第25回1000字小説バトル
 Entry26
 
顔の記憶
 
伊勢 湊
 
 
「すまない、和恵」
義父の出棺前の献花のときにその死顔を見てしまった僕は「ちょっと、あなた」と小声だが強い口調で呼び止める妻を背に葬儀場を出て建物の陰に隠れタバコに火を着けた。末期癌で苦しんだにしては安らかな死顔だった。それでも僕には死者の顔はきつい。それはただ眠っているようなのに恐ろしく冷たい。かつて死者の顔に触ったことは一度しかないが、そのときは、そのあまりの理不尽な冷たさに恐くなって一瞬で手を引いてしまった。そのあと涙が出てきた。義父の死顔も長く見ていると涙が出てきそうだったらか思わず逃げ出した。大の男が涙を見せるのが恥ずかしいというのもあったが、たぶんそれは言い訳だろう。本当は流す涙が和恵の父のためのものではなく、和恵の知らない遠いむかしに死んでしまった友のためというのが後ろめたかった。

 ガキの頃からの腐れ縁、同じ小学校から始まり同じ高校を出て大学こそ違ったが同じ東京に出てきた。本当の意味で親友と呼べる唯一の友だったかもしれない。実際あいつが死んだときには自分の一部がひっぺがされた気がした。それもずいぶんむかしの話だ。あと三年もすれば息子たちもあの頃の僕たちと変わらない歳になる。過去を忘れようとは思わない。今このときも一瞬あとには過去になる。過去を大切に出来ない人間には現在も未来も愛する資格がない、というのが昔の僕の主張だった。でもいまは僕自身の過去に家族を巻き込むべきではないと思っている。思っていても、その冷たい死顔は名前の付けられない感情を勝手に呼び起こす。そういえばバイクの事故で死んだ友の顔も傷一つなく驚くほど安らかだった。

火葬場で最後にもう一度だけ義父の死顔を見た。どうしてもエアコンの効いた待ち合い室でみんなと義父を懐かしむ気分になれなくて、炎天下の駐車場で一人タバコを吸っていた。
「あなた」
和恵がいた。
「すまない、いくよ」
「いいのよ」
少し意外だった。
「もう、あんまり謝んないでよね。いつもは謝らないくせに」
そういうと和恵はいきなり僕の手をとった。
「なっ、なんだ?」
「いいから」
五十近い夫婦で手を繋いだ。
「男っていうのはこれだから困るわ。いつまでも子供で。あなたのお母さんも言ってたわよ」
しばらくして健次と優次が呼びに来るまで手を繋いでいた。とりあえず僕の指先はもう冷たくなくて、いつまでもつかは分からないけど、もしかしたらずっと冷たくならないかもな、と思った。
 
 
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文字数 : 1000
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