第25回1000字小説バトル
 Entry29
 
換気扇
 
越冬こあら
 
 
 配偶者から何度かの陳情があった。加えて私はそこで喫煙するたび、見上げるたびに気になっていた。しかし、思い立って踏み台代わりの丸椅子を昼食後の片付けが済んだ台所に持ち込んだのは、清掃の必要が指摘されてからひと月半ほど後だった。
 一週間に一度の休日を楽しく過ごせた試しはない。それらは買い物やテレビ、休養や腰痛治療等に尽く浪費された。平日の早朝や昼休みに思いつく休日の過ごし方は実現した試しがない。従って、買い物もテレビ無く、腰や肩の調子も比較的良い休日には、いくつかの思惑があったはずだった。しかし、念頭には換気扇清掃が浮かんだ。私は特に綺麗好きでも恐妻家でもない。現に妻は、台所に丸椅子を運ぶ姿を見ても「何をお始めになるんです」と怪訝な顔さえしていた。
 換気扇にはDIYショップで見かける安価なカバーがされていた。「臭いものには蓋」という発想は果たして日本のオリジナルであろう。このカバーをはじめ、実にいろいろなものに蓋やカバーが掛けられている。それによって、本体の汚れを隠し、同時に本体の汚染を回避する。自身を雑菌から防護する目的の厚いマスクを着用したままの医師の発言はとても聞き辛いものだった。左手に掲げられたレントゲン写真の迫力に圧倒された。皺々に見える硫酸バリウムの影が私の胃袋だ。乱れた皺が私の生活。皺の集中が潰瘍という名の結論。生活習慣の帰結であると医師は語った。
 ばね仕掛けのカバーをはずすと黒い油が幾重にもこべりついた本体が現れた。油の表面は不気味に波打っており、青と黄のラベルのお手軽スプレーから吹き出す化学洗浄剤ではもう手に負えない確固とした物質としての威厳を誇っていた。たとえ関西芸人が連呼する頑固な汚れに強い緑の粉を振り掛けてみてもどうすることもできない存在だ。つまり、ストレス、飲酒、運動不足、過食。それら全てが私の胃袋を蝕んできた。生活習慣という。それは仕事の故である。炎症を起こそうが、潰瘍が出来ようが、穴が開こうが、遂行せねばならぬ仕事があるのだ。そうだろうか。
 ナイフをへら代わりに固まった油を削り取る。ネジを外してプロペラを取り、抱え込みながらナイフを振るう。力みすぎたナイフの先がプロペラの塗装を削り、不愉快な音を出す。構わずに私は削り続ける。
 結局、塗装の剥げた換気扇はその後二ヶ月でお釈迦になり、潰瘍は薬で抑えた。週に一度の休日を楽しく過ごせた試しはない。
 
 
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