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第25回1000字小説バトル全作品


#題名作者
1眠け眼泥人形
2聖人と教祖のぼりん@SSEA
3幻 〜self magic〜加藤 正貴
4壊れた女芥川かげろう
5檻の中渋澤 コウ
6女神様のため息よしよし
7左右完崎竜
8頭が痛いrks
9初恋柴田 綾乃
10夕焼けの廃校。ちょっとした過ち。瀬田 春風
11不安な会話高橋賢太郎
12美しい世界雪名 雄太
13古江未衣
14君の街は僕の街有馬次郎
15フロア加納 利夫
16呪いの部屋藤丸
17無駄な時間かわのプーさん
18平等な国家ラリッパ
19三郎の記憶kazunyanta
20風の中からさとう啓介
21近所の床屋さんにてやみさき
22Lonsome Moon川辻晶美
23洪水耕田みずき
24P九〇〇〇開発史羽那沖権八
25完全なる世界サトコフ
26顔の記憶伊勢 湊
27ふたりウエダ カホリ
28アルマジロ三月
29換気扇越冬こあら
30猿と龍、既定の宿命由述ヨシノ
31おやすみなさいからはじまる真夜中の手紙楠木マユミ
32雨やどり一之江
33次はあなた太郎丸
34一年後の再会綾重 寄之介
35大きな椅子川島ケイ
36引越しasサーモンas2号
     ★バトル結果

 Entry1
 
眠け眼
 
泥人形
 
 
朝、学校へ行く道すがら後ろから肩を叩かれる。半分夢うつつであった中西は驚いて振りかえる。
「よぉ」同じく眠そうな青田が立っていた。
「おぉ」反射的に中西は答える。
その後、沈黙が続く。今は朝である。そして大学生、男同士、こんなもんである。中西は青田の存在を横に感じながら大学へと続く道をぼんやりと眺めている。時折、視界の端に自分の履いているスニーカーが見え隠れする。
青田が決まり悪そうに話し掛けてくる。
「おまえ、耳?」
「ミミ?」青田が何を言おうとしているのか解からない。
「耳、大丈夫か?」
「耳?何が?2つじゃ足りないか?」
「そうじゃなくて、なんかヌルッとしてる」
「ヌルッと?」
「うん、何だろ?上手く言えないんだけれども…いや、でもヌルッとしてるよ。気付かないか、自分で?」
青田が何を言っているのかが解からないが、自分の耳が一大事になっていることだけは理解した。でも中西には痛みは無い。それに眠さのせいか、別に自分がどうなっても良いと思っている。殆ど他人事だ。そんな目で見ると心配そうに自分の顔を覗きこむ青田が滑稽に見えた。大体が青田はゴリラに似ている。鼻息も荒い。口も臭い。「こいつ胃が腐ってんじゃねーか」と思うほどである。どうりで女にもてない訳だ。まあ俺も人のこと言えないか、中西はそんな事を考えていた。
中西は思った。ドッキリなんじゃないかと。こいつはただ、俺を驚かせようとしているだけじゃないのかと。そうと分ればこっちのものだ。
深刻そうな顔して中西は言った。「3ヶ月なんだとよ。」
「えっ!?」
「昨日、医者に見てもらったんだ。そしたらもって3ヶ月だって。もう少しヌルッとしている前に行けば間に合ったらしいんだけ、ここまでヌルッとしちゃうと今の医学では無理なんだって」
青田は何も言わない。ただ「そうか」と呟くだけである。
こいつ役者だな、中西は思った。畳み掛けてやれ。
「触るなよ、伝染るらしいから。」
青田は「そうか、そうか」と呟くばかりである。
学校に着くと、丁度、始業のチャイムが鳴った。青田は「俺、教室こっちだから」と言って、指差した方へ小走りに駆けて行った。青田は途中、何度か振りかえり中西を見た。3度目に振り返った時には中西の姿は無かった。
 
 
Website :
文字数 : 919
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 Entry2

 
聖人と教祖
 
のぼりん@SSEA
 
 
 聖人と教祖が道端で出会った。
 それぞれがひとつの宗派を率いた宗教家である。誰もが互いに反発しあうものと思っていた。ところが牽制しあっていたのは最初だけである。いつの間にかお互いが相手の教義を認め合い、そして尊敬の言葉をかけ合った。
「あなたは、救世主だ。私はあなたのしもべになりたい」
「すばらしい。あなたこそ、現代の仏陀だ」 
 互いに対する宗教的感動は、ふたりの熱い思いをやむにやまれぬものにした。
「私は仏陀ではない。あなたが仏陀です」
「なにをおっしゃる。あなたこそ仏陀なのだ!」
 その敬虔な譲り合いは熱を帯び、あたかも討論の様相であった。

 突然、彼らを取り巻く集団がざわめき、その中から、一人のお巡りさんが飛び出してきた。彼は、ふたりの宗教家の中に割り込んで、両手を広げた。
「往来の真中で、ぶった、ぶたないと、大人げないぞ。どちらが先に手を出したのか知らないが、その続きは署で聞こう!」
 聖人がお巡りさんの掴む手を振り解いて、穏やかに答えた。
「いや、この人が先に私のことを仏陀だといったのです。でも、それは間違いです。仏陀はこの人のほうです」
「いいえ違います」教祖も言葉を返した。
「仏陀はこの人です」
 お巡りさんはうんざりしたような顔をした。
「わかった、先にぶったのはこっちだな。署までくるんだ」
「ま、待ってくださいよ」
 聖人はいささか慌てた。
「仏陀はこの人のほうですよ」
「何いっているんですか。君が先じゃないか。先に仏陀といったのは。なら、先に行った方を連れて行ってください。私は忙しいので…」
「やってられませんな。あんたが素直に仏陀だと認めりゃよかったんだろ。言い返すほうが悪いよな」
 もはや、お互いは穏やかではいられなかった。教祖も聖人も額に青筋を立てた。
 二人はさらにいがみ合って、声を荒げた。
「ふん、あんたなんか、仏陀じゃない。」
「お前なんか、仏陀じゃねえよ!」
「そこまで言うなら、呪いの呪文を唱えてやる」
 聖人が、両手をクロスしてへっぴり腰に構えたのを見て、教祖は片頬で笑ってすごんで見せた。
「俺の信者にゃ、組関係の奴もいるんだぜ」

 収拾のつかなくなった現場で、間に立ったお巡りさんは、ついに拳銃を天上に構えて叫んだ。
「これ以上騒ぎを大きくすると、容赦しないぞ。オシャカになりたくなければ、二人とも手を挙げて、署に来るんだ」
 騒ぎの原因が何かという事に、依然気づいていないようである。
 
 
Website : 松拳太郎文庫
文字数 : 999
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 Entry3

 
幻 〜self magic〜
 
加藤 正貴
 
 
 それは幻だった。僕の永い永い、それこそ永久の刻を過ごしたかの様に感じられたそれこそ氷のような、まるで情熱の燃え上がる炎のような一つの片思いの物語は、何度も自問し、何度も自答したように、それは闇の中、真白な光の中にあっさりと消えていった。
 嫌のものを見た、まるで、人類全てが嫌悪し、遠ざかりたく思うような汚物の全てを一度に全て見たような気分になった。天使のように考えていた女性の、悪魔のような姿、僕は決してそれをみたくはなかったし、そんな一面が彼女に存在するなんて、想像した事もなかった。
 僕の前でその会話は続いた。もとよりただの片思い―――彼女は当然僕の気持ちなど知らない、だから(もしそれを知っていたとしても、その状況に変化が生まれたのかどうかは解からないが)僕の前で、その女性は僕じゃない男性と会話をし、弾むような、いや、それこそ踊るような言葉をその口から発し、今まで見た事のないような満面の笑みでそれに対していた。
 嫉妬、その言葉で片付けてしまうのが一番正確なのかもしれない。僕と違うところで、その女性と、その男性の各々の刻が流れていることも、自然な事だといえた。僕の気持ちだけが、ただ不自然だった。
 そのとき僕は、自分の事を正しいと思っていた、自分が清潔な存在なのだと間違った考えを抱いていた。眼前で行われている正常な行動が、とてつもなく不潔なものだと思えて、とても悔しかった、とても悲しかった。
 どうしたらいいのかわからなかった、築きあげてきた自分の中での彼女の存在―幻―が、音もなく、ただ何もなかったようにその役割を終え、消え去ろうとしていた。
 気が付けば光の消えた闇の中の道を一人ただ無茶苦茶に走っていた。疲れという概念などその場所には存在しなかった。幻と歩んだその道を、幻と立ったその場所を、幻と笑ったその言葉を、ただしらみつぶしに走り廻っていた。
 しばらく経つと、自分の中で刻が逆流している事に気付いた。涙が流れていた、枯れたと思っていたそれは、一筋の線となって僕の冷たくなった頬を伝った。
 もうそこには何も無かった、全ては幻だったんだとそのとき気付いた。逆流していく刻の中で、自分に掛けられていた恋という名の強固な魔法が、その力を失って、解けていくのを感じた。  
 「幻よ、バイバイ!!」
 気が付くと僕は大声でそう叫んでいた。眼前には広大な海、空には満天の星が輝いていた―――。
 
 
Website :
文字数 : 1000
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 Entry4

 
壊れた女
 
芥川かげろう
 
 
 真っ黒なサングラスの冷殺し屋のような大男が、一軒家のカギをこじ開けて侵入した。周囲には他に建物も生物の気配もない。中の床は血だらけ。固まった古い血と新しい血が入り乱れ、家中に散らばっている。
 20才ぐらいのランジェリー姿の女がリビングのイスに細長い足を組んで腰掛け、ナイフで左の手のひらに数本の細長い傷を付けている。細身の女の体中の白い肌には無数の古い傷跡と新しい傷。床にポタポタと赤い雫が滴っている。
 大柄な男が目の前に立っても女は顔色ひとつ変えない。
「何をしている?」
 震える声で男が問う。
「あんたの方こそ」
 鋭利な声で言い返す女。
「か……金を出せ!」
「なぁんだ、あんたもあたしと一緒じゃん」
 女は妖しく微笑む。
「え……?」
「強盗なんかして、現実から逃げてるだけでしょう。あたしもいろんな嫌なこと忘れたいから、こうして血を流してるの」
「これ、前の彼からもらったコップ。あたしを捨てた許せない奴。だから壊しちゃえー」
 女は立ち上がり目の前にあったコップを円い小さなテーブルに投げつけた。散らばったいくつもの破片を右手で鷲づかみにし、握り締める。黒いテーブル上に拳から鮮血がダラダラと流れ落ち、赤黒い水溜まりを形成する
 男は悲鳴をあげそうになる。
「お金ならあげるよ、ほら」
 女は半分赤く染まった札束を差し出す。300万はある。
「たたた助けてくれー!」
 男は叫び逃げ出す。
「うっ……!」
 1kmほど走った頃、男は突然腹を押さえ苦しみ出す。

 

 こぉぉん……。高く長い音が閉め切った部屋中に反響する。白い肌の女はかわいいクマのぬいぐるみを壁におさえつけ自分の左手ごとそれに木槌で大きな杭を打ち付けている。しなやかな左手から流れ落ちる血は女の素足の足元を真っ赤に染めてゆく。
「ふふふ……。ついに絶頂よ……流血の呪い」


 そのとき男が失いかけた意識の中で、さっきの女がぬいぐるみに杭を打つ姿がぼんやりと浮かぶ。なぜだ……?なぜあの女が俺を……?


「あの世で仲良くデートしようね」
 女は自分を捨てた男へのメッセージを無邪気なクマに向かって優しくささやいた。
「あれ……?違う。この人さっきの強盗さんだ」
 宙を舞っていた木槌が止まった。
 女は昔の彼氏とあの大男をいつのまにか混同していたことに気づいた。この二人は兄弟のようにそっくりだった。女は昔失った宝物を見つけたような嬉しい気分になった。
「今度こそ私のモノにしてみせる」
 
 
Website : かげろうの館
文字数 : 1000
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 Entry5

 
檻の中
 
渋澤 コウ
 
 
冷たい壁…ズッシリと佇む鉄の檻…
けして穏やかな光が入ることのない、罪深き者たちへの存在が許された空間…

僕は目を開けている。見えるのは鉄の檻…冷たい壁…そして檻の向こうに見える仲間たち…    …仲間?…
もはやそれはどうでもいいこと。けして出られることは無いから思い持っても必要が無い。いっそのこと捨ててしまおう。
僕は目を開けている。脱力感とむなしさを抱えて…
自分の中にあった溢れるほどの自信。けして誰からの意見を待つのではなく、自らを信じ、自分の中にある大きさを更に広げていった。
だが、それもここでは無意味なもの。また一つ、捨ててしまおう。僕らはけして出られることの無い場所にいるのだから…。
僕は目を開けている。思い出が走馬灯のように頭を巡る…。
母のぬくもりや友人との出会い…。唯一愛した一人の女…。自分の今に至るまでの人生。またひとつ、いらないものが消えていく…。
…必要ないのにこの失望感はなんだろう。冷たい地面には熱い雫がポタポタと、男の瞳から溢れ出る…。顔を醜いほどに歪ませながら…。一つ、消えていった。

僕は目を開けている。誰かに助けを求めた。 …みんな同じだった。
もはやこの声も必要がないのか。…僕の声はいつのまにか消えていた…。

周りは相変わらず貪欲と無責任で染まりかえっている。泣き声、うめく者、檻にしがみつく者。何をしたいのか?やはり助けを求めているのだろうか?
この罪人しか住まわない場所で、誰の助けを求めているのか?…仲間?
助けを求めるときだけ?虫がよすぎる。…僕も、同じか。

僕は目を開けている。お父さん、お母さん、僕は五体満足で生まれ育ちました。だけどもう必要ありません。ごめんなさい。
一つ、僕の中から消えていく…。感覚が無くなってきた。
今の僕はこの世に在るだけの存在なのかもしれない。たくさんの自分の柱が消えていった。こうしてしばらくいたい。何も考えずに…。
僕は目を開けている。周りは相変わらず騒がしい。目に見える全てが嫌になる。
暗い空間。頼りは檻の外にあるチカチカと今にも消えそうな白熱灯。その薄暗さが、罪人たちの表情を更に不気味に見せる。醜いものだ。
…僕はどう映っているのだろうか?全てをまだ見ていたい。

僕は目を閉じている。
男はずっと目を開けない。…目覚めることはもう無い。
 
 
Website :
文字数 : 996
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 Entry6

 
女神様のため息
 
よしよし
 
 
 真昼の公園で朝子は弁当を広げていた。季節は夏。木陰とはいえ気温は30℃を超えている。本人が暑さでボーっとしているスキにお弁当箱を拝見させてもらおう。

 まずゴハン。
 次にフリカケ。
 以上。

 んー、シンプル。
 ダイエット中かって?いえいえ、ただ単に育ち盛りの子供が3人夫はリストラでって、つまり貧乏してるの。今どき珍しくないね。
 で、朝子はパートに出てるんだけど、この弁当じゃ恥ずかしくてみんなと一緒に食べられないでしょ。それで昼はいつもここなの。

 と、それはいいとして、私は誰かって?
 そうね一言で言えば「幸運の女神様」かな。この貧乏人朝子は今10万人に1人って幸運(私)が憑いてるの。宝くじなら大当たり株でも先物でもガンガン儲かる手はずなんだから。

 しかしそんな事とは知らない朝子は、早々に帰り支度を始めた。それを見て、サッサとノルマをこなしたい女神様も動く。どうやら公園の出口で売っている宝くじを買わせるつもりらしい。女神様はさり気なく「三億円」の文字がなびく旗を倒して足止攻撃に出る。けど、朝子は足をもつれさせるだけ。おまけに勢い余って、アッと思った時には車道に転がり出ちゃった。目前にダンプが迫ってる。
 こういう時、人は一生が走馬灯のようにと言うけど、朝子の場合脳裏を掠めたのは生命保険のことだった。悲しすぎ。
「これで家族が」
と、覚悟を決めたけど、その時はなかなか来なかった。何故って?それはトラックが朝子の手前で悠々と止まるれたからよ。

 結局のとこ朝子は保険金を手に入れ損ねちゃったの。でもこの時閃いたのね。別に保険金目当ての偽装事故じゃないわよ。
 ズバリ!「絶対止まる車」。どんなにスピードを出しても絶対に効く、夢のようなブレーキよ。

 何せ勤め先は自動車の製造工場だから話はとんとん拍子。一年後には朝子の発案で「非常ブレーキ」なるものが完成したわ。
 仕組は簡単。ブレーキの時にエンジンを逆回転させて、タイヤも逆回転することで止まるの。ただ難点は凄いブレーキ過ぎて運転手や同乗者にとても負担がかかる事。お陰で車内にはジェットコースターさながらの安全バーが取りつけられたんだけど、以外とこれがおおウケで後に自動車の標準装備となったほどなの。

 と、ここまで話したら後はどうなったかは想像がつくかしらね?今回は女神様の出番なし。人間くらいよ、勝手に幸せになっちゃうのなんて。ホント困っちゃう。
 
 
Website : 「ねこ」と「うま」
文字数 : 998
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 Entry7

 
左右
 
完崎竜
 
 
 一組の電柱がありました。こげ茶色の木が二本で一組になっているものでした。漢字の「人」の様に、右側の木が左側の木を支えていました。左側を支えるのが右側の仕事でした。右側は左側が大好きでした。雪が降って、左側には沢山の雪が積もりました。
「右側、大丈夫?重いでしょう」
「ううん。平気。仕事だもの」
左側が心配して聞くと、右側は笑顔で答えました。
 ある日、石ころ道の列の電柱の異動がありました。左側の支えも、別の右側になり、右側も別の左側を支える事になりました。移動後、初めて雨が降りました。左側をつたわって、右側にも雨の滴が流れてきます。
「ああ。冷たいな。右側なんて、いい事ないよ。冬には重くなった左側を支えなくちゃいけない。支えきれなくなって折れたりしたら、右側が怒られるんだ。雨が降ってももれなく左側から滴が流れてくるし。嫌だなぁ」
右側がそう言いました。左側は何も言えませんでした。黙っていながら、
(ああ、前の右側は文句なんか一言も言わなかったなぁ。そんなにも右側の仕事がすきだったのかなぁ)
ぼんやりと考えていました。前の右側は、もう確認できないほどに遠くに異動されたのでした。
異動から40日後位の夜、文句を相変わらず言っている右側の話している声と一緒に、他の電柱の話し声が風に乗って聞こえてきました。
「あの、123番の右側がとうとう折れてしまったらしいねぇ」
「なんだか、異動した後はずんずん元気がなくなってしまったらしいよ」
「組んでいた左側はかんかんだったみたいだねぇ」
「軽い打ち身になってしまったって言っていたよ」
自然に流れてくる話し声に、左側ははっとしました。123番とは、以前組んでいた電柱の事でした。左側はおろおろしてしまい、
「すみませぇん!その123番はどうなったのですか?手当てをしてもらったのですか?又働けるようになるのですか?」
と叫びました。でも、風はその声を声が聞こえてきた方とは逆に流してしまい、聞こえてきた話し声もどの位先から流れてきたものなのか全然分かりませんでした。左側は、みるみるうちに泣き出しました。次から次へと涙はこぼれ、右側にもその涙がつたわってきました。
「あれ、雨でもないのに、冷たいものが流れてくるよ。嫌だな。冷たい思いをするのは雨の日だけで十分だよ。左側はもう少し右側の事も考えて欲しいな」
右側がしかめつらでこう言ったのが、左側にも聞こえてきたのでした。
 
 
Website :
文字数 : 997
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 Entry8

 
頭が痛い
 
rks
 
 
 目が覚めるのは、たいてい昼過ぎだ。
 朝のニュース番組を見ながらベッドに入り、起きるのは午後の二時ごろ。学校にはもう二ヶ月も行っていない。どうしようかという自問を無視してテレビをつけると、どこの局も似たようなワイドショウをやっている。目が覚めてテレビをつけてワイドショウを眺める、というのが日課になっている。
 近所でボヤがあったらしい。画面には、黒く焦げた新聞紙や雑誌の束が映っている。「放火の疑いが濃い」というアナウンサーの声が、なぜか気に障る。
 僕がやったのではないか。理由もなく、そう思う。
 頭痛がする。この一週間ほど、この痛みに付き纏われている。だんだん酷くなるようだ。病院に行こうか、と昨日も一昨日も思ったことを反芻する。
 目を閉じて、頭の中を掻き回されるような痛みに、じっと耐える。
 「監視カメラに映っていたこの男性を」
 アナウンサーの声にびくりと顔を上げたが、映像は逃げるように切り替わり、棚に並べられたパンが映る。
 「混入されていたのは、長さ約5センチの針で」
 痛みを堪えるために額に当てていた手がぬるりと滑る。見ると掌が赤い。血だ、と気づくまで少し時間がかかった。頭痛のせいだろうか、いやそんなわけは……部屋を出て洗面台までふらふらと歩く。鏡に映る額はべったりと血に塗れ、髪の毛が貼り付いている。蛇口をひねり、とりあえず血を洗い流した。ぱっくりと口を開ける傷口を予想したのだが、それはなく代わりに鏡には銀の突起が映った。鈍い銀色に光る面皰のようなものが、点点と額に生えている。血を洗い流しても、その銀色の突起の根元から、血がじくじくと滲み、流れる。洗っても洗っても、すぐにぽつぽつと赤い斑点が涌き出て、そこから血が流れる。
 呆然と鏡を眺めていると、銀色の突起が大きくなっているのに気づいた。いや、長くなっているのだ。突起の、額から突き出ている部分が長くなっている。額の下、頭の中がどうなっているのか想像して気分が悪くなった。
 頭痛。洗面台に寄りかかり目を閉じて吐き気をこらえていると、カツンと乾いた音がした。ふっと頭痛が軽くなったような気がして目を開けると、洗面台の上に血に塗れた針――ちゃんと糸を通す穴もあいている――が転がっている。鏡を見ると、銀色の細い針が今にも抜け落ちようとしていた。
 
 
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文字数 : 960
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 Entry9

 
初恋
 
柴田 綾乃
 
 
  どんなに不幸な恋か、はじめから分かっている
  それでも、やっぱり大好きだと気づいた

  ただ思ってるだけなんて・・・私を知って欲しい、少しでも
  カバンに入れた秘密のプレゼント、側において

 アキラが、一生懸命にノートに書いているのは、黒板の因数分解でも、
きどった公式でもなく、堪らずわきあがってくる欲求と行き場のない想いだ。
 県で1.2の進学校に”間違って”はいってしまったようなアキラにとって、授業中の教師の声はひどく耳障りだった。オヤジの耳につくその声は、聞かない様にしていても、耳を突き刺してくる。心とは裏腹な従順な脳はガンガンしてくる。
 目をそらし、窓の外に行き場を探す。気をそらして、自分の言葉に耳をかたむけはじめる。自分の文字をならべることだけが、今のアキラの生きてる証だった。

  数えてつないだ
  思い出のダイアモンド
  今はひとつずつ 朝もやの街へ・・・なげる!!
  
  せつない恋だね
  幸せになれない
  ボンネットに乗せた夢を どこに運ぶの?

  理想は遠くて ゆがんじゃうよ
  ”その時”がくるまで、なんて
  待ちきれない

  hold me tight もっと
  うれしくて 悲しくて くやしくて せつなくて・・・

 起きているのに、夢を見ているような感覚だった。
どうしようもなかった。それくらいに、苦しかったから。
恋の痛みなのか、抑圧された感覚なのか、それすら分からなかった。
今は只、恋だと思おうとしていた。思うことにした。
現に隣のクラスの男子の事が気になったし、好きと思ったから、そう思うのに後ろめたさは伴わない。
 どこか冷めたようなアキラだったが、だから余計に恋には正直で暴れ出す気持ちを持て余していた。

「可愛いぃーアキラ。最近きれーになったじゃん?!うまくいくんじゃない?!」
と、友達は無邪気にも無責任に、そう笑った。その微笑みに、アキラは上手に微笑み返しながら言った。
「言えないよ。無理・・・。」
じゃあねと、小さく手を振って、気づかれない様、ため息を空に吐き出した。

初恋は、思い込みと見境のない無邪気さだ。
不思議ね・・・緑の若葉が輝いていた。
花の香りがした。
アスファルトに照り返す紫外線の暑さが陽炎になった。
その光は夕焼けになり、雲を多くした。
初恋の淡いピンクの頬と裏腹に、いつか出た月がアキラの影を浮かばせていた。

  いつか思い出す日がくるのだろうか・・・。
 
 
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文字数 : 995
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 Entry10

 
夕焼けの廃校。ちょっとした過ち。
 
瀬田 春風
 
 
 たわいもない遊びのはずだったのだ。
 よくあるいたずらのはずだった。
 後ろから近づいて、軽くトンと背後を押して驚かせる。それだけのはずだった。なのに私がトンと押した友人の後姿は、そのまま窓の外へと簡単に落ちていってしまった。私はただ呆然と音もなく落ちていった友人の姿を、窓から顔を出して眺めた。小学校の3階から落ちた友人は、まるで投げ出されたゴム人形のように見えた。
 私はどのくらいの間ぼんやりとその友人の姿を見ていたのだろう。いつも騒がしいはずの校舎は、その日に限ってシンと静まり返っていた。それもそうなのだ。私の通っていた、この校舎はもう一年も前に廃校となり、明日には取り壊されることが決まっていたのだ。今この校舎は、明日の死の宣告を素直に受け入れ、準備しているのだった。そんな神聖な場所へ足を踏み入れたのはたぶん私と、地面の上の友人だけであろう。
 小さな広告代理店で働いていた私は、一昨日地元の左官屋に勤める友人からの電話を受け、こうして懐かしの校舎に別れを告げにきたのだ。片道六時間かけての長旅だった。その時には、こんなことが起こるとは思いもしていなかった。私には、妻も、まだ幼い一人娘もいる。こんなところで足を踏み外すわけには行かなかった。
 幸いこの木造の校舎には誰もいない。私はとりあえずホッと溜息をついた。
「ホッと!?」いったい私は何を考えているのだ。
 今さらながらにひんやりとしたつめたい汗がこめかみを伝った。地面に叩きつけられても身動きしない友人は死んだのだ。何をためらっている!警察に、救急車に電話をしなければ。
 そう思うほど、もう一人の自分が語りかけるのだ。
「いや、誰も知らないのだ」と。
 私は夕焼けに赤く染まった教室をもう一度見渡した。小さな机と椅子。全てがおままごとでもやっているような、何かを演じているような気分になってくる。そう、全てが演技なのだ。そうでなければこんなに冷静でいられるわけがない。
 三階から落ちた友人も、こうして窓際で途方にくれている私も、現実にあったことではないのだ。そう考えると少しホッとした。

「カーット!!」
 大きな声が廃校となった校舎に鳴り響いた。私は呆然とその声のするほうを見る。
「イヤー、よかったよ。役になりきっていたねえ。」中年の身汚い男が何か喚いている。ようやく思い出した。私は俳優だったのだ。そんな私の横顔を、赤いライトが照らしていた。
 
 
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文字数 : 999
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 Entry11

 
不安な会話
 
高橋賢太郎
 
 
「ねえ。知ってる?不安はたくさん集まると、どうなると思う?」
「うーんわからない。もともと不安ってどこにあるの? 不安ってなに?」
「そうね。不安ってもともとどこかにあるものではなくて 最初はないの。でも不安の種は誰でももっていて、それがいつのまにか成長して不安になるのね」
「不安の種って誰でももってるんでしょ? 誰でも大きくなるの?」
「いいえ。そうとは限らないわ。不安は不安を大きくすることをしなければいいの。でもそううまくはいかないことが多いけど」
「でも教えて…。どうしなければいいの?」
「そうね。君がこれから不幸になるとするわ」
「うん。でもどうして?」
「まずは少し不幸になったりしてみなくちゃ」
「うん」
「じゃあ、まず試しに、明日、君は学校でいじめられる」
「どうして?」
「不安になるためよ」
「それって怖いの?」
「そうね、そうなればあなたはしばらく笑えないわね。いつも誰かが、あなたから楽しみを奪おうと機会をうかがってるわ。教科書をやぶってやろう。ふでばこをごみ箱にすててやろう。帰りに待ち伏せしてたたいてやろう…」
「……なんかいやだよ」
「いいから、そんな自分を想像してみて…おまえのえんぴつを折ってやろう…」
「……いやだよ」
「どう今。うまく笑えるかしら?」
「……怖いよ」
「今の気持ち。これが不安よ。時には恐怖とも言われるわ。この最初の小さな不安が。不安を積み重ねるごとに大きくなるの。ほら大丈夫だから、不安がらないで。ごめんなさいね。決して学校でいじめられたりしないわよ」
「ほんと?」
「うん。ほんとよ」
「…よかった」
「怖かった?心が疲れたでしょう…。すこし休みましょう。不安はとっても疲れるから」
「うん。そうだね。確かにつかれるよ…」
「ほら少し眠りなさい。そばにいてあげるから」
「うん…」

女は眠りついた子をやさしいまなざしで見つめていた。
そっと子の髪をなぞりながら、静かに思った。
『まだまだ。この子に不安を与えなくては。とにかく、今はゆっくりと休みなさい。まだ始まったばかりなのよ…』
いっそうやさしい目をしたが、どうしてだろう、女は顔はいたって無表情だった…。
 
 
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文字数 : 880
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 Entry12

 
美しい世界
 
雪名 雄太
 
 
森には、私の腕では抱えきれないほど太い幹をした木が、当たり前の様にそびえていた。見上げると、優しく広げた枝葉が、まるで天然の天幕の様に外界と森の中とを隔てている。
 辺りには奇妙な声が反響していた。おそらく猿か鳥のものであろうが、姿を見せないだけにかえって、この森の生命の豊富さを想像させる。
 森は大して広くなかった。隅から隅まで歩き回るのに、ただの女である私の足でも2時間とかからない程度であった。
 私は幾分気落ちして、出発地点である砂浜に戻った。冷静になって考えてみれば、気落ちする要素など全くなかったのだが。
 眩しく輝く太陽と、どこまでも青い空を映し、海は穏やかに揺れていた。白い珊瑚のかけらで構成されたビーチは静かに波を受けとめ、微かにさざめいていた。
 波間に素早く動く小さな魚達。私は両手で掬い上げようと試みたが、指の間から海水がすり抜けて行くばかりであった。
 まだ、ビーチの向こう側を見ていない事に気付いた私は、サンダルを脱ぎ捨て、波に素足を浸しながら歩いた。疲労した足に海水が心地良かった。
 ビーチの端には、椰子の木が何本か生えていた。だが私はそれを見上げて苦笑するに留めた。握力20kgに満たない私に木登りなど初めから無理なのだ。
 気を取り直して辺りを見回すと、綺麗な熱帯の花が咲き乱れていた。私は、ハイビスカスの花であろうと見当をつけたが、残念ながら確かめる術はない。
 いつしか陽射しが柔らかくなっているのに気付き、私はこの島の夜を思い出した。星が漆黒の夜空を埋め尽くし、瞬きもしない。今日も雲一つない天気だから、あの素晴らしい星空に包まれて眠ることになるだろう。  
「これで探検はお終い…」
 小さく独り言ちながら、私は自然の花畑の真中で、仰向けになった。甘い匂いと、心地良い微風が私の全身をくすぐる。
 小さな、しかし人の手の全く加わらぬ美しい世界。
 少し身体をひねれば、この島で唯一の人工物――私をここまで連れてきた飛行機の残骸――が見えるはずである。運転手兼ボーイフレンドであった人は、すでに飛行機の可燃部と共に、島を包む大気へと溶け込んでいた。
 そろそろこの島に来て3日になるが、人の気配は全く無かったし、これからも無いだろう。
 この美しい世界の一部に変わる。私はそれを想像するだけで嬉しかった。干からびて行く身体を自覚していながら、ほんの少しの恐怖しか感じなかったくらいである。
 
 
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 Entry13

 

 
古江未衣
 
 
 彼は寝室で本を読んでいる。ダブルベットと南窓の間に身を置き、窓の桟にもたれている。仕事から帰って夕食を済ませると、横になってテレビを見ている妻には声をかけずに、二階へと上がった。
 今日は梅雨の中休みで蒸し暑い。妻のいる部屋はエアコンで冷えていたが、彼は窓辺で微かな自然の風を感じながら本を読むことを好んだ。南窓から東窓へと風が抜けると、レースカーテンがそれを受けて膨らんだり、網戸に吸い寄せられたりした。
 彼が読んでいるのは海外ミステリーだ。事が起こるのはまだこれからというところだった。大きな風に煽られてカーテンが彼の顔を覆った。それを払いのけようと顔を上げると、ベットの上に黒い点々がついているのが見えた。何かと思い、顔を近づけると、それは小さな虫だった。部屋には蚊取り線香が置いてある。東窓を見ると、網戸のされていない真っ暗な闇がある。
 蟻に羽が生えたようなのや、小さな羽を持った蛾や、生まれたばかりの茶色い半透明の虫が、ヒクヒクしながら白いシーツを埋め尽くしていた。
 虫たちの羽は役に立たず、起き上がろうとしては崩れた。彼はベットを眺めているうちに、そこに飛び込みたい衝動にかられた。両手を広げて倒れ込み、虫とともに窒息する自分を想像した。彼の体に黒い点が染みついていく。
 そんな想像を巡らせていた彼の視界には、寝室に入ってきた妻の姿は入らなかった。妻はベットを見るなり高い奇声を発した。
「ちょっと何よこれ」
 彼は、はっとして何か言おうとしたが、やめた。
 妻は彼を見ようとはしなかった。手際よく肌かけと枕をシーツの中に入れてぐるぐると丸めた。
「あたしはいつだって尻拭い。ああうんざり」
 妻は大きなため息をついて部屋を出ていった。
 彼は妻の出ていったドアを見つめながら、ラブホテルの清掃人みたいだったなと思った。立ち上がって窓を閉めると、ガラスの向こう側からたくさんの虫がこちらを見ていた。手のひらで叩いたが、一匹も落ちなかった。
 彼は再び本を開いた。まだ何も起こっていない。
 右腕に一匹の虫が這う。しばらくして彼は左手でそれをつまんだ。そして開いた本の上に落とした。彼はふと、あの虫をいったいどうするつもりんなんだろうと考えた。そのまま洗濯機に放り込むか、いや…。彼の心臓は高鳴った。
 いったいどうするつもりなんだ?
 彼は勢いよくドアを開けた。
 寝室には海外ミステリーと潰れた虫が残された。
 
 
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 Entry14

 
君の街は僕の街
 
有馬次郎
 
 
 無人駅のホームの改札口付近に寝そべって目を凝らすと、見事なカーブを描きながら鉄道レールが左右対象に伸びていて、その設計の緻密さに驚かされる。

 中央部がせり上がった高架下の駐車場の車の殆どは、埃こそかぶってはいないが、少し色あせてみえる。
 先程からレゴ大臣と鉄道大臣が車を見ながら話し込んでいる。傷だらけの赤いフェラ−リとガンメタのポルシェだけは、いつもの定位置に駐車されていて、決して期待を裏切らない。鉄道大臣の自慢の車種が、この2台と銀色のタンクローリーなのだ。
 この街で、先々週の日曜日にレース場担当の建設大臣が、わがままを理由に失脚したばかりで、ほとんどの職務を、鉄道大臣とレゴ大臣が分担し合いながら、街づくりを進めてきていた。
「フェリーボート到着です。ドドド......」
レゴ大臣が呼称を繰り返す。ドドド。
 桟橋付近には次の乗船予定の車が一列に並べられていく。レゴ大臣の額には汗が光り、とても集中しているのが判る。鉄道大臣はミドリ色の恐竜まで乗ったフェリーを一瞥しただけで興味がないのか、目玉のくるくる動くSLを貨車倉庫へ移動させ始めた。
 建設大臣の健在の頃は、事故続出の四駆レースが、必ず開催されていたものだ。三大臣が一番好きな心和む時間だったと聞き及んでいる。この時ばかりは、SLもフェリーもティラノサウルスもおもちゃ箱の中だ。飽きるまで同じ事を繰り返す彼等にとって、無駄なことなどなにもない。キャンディーは甘いからこそ意味を持つのだ。

 日曜日の彼らの街は、夕焼けの黄昏時に、いっそう輝きを増す。本当に眩しくて寂しくなる。何故なんだろう。いつも決まってレゴ大臣が真っ先に元気を無くし、鉄道大臣が唇を噛むことになる。
 マンションの玄関先で、両大臣の密談が始まる。
「レース場、来週作る?」
「うん。今度は建設大臣も呼ぼうか」
翳りゆく夕陽の残光のなかで、二人の目玉はツルンと光っている。
「僕のフェリーだけは壊さないで。バイバイ!」
レゴ大臣は咄嗟に廊下へと駆け出して行った。
 
 彼は、きっと一度だけ振り返るであろう。長い廊下の突き当たりを右に曲がる前に。照れ隠しの精一杯のパフォーマンスを演じる為に。
 鉄道大臣は、まだ手を振続けている。
 
 止まった時間の中で、黒兎は振り返らずに、ピョンピョン跳ねて、陰に吸い込まれる様に消えて行った。 
 耳になるはずの両手が、両眼を押さえているように滲んで見えた。
 
 
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 Entry15

 
フロア
 
加納 利夫
 
 
 絶え間なく煌く色鮮やかなフラッシュライトが揺れる人の波を輝かせ、空間を震わせながら断続的に爆発するバスブーストに合わせて波は大きくうねる。やがてそのうねりは熱狂に包まれ始め、永遠に続くかと思わせる低音の刻みに背中を押されて興奮は空間を完全に支配する。リズムに完全に飲みこまれた空間はそれ自体が生き物のように一体感を持ち、その生き物は形を変えながら飲み込んだすべての人の高揚感を集める。輪郭をゆっくりと溶かされた人の波を包むもの、それは陶酔だ。うねり揺れる人の波は巨大なエネルギーを集め、リズムと興奮が渦巻いている空間と混ざり合い、不思議な化学反応を起こして陶酔を生む。陶酔はやがて完全な一体感を求めて、くるくると螺旋を描きながら一つの到達点を目指している。
 踊る人の群れは皆、発狂寸前の忘我の前に不安を隠した緊張感が波の間を漂っているのを感じている。この爆発的な高揚感が途切れてしまうことを潜在的に恐れているからだ。リズムが永遠に続き、胸の奥から溢れ出る興奮が感覚を支配し、やがて訪れる到達点が圧倒的な快楽を産みもたらしてくれることを欲している。
 その到達点は恍惚だ。恍惚が素晴らしく見事な快楽を産み出す。その波が巻き起こすエネルギーの炸裂にフロアは今最高潮を迎えている。
 ダンスフロアから一段ブロックを積んだ上にDJブースは、金網に仕切られる形であり、それはまるで動物園の檻のように見える。DJブースのすぐ前の金網に登り、片手で柱を支えながら官能的に腰を振りながら踊るのはジュンだ。いつものように上半身は裸で、リズムに合わせて少し垂れ気味のジュンの乳房が揺れる。フラッシュライトに照らされてジュンの白い乳房が赤く光り、すぐに青く光る。酔っ払った男たちがジュンの真下で嬌声をあげて手を伸ばす。ジュンが半身をひねり振りかえった瞬間に、薄暗い壁際にもたれた俺を見つけて金網の上から手を振る。薄暗い店内の灯りでもジュンの頬が高潮しているのが分かった。ジュンが投げキッスを飛ばすと俺は微笑んでそれに応え、人差し指で拳銃の形を作りジュンを撃った。ジュンは片手で胸を押さえて笑い、やられたと叫ぶが大音響のリズムにかき消されて聞こえない。口の動きだけだ。
 熱狂の夜はまだ長い。  
 
 
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 Entry16

 
呪いの部屋
 
藤丸
 
 
 格安の部屋。
 都心近くのアパートにしては、格安の家賃である。
(掘り出し物だ)
 男は、満足であった。
 東京の大学に受かり、田舎から都心へ移った男。金のかかる一人暮らしをするのに、この格安の部屋は、まさに好都合であった。
 しかし。・・・
 部屋に移ってほどなく、不可解な事が続いた。
 床に落ちてる、長い髪の毛。
(・・・・?)
 男の髪の毛ではない。男は坊主頭であるのだ。明らかに、男の髪の毛ではない。
(はて。・・・?)
 部屋に移った後、掃除はきっちりとしておいたはずだ。
 女の人を部屋に入れた覚えもない。
 それなのに、その長い髪の毛は床だけに限らず、台所、トイレ、布団の上・・・。いたる所で発見された。
(・・・・)
 不信に思う男。
 その不信が「恐怖」に変わったのは、入浴の際であった。
 湯船に浮かぶ、長い、長い髪の毛。
「ヒイッ」
 男は風呂場を飛び出て、服を着替え、部屋を飛び出した。
 おかしい。絶対におかしい。男は坊主頭なのだ。男の髪の毛ではない。ならば他の誰かの髪の毛だ。
 そう、他の誰かの髪の毛が・・・。


 男が駆け込んだのは、大学で知り合った友人の部屋であった。
 震える声で、今までの経緯を説明する男。
「・・・そうか」
 友人は、深く息を吐いた。
 格安のアパートなんかには、よくある話である。
「とにかく、着替えろよ」
 ギロリ。と男を見ると、友人は言った。
 走ってきたのであろう。男の衣服は汗でベタベタになっていた。
「すまんな」
 服を脱ぎだす男。
「まあ・・・、多少金はかかるが、その部屋は出た方がいいかもな・・・」
 何気なく、男の身体に目をやる友人。
「・・・・!」
 瞬間、ギョッとした。
「お、おい。お前・・・」
 男の身体を指差し、友人は言った。
「毛深いな」
 まるで、ジャングルだ。
 
 
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 Entry17

 
無駄な時間
 
かわのプーさん
 
 
6月の終わり、夜中の3時をちょっと過ぎた頃だと思う。
僕はどうしようもなく喉が乾き目が覚めてしまった。
冷蔵庫にあるウーロン茶を飲みすぐにまたベットに入るつもりだった。
そう、あいつに会うまでは……

冷蔵庫のあるキッチンいやキッチンと言うより台所と言った方がピンとくると思う。そこまでの道のりは自分の部屋を出て幅1M弱の廊下を5Mくらいまっすぐ行った所だ。
明かりは一切ないが問題なく冷蔵庫まで辿り着ける。
冷蔵庫を開けるとその明かりでぼんやりと回りが明るくなった。
その時だ!!
僕の右斜め上の壁際になにやら黒いものが「サササッ」
僕はまさかと思い慌てて電気を点けた。
そして恐る恐るその場所に目をやった。
「なんだ、気のせいか」
そして冷蔵庫の中のウーロン茶に手を伸ばしたその瞬間!!
もの凄い殺気を感じ取った。そしてさっきの場所に慌てて目をやった。
「いた」
ヤツはすでに戦闘態勢に入っていた。
「しまった、やられる」
僕もすかさず近くにあったバスタオルを手に取った。
しかしバスタオルなどこの場合はなんの役にも立たない。
ヤツは触覚を四方八方縦横無尽に動かし僕を威嚇した。
「やばい」
慌てて何か他に武器になる物はないか必死に辺りを見渡した。
「何もない」
そこから睨み合いが30分くらい続いた頃、
しびれを切らし先に行動に出たのは僕の方だった。
「そうだ、自分の部屋にある雑誌を持って来よう」
もうすでに僕は眠気はすっかり消えていて頭も働き始めていた。
そう思い自分の部屋に帰る為台所から廊下に向かおうとした、その時だっ!!
台所から廊下にはいる入り口にヤツが立ちふさがった。
「まさか、そんなはずはない」
慌ててさっきの場所を見た、
「なんだ、まだ同じ所にいるじゃないか」
安心したのは一瞬だった。
今僕の行く手に立ちはだかっているヤツも確かに存在する。
そう、僕は囲まれていたのだ。
「しまった」
これで僕は完全に身動きがとれなくなった。
僕にはもう、どうする事もできない。
あとはヤツ等次第という訳だ。
どれくらいの時が過ぎたのだろう、ついに後から現れたヤツが僕との間合いを詰め始めた。
「もうだめだ〜」
と思った瞬間、廊下の奥からなにやら音がした。
「ん、もしかして」
ついに僕にも援軍が来たのだ。
僕は縋るような声で
「か〜ちゃん、デカイ○○○○が二匹もいるんだよ〜」
本当にアッと言う間だった。
そして僕がウーロン茶を飲んだ頃には外はすっかり初夏の太陽が照り付けていた。
 
 
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 Entry18

 
平等な国家
 
ラリッパ
 
 

 彼女は、指先で髪をいじりながら雑誌をめくっていたが、おもむろに立ち上がり歩き始めた。
その瞬間まわりに緊張感がはしり、全員がその動きを眼で追った。
 彼女は課長のデスクの前で立ち止まると、
「あの〜わたし〜今日で辞めたいんですけど〜」
と、語尾をひきずる独特の発音で話し始めた。
「や、辞めるってキミ、入社してまだ2ヶ月じゃないか」
「でも飽きちゃったし〜」
「し、しかし君が辞めると、誰かが困るんだぞ!」
「え〜でも〜」
「自慢じゃないが私はくじ運が悪いし、占いは注意日で、受験を控えた子供が2人もいて、ローンだって20年も残っているんだ!」
 動揺した課長は家庭の事情まで話し始めた。
「やるんなら、さっさと済ませちゃいましょうよ」
 ニヤニヤしながら見ていた高木は、半ば楽しんでいるように、抽選用の銀色の缶を、カランカランと鳴らしながら課長の机の上に置いた。

 私は、エレベーターの中で例の騒ぎを思い出していた。
 結局、当たりくじは課長が引いたのだ。本人にも予感があったのか、先端の赤いテープを見て、やっぱりかと言う表情をした。
 課長は、しばらく呆然と窓の外を見ていたが、やがて吹っ切れたように手早く私物をまとめ退職の挨拶をして早退した。

 すったもんだの末に成立した平等法が、4月から施行され2ヶ月間は何事もなかったのだが、うちの課でも犠牲者が出てしまったわけである。新法により職場内は、男女比率の完全一致が求められ、仮に女性の退職者が出た場合同じ数の男性社員が退職の憂き目を見る。『友引さん』と呼ばれている犠牲者は現地調達が基本で、その場で抽選が行われるのだ。
「しかし、明日から誰が課長をやるんだ」
 同時に1階に着いたエレベーターから降りてきた石田が、歩きながら声をかけてきた。
「さあ、やっぱりくじ引きじゃないのか」
「なるほど、それは当たってるな、多分」
 私の適当な答えに石田は妙に感心しながら、表通りを指さして訊いた。
「なんだあの人だかりは?」
 その先には、人の輪が出来ていた。
 私はなんとなく、いやな予感がした。
「女の人がはねられたんですよ、ありゃもうダメだね」
 と、野次馬が無神経に言い放ち、得意げに説明し始めたとき、背後で金属音がした。
「ハイ、男性はその場を動かないで、いまから現地調達を行います」
 逆光で警官の表情は分からなかったが、その手には初夏の太陽を反射して美しく光る銀色の缶が握られていた。
 
 
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 Entry19

 
三郎の記憶
 
kazunyanta
 
 
「敵機直上、急降下!」
 かすれた見張りの声に、反射的に頭上を見上げると煤けた爆煙の遥か上空には芥子粒程の黒い点があり、逆落としに頭上目掛けて落っこちてくるのが分かった。
 午後からの度重なる空襲は、艦から持てる戦闘力を奪い去り、乗員の疲労もまた限界点に達しつつある。
 それでも数挺にまで減ってしまった機銃座から、上空に向かってバラバラと火の粉を吐き出すのだが、当事者である三郎の目から見てもそれらが有効に機能しているとは思えなかった。
 やがて、甲高い轟音が上空を埋め尽くし、「ヴヴ」という羽音を立てながら幾重もの弧を描いて鉄の肉蝿が舞い降りてくる。
 *
「父さん、どうです? 身体の具合はいいですか」
 日が良かったのか、父の意識はしっかりとしているようだった。
「義男か。どうも最近は、寝ると兵隊の頃の夢ばかり見る。
 あの時わしが乗っておった船に爆弾が命中してな、甲板におった仲間は皆、五体をもがれて宙を舞うのが見えた。
 機銃の影に隠れとったわしは、命こそは助かったが、この通り右手を爆風にもがれてしもうた。
 何もかも忘れてしまうというのに、よりによって思い出したくない記憶ばかりが鮮明になる。」
 やがて、父はどこか遠くを見つめるようにしてこう呟く。
「義男、もげたわしの右手はな、握り飯を確りと掴んだままじゃったんじゃ。」
 内臓疾患とアルツハイマー病に侵され、失いゆく記憶の中で父に最後まで残されたのは、右手を失った忌々しい出来事であった。
 それは、死期が間近に迫る時、生きようともがく命の本能のように思えてならない。
 私が最期を迎える時に、残された記憶とは一体どのようなものだろう。
 願わくば、それが私と家族の平穏な日常であって欲しいと思うばかりなのである。
 
 
Website : 週刊らっきー
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 Entry20

 
風の中から
 
さとう啓介
 
 
 僕は今、夜明けの風の中に立っている。
この町にある唯一の高層マンションの屋上だ。
「何をしている」のかって?
僕は死を決意したんだ。
「どうして自殺する」のかって?
それは言えませんね。
「どうやってそんな屋上に行けた」かって?
結構しつこいですね、それも言えません。言ってしまって真似をする人が出てきて、もし僕みたいに死んじゃったら僕は成仏できないからね。

 東の地上が明るみを帯びてきた。僕はその遠くの朝靄にけむる町並みを見て、最後の決心がついた。とりあえず飛ぶ前に準備体操はかかせないだろう。(おいっちに〜さんしぃっ!)
これで良し。僕は吹き上げる風を感じながら下を覗く。
(見なきゃ良かった、少しびびったかな?よし!)
目を閉じて タ〜ッ! 飛んだ、と、飛びました。
全身に風圧を感じる。風だけに包まれた。(やさしい風の匂いだ)
今度は目を開けるぞ。
(うわ〜物凄いスピードで墜ちていく。あっ!)
今、窓を開けたおばさんと目が合った。前髪にピンクのカールを巻いている。一瞬だけどはっきりお互いの目が合った。少し寝ぼけた、つぶらな瞳だ。
(そうだ、母さんはこんな僕の事を悲しむんだろうか?)

 一年前、ちょうど梅雨の今頃で、珍しく晴れた日曜だった。
父さんが「海に行かないか」と言って3人で出かけた。僕と父さんは、浜辺でキャッチボールをした。僕の投げた所が悪くて父さんは波ぎわで尻餅をついた。びしょ濡れになり、僕と母さんは笑った。
波に転がる小石の様に、コロコロと笑った。
(多分笑ったのは、あの時が最後だったんだろうな)
あの年の夏、父さんは仕事を無くし、家族を捨てた。母さんは悲しんだ。それからまもなく母さんは、性格が変わった様にお酒に溺れ、僕は僕で夏休み以降学校へ行かなかった。母さんと僕の溝はどどん深く、そして広くなって行った。いつからか家には知らない男が出入りした。(母さんはそれにも溺れたんだ)
そして昨日、僕は我慢出来ず母さんを罵った。その時、母さんがしっかりとした瞳で僕に言ったんだ。
(聞かなきゃよかった、知らなきゃ……)
「うるさいわね。お前は、あたしの子供なん ―――――――

 バタバタバタ! ズドン!
(あれ?もうあの世か?)
「この野郎!朝っぱらから俺のトラックでなにやってんだ!あ〜あ、ホロが破れちまってるじゃねーかよ、昨日納車したばっかなのによ。どうしてくれるんだよテメー!」
「……父さん?!」
「つ、ツヨシか?!」
 
 
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 Entry21

 
近所の床屋さんにて
 
やみさき
 
 
 こんにちは、うん、いつものようにね。あ、そうか。もう夏だから、横は刈り上げてもらおうかな。前の方は目にかからないくらいに適当に切って、分け目は大ざっぱで。え、別に何も良いことはないよ。そんなに嬉しそうな顔をしているかな。うん。ぼくは床屋さんが大好きなのさ。小さい頃からね。
 床屋さんにいく楽しみ? 
 髪を切ってもらう他にも、いろいろあったよ。順番を待っている間も楽しめたし、ほら、雑誌とかスポーツ新聞がおいてあってさ、特に週刊誌のグラビヤ頁にはどきどきしたね。こっそりと女優の水着姿をのぞき込んで、ひとりで興奮してた。ああいう雑誌に載ってた漫画も結構エッチでさ、オッパイなんかモロだったでしょう。もう、罪悪感に苛まれながら、それでもしっかりと見てたね。そうそう、しっかりと目に焼き付いちゃってさ、その日はなにを見てもオッパイに見えたりして。あははは。
 こほん。もっち、そんなページばっかり見てたわけでもないよ。ちゃんと記事も読んだよ。ちょうどほら、宇宙での大爆発があったころさ、変な病気が流行り始めたんだよね。そうそう、読んだ読んだ。うん。結局あれは超新星っていうのかな。太陽の何万倍もある恒星が爆発したって言ってたね。それで、地球上に落ちる宇宙線が猛烈な放射能レベルになって、突然、ぱらぱらとみんなの髪の毛が抜け始めた。
 びっくりしたよ。男の人も女の人も、一年くらいでみーんなスキンヘッドになっちゃったんだもの。ほんと、大騒ぎだったよね。
 あのときには、床屋さんは商売上がったりになったんだけど、でも大したもんだね。すぐにこんなビジネスを思いつくなんてね。え? これって、床屋さんだけのアイデアじゃなくて、床屋さんと花屋さんのジョイントベンチャーだったの。ふーん。なるほどねえ。でもすごいよね。つるつる頭に人工毛根を植え付けて、水耕チューブを取り付ける。そいでもって、水耕ボンサイを植え付ける。ホント、楽しいよ。ちゃんと水をやって、リン酸トニックを擦り込んで、カリウム・リキッドで形を整えるんだ。しかも、太陽光にもあてないと白く脱色してしまうんだから、本格的。みんな色とりどりのボンサイスタイルで町中を歩き回ってるじゃない。
 ひと昔前にシャギーとかカラー髪染めとか流行ったらしいけど、比じゃないね。うん。大ヒットだよ。あ、どうもありがとう。除草シャンプーはいらないよ。外は酸性雨が降り出したみたいだから。

(おしまい)
 
 
Website : ポケットミステリー通信
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 Entry22

 
Lonsome Moon
 
川辻晶美
 
 
 彼女の細い指先が、その香草を挟んだ瞬間、僕はこれまでの恋なんて取るに足らない、友情のほんの少し延長だったことを思い知らされた。磨きあがられた真珠のように白く輝くマニキュアの上に、色とりどりの花模様が散っている。それは僕にとって、どんな名作よりも美しい一枚の絵画だった。
 彼女は左手でつまんだ香草を躊躇うことなく口に運び、僕を見上げた。
 初めて海を見た猿は、やはりこんな風に戸惑いを覚えたのだろうか。僕は仕事を忘れ、ゲストの声も届かず、チーフに注意されるまで、彼女が食事するテーブルの側に立ち竦んでいた。僕らの宗教からすれば不浄の左手が、この上なく神々しい、特別な存在に見えたからだ。
 三杯目のワインを運ぶ頃、彼女はサングラスをかけていた。
 夜なのに何故? 不思議に思いつつ、僕は黙って皿を下げた。
 毎晩、彼女は僕の働くレストランへやってきて、殆どの日本人が残す香草の入ったサラダを食べ、ワインを飲んだ。このリゾート内には他にも食べる場所はある。
「他へは行かれないんですか?」
 ある夜、僕は思いきって聞いてみた。
 彼女は静かに首を振る。
 彼女の視線は、ハネムーナーで賑わう外のバッフェを見越して、夜の海へ注がれていた。

 夜毎、僕は彼女にワインを運ぶ。彼女が初めて口にした僕の名前は、神の啓示のように耳に響いた。それに比べて僕の唇はあまりにも不器用で、決まって、おかわりはいかがですかと繰り返すだけ。でも僕は上手に微笑むことだけは出来ているだろうか。僕の気持を察した仲間が口々にからかう。
「顔がにやけてるぞ」
 そう、彼女の姿を見つけた途端、僕の頬は筋力を失ってしまうのだ。

 嵐のため電気が止まったあの夜も、彼女は蝋燭が灯されたいつもの席に着く。氷で冷やしたワインを彼女が飲み干した瞬間、海風が火を吹き消した。同時に空の黒雲が流れ、残酷な月明りが、日に焼けた彼女の左手に残る指輪の跡を薄闇の中、くっきりと浮かび上がらせた。僕は彼女のサングラスの意味をその時初めて知ったのだ。
「明日、発つわ」
 彼女が言った。
「いつも微笑んでいてくれて、ありがとう」
 彼女は颯爽と席を離れ、僕は呆然と立ち竦む。
 どれくらい経っただろう、仲間が僕の背中を叩いて言った。
「目が潤んでるぞ」
 僕は彼女がテーブルに置き去りにしたサングラスを手に取り、かけてみる。
 僕には小さすぎるサングラスは、それでも僕の涙を、上手に隠してくれた。
 
 
Website : Southern Wind Junkie
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 Entry23

 
洪水
 
耕田みずき
 
 
 一体、どうしてしまったというのだろう。俺は首をかしげながらジョッキを手にしていた。これでもう五杯目だというのにちっとも酔わない。それどころかほろ酔い気分にすらなってこない。
 周りの奴らはすっかり出来上がって、あちこちで嬌声を上げている。
「先輩、強くなりましたねェ。全然シラフじゃないですかァ」
 いい加減酔っ払った後輩に背中をイヤというほど叩かれた。
 おかしい。いつもならこんな風に大声を張り上げるのは俺の方だったのに……。以前の俺ならジョッキ二杯も空ければすぐに酔っ払い、調子に乗って杯を重ねれば記憶は瞬く間に吹っ飛び、一応目が覚めるのは自宅なのだが、どうやって帰ったのかは全く憶えていなかった。
 ところが、ここ一〜二週間の間、いくら飲んでも酔えなくなってしまった。それだけじゃない。飲むにつれてますます頭がクリアになっていくのだ。突然、アルコールに強い体質になってしまったのだろうか。不思議なこともあるものだ。
 会計を済ませて店を出る。みんなは二軒目へと流れていったが、ひとりシラフの俺は帰ることにした。
 電車に乗り、暗い窓に映った自分の顔を見ていると急に頭の中に映像が広がり始めた。
 驚くべきことに俺が満員電車の中で痴漢をしていた。OL風の女が嫌そうに身をよじっている。さらにタクシーに乗った俺が車内で嘔吐した揚句に無賃乗車をして自分のアパートに逃げ込んでいる姿。これでは下劣な犯罪者ではないか。
 そして極めつけは、電車の中で足を踏んだ踏まれたというだけで男と争いになり、俺が相手を引きずり出して顔面にパンチを繰り出した場面。俺はそのまま外に出てタクシーに乗り込む。
 ひょっとして、俺に殴られた男は先日、ニュースで死亡したと伝えられた男ではないか……。殺人まで犯していたなんて……。
 次々と浮かび上がる記憶の洪水。酔えなくなった俺は失くしていた間の記憶に復讐されているのだ。泥酔している時の俺は犯罪ばかり犯している。小心者のはずの俺が罪の意識に耐えかねて、俺から酔いを奪い、現実を突きつけたのだろうか。
 ああ、また見知らぬ女の首を締める俺の姿が浮かぶ。酔った時よりも苦しい吐き気に見舞われる俺の頭に“手錠をかけられる”自分の未来の姿がくっきりと像を結び、俺は洪水に流されていった。
 
 
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 Entry24

 
P九〇〇〇開発史
 
羽那沖権八
 
 
「こ、これは!?」
 若い技師は呆然と立ち尽くす。
 目の前には、昨日起動試験に成功したアンドロイド『P九〇〇〇』があった。
 正確には、P九〇〇〇だったものが。
「誰がこんな事しやがった!」
 彼は上司に報告するのも忘れ、残骸を拾い集める。
 惨憺たる有様だった。
 表皮を覆っていた樹脂は剥がれ、カバーがこじ開けられ、ハーネスやチップが引っ張り出され、散らばっていた。
 ギ……ギ…………。
 僅かに動く指先のパーツのきしむ音だけが、研究室に響いていた。

「――P九〇〇〇は、サイバースペース上で形成された人間の遺伝子を成長させたシミュレーションを制御系に――」
 主任技師がP九〇〇〇の残骸の前で、重役たちに説明をする。
「そんな事は知っている。問題は、誰がこれをやったか、だ」
 白い髭の重役が口を挟む。
「産業スパイか、それともこの計画に反感を持つ宗教団体か。犯人をすぐに見つけるべきだろう!」
 太った重役も、それに同調する。
「警察に報告してもいいんじゃいないかね」
 車椅子に乗った重役がおずおずと付け加える。
「まあ待って下さい」
 重役たちを、主任技師は制する。
「P九〇〇〇の視覚データが残っています。これを見れば『犯人』は、一目瞭然です」
 彼が若い技師に目配せをすると、モニタにクリアな映像が表示された。
 ――起動実験を喜ぶ技師や重役たちの姿。
「早送りして――ストップ」
 モニタには、P九〇〇〇自身のアームが映っていた。アームが拡大されていく。何か、じっとアームを見つめていたらしい。
「ここからです」
 ボディの表面を覆う樹脂の、僅かな、ほんの僅かな継ぎ目をP九〇〇〇のマニピュレーターの指先が、引っかき始めた。その行動は休まる事なく続き、ついには樹脂が剥がされ、下の金属部品に及び、アームだけでは飽きたらず、腹部、脚部、メンテナンスハッチを含めたありとあらゆる継ぎ目を引き剥がして行った。
「……なんなのだ、これは。ソフトウェアのバグかね?」
 白い髭の重役はP九〇〇〇の残骸を薄気味悪そうに見る。
「ロボットが自殺など――」
「バグではありません」
 主任技師は大きな溜息をついた。
「人間を模するという理念から考えれば、むしろ大成功でしょう」
「どういう事だそれは!?」
『察しが悪いなぁ』
 ビデオの操作をしていた若い技師は自分の指を見る。
『自分の身体に、継ぎ目だぜ?』
 爪の生え際に出来ていたささくれを、ぴっ、と引きちぎった。
 
 
Website : 小説屋やまもと
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 Entry25

 
完全なる世界
 
サトコフ
 
 
 蚊の持つあの独特の高音、不快な羽音で目を覚まし、畜生、人様の安眠を妨害しやがって、と苛立っていると蚊は左頬に着地。きい! と己の右手で己の左頬を強烈にピシャリ、叩くと同時に玄関のベルが鳴った。時計を見ると午後2時、窓外が異常に明るかった。

 おいっす、まだ寝てたの? ドアを開けるとそこにはNとKの姿があり、Nは缶ビールの入ったビニール袋を、Kは横長の箱をそれぞれ持っていた。
 何それ? と訊くのを待ってましたとばかりにK、これ? これはねえ、ボードゲーム。さっきNと玩具屋で買ってきたのよ。一緒にやろうと思ってさ。へへへ。
 ボードゲーム、と聞いて僕は人生ゲームとかモノポリーなんかを想像したのだけれど、それは『完全なる世界』というもので、「今日からあなたも創造主!」と宣伝文が血の色で書かれていた。巷じゃ最近、これがやばいらしいのよ。とKは言った。

 成程、モノポリーの世界版みたいな感じですか。とルールを大まかに把握したところで早速ゲーム開始。その前に乾杯。

 1時間後、世界は冷たかった。というのは全てKという卑劣な独裁者の所為で、南北のアメリカ大陸、及びヨーロッパ地域を支配下に置いたKは、圧倒的軍事力を背景に産業・貿易を独占、NはそのKの口車に完全に乗せられ、支配下であるアフリカ・西アジア・及びオセアニア地域にある厖大な地下資源を格安値でKに提供していたからであって、騙されるなN、Kのやつぁ、資源が尽きれば確実に君を捨てるぞ、といくら忠告しようと、だって発展したいんだもーん、で破滅の道をまっしぐら。
 日本、及びアジア・ロシア地域一帯を支配していた僕は、何とかKの野望を打ち砕かんと尽力するも、CIAの暗躍により中国・ロシアの関係に亀裂発生、いかん、このままでは、と焦り始めた矢先にアイヌ人が蜂起。むむ。Nも資源が枯渇し、あっさりボロ雑巾のように捨てられ貧困の中で緑の地球を訴え続ける緑の老人と化しており、というか、壊れており、もう駄目だ。と諦めかけたその瞬間、聞こえたのは天使の羽音。あの独特の高音。これだ。これしかない。

 蚊が飛んでるね、と前置き、密かに足先をボードの下に潜りこませて準備完了、立ち上がれ! ぶち壊せ! パチン!

 メチャクチャになったボードの横で、Nは無表情に立っていた。蚊、殺したよ。そう言って手を見せるNは少し恐く、呆然と見上げていると、左頬が、無性にかゆくなった。
 
 
Website : とんずらロケット
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 Entry26

 
顔の記憶
 
伊勢 湊
 
 
「すまない、和恵」
義父の出棺前の献花のときにその死顔を見てしまった僕は「ちょっと、あなた」と小声だが強い口調で呼び止める妻を背に葬儀場を出て建物の陰に隠れタバコに火を着けた。末期癌で苦しんだにしては安らかな死顔だった。それでも僕には死者の顔はきつい。それはただ眠っているようなのに恐ろしく冷たい。かつて死者の顔に触ったことは一度しかないが、そのときは、そのあまりの理不尽な冷たさに恐くなって一瞬で手を引いてしまった。そのあと涙が出てきた。義父の死顔も長く見ていると涙が出てきそうだったらか思わず逃げ出した。大の男が涙を見せるのが恥ずかしいというのもあったが、たぶんそれは言い訳だろう。本当は流す涙が和恵の父のためのものではなく、和恵の知らない遠いむかしに死んでしまった友のためというのが後ろめたかった。

 ガキの頃からの腐れ縁、同じ小学校から始まり同じ高校を出て大学こそ違ったが同じ東京に出てきた。本当の意味で親友と呼べる唯一の友だったかもしれない。実際あいつが死んだときには自分の一部がひっぺがされた気がした。それもずいぶんむかしの話だ。あと三年もすれば息子たちもあの頃の僕たちと変わらない歳になる。過去を忘れようとは思わない。今このときも一瞬あとには過去になる。過去を大切に出来ない人間には現在も未来も愛する資格がない、というのが昔の僕の主張だった。でもいまは僕自身の過去に家族を巻き込むべきではないと思っている。思っていても、その冷たい死顔は名前の付けられない感情を勝手に呼び起こす。そういえばバイクの事故で死んだ友の顔も傷一つなく驚くほど安らかだった。

火葬場で最後にもう一度だけ義父の死顔を見た。どうしてもエアコンの効いた待ち合い室でみんなと義父を懐かしむ気分になれなくて、炎天下の駐車場で一人タバコを吸っていた。
「あなた」
和恵がいた。
「すまない、いくよ」
「いいのよ」
少し意外だった。
「もう、あんまり謝んないでよね。いつもは謝らないくせに」
そういうと和恵はいきなり僕の手をとった。
「なっ、なんだ?」
「いいから」
五十近い夫婦で手を繋いだ。
「男っていうのはこれだから困るわ。いつまでも子供で。あなたのお母さんも言ってたわよ」
しばらくして健次と優次が呼びに来るまで手を繋いでいた。とりあえず僕の指先はもう冷たくなくて、いつまでもつかは分からないけど、もしかしたらずっと冷たくならないかもな、と思った。
 
 
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 Entry27

 
ふたり
 
ウエダ カホリ
 
 
 あたし、もういくから。あんたがのぞむように、あたし、いなくなってあげる。
 あたしもあんたのことずっときらいだったから、あんたがあたしに「きえてなくなれ!」ってさけんだときも、あたし、ちっとも痛くなかった。ことばって「ことたま」っていうのにね。あんたのことば、ぜんぜん「たま」でもなんでもなくて、あたしに当たるまえにぐにゃってしずんで、そう、落っこちたアイスクリームみたいにだらしなかった。
 ママに抱っこしてほしいって、パパにごほうびのキスをもらいたいって、さきに死んでいく親なんて、ちっともあてになんないのに。
 そんなことのために、あんた、あたしを追いだすし。でも追いだしたことだって、すぐにわすれるし。
 べつに、あんたにわすれられたって、ちっともかまやしないけど。
 だいたい、わすれるってことは、自分をほんの少しなくすことだって、あんた、ちっともわかっちゃない。
 あたしはなくしたくないだけ。だからいくだけ。あんたのためなんかじゃ、絶対にない。
 「ふたりとも産みたかったのよ」って「ごめんね」ってママは泣きながらあたしにあやまるけど、「君のせいじゃないよ」ってパパはママを抱きしめるけど、そんなの、まったく、ばかげてる。
 あたしはあんたたちのためにいくんじゃない。
 あんたたちのせいでいなくなるんじゃない。
 あたしはわすれたくないだけ。パパに抱かれたママのからだが、ふわふわ、わたあめみたいにあったかくなることを。ママのむこうからあたしたちをなぜる、おっかなびっくりなパパの手のひらを。「早くおいで」って呼んでくれたハモニカみたいなふたりの声も。みーんなわすれてしまう「そと」なんて、あたしちっとも興味ない。

 それでも「そと」にでたいなんて。二度とママの「なか」にはもどれないのに、それでもパパとママの顔をみてみたいなんて、あんた、ばかじゃないの。
 はじめからいっしょで、ずっといっしょで、おわりまでいっしょだと思ってうんざりしてたところだから、ちょうどいいけど。
 だってあたし、あんたのこときらいだし。あんたもあたしのこと、きらいだし。だからあたしのこと、みーんなわすれちゃってかまわない。ちっとも。

 このことはだれにもいわずにあたしいくから。あんたの耳になんか絶対にとどかないよう、紙のようにもやしてしまうから、あんしんしなよ。

 じゃあね。バイバイ。あたしのいもうと。
 
 
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 Entry28

 
アルマジロ
 
三月
 
 
 突入して5分は経ったはずだ。私とカメラマンのドナルドは家の東側、傾斜になっている地面に身を伏せていた。暗闇の中を時折の叫び声、銃声。
「――まだ捕まんないんですかね」ドナルドが言った。
「黙ってろ」私は答えた。

 ここミシシッピ州ではすでに8人がやつの犠牲になっていた。8人目の犠牲者は赤い髪の少女だった。名前はロドリー・ウィンコット。
 やつは、ポーチにいたロドリーの背後に忍び寄り、首に強烈な一撃を加えた。即死だったらしい。ロドリーは、唇が少しめくれたような、かわいらしい少女だった。
 二日経って今日、やつが民家を占拠しているという極秘情報が入った。

 二階の窓から鮮烈な光が走った。直後に窓ガラスが割れ、やつの、丸い姿が空を舞った。
「撮れ!」
 ドナルドはすでにシャッターを切っていた。一階にはすでに別働隊が、文字通り、「網を」張っていたのだ。
 やつの丸い身体は網の中に落ちた。
「撮れたか」
「と、撮りました」
「よし」
 そのとき、だった。

 がさり。

 背後に物音がした。
 私はハンドライトをかざした。斜面を楕円が走る。でこぼこの地面に、ちろりと黒いものが見えた。
 ドナルドがぽかんと口を開けた。
 のびた尻尾、かさぶたのような肌――間違いない、やつだった。
 私はペアで行動している可能性を忘れていた。今までの目撃証言がすべて単独だったせいだ。
 アルマジロは、私をにらみつけていた。つぶらな目がきらきらしていた。突然変異により人を襲うアルマジロ。このアルマジロはロドリーを殺したアルマジロなのだろうか。
 私はアルマジロの姿を注視していた。
 背中に汗が流れた。
 瞬間、光の中からアルマジロは消えた。
 私が気がつくのと、ドナルドが叫び、激しい音がするのとは同時だった。
「ドナルド!」
 光を当てると、頭を抱えてうずくまるドナルドがいた。暗闇を駆け抜ける素早い足音が聞こえた。
 助かったのか……? 私は呆然としてライトをおろした。光の輪の中に見るも無惨なカメラの姿があった。
 仲間の捕まった写真など撮らせないってことか――私は考えて、やつらの団結力に背筋が冷たくなった。

 私は振り返る。SWATの連中が、何か檻のようなものを運ぶ姿が目に入った。さらにその向こう、暗がりにきらきらと光るものが見えた。私は後じさりした。ドナルドをおいて車まで疾走した。叫び声が聞こえた。私の背後から小さな足音が迫ってきた。私は耳をふさいだ。
 
 
Website : 狭土蒼穹
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 Entry29

 
換気扇
 
越冬こあら
 
 
 配偶者から何度かの陳情があった。加えて私はそこで喫煙するたび、見上げるたびに気になっていた。しかし、思い立って踏み台代わりの丸椅子を昼食後の片付けが済んだ台所に持ち込んだのは、清掃の必要が指摘されてからひと月半ほど後だった。
 一週間に一度の休日を楽しく過ごせた試しはない。それらは買い物やテレビ、休養や腰痛治療等に尽く浪費された。平日の早朝や昼休みに思いつく休日の過ごし方は実現した試しがない。従って、買い物もテレビ無く、腰や肩の調子も比較的良い休日には、いくつかの思惑があったはずだった。しかし、念頭には換気扇清掃が浮かんだ。私は特に綺麗好きでも恐妻家でもない。現に妻は、台所に丸椅子を運ぶ姿を見ても「何をお始めになるんです」と怪訝な顔さえしていた。
 換気扇にはDIYショップで見かける安価なカバーがされていた。「臭いものには蓋」という発想は果たして日本のオリジナルであろう。このカバーをはじめ、実にいろいろなものに蓋やカバーが掛けられている。それによって、本体の汚れを隠し、同時に本体の汚染を回避する。自身を雑菌から防護する目的の厚いマスクを着用したままの医師の発言はとても聞き辛いものだった。左手に掲げられたレントゲン写真の迫力に圧倒された。皺々に見える硫酸バリウムの影が私の胃袋だ。乱れた皺が私の生活。皺の集中が潰瘍という名の結論。生活習慣の帰結であると医師は語った。
 ばね仕掛けのカバーをはずすと黒い油が幾重にもこべりついた本体が現れた。油の表面は不気味に波打っており、青と黄のラベルのお手軽スプレーから吹き出す化学洗浄剤ではもう手に負えない確固とした物質としての威厳を誇っていた。たとえ関西芸人が連呼する頑固な汚れに強い緑の粉を振り掛けてみてもどうすることもできない存在だ。つまり、ストレス、飲酒、運動不足、過食。それら全てが私の胃袋を蝕んできた。生活習慣という。それは仕事の故である。炎症を起こそうが、潰瘍が出来ようが、穴が開こうが、遂行せねばならぬ仕事があるのだ。そうだろうか。
 ナイフをへら代わりに固まった油を削り取る。ネジを外してプロペラを取り、抱え込みながらナイフを振るう。力みすぎたナイフの先がプロペラの塗装を削り、不愉快な音を出す。構わずに私は削り続ける。
 結局、塗装の剥げた換気扇はその後二ヶ月でお釈迦になり、潰瘍は薬で抑えた。週に一度の休日を楽しく過ごせた試しはない。
 
 
Website : 連絡先
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 Entry30

 
猿と龍、既定の宿命
 
由述ヨシノ
 
 
 志保子と俺は、今日も二人でインターネット。
 マウスを握る俺の手に、期待とあきらめ入り混じる。
 ランダムリンクをクリックすれば、色鮮やかなページが開き、最期にこんなメッセージ。
「いらっしゃいませ、あなたは17999人目のお客様です」
 志保子は手を叩き、「次があるさ」と大笑い。
 俺は悔しさあまって唇を噛み、上目遣いで志保子を睨む。
 哀れ、これが俺の人生。俺はいわゆる「足りない」男。

 足りなさ振りは絵に描いたよう。テストを受ければ99点。二単位足りずに留年確定。チョコエッグを集めればダブリばかりであと一つが出ず、最期のひと押しがどうしても足りない。そもそも産まれた時から足りなくて、2499グラム、未熟児での御誕生、保育器もあいにくの満席であと一人分が無かったというのだから、これはもう笑うしかない。
 こんな俺の座右の銘、
 画龍点睛。
 足りぬからこそ、この世の存在。
 足りてしまえば、天に昇るのみ。
 ことあるごとにこの四字を呟けば、志保子は冷然と、
「そんなの言い訳じゃないのさ」
 自分でもわかっている。座右の銘は逃げ口上。いつも足りない自分に向けた、責任転嫁の言い逃れ。

 どうしてこんな足りない男に連れ添うのかと、理由を志保子に問うてみる。
「絶妙の足りなさが、母性本能をくすぐるのよねぇ」としみじみ語り、「いつかは足りるよ、明日があるさ」と皮肉げに笑う。
 そして志保子は俺を抱く。
 ひとつ足りない、届かない。
 足りない俺は志保子を抱く勇気にも欠けている。
 されるがままの情事が済めば、
「アンタはオスとしてもイマイチだねぇ」
 次いで煙草をぷかりとふかし、
「今度こそ満足させて頂戴よ」
 しかし、それは口先ばかり。彼女のこころうちには、画龍点睛、その言葉に逃げる俺が居る。彼女の中で俺は永遠足りない男。龍を夢見る、見世物小屋の只の猿。
 常は泣き寝入りの俺も、この日はとうとう耐え兼ねた。
「今に見ていろ、足りてやる」
 怒りに任せてぶちまけた。
 志保子はぴくりも動じず、
「無理よ、無理」
「いや、足りる。眼のない龍に瞳を打って、天の極みへ昇ってやる」
 ひとたび声にしてみれば、なんだか体の軽くなったよう。今ならなんでも出来そうな、やった傍から足りそうな、そんな勇気が湧いて出る。
 呆れる志保子を張り倒し、一糸まとわず、夜中の街へと飛び出した。
 湧きあがる想いそのままに、走り叫ぶ。
 今に見ていろ、足りてやる!
 
 
Website : 見えない猿は果たして猿か?
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 Entry31

 
おやすみなさいからはじまる真夜中の手紙
 
楠木マユミ
 
 
「おやすみなさい」
 コマ(飼い猫、メス、9才、クールな性格)はその日確かにそう言ったのだ。もちろん言葉を喋ったわけではないが、私がおやすみと言うとそれに応えるように目をちょっと細める仕草をした。それが「おやすみなさい」に聞こえたのだ。私は、心に何かひっかかるものを感じながら眠りに落ちてしまった。

 コマが手招きをしている。まるで招き猫のようにおいでおいでをして、私を呼んでいるのだ。クールなコマには似つかわしくないその仕草が、とてもこっけいに見えてふき出してしまった。そんな私にコマは眉根をよせた。
 手招きの先でコマは大きな銀杏の木を見上げていた。銀杏の葉が青々と繁っている。梢をそよと抜けた風が頬を撫でて気持ちいい。
「コマ、この木に登って下りられなくなったことがあったよね」
 独り言ともなく呟くと、「そうじゃないのよ」とコマが食いかかってきた。
「あれはね、どこぞのちびっこが下りらんないって泣きわめいてたから助けに行ったまでで……」
 途中まで喋って、語尾はクゥンクゥンと甘えるような文句をつけるような鳴き声になっていた。
 ふと見るとコマが居ない。彼女は足音もなくその場を後にして、遠くのほうでまた例の手招きをしている。
 駆けよってみるとそこは永尾さん家の縁側だった。コマは板敷きにごろんと横になっている。夏には生い茂る緑でできた木陰が涼しいし、冬にはぽかぽか陽があたるし、ここは特等席なのだ。
 私はコマの傍らに腰掛けた。
「この場所はコマが見つけたんだったね」
 コマは私の膝の上にのっかって丸くなった。眉間を撫でてあげると、ごろごろと喉を鳴らして身をくねらせた。
 瞬きをした隙にコマは私の手をすり抜けた。見ると公園でおいでおいでをしている。
 ガタンゴトンと電車の通る音が公園に響いている。この先の川の向こうに線路が走っているのだ。コマは、と見回すとベンチの脇にちょこんと座っている。
 この公園でまだ子猫だったコマを拾ったのだ。
「コマ、ここでミーミー鳴いてたんだよ。あの日も今日みたいに電車の音が聞こえたね」
「覚えてるよ」コマは真直ぐ私を見つめてそう言った。
 覚えてるよ……

 寝坊をした時のように、はっと目が覚めた。窓を開けると朝日はまだ昇ったばかりだ。
「コマ?」呼んでみたが返事がない。胸騒ぎがして、部屋中駆け回って探した。
 それ以来コマは家に帰ってこない。
 コマのヒゲが忘れ物みたいに残されていた。
 
 
Website : 幸福のねじ
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 Entry32

 
雨やどり
 
一之江
 
 
 激しい雷雨でわたしはうれしくなる。こういう静かなお祭り騒ぎが好き。言葉のない目的のない意志のないお祭り騒ぎ。
 ノックが聞こえた。お祭りのおまけがやってきたみたいでわたしは機嫌よくドアをあけた。
「雨やどりに来ました」
 何も返事をしていないのに、彼はどんどん部屋に上がってくる。ずうずうしいというのだろうけど、それは美徳だとわたしは思った。
「何か飲む?」
 彼はきょとんとわたしを見た。言ってはいけないことだったかしら。雨やどりの邪魔なのかしら、それは。
「アイスティーをじゃあ」と、彼はうつむき加減に答えた。
「いいのがあるの。桃の香りがするの」
 わたしはお湯をわかした。たっぷりと氷を製氷皿からあける。たくさんのいろんなかたちの半透明のカタマリ。
 熱くいれた桃の紅茶を、口からはみだすほど氷をつめこんだコップに注ぐ。からから、と音を立てて氷が溶ける。それを彼に差出した。
 ばりばり、と激しい音が響いて屋根を揺らす。どどどん、とどこかの大地を打ち鳴らした空気の震えが窓からここにも届いてくる。
 彼は目を細めてアイスティーに口をつける。からん、とささやかな音がつつましやかに響く。
「どうして来たの?」
 彼はいぶかしげに眉をしかめる。
「どこかに行くの?」と、わたしは質問を変えた。
「そう。橋の向こうに」と、彼は答えた。
「そう」
 わたしもアイスティーをそっと啜った。氷がまだ溶けきらずに、だから苦い。
 鈍色の空が一瞬光で割れた。轟が瞬時にそれを追う。
「近づいてきたね」
「うん」
 近づいて、でもきっとすぐに去ってしまうのだろう。そんなふうに思っていると、彼がいやがるような気がして、だから他のことを考えようとした。
 たとえば蝉が鳴き出したこと。
「こんなに暑い日が続いてるのに、やっと最近なの」
「そうかもしれない」
「夜中はまださすがに鳴かない。でもいつからなのかしら、夜でも蝉が鳴き出したのは」
 いつからなのかしら。それはどうでもいいことなのかしら。
 雷鳴が遠くに去ってゆく。
 蝉が、じじ、と鳴き出す。雨が小降りになると蝉が鳴き出す。
「じゃあ」と、彼が立ち上がった。「おいしかった。ありがとう」
 わたしはドアのところまで彼を送る。「さようなら」
 きっともうたぶん、二度と来ない。だけど言う。「またね」
 彼は微笑んで立ち去った。蝉がはげしくわめき始める。窓から眩しすぎる光が注いで、溶けかけの氷がなまめかしくうねった。
 
 
Website : 海へ行く家族(短篇集)
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 Entry33

 
次はあなた
 
太郎丸
 
 
 司会者の元お笑いタレントは緊張のあまり声がうわずっていた。
「この問題をもし中田さんが正解しますと、なんと1億円の賞金となります。もちろん他の方が正解しますと今まで獲得していた中田さんの賞金の権利は無くなります。よろしいですね。それじゃ他の皆さんも番組とスポンサーさんの為にも頑張って下さいよぉ」
 司会者の作り笑いに2秒程遅れて、最後の問題は始まった。
「問題。第1染色体の肥満遺伝子は、レプチンレセプターと呼ばれていますが、第8」
【ピンポン】赤いボタンに置かれて鍛え抜かれた俺の右手は行動を起こしていた。
「おっとぉ、ここでいいのかぁ? それでは中田さん。答えをどうぞ」
 切り替わったカメラに向かい、俺はゆっくりと答えを発音した。
「ベータアドレナリンレセプター」
 暫くの静寂。そして正解のチャイムが響くと、客席から割れんばかりの拍手と歓声が上がった。
「正解です。すばらしい。番組史上初の1億円です。ではまず中田さんご感想を」
 俺は興奮している司会者を尻目に、笑いながら答えた。
「いやぁ。第7染色体にもレプチンという肥満遺伝子がありますんで、どちらかとは思ったんですが、第8と言ったんで直ぐに判りました」
 ちょっと嫌みだったかなとは思ったが、性格だから仕方がない。そう、後になって後悔しても買われた反感は買い戻せない。

 全く間違わない俺はクイズ番組では嫌われる存在となり、参加したいと言うと、いくばくかの金と丁重な断りが続いた。だが俺は寝る間も惜しんで勉強を続けた。

 表舞台からは退いた俺は、勝負師として放浪している。
 流れ着いた場所で挑戦をし勝負。もちろんクイズさ。俺が負ければ今まで獲得した賞金は全て相手のもの、そして俺が勝てば対戦相手から金を貰う。対戦相手には有利さ。クイズ1問につき1万円だからね。

 世界は広いねぇ、同じ商売の奴もいたよ。でも俺は未だに負けを知らない。
 やくざな稼業だから畳の上で死ねるとは思っちゃいない。何度かやくざに刺されたこともあった。だけど好きなことをやって死ねれば幸せというものさ。これが男のロマンってやつかも知れない。

 えっ。賞金かい? 今じゃ日本の国家予算を超えてるよ。ちょっとびっくりしたろう。ルールは簡単さ。答えがハッキリとわかっている問題であれば、どんな事でもクイズに出来る。だから予測する問題はダメだよ。どうだ、試しにやってみるかい? 諭吉さん一人でいいよ。
 
 
Website : 太郎丸の落書き
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 Entry34

 
一年後の再会
 
綾重 寄之介
 
 
 ちょうど一年前に別れた女房から電話があった。今晩会いたいというのだ。
 電話口の彼女の声は別れる頃よりずっと前の、俺が愛していた頃のあいつを思い出させる声だった。
 俺の浮気と彼女の浪費癖が原因で5年間続いた結婚生活に終止符を打ったのが一年前の今日だ。確か今と同じように小雨の降る肌寒い日だったと記憶している。
 その時に交際していた女は、「不倫関係でないなら別れる」と言って去っていった。その後も何度か彼女に電話してみたが相手にされず、ある日、ガラの悪い男の声になったので諦めた。
 仕事もつまらない作業に回されることになった。この異動は会社の嫌がらせであることは明らかだった。その頃に進行していた開発が失敗し、原因は俺の設計ミスとされた為だ。部長は懲罰人事とは明言しなかったが、俺を見る目が冷たかったのは忘れられない。
 ともかくあれからろくなことはなかった。ここ半年ほど心療内科に通っているが薬の量は増えるばかり。何をする気も起こらないし、かといって仕事を辞めたら生活出来ないことは明白。この一年、ただ毎日辛い思いばかりしていた。
 ふっとタクシーの窓から外を眺めたら、別れた女房にそっくりな女の姿が見えた。女は傘をさしているし後ろ姿なのではっきりとはわからないのだが、その服には見覚えがあった。
 もう5年以上前、新婚だったころに女房がよく着ていた服だ。
 待ち合わせのバーもここから近い。そのバーは結婚前から女房と一緒によく飲みに行ってたところだ。それに俺はそのバーでプロポーズしたのだ。
 そうか、女房はきっと俺とやり直そうと思っているんだな。あいつだって俺の浮気に薄々感付いていて、そのストレスから浪費が激しくなったんだろうから、今となってはもう昔のあいつに戻っているだろうし。
 俺はタクシーを停めて、傘をさしている女房のそばに寄っていった。
 少し驚かしてやろう。昔二人でよくやった、後ろから急に抱きついて「おとなしくしろ!」なんて言ってみて。

 薄暗い明かりの中で、淡いブルーのカクテルゆっくりと口に運んだ女性は、昔なじみのバーテンダーに微笑みかけた。
「私ね、今度結婚するのよ。離婚してから旅行したヨーロッパで知り合ったの。私もあっちで暮らすことにしてね。それを前の旦那にもちゃんと知らせとこうと思って、ここで今日会うことになってるのよ」
 しかし、いくら待っても前の夫は現れなかった。
 
 
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 Entry35

 
大きな椅子
 
川島ケイ
 
 
 悲しいときは、座ればいい。腹が立ったら、座ればいい。落ち込んでても、座ればいい。いつだって、座ればいいのだ。そう、死ぬときだって、この椅子に座ったままがいい。

 私の家には、大きな椅子がある。
 物好きの父が、どこからか買ってきたのだ。私の背よりもちょっと高いその椅子は、大げさなぐらいに木の臭いがして、古びていて、とても偉そうに、父の部屋に陣取っている。
 腰をおろすと、心が安らぐ。どんなに辛いことがあったって、振り払える。その恩恵は、私と父だけのものだ。他の人が座っても、ただの大きな椅子でしかない。その理由は、分かっている。
 その椅子に座ったまま、母は死んだのだ。

 恨めしいほどに、母は体が弱かった。いくら健康に気を遣っていても、いろんな病気にかかって、何度も入退院を繰り返して、私の目から見ても母は、かろうじて生きている、という印象だった。なにかあるたびに遺書を書き直して、父が止めても、大事なことだから、と優しくも厳しい笑顔で返した。
 母は、父の買ってきた椅子がとても気に入っていたようで、よくそこに座って、本を読んだり、ぼーっとしたり、していたものだ。
「私、死ぬときは、この椅子に座ったままで死にたい」と母が言ったとき、縁起でもないこと言うもんじゃないわよ、と私は慌てた。母は嬉しそうに、笑った。その笑顔は、なんというか、仏様みたいで、その大きな椅子にとても似合っていたのだ。

 そうなのだ、私は、仏様に守られているんだ、と、椅子に座って天井をぼんやり見ながら、考えた。母は本当に、仏様になってしまったのだ。椅子に座ったままで、ぴたりと動きを止めている母の姿を見たとき、私も父も、泣かなかった。母の安らかな死顔が、私たちの涙を拒んだのだ。母にそっと口付けしたときの父の顔を、私は一生忘れないだろう。もうそれはそれは、優しく美しい表情だったのだ。
「そこで死のうなんて思うなよ」
 両手を腰にあてながら、押し付けるような調子で言う、こんな父の表情とは、まるで違ったのだ。
「いいかも」
「縁起でもない」
「病院のベッドで死ぬよりは、ずっといいでしょ」
「まあ、な」
 父はポリポリ頭をかいて、あきらめたように部屋を出て行く。閉じた扉の向こうから、父の声がした。
「あのな、オレが先約だから」
 そんなの分かってるよ、と父には聞こえないように、かすかな声で、つぶやいた。大きな椅子が、小さく、笑ったような気がした。
 
 
Website : りばーらんど
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 Entry36

 
引越し
 
asサーモンas2号
 
 
 ばあさんが変な格好で柱に頭を垂れた。西日が背中にあつい。
 大家のばあさんとは毎月家賃を手渡す時に顔を合わせていたわけだけれど、こんなに小さいとは思ってもみなかった。じっさい柱の下で丸まっているばあさんは風呂敷に包んでしまえるほど小さく、両脚を胸につけて這いつくばっている姿は長く伸びた柱の影にすっぽりと隠れてしまっていた。
 急な話で松山へ転勤することになった。上司の話によれば、中間決算を発表したあと会社の上層部はメインバンクの意向により一新されるとのこと。ほどなく東京本社は地雷の散在する戦場さながらのっぴきならない状況に陥るに違いなく、君のように優秀な若手社員はひとまず安全な場所に転戦して英気を養うがよかろう、道後温泉もあるしね、などと「撤退」の語を使えない大本営みたいな言い回しで異動を申し渡した。
 大学3年の時から使っている部屋だった。語学教師にでもなるつもりで入った大学だったが、最初の2年で到底教師なんぞになる器ではないと気がついた。自分の身の回りのことで精一杯だ。身の回りとはせいぜい3メートル四方の生活範囲、つまりは4畳半一間のこの部屋で暮らしを立てる程度が身の丈にあっている。西日のきついこの部屋を下見した時、肩の力がふっと抜けたのを覚えている。
「あんた、ここに来て何年になるかね」
 ばあさんがいつのまにか変な格好を解いて4畳半の真ん中に正座していた。指折り数えなくたって分かるけれど、ばあさんの視線が真正直に向けられていたから指を折る。
「12年ですか」
 二十歳だった。ミカドの下血量が為替相場みたいにニュースの最後に報じられた年の瀬、新年明けてすぐの崩御で成人式すら自粛された年だ。忘れるわけがない。ばあさんは畳の表面を丹念に指でなぞっている。
「敷金のことでしたら、別に構いませんから」
 不動産屋で交わした契約書はすでに紛失していて、解約時の敷金の扱いについてどんな取り決めになっていたのかは分からない。ばあさんは眼鏡の奥の細い目を瞬かせ、「12年か」と呟いてもう一度柱に向き直った。
「いろんなことがあったの。ごくろうさん、ありがとさん」
 聞き取れたのはその言葉だけだったがばあさんはぶつぶつと柱に向かって呟き続けている。12年間にわたる取るに足らない生活を慰撫しているような響きだった。
 私は頭を垂れた。西日が背中を焼いていた。松山に着いたらばあさんに手紙を書こうと思った。
 
 
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文字数 : 1000
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第25回1000字小説バトル結果



第25回1000字バトルの結果は、越冬こあらさんの『換気扇』がチャンピオン作品と決まりました。
越冬こあらさん、おめでとうございます!
皆さま、ご投票いただきましてありがとうございました。

※掲載ミスのおわび:
  今回の結果発表は9月5日未明にいったん公開されましたが、その後、投票いただ
  いた方より感想が掲載されていない旨、ご連絡をいただきました。
  原因ですが、これは投票メールが私(蛮人S)に何らかのトラブルにより届かず、
  かつ、私がそのチェックを怠ったまま集計し公開してしまったことによります。
  このため私は結果発表のページをいったん閉鎖し、再度公開した次第ですが、最初
  に発表したものとは異なった結果となってしまいました。
  参加作者のみなさま、投票いただいたみなさま、読者のみなさまには大変ご迷惑を
  おかけしましたことをお詫びいたします。今後十分に注意するとともに、ミスを起こ
  しにくくするための手段を検討いたします。
  今後とも「Q書房のQBOOKS」をなにとぞよろしくお願いいたします。
                          1000字小説バトル担当 蛮人S

※投票いただいた方へ:「投票したはずの一票が入ってない!」「私の感想文がない!」なおこのような事がございましたら、直ちに
ご連絡いただけますようお願い申し上げます。




作品得票
換気扇(越冬こあら)4
平等な国家(ラリッパ)3
Lonsome Moon(川辻晶美)2
ふたり(ウエダ カホリ)2
猿と龍、既定の宿命(由述ヨシノ)2
大きな椅子(川島ケイ)2
聖人と教祖(のぼりん@SSEA)1
女神様のため息(よしよし)1
左右(完崎竜)1
夕焼けの廃校。ちょっとした過ち。(瀬田 春風)1
君の街は僕の街(有馬次郎)1
呪いの部屋(藤丸)1
無駄な時間(かわのプーさん)1
近所の床屋さんにて(やみさき)1
顔の記憶(伊勢湊)1
雨やどり(一之江)1
引越し(asサーモンas2号)1