第24回1000字小説バトル
Entry16
忙しくて何かをあきらめることは日常だった。 日々、この手からこぼれ落ちるように何かをなくしている気がして いた。 僕は能力が低いのだろうと思う。 どんな才能も持たず、ただ残業を厭わないことや、仕事を選ばない ことで、存在価値を捏造して胸をなでおろす、それだけの毎日。 体は疲れ、心は疲れているのかいないのか、その存在を疑いたくな るほど、プラスにもマイナスにも動かなくなっていた。 リモコンを手にとった。 好きだった野球選手の引退試合は、オフィスで見ることになった。 バッターの横顔が大写しになった。 カメラはヘルメットの下のうるんだ瞳をとらえている。 最後の打席が始まっていた。 ピッチャーが投球モーションに入る。 投げた。 まんなか高め。ミットに吸い込まれることではなくて、バットに弾 かれることを願って投げられたそのボールを、バッターはフルスイ ングで打ち返した。 小気味いい音とともに、打球はライトスタンドへ向かってまっすぐ 線を引いた。 独特のライナー、バッターを特定する球筋、その鋭さ。 どよめき、立ち上がる観客。 鳥肌が立った。瞬間に体温が上がる。 <いけ> 声には出さない。 ただ、頭の中で叫んだ、弾けたように。 打球はしかしライトポールをかすめて、そのわずか右へ入っていっ た。 立ち上がっていたことに気づいて、僕は苦笑いで腰をおろした。 幕はあっけなく降りた。 ほわんと舞い上がった最後の打球は、2塁手のグラブめがけて、ゆ っくりと落ちていった。 ドーム球場がため息をつく。 けれど、間を置かずため息が拍手と、それから悲鳴のような怒号の ような歓声のような、そのどれでもない声たちに変わる。 ほとんど360度すべての方向から、声はバッターへと降った。 「ありがとう」がたくさん重なって、ざあん、と海鳴りのようにき こえる。 バッターは泣いていた。何度も何度も手を振りながら、頭を下げて は泣いていた。 達成感か、感謝か、惜別か。理由は知らない。 たぶん、まったく違う意味の、けれどどこか同じ涙が、僕の目から 落ちた。 記録にしてセカンドフライである。感動などしない。 垂れ幕に書かれた「不屈の闘志」。そんなものは学ばない。 理由は知らない。 憧れていた人の涙に感応しているだけかもしれない。 それでも、いいと思った。 失わず、持っているものがある、と気づいた。 僕はスイッチを切って、なぜだかリモコンを握りしめ、握りしめた 自分の弱い拳に落ちる涙をしばらく眺めていた。
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