじみた壁画にそっくりだ。 そして失墜感。上も下も無く墜ちていくその中で。 私は確かに見た。 青く広がる空。輝く太陽。銀色に光る街並み。 白く清潔な道。きらびやかな遊園地。 次々と作り出される工業製品。完璧な生産体制の野菜畑。 優しい笑顔のアイドル。全身真っ黒のロックスター。 永遠の平和。永遠の連鎖。永遠の至福。永遠の。永遠の。 永遠の。 その永遠の世界の中に人類はどこにもいなかった。 巨大な工場が、完璧な病院が、百億戸の3LDKが、メリーゴー ラウンドが、愛が、平和が、主のいないまま永遠に虚しく廻り続け、 いや、そもそもどちらが主だったのか。 気が付いた時私は病院のベッドの中にいた。私は助かったのだ。 病院の窓から月が見える。相変わらずの、永遠の餅つき。 その月を見ながら私は、賭けには負けてしまったが千年後には人類 がこの永遠の連鎖から、月の兎だって抜け出せないようなこの永遠の 茶番から逃れられることを思うと、人類の英知もやはり捨てた物では 無いなと自然に笑みがこみ上げてくるのだ。 それにしてもあの人達はどこに行ったのだろう。
猫の声がした。私はシャワーを止めた所だった。 窓の外、はるか階下のどこかから、さかった獣の鳴き声が夜空へ 粘っこく消えていく。肌に染みつくような声だった。 (猫は、良い) シャワーを浴び、体を拭き、髪をぬぐう。ただそれだけの事が、 ひどく面倒に思えてくる。何かが壊れ始めているのかも知れない。 いや、私は元来、ずぼらな女なのだ。ただ自分自身、知らないふり をしてただけなんだ。 浴室のドアを閉めた。 灯りを落とした一人きりの部屋に、猫の声が届く。 (私も猫なら良かったのに) 裸のままベッドに転がった。 転がって、伸びをした。伸びをして、そして丸くなる。 丸くなって、眠る。 (猫ならば、好きに愛せる) 誰の目にも、はばかる事なく。あのひとの、妻と呼ばれる人にさ えも。 青空が疎ましい。高らかに晴れた朝の青色は、特に私を落ち込ま せた。顔を撫でる柔らかな風は、欺瞞に満ちている。マンションの 階段を降りる足音の、かつかつと威勢良いのが空々しい。だが、じ っとエレベーターを待つのも、いっそう虚しく思われた。 その何度目かの踊り場に、猫は居た。 誰かに飼われるロシアンブルー。ここで何度か見かけた雌だった。 おとなしく、珍しく人見知りがない。誰にでも触らせる。 (お前だったのか?) 私は正面から、猫の両脇に手を入れてゆっくり持ち上げる。体が 浮き、目の高さまで抱き上げられても、彼女は私を見つめたまま暴 れもしない。ただすんなり伸びた胴の下で、お行儀よく足を縮めて いた。私は彼女を外柵の上へ、人形のように座らせた。 ひげが風に揺れている。背後の空、その遥か下の家並み。手を離 せば、吸い込まれていくだろう。そうしたら叫ぶのだろうか。 あの世との境界に置かれてなお、彼女はただ、私をじっと見つめ 返すだけだった。何も語らないその無垢な目の、丸く開いているの を見ながら、私は自分の瞳の細く縮んでいくのを感じた。 (お前は猫じゃない) 私はそっと彼女を足元に降ろした。そして柔らかなグレイの耳に 顔を寄せ、歯を立てて噛んだ。 彼女は初めて声をあげ、手を振りほどき、階段を駆け上がる。上 の踊り場で一瞬立ち止まり、奇矯な生き物を見る目つきでこちらを くっと振り返ったが、私が立ち上がるとたちまち姿を消した。私は 笑った。久々の笑みだった。 (私は、猫になる) 手の甲で唇をぬぐった。紅の中に混じる短い毛を見ると、また笑 みが浮かんだ。 猫になる。私は。
「行っちゃうんだね」 「うん、明々後日には行くよ」 学校からの帰り道。これが最後の帰り道。遠くに何かの終わりを告 げる学校のベルがなる。四月から地元の郵便局の窓口で働く私は違 うとしても都会に出ていってしまう彼はもうそれを二度と聞くこと はないのかもしれない。二人並んで帰るのもきっともう最後なんだ な、なんて考えて寂しくなる。 「御盆と正月くらい戻ってくるのよ」 「うん、戻ってくるよ」 彼が妙にしおらしい。でも分かってる。帰ってきても、もう彼は別 の場所の人。きっとこれは失恋ですらない。高校を卒業し、行って しまう彼、残る私。田舎町では良くある話なのかな?今日を境に二 人が別々の道を歩むだけなんだ。大人びて考えてみるけど、本当は ずっと悔しくて悲しくて恨んだりもした。彼のことも、ついていく 決心ができなかった私自身も。 駅までの道の途中、いつも時間を潰したゲームセンターが目に入 る。 「寄ってこうか?」彼が正面を見たまま言う。 「まったく、本当に好きねー」 彼の笑い声、悔しがる顔。そんなのがたくさん思い出されて、うる さいはずの電子音も今日は聞こえてこない。それに、あれ、なんだ か変だな、視界がにじむ。 ゲームセンターの片隅。いつも二人で盛り上がったエアホッケー のテーブルの前に立つ。 「なあ、覚えてる?種の話」 「なに?」 「むかしおまえがさ、これに百円入れるの種を蒔くみたいだって言 ったの?百円を入れると風が芽を出すから風の種だって」 そう言って彼は百円玉を投入口に入れた。ぶーんという音がしてテ ーブルに開いた無数の穴から風が吹出し、見えない、けどそこにあ る草原を作った。特にパックを手に取るでもなく私達はただそれを 眺めた。この草原はいったいどこへ行くんだろう?きっと百円玉が きれると最初から何もなかったように消えるだけ。 「ちょくちょく戻ってくるよ。たまには種を蒔いてやんないといけ ないしな」 「ばか。待ってるんだからね、本当に」 私は彼に抱き着いた。 分かってる。私も、彼も。でも、そう言うしかないんだ。刈り取ら れることもなく消えていくこの風の草原のような私達には。 そんなふうに私の小さな季節は静かに終わった。そして、おかし な言い方かもしれないけど私はあの頃の彼を今でも愛している。き っと彼もあの頃の私を愛してくれていると思う。すぐに消えてしま うと思った私達の風の草原は今でも瞼に焼き付いて、見えないのに、 ずっと消えないのだから。
宇宙服の酸素が不足していることに気づいて彼は愕然とした。徐 々に呼吸が苦しくなっている。 「おかしい。計算では基地に着くまで十分保つはず」 彼は頭の中で検算してみた。そろばんで培った暗算力には自信があ る。間違いはない。だが、いくら目を凝らしても月基地は見あたら ない。方角が正しいことは太陽の位置から明白だ。 一瞬嫌な予感が心に浮かんだ。「誰かが宇宙服に細工をしたのか …」月基地の中で唯一の日本人である彼を、同僚たちが陰でJap と呼んでいることは知っていた。が、こんな命に関わる悪戯をする わけがない。彼は頭を振ってその考えを振り落とした。 月面上では地平線はわずか3キロ先である。彼は基地の姿がすぐ に地平線上に現れることを期待して歩き続けた。しかし、呼吸は苦 しくなる一方だ。急ぐあまり思わず脚に力が入る。だが月の重力下 ではすぐに2mほどの高さまで体が浮き上がってしまう。そして、 ゆっくりと着地する。彼の焦りは募る一方だった。 ようやく地平線上に基地が現れたときはもう限界だった。酸素不 足で激しく頭が痛み、視野狭窄をおこしていた。ついに力尽き、彼 は仰向けに月面に転がった。頭上には真っ青な地球の姿があったが、 彼の目には映るはずもなかった。 数時間後、基地からわずか1キロの地点で彼の遺体は発見された。 調査の結果、故障した月面ローバーの中に、基地までの距離を計算 したメモが見つかった。それにより予備の酸素タンクを持たずに基 地へ戻ろうとした判断ミスと断定された。 地球ではこの事件を不審に思った記者がNASAを訪れた。 「ねえ、広報官殿。何で予備タンクも持たずに歩き出しちゃったん でしょうね」 「よほど自分の計算に自信があったんだろう。故障地点の座標と基 地付近の月の曲率半径を知っていれば、距離などすぐに分かる。予 備タンクはかさばるからな」 「でも、無線連絡して救助を待つこともできたんでしょ?」 広報官は、だから素人は困るとでも言いたげに鼻を鳴らした。 「馬鹿言っちゃいけない。電離帯のない月では無線が届くのは目で 見える範囲だけだ」 「でもね、私の取材では基地で陰湿な差別があったという情報も…」 「くだらない鎌をかけるんじゃない。証拠品の計算メモの写しを見 てみろ」 渡されたメモを見て記者は呟いた。 「うーん、やはり事故ですかね。でもこんな計算をするなんて、ど んな教育を受けたんでしょうね、この日本人は。円周率が3だなん て…」
よく晴れていて暖かかったので、行くあてもなく歩いていたら、 すーっと、私の横を紙飛行機が通り過ぎていった。一瞬目を疑った けど、それは確かに紙飛行機で、ちっとも落ちる気配はない。いっ たいいつまで飛んでるつもりだろうと気になって、「待って」と声 をかけたけど、もちろん紙飛行機に言葉が通じるわけもなく、すい すいと軽やかに飛んでいく。その後ろを、私は小走りでついていっ た。 昔から、紙飛行機を作るのだけは得意だった。特別な折り方をし ているわけではない。ただ私の場合、気持ちの入れ方が違うのだ。 みんなは、紙飛行機なんて落ちるもんだという前提で作るのだけど、 私は、落ちたら負けだ、というぐらいの気持ちで作っていた。だか ら私の紙飛行機はとてもよく飛んだ。いずれ地面には付くけれど、 十分に飛行したあとのそれは落下ではなく、着陸なのだ。 私のほかにもう一人、よく飛ぶ紙飛行機を作る子がいた。サキち ゃんというその子の家は製紙工場をやっていて、そこで特別に彼女 専用の紙を作ってもらっているという噂だった。その紙には真ん中 に「サキ」と書いてあって、それはサキ印の紙と呼ばれていた。彼 女はその紙を、きぎょうひみつ、と言って誰にも渡そうとしなかっ たから、よく飛ぶのが彼女の力なのか紙の力なのかは、はっきりし なかった。 小学校の卒業式の日、それまで私とは口を聞いたこともないサキ ちゃんが、「ぜったい落ちないやつ作って」と言ってサキ印の紙を 一枚くれた。サキちゃんが私に一目置いていてくれたのだというこ とが嬉しくて、サキ印の紙を手に入れられたということも嬉しくて、 私は丁寧に丁寧に紙飛行機を作った。 飛ばすのはちょっともったいないような気もしたけど、サキちゃ んがせがむので、教室の窓から紙飛行機を飛ばした。するとそれは 遥か遠く、ついには見えなくなってしまうまで、まっすぐに、美し く飛んでいった。 軽やかに飛ぶ紙飛行機の後ろを走りながら、もしかしてこれはあ のサキ印の紙飛行機なのではないか、と私は思った。あれからもう 5年も経っているけど、私はあのとき、着陸もしちゃダメ、という 気持ちで折ったし、なによりサキ印の紙を使ったのだ。 確かめてみたいけど、そのためには中を開いて見てみなきゃなら なくて、そうすると紙飛行機は止まってしまう。 サキちゃん、どうしよう、と思いながら、私はどこまでも飛んで いく紙飛行機の後ろを、息を弾ませついていった。
森の中には、春になっても決して花を咲かせぬ桜の樹があるとい う。その横の洞窟には呪術師が住んでいる……。僕らの村では、知 らぬ者はいない伝説だ。だから誰も森には近づかない。僕だってこ んな気味の悪い所、来たくはなかったけれど、他に思いつかなかっ たのだ。そう、すべてはあの日、道端で小さな硝子瓶を拾った瞬間 に始まった。 コルクを抜くと黄ばんだ紙に、こう書かれていた。 「三つの願いをかなえます」 中学生にもなってそんな御伽噺を信じたわけじゃない。でも僕は 願ってしまった。当たるはずがないと、たかをくくって。 けれどその夜、出張に行っていた父さんが、本当に新しいゲーム ソフトを買ってきてしまったのだ。 これは本物かもしれない。まだ半信半疑で僕は願った。 「どうか弟をお授け下さい」 しばらくして母さんは物置から僕が使っていたベビーベッドを出 し、僕に言った。 「お兄ちゃんになるのよ」 もう間違いないだろう。願い事はあとひとつ。よく考えて決めよ う。 僕は部屋一杯に幼い頃遊んだおもちゃを並べ、端から修理し始め た。でもたまたまその日、母さんの機嫌が悪かったのだ。 「遊んでないで、勉強したらどうなの!」 ひどい。僕はまだ見ぬ弟のために……。 (母さんなんか死んじゃえ) 気づいた時は遅かった。僕は三つ目の願いをしてしまった。 一歩踏み出す度に、辺りは薄暗くなっていく。あんなに晴れてい たのに。 たぶんあれが例の桜の樹。そして横には噂の洞窟。本当にあった。 僕は恐る恐る中を覗く。そこにはインディアンのような風貌の男 が一人、目を閉じて座っていた。 「あなたが呪術師?」 男はそっと目を開けた。 「ねえ、呪いをかけれるなら、解くこともできるでしょ?」 彼は微かに頷いた。 僕は呪術師に告白し、彼は静かに口を開いた。 「できるよ。でもそのかわり……」 「わかってます」 僕は森を出て家へ急いだ。公道を渡ろうとした瞬間、大きなトラ ックが目の前に迫った。 (え、もう?) 呪いを解くには、かけた方の命が引き換えになるのだ。 目を覚ますと母さんの顔が見えた。 「あ、目を開けたわ」 「お兄ちゃんそっくりだ」 父さんが言う。 「本当に……」 母さんが涙ぐむ。 「あの子だと思って育てていこう」 僕は僕のベビーベッドに寝かされていた。 (なんだ、そういうことか) 安心して目を閉じると、あの呪術師のことも、森や小瓶のことも、 僕の記憶からそっと遠ざかっていった。
締め切りが迫っていた。私は小説家ではないが、アマチュア作家 としてインターネット上で作品を発表している。理数系サラリーマ ンの趣味として、主にSF小説を書いている。 深夜自室のパソコンに向かって、私はかなり焦っていた。今夜中 に作品を仕上げなければならないというプレッシャーも有ったが、 私には気になることがもうひとつあった。 一年程前から、私の作品に寄せられる感想にひとつの傾向が見ら れ始めた。最初のうちは「面白い作品ですけど、同じ様な話をどこ かで聞いたような気がします」とか「結末の文章が○○さんの作品 にそっくりです」という穏やかなものであったが、そのうち「□□ 物語とストーリーが同じです」と指摘され、遂には盗作呼ばわりさ れるまでになった。 非難の対象となっている作品を読んでみると、情けないことに指 摘の通り最初の部分が似ていたり、ストーリーや落ちが似ていて、 盗作と呼ばれても反論できない面もあった。 もちろん、私が盗作だと気付くのは、作品をネットに発表した後 で、執筆中はそんな意識は少しも無い。自分の頭の中で作り上げ、 熟成させたストーリーを発表しているはずなのだが、言われてみる とやっぱり似ている。 わたしは自信を喪失し、執筆を断念しようかと思い悩んだ。しか し、その間にも頭の中には書きたくなるようなストーリーが次々と 湧いてきた。 これは私の脳味噌の中のデータベースがバグッているに違いない。 そう思い込んでから、私は自分の創作に異常に神経質になり、結果 として何を書いても以前に同じようなストーリーを見聞したことが あるような錯覚に襲われるようになった。 この猜疑心を克服するために、私は作品の発表前に同様なストー リーを全てチェックしなければならなくなった。インターネットや 書籍はもとより、映画、ビデオ、うわさ話、紙芝居……私が見聞き するストーリーのソースは膨大にあり、その全てをチェックするこ とは不可能に思えたが、執筆を断念するよりはましと考え、その作 業に没頭した。 思いつく限りのチェックを終えて、自身満々に発表した作品「ト ラえもん」は、しかし、主人公の名前から、便利なSF道具を取り 出す手段まで、子供向けSFアニメ番組の盗作だという非難を浴び た。 打ちひしがれた私は、私がまだ狂っていない事の証明と私の執筆 人生を賭けて、最後に私小説的作品を発表することにした。 どうにか締め切りに間に合ったようだ。
新聞のチラシには減量のそれみたいに、体験談が載ってたの。 「相手の男から、すっかり興味を無くしてくれたのには感謝してい ます」とか「人が変わったようだと友人からいわれる様になりまし た」なんて言葉が書いてあったと思うわ。 「には」とか「人が変わった」なんていうのはちょっと気になった んだけど、警察じゃあんまり期待できないのはわかってたから、つ い電話をしちゃったのが始まりよね。 ストーカーしてる男は、私が前の前に付合って貢がせていた男だ から、しっかり判ってたのよ。 前から変な奴だと思ってたけど、円の切れ目が金の切れ目ってい うんだっけ? そんなの当たり前よねぇ。で、綺麗に別れたつもり だったんだけど最近また付きまとってきてさぁ。物陰から見てたり、 後ろを黙って付いてきたりするんよ、これが。 この間なんか、帰ったら私の部屋に入ってたのよ。信じられる? さすがにびっくりしたわよ。もう慌てて警察呼んじゃったもんね。 でも警察って何にもしてくれないのョ。電話番号も変えたのに、ど うやって調べたんだか夜中に無言電話はあるしさ。さすがの私もま いっちゃったわけよ。 電話した会社からやってきた女の人に憲太(ストーカー)の事を 話したら、彼女は「2週間程で被害に遭わなくなりますよ」って請 合ってくれたのよね。だけどそれって長いのか短いのか判らないけ どさぁ。だけど30万よ。30万。びっくりもんよ。まぁ、今の彼 に出させたからいいんだけどさ。 対策はこれですって渡されたのがこれ。この予定表よぉ。 「必ずこの通りに実行して下さい。でないと失敗した場合でも頂い た料金は返せませんし、ストーカー被害も無くならないと思って下 さい」 なーんてしっかり念を押されちゃったの。仕方ないからその予定 通りの生活をおくったってわけよ。結構きつかったけど、目的があ るから頑張れたのよね。 予定をしっかり守った私は我ながら立派だったと思うわ。自分を 誉めてあげるって感じよ。 確かに、憲太はストーカーをしなくなったわよ。だけどさこれっ て詐欺だと思わない、ねぇ。これじゃ町も歩けないわよ。今の彼だ ってさぁ、結婚しようなんて言ってたのに別れるタイミングを計っ てるってる感じなのよ。最近会ってもいないし…。まったく私を振 ろうなんて失礼しちゃうわ。 友人を見送った彼女には、笑い声が聞こえてきそうだった。 20キロ程体重が増えた彼女は、コーラを片手に部屋に戻った。
私はそれでも小説を書かねばならない。 そう、どこかでだれかが決意する。 それはありふれたことで、とても名前をつけるような事ではな い。 それでも我々は、彼を「次郎」と呼ぶことにする。 次郎は真っ暗な空間の真ん中で、決意する。 私はそれでも小説を書かねばならない。 次郎は真っ白なディスプレイに向かって、とめどなくあふれ出す 言葉をなんとかつかまえようとして、もがき苦しむ。 浮かんだとたんに消えてしまい、思い出そうとしても曖昧で、そ のうえ自分の貧しい才能では決してつかまえられない、言葉を。 彼は書こうとする。 次郎は、語り始める。 語り紡がれる言葉は、いままでに何度も何度も語られた言葉だ。 彼の語る物語は、ほんの少し前に誰かが語ったもので、その誰か が語ったものは、やはり、もっと昔の誰かが語ったものだ。さらに その誰かが語ったものは、もっともっと昔の誰かが語ったものだ。 そのことに次郎は気がつかない。しかし、やがて気がつくことに なる。 次郎は語る。 つまらぬ物語を。ありふれた物語を。これまでに何度も何度も語 られた物語を。 いくつもいくつも、次郎は書き続ける。 そうして次郎は気がつく。 自分は人間であることを。 人間はやがて死ぬということを。 次郎は自分の運命が恐ろしくなり、混乱し、そして今までの自分 を確認したくなる。 次郎は自分がいままで書いてきた小説を読み返す。 得意げに鼻を膨らませ、気取って足を組み、唇の端をゆがませて 書いた、斬新で独創的な小説を。 彼は読み返す。 何度も何度も読み返す。 読み返して、気がつく。 これはもうどこかで誰かが語った物語なのだ。 あの斬新で独創的に見えた物語の、なんと安っぽいことだろう。 情熱的に取り組んだ、数々の作品の、なんとつまらぬことだろ う。 次郎は思う。 先人たちの優れた作品に比べれば、私の作品など何の意味もない のだ。 そこに私が付け加える言葉など、一言たりとも残されていないの だ。 真っ暗な空間の真ん中に、彼は座り込む。膝を折り、顔を手で覆 う。 すると、覆った手のひらの内側に、きつく結ばれた唇の奥底に、 とめどなく無数の言葉がやってくる。 暗闇の中で、それは一層輝きを増して、彼を誘惑する。 「おまえはそれでも書かねばならない」 私はそれでも書かねばならない。 真っ暗な孤独の真ん中で、彼は決意する。 別に珍しいことではない。 ありふれたことだ。
「――あれぐらいの歳になるとな、娘もすっかり父親を嫌うように なってな」 会社帰り、おでん屋台で焼酎のコップを見つめながら、上司が自 嘲気味に笑う。 「そうなんでしょうね――あ、おじさん、ハンペンお願い」 「はいよ」 皿に溜まったおでんつゆを飲みながら、四谷京作は相づちを打つ。 「そうさ、小さい頃はよく風呂に入れてやってたのに、お父さんと 一緒の風呂はイヤ、と、こうだ」 「まあ、風呂は抵抗あるんじゃないですか」 四谷は焼酎をちびちび呑む。 「寝る時もな、昔はよく布団にもぐり込んで来たくせに、お父さん と一緒の布団はイヤだと来る」 「年頃の娘さんがそれを嫌がらなかったら問題だと思いますが」 「それはただの始まりに過ぎないんだ、それから後は情け容赦なく エスカレートして行くんだよ――兄さん、チュウお代わり」 「はいよ」 とくとくどくどく――。 「半年前、お父さんと一緒の食器はイヤだと言って、別々に洗い始 めた」 「手間の掛かる事しますね」 「そして一緒に洗濯されるのがイヤだって、私のと別に洗濯機を買 う、私のと別にテーブルも買う、私のと別に土鍋も買う、私のと別 に車まで買ったんだ!」 上司はなみなみと注がれた焼酎を一すすりした後持ち上げる。 「丁度そういう年頃なんじゃないですか? 今は適当に距離を取っ て見守るとか」 「四谷、お前は子供がいないからそんな冷静な事を言えるんだ。頭 で分かるのと感情で寂しいのとは違うもん――うっ、げほっかほっ!」 一気に焼酎を呑もうとして、上司は激しくむせる。 「お客さん?」 「わわっ、だ、大丈夫ですか?」 四谷は慌てて上司の背中を叩く。 「うぷ、はぁ、はぁ、はあ、はぁっ、ぜぇ、だ、大丈夫、だ、こ、 こら、もう叩かんでいい!」 「あ、すみません、つい」 しばらく荒い息をした後、上司は焼酎を一口呑んだ。 「極めつけは昨日だ。まさかあんな」 「何言われたんですか、今度は?」 四谷はハンペンに辛子をぬる。 「あんな……あんな事。あそこまで嫌わなくても。仮にも血の繋が った親子だってのに。いくら親子でもあんな全存在を否定するよう な事を」 「言いたくなきゃいいですよ――おじさん、ちくわぶある?」 「四谷、お前人の話聞いてるのか?」 「もちろん聞いてますって。なんなんです、一体?」 「私のと別の――」 上司はコップを握り締め、吐き捨てる様に言った。 「別の苗字を使い始めたんだ!」 「――めでたいだけじゃないですか、それって?」
第23回1000字バトルチャンピオンは、
川島ケイさん作『紙飛行機』に決定しました。
川島ケイさん、おめでとうございます。
票を得た方もそうでなかった方も、次回でまた頑張ってくださいね。
感想票をお寄せいただいた読者の皆様ありがとうございました。
| 作品 | 票 |
|---|---|
| 紙飛行機(川島ケイ) | 6 |
| お楽しみ券(BEAN) | 3 |
| 年頃(羽那沖権八) | 2 |
| 次の千年紀に(るるるぶ☆どっぐちゃん) | 2 |
| カレー(くるり) | 1 |
| 猫になる(蛮人S) | 1 |
| 空っぽの家(高橋英樹) | 1 |
| コピーライター(RIBOS) | 1 |
●紙飛行機(川島ケイ)
●お楽しみ券(BEAN)
●年頃(羽那沖権八)
●次の千年紀に(るるるぶ☆どっぐちゃん)
●カレー(くるり)
●猫になる(蛮人S)
●空っぽの家(高橋英樹)
●コピーライター(RIBOS)
![]()
◆Q書房に掲載の記事・写真・作品・画像等の無断転載を禁止します。
◆投稿された各作品・画像等の著作権は、それぞれの作者に帰属します。出版権はQBOOKSのQ書房が優先するものとします。
◆リンク類は編集上予告なくはずす場合がありますのでご了承ください。