|
雨やどり 一之江 激しい雷雨でわたしはうれしくなる。こういう静かなお祭り騒ぎが好き。言葉のない目的のない意志のないお祭り騒ぎ。 ノックが聞こえた。お祭りのおまけがやってきたみたいでわたしは機嫌よくドアをあけた。 「雨やどりに来ました」 何も返事をしていないのに、彼はどんどん部屋に上がってくる。ずうずうしいというのだろうけど、それは美徳だとわたしは思った。 「何か飲む?」 彼はきょとんとわたしを見た。言ってはいけないことだったかしら。雨やどりの邪魔なのかしら、それは。 「アイスティーをじゃあ」と、彼はうつむき加減に答えた。 「いいのがあるの。桃の香りがするの」 わたしはお湯をわかした。たっぷりと氷を製氷皿からあける。たくさんのいろんなかたちの半透明のカタマリ。 熱くいれた桃の紅茶を、口からはみだすほど氷をつめこんだコップに注ぐ。からから、と音を立てて氷が溶ける。それを彼に差出した。 ばりばり、と激しい音が響いて屋根を揺らす。どどどん、とどこかの大地を打ち鳴らした空気の震えが窓からここにも届いてくる。 彼は目を細めてアイスティーに口をつける。からん、とささやかな音がつつましやかに響く。 「どうして来たの?」 彼はいぶかしげに眉をしかめる。 「どこかに行くの?」と、わたしは質問を変えた。 「そう。橋の向こうに」と、彼は答えた。 「そう」 わたしもアイスティーをそっと啜った。氷がまだ溶けきらずに、だから苦い。 鈍色の空が一瞬光で割れた。轟が瞬時にそれを追う。 「近づいてきたね」 「うん」 近づいて、でもきっとすぐに去ってしまうのだろう。そんなふうに思っていると、彼がいやがるような気がして、だから他のことを考えようとした。 たとえば蝉が鳴き出したこと。 「こんなに暑い日が続いてるのに、やっと最近なの」 「そうかもしれない」 「夜中はまださすがに鳴かない。でもいつからなのかしら、夜でも蝉が鳴き出したのは」 いつからなのかしら。それはどうでもいいことなのかしら。 雷鳴が遠くに去ってゆく。 蝉が、じじ、と鳴き出す。雨が小降りになると蝉が鳴き出す。 「じゃあ」と、彼が立ち上がった。「おいしかった。ありがとう」 わたしはドアのところまで彼を送る。「さようなら」 きっともうたぶん、二度と来ない。だけど言う。「またね」 彼は微笑んで立ち去った。蝉がはげしくわめき始める。窓から眩しすぎる光が注いで、溶けかけの氷がなまめかしくうねった。 |
|
Website : 海へ行く家族(短篇集) 文字数 : 1000 |