虫
古江未衣
彼は寝室で本を読んでいる。ダブルベットと南窓の間に身を置き、窓の桟にもたれている。仕事から帰って夕食を済ませると、横になってテレビを見ている妻には声をかけずに、二階へと上がった。
今日は梅雨の中休みで蒸し暑い。妻のいる部屋はエアコンで冷えていたが、彼は窓辺で微かな自然の風を感じながら本を読むことを好んだ。南窓から東窓へと風が抜けると、レースカーテンがそれを受けて膨らんだり、網戸に吸い寄せられたりした。
彼が読んでいるのは海外ミステリーだ。事が起こるのはまだこれからというところだった。大きな風に煽られてカーテンが彼の顔を覆った。それを払いのけようと顔を上げると、ベットの上に黒い点々がついているのが見えた。何かと思い、顔を近づけると、それは小さな虫だった。部屋には蚊取り線香が置いてある。東窓を見ると、網戸のされていない真っ暗な闇がある。
蟻に羽が生えたようなのや、小さな羽を持った蛾や、生まれたばかりの茶色い半透明の虫が、ヒクヒクしながら白いシーツを埋め尽くしていた。
虫たちの羽は役に立たず、起き上がろうとしては崩れた。彼はベットを眺めているうちに、そこに飛び込みたい衝動にかられた。両手を広げて倒れ込み、虫とともに窒息する自分を想像した。彼の体に黒い点が染みついていく。
そんな想像を巡らせていた彼の視界には、寝室に入ってきた妻の姿は入らなかった。妻はベットを見るなり高い奇声を発した。
「ちょっと何よこれ」
彼は、はっとして何か言おうとしたが、やめた。
妻は彼を見ようとはしなかった。手際よく肌かけと枕をシーツの中に入れてぐるぐると丸めた。
「あたしはいつだって尻拭い。ああうんざり」
妻は大きなため息をついて部屋を出ていった。
彼は妻の出ていったドアを見つめながら、ラブホテルの清掃人みたいだったなと思った。立ち上がって窓を閉めると、ガラスの向こう側からたくさんの虫がこちらを見ていた。手のひらで叩いたが、一匹も落ちなかった。
彼は再び本を開いた。まだ何も起こっていない。
右腕に一匹の虫が這う。しばらくして彼は左手でそれをつまんだ。そして開いた本の上に落とした。彼はふと、あの虫をいったいどうするつもりんなんだろうと考えた。そのまま洗濯機に放り込むか、いや…。彼の心臓は高鳴った。
いったいどうするつもりなんだ?
彼は勢いよくドアを開けた。
寝室には海外ミステリーと潰れた虫が残された。
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