| # | 題名 | 作者 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 1 | 薔薇の香り | 佐藤ゆーき | 917 |
| 2 | 揺れる汽車は思いを生かす | 燕尾兆 | 995 |
| 3 | お願い! | 小波 | 996 |
| 4 | 高速ジャックドライブ | 一宮遼 | 967 |
| 5 | 白い平原 | YUKA>>> | 1055 |
| 6 | 反復 | 野口 圭 | 1000 |
| 7 | あこがれの女性 | 金井 利治 | 988 |
| 8 | 対決!怪人ランバオウ | 鈴木信太郎 | 347 |
| 9 | 戦場 | 芋澤 扇風機 | 1000 |
| 10 | 小鳥 | 党 | 634 |
| 11 | この幸せが永遠に続くように | 野口 | 997 |
| 12 | キスミ−ハニ− | Ame | 965 |
| 13 | 或る日ある時 | YamaRyoh | 866 |
| 14 | 003 | 二宮角算 | 985 |
| 15 | ソレゾレノ、カタチ。 | 園 康弘 | 998 |
| 16 | 手紙 | てこ | 1000 |
| 17 | 荷物を抱えた人のことで | アナトー・シキソ | 993 |
| 18 | 土管 | のぼりん | 1000 |
| 19 | ゆらゆら | 宙 | 945 |
| 20 | どれにしようかな? | 坂本 一平 | 620 |
| 21 | もう1つの世界 | shoheier | 721 |
| 22 | コイン | 林徳鎬 | 1001 |
| 23 | 牛丼を食べるときに思いだす女のことなど | 岡野義高 | 760 |
| 24 | 車を買おう | yoshi | 1000 |
| 25 | ダンゴ3兄弟 | 上條 裕 | 999 |
| 26 | 海石榴(ツバキ) | さとう啓介 | 1000 |
| 27 | ここ2,3日。 | しんじ | 1000 |
| 28 | またあえるよ | 坂口与四郎 | 1000 |
| 29 | おしゃまな恋 | 池田@ママ | 1000 |
| 30 | 眠れぬ夜 | 秋月 | 1000 |
| 31 | チーズができるまで | 羽那沖権八 | 1000 |
| 32 | 18 | ナンバー0 | 1000 |
| 33 | 俺達に明日は無いに向かって撃て | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
| 34 | スープの話 | 伊勢 湊 | 1000 |
| 35 | 死体 | 越冬こあら | 1000 |
| 36 | ターザン夢を見る | 御自慰 小津郎 | 966 |
| 37 | なぞなぞ | おおた ゆう | 989 |
12月24日。恋人と宅配ピザとケーキを食べながらアロマキャンドルに火をつける。その瞬間、訳も分からず僕の胸は締め付けられた。そう、それはまさに甘く切ないという形容がぴったりの息苦しさで、僕の頭を混乱させる。
その息苦しさの中で僕は、溺れる者が掴むわらのようなかすかな光をたよりに、記憶の暗闇の中を這い進む。薔薇、そうだこれは薔薇の香りだ。混乱の中、もっと早く気付くべきことにやっと思い当たる。そしてそこから一気にかすかな光はまぶしく拡がり、小さな部屋を照らし出す。骨董品のようなユニットバスとせまいロフトがついていて、ひからびた薔薇の花束が飾られている。
もう6年になるだろうか。僕は世界への憧れや不安を確かめるように、その部屋に通った。まだ若くて田舎者の僕は、そこへ辿り着く度に打拉がれていたけれども、僕は通うのをやめなかった。そこには僕が幼い頃から追い求めていた僕になるための鍵が隠されているような気がした。
でもそんな理想の僕は幻想でしかなかった。自分が何者かになれるということが幻想でしかなかった。それに気付かない僕は、自分自身だけでなく、彼女のことも傷付け続けていた。だからと言って、僕が甘やかされて生きてきて、流されるように生きてきて、現実に目を向けることが恐い、どうやって自分の足で歩いて行ったらいいか分からないと告白したところで、僕らは、いや僕は救われただろうか。
最後に彼女はこう言った。
「あなたのことを本気で愛してくれる人はこの先誰もいないわ」
そして彼女は大人の男と去っていった。
それは僕にとって呪の言葉でもあったし、予言でもあった。僕はもがき苦しみながら、醜い自分をさらけ出して、孤独の中で涙を流した。
今でも時々、理想の僕の幻想が僕の前に現れる。その幻想に惑わされたり、目を眩ませられたりして、僕は過ちを犯す。でも僕は、気付いている。この世界の美しさに。自分の小ささ、醜さに。
そして僕は恋人とともにキャンドルの火に蓋をする。
僕はもうあの頃の彼女よりも年上になったけれども、あの頃の彼女よりも大人になっただろうか。あの頃の彼女に釣り合う男になっただろうか。
火が消えた後も漂う薔薇の香りが、あいも変わらず僕の胸を締め付ける。
もう、どの位の時間が経っただろう。
汽車の窓から見える景色は、もうすっかり僕の知るそれではなくなっていた。
このままあの街から遠ざかっていく事に、僕は不思議と何も感じていなかった。全ての感情を置き去りにしてきたからかもしれない。それでも笑えと言うなら笑えるし、泣けと言われれば泣けるだろう。
なぜなら、僕はまだ生きているから。
汽車が止まった。
窓の外に広がるのは一面の緑。窓ガラスがまるでスクリーンのように感じられた。
そこに映る平和が、あまりに不自然だったから。
でも、それが現実なんだ。そこに非現実を感じるほど、僕は遠くに来たって事。
何人か乗客が乗ってきた。その中の一人、初老の婦人が僕の隣に座ろうとした。
「ここ、いいかしら?」
服装からして決して裕福とは言えそうもない婦人だったが、その声は気品に満ちていた。そこには誇りがあった。僕がよく知っているはずの、女の誇り。
座ったきり、婦人は一言も喋らなかった。背筋を伸ばし、ただ前を見つめていた。こんな時代に、これだけ力のこもった眼をする人が他にいるだろうか。そう思った。
汽笛が鳴り、少しずつ汽車は動き出した。
揺れがひどい。婦人も、僕も黙ったまま。彼女はただ前を見つめ、僕は窓の向うに目を遣った。
外は、まだ一面の緑。天気が良いから、よく映える。いい季節だった。口笛でも吹きたいような。それが今の僕には、ただの皮肉にしか見えない事を、僕自身よくわかっていたのだけれど。それでも僕は口笛を吹いた。こんな景色にぴったりの曲だ。曲名は思い出せない。
少し経って、それがあまりに滑稽だって事にようやく気が付いて、辞めた。
窓の向うはスクリーンの中の世界で、僕はそれを呆然と眺めるだけの傍観者に過ぎないから。
汽車がようやく緑を抜けた頃、婦人が口を開いた。
僕の目的地を尋ねる内容。僕は、正直に
「決まっていないんです。」
と答えた。すると婦人は笑って
「そうだと思ったわ。」
と返した。
その笑い方は、僕にとってあまりに残酷で、優しかった。
右手を強く、握り締めた。
汽車は、あの街からどんどん遠ざかっていく。
炎に包まれていく街並。
ビルも道も公園も、人も。
僕の愛した彼女も、あの炎に包まれ、行ってしまった。
気が付けば僕は、一人汽車に乗っていた。逃げたんだ。全てから。それが、別れた彼女の願いだったから。
最後に見た彼女の笑顔を思い出し、今右手の指輪を握り締める。
焼け焦げた、小さな指輪を。
いくつになったらこの身長は伸びるんだろう?
妹のカサゴよりも低い己の身長に、タマオはやきもきしていた。普通は、歳をとれば身長は伸びなくなるものだが、今まで一度も成長期を迎えていないタマオにとっては、そんな常識は関係ない。
それに引き換え、妹のカサゴはぐんぐんと伸びて、モデルにでもなるしかないのではないかと思わせるほどに長身になっていた。それが逆に、カサゴのコンプレックスになっていた。
短躯に悩む兄と長身に悩む妹。いっそこの身長が入れ替わればいいのに。そうお互いに思うことも多かった。
その日は元旦だった。
近所にある神社に訪れた二人は、賽銭を投げ入れ、願をかけた。その時偶然に、まったく同じ願い事をしたのだ。
(こいつと身長が入れ替わりますように)
何が祭られているのかは解らないが、とにかくその願いは神様の元に届いた。二人の心の声が重なったためなのか、賽銭の金額が例年の十円から百円にアップしたからなのか――。
翌朝目が覚めると、タマオはパジャマが尻に食い込んでいる感覚に気が付いた。布団から出る。パジャマの丈が、足りなくなっている。そしてカサゴはだぶだぶのパジャマに身を包んでいた。念願かなった二人は部屋を飛び出し、廊下で鉢合わせした。
「あ!」
タマオはカサゴを見下ろし、カサゴはタマオを見上げていた。
「やった、これでチビとはお別れだ」
「これでデカ女とはお別れね」
「早速バスケットでもやりに行こうかな」
「早速かわいい洋服を買いに行こう」
二人はすっかり入れ替わった身長に満足し、名も知らぬ神様に感謝した。そして同時に思った。
(神様ありがとうございます。もう何でもお供えしちゃいますよ!)
二人は一軒家に住んでいた。その家はごく本数の少ない電車が通る線路に面していた。だから線路を越えるのに、あまり電車を気にした事はなかった。しかも今は二人とも気分が昂揚しているから、だから左右を確認せずに飛び出してしまったのも無理はなかった。
そこに、二時間に一本の電車が来た。二人は同時に、絶妙のタイミングで電車に轢かれた。巨大な草食動物の鳴き声のようなブレーキ音を響かせて、電車は三十メートルほど通りすぎてから停止した。
線路上には、首を切断された死体が二つ。しかも恐ろしいまでの偶然で、その二つの首は、入れ替わっていた。背の低い方にはタマオの首が、背の高い方にはカサゴの首が……。ピッタリと。
4ドアのオートマティック自動車の中
私は両手を後で縛られ、後の席の 犯人と斜めの位置に座って1時間経つ。
携帯も取られ、犯人のポケットの中に姿を消した。
犯人の男は、帽子をかぶり、サングラスをして、
高速道路を走っている。
1時間前に起きた出来事を、少しずつ 思い出せるようになってきた。
男の横顔には、動揺の色が隠せない。
私の緊張が解けて、男に移ってしまったかのようだ。
ここで男に話し掛けてみたいという
バカな考えが浮かんだ。きっと男は銃を持っている。しかし
恐怖より興味が勝ってしまった。
「あのー、これ何処まで行くんですか? 」
男は一瞬ビクッと動いた。
そして答えた。
「余計なこと喋るんじゃねぇ」
明らかに動揺している。
「あのー、私お腹空いたなぁ…」
男は何も答えなかった。私は負けずに喋りつづけた。
やっと男は観念して、S.Aで降ろしてくれた。
縛られた腕は、紐の跡が赤くついていた。
私はカレーを頼んだ。
スプーンを、わざと腕で引っ掛けて、床に落とした。
そのスプーンを、男に見られないようにポケットに掠めた。
新しいスプーンをとりに行っている間中、男は私を睨むように監視し続けた。
車に乗り込み、私はおとなしく両腕を後で組んだ。
そして男が紐できつく縛った。
男が運転席に乗り込む時には、実は紐から片手がスルリと抜けていた。
男は全く気づかない。
掠めておいたスプーンを素早く取り出し、また後で腕を組んだ。
車は高速を再び走り出した。
「カレー食べたからかなぁ。あっつい。少し窓開けてくれませんかね? 」
男はエアコンという機能を忘れているらしく、
まんまと後の窓を1cm程度開けた。
今だ!!
持っていたスプーンに、満身の力を込め、窓ガラスを殴りつけた。
見事にガラスは砕け、男は奇声をあげた。
かろうじて車の中に入ったガラスの破片を拾い
男に突きつけた。
男も銃をこちらに向けた。しかし、男はハンドルを握り、
空いている手は無い。
男のポケットに入っている携帯を取り出し、110番を押した。
「誘拐されてます! 首都高速のどこかです! 」
できる限りのことを伝えて、電話を切った。
それから数分が経ち、パトカーが追ってくる音が聞こえた。
男にガラスを突きつけたままだった私は
車が止められると、弾みで男を刺しそうになってしまった。
私はパトカーに乗せられ、無事に脱出した。
男は最後まで私を睨んでいた。
「川の流れが涙を誘うから泣いてるんだ。」
誰かが泣きながら川岸で確かにそう言った。レイは見知らぬ人の言葉を聞いて何も言わずに立ち去った。(ばかじゃないの?あんなのただのロマンチストぶってるだけじゃん) その時、携帯のベルが鳴った。
「はーい。あ、おじさん・・今から?・・分かった。」
その二時間後、レイはホテルで三万円を手にした。シャワーを浴びて、服を着て、くつを履いて外に出た。家の帰り道、いやな音とともに靴紐が切れた。(人生なんてこんなもの。ほんっとくそだ)それを見ていた犬を、思いっきりにらんでやった。空を見上げると、もう夕日は見えない。だけどそれの光を受けた夕焼けが、やさしくレイを包み込んだ。レイの姿は影になり、細い髪は、きらきらしていた。意識が遠く遠くなる。レイは風にゆれる柳のようにそっと倒れた。
(こんなにくさった世の中で生きて、自分もこんなに汚れて・・それさえ何も感じなくなったんだ。みんな空しさと生きていて、世の中に生きるのはあきらめた現実的な人、現実を見ようとしない偽善者、そして夢想家・・
増える争い、環境破壊・・神様が本当にいるとしたら、ちゃんと見てるとしたらこれはナニ?・・この世もあの世も嫌。一人になりたい。・・私はそこで永遠に静かに生きるの・・)
目が覚めたとき、レイは白い草原にいた。見渡す限り白の平原・・・。何にもないし、誰もいない。耳が痛くなるほど張り詰めた静けさ。レイは初めて不安になった。そのとき風に乗って誰かの声が聞こえた。
「おまえは死んだ。」
「そう・・あんた神様?へーいたんだ。」
「私は神でない。でも神はいる。君は君永遠に会えなくなってしまったがね。」
「どうして?」
「あんたがここを選んでしまったからじゃよ。ここは白い無の世界じゃ。天国でも地獄でもない。ここはだれも助けにこない。神さえ知らない場所だ。永遠に逃げられない。思い出や記憶さえも忘れていくだろう。」
「神さえ知らない・・そんな場所があるわけな・・ないじゃん!!あなたは誰?」
もうそのこえは聞こえなかった。
なんだか
吐き気を伴うひどい気分になり、れいは伏せて頭を抱え込んだ。白い平原に叫び声が響く。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ・・!!!やぁぁぁぁぁぁ!!!!」
風にむなしく消される。
忘れていた涙がうそのように次から次にあふれた。それはいつしか青みのある流れになり川になった。レイは時に涙が止まったが、自分が作った川の流れをみてると
誘われるように涙が溢れた。そのときふと懐かしさを感じた。だけどまたそれも川の流れに流されていった。
「ねえ、ちょっと! どこを見てるのよ!」
と彼女が言う。
「別に。ちゃんと君を見ているじゃないか」
やれやれ、いつもこうだ。
僕と彼女が出会って半年が経つ。その間に何回この会話を繰り返したんだろうか?
一日あたり2、3回は、やってるよな。半年が180日で、週に5日は確実に彼女と会ってるから……、
……とにかく何百回となくこの会話を繰り返してきたんだ。寸分の狂いもなく。
確かに昔からお前はどこを見ているか分からない、なんて言われる事もあったけど、
何回かすると彼らも諦めて、何も言わなくなったんだけどな。
大体、僕のせいじゃない。生まれつき右目と左目で別の物が見えるようになっていたんだ。
もちろん不便さ。野球をすればバットはボールにかすりもしないし、フライだって捕れない。
でも良いこともある。
シューティング・ゲームなんかをする時にそれぞれの眼で違う方向を見れるから、弾をよけ損なう事なんてまずない。
雑踏の中でカワイイ子を見つけるのも早い。一度に二人の娘を同時に見れるからね。いいだろ?
「ねえ、ちょっと! 何を考えているのよ! 私の話を聞いてる?」
と彼女が言う。
「別に。ちゃんと聞いているよ」
やれやれ、いつもこうだ。
僕と彼女が出会って半年が経つ。その間に何回この会話を繰り返したんだろうか?
一日あたり2、3回は、やってるよな。
僕は何か言われるとさ、大体考え込んでしまうんだ。言われた言葉を反芻してみる。牛とちょっと似てるかも。
すると色々なことが解ってくる。自分が何を言ったらいいかも見えてくるんだ。霧が段々晴れていくみたいに。
それって結構キモチイイものなんだ。セックスとはちょっと違うけどね。
でもその間、ちゃんと待ってくれる人はなかなか居ないね、ホント。彼女も、そのうちの一人。
「ねえ、ちょっと! どこを触ってるのよ!」
と彼女が言う。
「別に。何もしていないじゃないか」
やれやれ、いつもこうだ。
僕と彼女が出会って半年が経つ。その間に何回この会話を繰り返したんだろうか?
付き合っているんだから、ちょっと触るくらい良いじゃないか。減るもんじゃなし。
ほら、向こうのベンチに座っているカップルなんて、もっとすごい事やってるじゃないか。
今時プラトニックなんて流行らないと思うけどなあ。ねえ、君もそう思うでしょ?
「ねえ、ちょっと! どこを見てるのよ!」
と彼女が言う。
「別に。ちゃんと君を見ているじゃないか」
やれやれ。
あれから・・・
時は流れて・・・
2010年の春うららかな日
ある農村に、初老を向かえたばかりの一人の老人がいた。
遊馬おじちゃんと呼ばれるこの老人、近所の子供や小母さん、お年よりを相手にパソコンを教えていた。
もちろん、老後の暇つぶしのようなものなので、お金などは貰わなかった。
そんな遊馬おじちゃんは、近所の小母さんたちが、畑で取れた野菜や果物を毎日、持ってきてくれたので、収入はなくても食べるには困らなかった。
そんな遊馬おじちゃんであるが、年甲斐もなく、とても若くて美しい一人の女性に憧れていた。
遊馬おじちゃんは、その女性と、ただ話がしたかった
どんな話でもいいから
その女性の声を聞きたかった
優しさのこもった、その女性の声に心が癒されるのであった。
一緒に食事ができたらいいなぁ〜
彼女を誘って一緒に、何処かで食事をする
このことは夢の中にしまっておこう。
2010年の春うららかな日
遊馬は、憧れのひと女性のいるレストランで朝食をすまし
いつものコーヒーを飲んでいた。
しばらくすると憧れのひと女性は、何時ものようにコーヒーを注ぎにきた
「遊馬さんコーヒーお飲みになりますか?」
そして遊馬に、微笑みながら夢の約束のことば一言を残した。
そして夢の約束の日がきた
約束の丘へと車を走らせた
そして陽のあたる緑の丘が見えてきた
その丘は、今にも二人を迎え入れようと温かい陽射しにつつまれていた。
遊馬は丘に花咲くつつじのもとで待った
しばらく待った
そして待った
遊馬はひたすらに待ちつづけた
時間は過ぎていく
憧れのひと女性は現れない
そのとき、そのとき
遠くの方から遊馬を呼ぶ声がした
それは、憧れのひと女性の声であった
しかし姿が見えない
気のせいか・・・
翌日、いつものように遊馬は朝早く、レストランに行った。
いつも座るテーブルに
そこには遊馬宛の一通の手紙が置いてあった
遊馬さん、ごめんね、約束を守れず
遊馬さんが、この手紙を読むときは
私、この地にいないかもしれないの
とおい遠い
北国の方に行っているかも知れないわ〜
うふふっ・・・急な話で驚いた?
私、遊馬さんの気持ちわかるから
お約束したのよ〜
しかし、間に合わなかったようねぇ〜
ごめんねぇー、ながく待っていたのでしょう?
わたし必ず戻ってくるわ〜
そして、きっときっと逢えると思うの
そのときこそ、其の時こそ、お約束、守れるわ〜
しばらくのあいだ
さよならします。
遊馬さんが憧れているひと女性より
俺は怪人ランバオウと一騎打ちになった。なぜか野原が舞台だ。
街を襲うランバオウ軍団を叩き潰し、残るは頭目のランバオウ一人となったのだ。
「ランバオウ、さあ、来い!」
俺はこれから戦わんとする相手に、叫んだ。ランバオウはたじろぐばかりだった。
「く、くそう!」
悔しそうに叫ぶヤツに、俺は必殺の技をかけんと、技の名を呼ぶ。
「飛来剣……見参!」
空が急に黒く曇りだし、渦を巻いた。そして稲光が辺りを激しく照らした。
そして、大きな影が降りてきた。
「おお……」
そこに姿をあらわしたのは……。
平井堅だった。
「こんにちは。今日は僕の歌を聴いてください」
そういうと、彼は「楽園」をあのハスキーな甘い声で歌いだした。
上手いと思った。
俺とランバオウは、思わずおひねりを彼に投げていた。
今日は得したなあ。
「畜生!こいつぁ陥ちねえぜ」
三度目の突撃の後、逃げ帰った塹壕で隣り合った戦友が吐き捨てた。
敵陣は堅牢で、俺たちの捨て身の突撃にもまるでびくともしない。
その兵士は自棄のように敵陣に向かって小銃の引金を引き続けたが、たちまち猛烈な反撃を食らい、慌てて頭を引っ込めた。
ド、ドーン。
揺るい地響き。迫撃砲弾が近くに落ちたのだ。
ぱらぱらと塹壕の中にまで土が降り注いでくる。
「おい!バカな事やめてくれ!」
たまらず叫ぶ。巻き添えは御免だ。
散発的な銃撃音。
ゴロゴロいう雷鳴は遠くの着弾音。
血と硝煙と泥の匂い。男どものすえた体臭。
ここは戦場だ。
「なあ、あんたタバコもってねえか?」
この軽率な男の面倒を見るのは御免だったが、戦友意識はそれ以上に堅かった。
黙ってマルボロを一本抜き出し渡す。
「すまねえ」
男は泥まみれの顔でさもうまそうに一服つけた。
俺もつい誘われて一本抜き出す。
肺に吸い込まれていく紫煙。気持ちが軽くなる。
軍曹が塹壕沿いに走ってきた。
「いいか、赤の信号弾で突撃だ」
早口で伝えまた走っていく。
「なあ、あんた。この戦争終わると思うか」
遠い目で男が言った。
「さあ、わからんね」
「そうだよな。俺ら下っ端にゃ、戦争の行く末なんて、な」
「分ってんのはお偉いさん」
「ああ、総司令官閣下だけってね」
「そうだ。今は・・・」
「今は、あれか」
塹壕の傍から目だけ出して前をうかがう。
目の前の荒涼とした風景の先にそれはあった。
難攻の要塞。あの不落の敵営が。
灰色の空に赤い光芒が上がる。
突撃信号だ。
俺たちは叫び声をあげ塹壕を飛び出した。
戦列からは同じようにバラバラと男たちが飛び出し、銃を乱射しながら、叫びながら駆けている。
激しい銃撃。タタタタタと軽快な機関銃のドラムロール。土煙がいたるところで上がる。銃弾を浴び、死の舞踊を踊る兵士たち。後方の砲兵が頭越しに大砲を撃っていく。着弾。閃光。轟音。
恐怖をかみ殺し、走った。野獣のような咆哮をあげた。殺せ殺せと叫んでいた。
いつのまにか、俺も撃たれた。地面にドウと転がる。
死にいく意識の中、俺は攻撃の成功を祈った。
そして、どこか遠い空の総司令官の事を思った。
* * *
「ねえ、まだ駄目?」
「う、うん。ごめん」
「いいのよ、あわてないで」
「もうちょっとなんだけど」
ピンク色に彩られた狭い部屋の中
我らが総司令官は孤軍奮闘していた。
* * *
総司令、後は頼む。
なんてったって俺らの、精子をかけた戦いだ。
君があんなに怒るとは思わなかったよ。
僕もあんなに怒るなんて自分でも思わなかった。
「ごめんね」そういおうとしたのに、口から出た言葉は「うるせえな」
そんなに大事だったなんて思わなかったんだよ。
でもね、本当を言うと僕は嫉妬しちゃったんだ。
だって君があんまり可愛がるものだから、君を取られちゃうと思ったんだ。
「あたしの心を返してよ」君はそう言ったね
僕と同じように不器用な君は、僕に直接言う代りにあれを可愛がる事で
僕への気持ちを表していたんだね。
僕はそのことに気づかないまま、解き放ってしまった。
君の僕への思いも飛んでいってしまったんだろうか
君が飛び出していってからもう3時間が経っている。
不器用な僕はすぐに探しにいけないままこうして手紙を書いている
君が読むかわからない手紙を・・・
「ごめんね」という言葉は「うるせえな」に変換される。
「好きだよ」という囁きは「わかってんだろ」と変わってしまう
「嬉しいな」という表現が「余計なことしやがって」と素直さを失う
君の「もう知らない」って言葉は「私を見てよ」って叫びだったんだね
「あなたなんかきらい」って飛び出した君は「あたしを追いかけて」って
言っていたんだね。
君の涙を何度見ただろうか、僕はその度に困ってしまって、
なんといっていいかわからずに、「うるせえな、泣くなよ馬鹿」って
いつも怒ってしまっていた。
ごめんね、そう素直に言えないまま、僕はまだここで君を待ちつづけている。
「何で探してくんないのよ!馬鹿!」って君があらわれるまで・・・
了
近づいてくるサイレンの中、僕はうれしくて涙を流さずにはいられませんでした。
父と母の喧嘩を見ない日はありませんでした。母は優しい人でしたが、とても
自己中心的な人でした。父に対して不満があると、例え母に非があっても父を
口汚く罵りました。父も外ではいい人で通っていましたが、そういった母を
殴らない日はありませんでした。 母の罵声と父の暴力は、僕たち兄弟の心を
深く傷つけました。僕は父と母の喧嘩が始まると、幼い弟と奥の部屋に逃げ込み、
それが収まるのをじっと待ちました。そして気がつくと、弟はいつも僕の膝で
寝ていました。本当なら母の膝で寝たかったろうに・・・。
どうしたら父と母が仲良くしてくれるだろう、どうしたら家族が幸せに楽しく
暮らせるのだろう。僕はいつしか、そんなことばかり考えるようになって
いました。悩んだ末、僕はある考えに辿り着いたのです。
皆が寝静まった深夜、父と母の寝室に行きました。熟睡している父の左胸に、
ゆっくりとナイフを刺しました。父は一瞬かっと目を見開き、大きく体を
くねらせたあと、ぐったりとしました。父の異変に気づいた母は急に起きあがり、
驚いたような視線を僕に向けました。母が大きな声を出して弟が起きては
かわいそうだと思い、僕は母の口を左手で押さえました。そして僕は母に
「母さん、幸せになろう」と囁くと、母のお腹を刺しました。母が長い時間
苦しまないように、何度も。
2階で寝ていた弟の首を裂き、父と母の寝室に連れて行きました。父と母を
並べ、その間に弟を寝かせました。父の血と、母の血と、弟の血が混じり合った
布団を見て、家族が溶け合っていくのがわかりました。「これでやっと家族が
一緒になれた。」僕はそう思いました。そして僕は警察に電話しました。
電話を切ったあと、部屋に戻ってもう一度3人の顔をじっと見ました。
母の罵声も、父の暴力ももうありません。弟も母の横で、静かに眠っています。
弟の頭を母の膝に乗せ、これが本当の家族なんだと、近づいてくるサイレンの中
僕は思っていました。嬉しさに涙が溢れてきました。
僕は父の横に座り、ナイフを自分の胸に突きつけました。そして3人に覆い
被さるように前に倒れて行きました。ナイフが胸を突き抜けた瞬間、僕は
いつまでも父や母、弟を守ってあげたいと思いました。この幸せが永遠に
続くようにと。そして僕は深い眠りにつきました。深い、深い眠りに・・・・・。
彼等は国を捨てた犯罪者の男と女だ。唸る程ある金に物言わせての逃亡生活に必要なのは、愛情より互いの領域を侵犯しない知性。そう知っている大学時代からの友人の彼等は、それなりに上手くいった関係で、今日も酒なぞ呑んで居る。
「辞世の句とか、考えてあるの?」
「はあ?」
「死ぬ時言う言葉よ。ないの。仕方ないわね私が考えてあげる」
「ちょっと待て」
「谷崎は、犯罪者らしく三十六歳の夏場にシンガポールで銃痕が元で死ぬと見せ掛けといて、実は八十五歳のいい加減ジジイになってから大往生だわね」
「具体的な数字を出されると俺もいい気はしないんだが」
「で、あれよ。死ぬ間際に『キスミ−ハニ−』とか言う訳よ」
「ストレートにボケ老人じゃねえか」
「くうー!!格好いいわねえ!私がしたいけど、あんたに譲るわ!」
「…」
「あ」
「なんだ」
「偶々傍に居たら、私、それ言われるの?」
「……五十年あるぞ」
「ま、偶々よ」
「偶々か」
「偶々」
それから男と女とは数年一緒に暮らした。理由は考えずただ様々な所を点々とした。女は変わらず良く喋り男は良い酒を行く先々で呑んだ。そして、二人の予想を裏切って先に死んだのは女の方だった。
いい加減色々な男と遊び歩いていたから痴情のもつれというやつに巻込まれたらしい。男は偽名が刻まれている女の墓に三度だけ足を運んだがそれきり行かなかった。ただ、酒を呑む量が少しばかり増えた。
男は三度結婚し同じ数離婚した。只寂しいだけで女を求め、相手が金目当てだと言う事にも頓着しなかった、これが当然の結果だ。そんな人生を送ったにしては男は八十近く迄長生きし、ベッドの中で「いい加減ジジイ」になっていた。
立派な病院で裕福なアジア人が息を引き取った。けれど、英語にも堪能だった筈の彼の最後の言葉は何処か観光に来る日本人に独特の母音ばかりを強調した響きで、看護婦にも良く聞き取れなかったらしい。
「kiss me honey」
赤いシルクのドレスに大粒ルビーのイヤリングをした洒落女は病院に行く事を拒否した。あんなパジャマを着て死ぬのは絶対にごめんだというのだ。腹にナイフを刺したまま、朝のアパートに帰ってきた女は、薄く笑いながら頗る格好良く何度も呟いた。
「kiss me honey」
「『イスミナニー』って聞こえたわ」
「日本語かしら?」
老人の言葉の先に誰がいたのかを、もう誰も知らない。
<突然ですみません。実は私、ずっと前からあなたの事が好きだったんです! こんな私で良かったら、付き合って下さい。>
「しかし、また」
携帯画面の文字を見ながら、百合は鼻から息を出す。口は真一文字状態。
「ラブレターならぬラブメールとは…」
前と同じ動作をもう一回。息を吸って、もう一回。
「何よ、いーでしょーが! 別に…」
言うとその画面を時計に変えてそそくさとハンドバッグにしまったのは、百合の親友、恵子だ。彼女は自分の背後に立っている百合を椅子に座っている状態から睨む。
「しかし、あんたがアイツを好きだったのはちょーっと意外だったな。てっきり八田俊二の事が好きなんだと想って…」
途端、恵子が硬直する。そして携帯の送信メールボックスを見る。
送り先は…
「近藤尚樹とは、いやー、意外だなーとは想ったんだよ? 私も… うん」
二人は、半ば呆然と窓の外を見ていた。
さて、ここで簡単な人物紹介を。
八田俊二というのは、もう初めて見てもすぐに「モテる男」と想うような、現代風味男高級編ってな感じの男だ。なのに現在は彼女がいないらしい。そう、今のところは。
対して、近藤尚樹というのはズバリ庶民派元気印の男で、何でも彼の住む町内奥様井戸端大会議では人気ナンバーワンだとか。
ちなみに、尚樹と百合は同じマンションに住む幼なじみで、中学から一緒の恵子とも仲が良く、たまにメール交換もしている。
八田俊二とはこの高校で知り合い、半年の片思いの後、強引に携帯の番号を聞きだした。で、「ラブメール」を送る予定… だった。
「しかしまぁ、間違えた奴が尚樹で良かったじゃん。冗談だってごま化せれるし」
放課後で教室にだれもいない性なのか、多少大声でそういう百合をしり目にしながら、恵子の携帯は音を鳴らす。
やっぱり、相手は近藤尚樹だ。
意外と、尚樹は照れくさそうで、嬉しそうだった。
そんな彼に言い訳する内に、こちらのほうが照れくさくなってきて、気付けば自分でも真っ赤になっている自分が分かってしまって…
呆れたと言わんばかりの表情で、百合は一人で教室を出た。
カリ・・カ・・リカリカリ・・・・
「この世で、鉄格子とコンクリートに囲まれるなんて経験ができるのは、「囚人」くらいだろうよ。お前らは人間のくずだからな、当然の仕打ちだぜ。」
見回りに来た刑務官はニヤつきながら唾を吐き捨てる。
「すみませんが、隣の壁から妙な音がするので眠れないのです。」
「はあ?」
足音が止まる。
「何を言ってやがる、このくずが!と思うでしょう。そうです、確かにわたくし囚人番号001は明日の午前7:00に死刑が執行され、この世から消えます。だからこそ、今日の夜は安眠したいのです。お願いです、隣の002に言ってやってください。」
「・・・明日死刑執行、安眠、お願い・・・おい!002、001がそう言っているんだがな。」
再び足音が近づく。
カリカリ・・・リカリカ・・カリカリ・・・
「002!・・・壁から離れろ、最後の情けだから、安眠させてやれ。」
・・・・・・・・・
「13年前のことです、一人娘の「ターリナ」が恥辱を受けて殺されました。死体は空き缶のように道路の脇に無残な姿で転がっていました。娘はそのとき16歳です。どんなに無念だっただろうと今でも思います。ただ幸いなことに犯人はすぐに見つかりました。名前は「トニー・ダラス」、過去にレイプ事件を何度も犯している卑劣な野郎です。私は奴が許せませんでした。娘への無念はダラスへの怒りと復讐心へと変わり、いつかこの手で奴を殺してやろうと思って、今日まで生きてきたんです。」
「刑務官さん、どうしたんですか。早く002に伝えてくださいよ。死刑執行と安眠の要望を。」
「・・・・・。」
「・・・怒りと復讐心は今でも心に抱いています。隣の野郎の求めている安眠ですがね。私はこの13年間一度として安眠できた夜はありません。ただそれも今日で終わりですがね。」
刑務官は、胸ポケットから囚人リストを取り出した。
『囚人番号001:本籍「イタリア」・氏名「トニー・ダラス」・罪責「強姦殺人」』
「001!お前、いや、なんでもない・・・。安眠は明日まで待てばいい。そうすれば永久に安眠できるのだからな。」
「え?・・・・・・・」
刑務官は囚人リストを胸ポケットに収めながら、また歩き出した。
『囚人番号002:本籍「アメリカ」・氏名「カール・J」・罪責「詐欺常習」』
「くずには付き合ってられねーぜ、全く。」
カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ・・・・・
「じゃあねーっ!」ユキコは、校庭を走り抜けていく。
「行かないの?ユキー!」友達が叫んでいる。「ごめんねー。」
ユキコは、この文化住宅の階段をカンカンと音を鳴らして駆け上がるのが好きだ。
2階の西端の部屋をノックもせずに開けて、ユキコは叫んだ。「おまたせ!」
部屋に上がるとすぐ台所に向かった。「大里…。」部屋の主が、ユキコを呼んだ。
「なに?」
「ご飯食べたら、海に行かないか、二人で。」
「ええーっ。ほんとー?」
ドラッグストアでユキコの友人達がコスメグッズを物色している。
「ユキさー、あいつが転校してきてから、変わったね。」
「友情より愛情ってやつ?」「付き合ってんの?」
「ちゃんとコクられた訳じゃないらしーけど。愛されてるのアタシ、だって。」
二人は電車に揺られて、少し離れた海岸の駅に着いた。
砂浜から岩場を伝って、二人は海辺に近づいた。
沈む夕日を見ながら、岩の上に並んで座ると彼は、
いきなり彼女の身体をまさぐりはじめた。
「ち、ちょっと…。」
「お前、どこまで知ってる?」
「な、なんのことよ?」
「おれのことだ。」
「なーんだ、そんなこと。なんでも知ってるよ。」
「なんで、つきまとう?」
「なにそれ。ワタルにはアタシが必要でしょ?」
「なにいってんだ。」彼は拳銃を取り出し、銃口を彼女に向けた。
と同時に、彼の後ろで海面が大きな音を立てて、盛り上がった。
「う、後ろ!」
「それより、自分のことを心配したらどうだ?」
「どーしてっ?一番大切なひとを守りたいってキモチ、おかしい?」
彼は、立ちすくんだ。
「だって今まで、こんなに誰かに必要とされたことないし、
誰かのために何かをしてあげたいって思ったことも、初めてだし…。」
彼は銃口を少し右に逸らして、引き金を引いた。
「そこに倒れていてくれ。」
「どういうこと?」
「俺は、愛するものを守るために、戦いに出なければならない。
お前はここで、死んだことにしてくれ。」
「やだ、アタシも一緒にいく。ワタルを守る。」
「だめだ、大切な家族や友人がいる。」
「でも…。」
「動くな!」彼の後ろで、海面から黒い筒状のものが突き出ている。
泣きながら、彼女は叫んだ。
「今までのアタシは、さっき死んじゃった。もういないもん。だから…。」
「早くしろ!時間切れだ!」黒い筒から声がする。
彼は、左手を差し出した。「もう、戻れないぞ。」
「じゃあ、おかあさんに電話しとく。何ていったらいい?」
「恋愛原理主義者になるって。」
拝啓 宮内様
突然のお手紙申し訳ありません。
どうしてもあなた様に知っていて欲しいことがあるのです。
依子さんの事についてと申せば、大体の見当はつくと思います。
私は大変な悪筆である為、読みにくい所も多々あるでしょう。
しかし、決して途中で投げ出さずにお読みください。
お願いします。
ただ冗長に文を連ねても意味がないと思いますので、単刀直入に申し上げます。
依子さんは生きてらっしゃいます。
あなた様は、依子さんを死んだものとして扱っておいでだ。
その気持ちも分からなくはありません。行方不明の妻をひたすら待ちつづける心理は、経験のない私にとってすら酷く辛いものであると楽に想像できます。特に、その状態が数年も続いておられるのならば。
しかし、彼女は生きておいでなのです。
彼女を死んだものとして割り切っておられたあなたにとって、この手紙はないはずであった希望であると同時に、身を切られるような痛みを伴うものでもあることでしょう。
私は残酷にも、そんなあなたに対して更に酷な事を告げねばなりません。
依子さんは、記憶を無くしておいでだ。それも、あなたと結婚した19××年からの記憶を。
つまり、彼女にとってあなた様とは、未だ十代の素敵な恋人であるのです。
私は彼女の口からあなた様の事を知りました。(あなた様のその後の経過は興信所にて調べさせていただきました。不快な思いをされたならば、すみません)
あなた様には、当然の疑問があると思われます。それは、依子さん自身が自らのの年老いた姿に気づいておられるのか、ということでしょう。
私どもが依子さんを発見した時、彼女は極度の狂乱状態でありました。彼女は初めに自らの皺だらけの手を見、それにより疑問を持ち、恐る恐る自らの姿を窓ガラスか何かに映したのでしょう。私にはそのような情景が、ありありと想像できてしまうのです。
依子さんにとっては、まだ十代であった頃から精神のみの時間旅行をしたようなものでしょう。決して戻ることの出来ない時間旅行です。
何故この手紙を出すのに4年の歳月を要したということについても、疑問をお持ちでしょう。
それは、依子さん自身の心の整理の時間であると思われて差し支えありません。
兎に角、現在の依子さんはあなた様に会いたがっておられます。
お返事をお待ちしております。
敬具
追伸 依子さんの決意を鑑みていただけると幸いです。
名前しか知らない初めての場所でバスを降りた。
ずいぶん高いところで、下に僕らの町が小さく見えた。
町の向こうには海も見える。
僕らの町に海があったかは疑問だ。
それはともかく。
道の反対側は雑木林で、よく分からない木の匂いがした。
辺りに人気はなかった。車も通らない。家もないし、当然店もなかった。
「歩くの?」
「そうだよ」
「どのくらい?」
「ちょっとだけ」
僕はミカと歩道はおろか、車線すらない道路を歩き始めた。
しばらく歩くと、道の両側ともが雑木林になった。
そのせいで、まわりはなんとなく暗い。
僕は子供の頃の通学路を思い出して、少し楽しかった。
都会育ちのミカは、逆に気味悪がっていた。
と、そこで、人に会った。
男にも女にも見える。
茶色の包装紙をぐるぐるに巻き付けた細長い重そうな荷物を抱えていた。
僕らの来た方へと歩いていた。
僕は確認のため、その人に道を訊いてみた。
その人は、足を止めると、荷物を抱えたまま、そうですよ、と答えて頷いた。
「あってる」
「そうみたいね」
僕は、荷物を抱えたその人の妙な視線に気付いて、話を振る。
「初めてなんですよ、ここ」
荷物を抱えたその人は、そうですか、と言って微笑んだ。
だが、立ち去る気配はない。
無言で僕らを見ている。重そうな荷物も抱えたままだ。
なにかを待っているようにも見える。
ことによると、その荷物のことを僕に訊いてもらいたいのかもしれない。
だが、僕は、訊かない。
僕達は礼を言って、また歩き始めた。
ミカが急に両腕で抱くように僕の腕を取った。
確かに少し気味が悪い気もする。
ミカが腕を組んできたのはそう言うわけだろう。と思う。
だいぶ歩いて、振り返ってみると、その人は、まだ、もとの場所にいた。
で、こっちを見ている。
荷物はやっぱり抱えていた。
「荷物のこと、訊いて欲しかったのよ」
「うん」
実を言うと、あの荷物が何なのか、僕も少し気にはなっていた。
しかし、訊かない方がいいような気がした。
いや、訊いてはいけない、と思った。
そういう直感は大事にすべきだ。
そのうち道が曲がって、その人は見えなくなった。
それから間もなく道は雑木林を抜け、少しにぎやかな場所に出た。
コンビニと、コーラの自動販売機が見えた。
現代社会の象徴だ。
ミカは、ほっとした様子で、抱きしめていた僕の腕を放した。
僕達はそこで、さっき降りたのと全く同じ名前のバス停を見つけた。
「どういうことよ?」
とミカ。
僕に分かるはずがない。
学校帰りの小さな公園に滑り台のついた小山があって、土管のトンネルが貫いている。遊具といえばそれぐらいだし、今頃の子供はTVゲームに夢中になるから、土管では遊ばない。そこ、昼間でもあまり人を見かけない、とても寂しい場所だった。
「とても信じてもらえないだろうけど…」
夕暮れの通学路で、一緒に歩いていたユウ君に僕は勇気を出して打ち明けた。
ユウ君は瞳を輝かせながら僕の方を見た。秘密めいた話なら、子供はみんな大好きだ。
「昨日、今みたいに暗くなりかけた頃に、僕はここを通りがかった。すると、あの土管の中から奇妙なものが出てきたんだよ」
「奇妙なものって?」
「何かわからないよ。人間みたいな形をしているけど服を着ていないんだ」
「何それ?」
「ううん、なんていったらいいかな。ただ体中が緑色だった。全身くらげみたいにぬるっとした感じで、顔には目も鼻も口もなかった」
「お化けか」
僕は大きく頷いた。
「ていうか、宇宙人みたい」
いいながら、二人はすでに土管の前に立っている。
「それが土管からずるっと這い出て、辺りを見回した。僕が見ているのに気づかないで、すぐに中へ引っ込んだんだ。怖くて怖くて一目散に逃げ出したよ。この中に宇宙人の基地があるのかもしれないよ……」
「ははは、そんなものないよ。この土管は昔よく潜っていたもん」
ユウ君は笑って土管の中を覗いている。
「よし、僕見てくる」
あっという間にその中に入ってしまった。
…このままユウ君を置いて逃げようか。
土管の中に恐るべき陰謀が隠されているようで、僕は恐くて我慢できなくなった。子供の力ではどうしようもない、しかも大人は信じてくれない…きっとそういう種類の陰謀だ。
しばらくユウ君が出てこないので焦っていると、突然、土管の奥から陽気な声が聞こえてきた。ユウ君の頭が土管の口から覘いて、ニコニコ笑っている。
「ははは、やっぱ中には何もないよ。バケツのおもちゃが転がっているだけさ」
ユウ君は出てきて、砂だらけのズボンを叩いた。
「さ、帰ろう。全部君の見間違いだったんだよ」
「ねえユウ君」僕は大変な事に気づいてしまった。「君、裸足だよ」
「しまった……靴を中に忘れてきちゃった。ちょっと取りに行ってくるから待ってて」
そう言って四つん這いになり、再び土管の中に入っていこうとするユウ君。
なんで中で靴を脱いだりしたの?
お尻を向けた君の足の裏だけ、まだ緑色のままだよ。
ゆらゆら。ゆらゆらゆら。
ああ綺麗だねえ。潮にのっていっせいに珊瑚の卵がながれていくよ。
こまかい粒子がふわっと散らばって。水面からほのかに差し込む月の光をきらきら反射して。
まるでむかあし見た天の川のようだねえ。
今夜で何回目かねえ。ここでこうやって珊瑚の卵を見るのは。
あたいが海に落ちたのはいつだったかなぜだったか、もうそんなこと忘れちまったよ。
崖っぷち歩いてて足滑らせたのか、自分から飛び込んだのか、
はたまたあの男に放り込まれたのか。
今となっちゃ、そんなのどうでもいいことじゃないか。
ここは深すぎず浅すぎず、海鳴りも荒れすさぶ時化もとどかないのさ。
ほどよい暖かさとほの暗さ、はてしなくいつまでも続く安息。
おっかさんのお腹の中ってのが、ちょうどこんな感じだったのかねえ。
さあ魚たち、もっとお食べ。腹一杯あたいをお食べ。
海の底でゆるゆると朽ち果てるあたいには、他にできることがないんだから。
この髪も目も皮膚も肉も内臓も、どこでもいいよ、腹がくちくなるまでお食べ。
これでも浜では小町娘で通ってたんだ、まだまだいけるだろう?
あたいのおかげで、あんた達、最近とみにぷくぷくと肥え太ってきたじゃないか。
あんた達をつかまえて日々の糧にしている浜の漁師たちも、さぞ大喜びだろうねえ。
あたいの命は、細胞の1つ1つとなって、あんた達の腹の中で生き返るんだよ。
そして、ほら、浜で漁をしてるあの男の、あの網の中に入るのさ。
あの男が持ち帰った魚を、あたいを、女房が料理する。
あの男が女房と仲睦まじくつつく魚が、まさかあたいの命でできているなんて、
あの男は露ほども思わないだろうねえ。
ははは、考えただけでぞくぞくしてくるってもんさ。
あれほど願っても焦がれても届かなかった夢が、あの男とひとつになるってえ夢が、
こんなにあっさり叶うなんてねえ。
そのうちあんた達が隅々までしゃぶってくれたら、あたいは真っ白の骨になれるんだねえ。
さあて、身軽になったらどこに行こうか。
うん、やっぱりあの男につきまとうだろうねえ。あれほど惚れた男だからねえ。
女房にじゃまされずに始終くっついていられるなんて、なんてえ幸せなんだい。
ああ、その日が待ち遠しいよ。早く来ないかねえ。
ゆらゆら。ゆらゆらゆら。
珊瑚がゆれる。あたいがゆれる。命がゆれる・・・
「はーい。皆さん一列に並んでください。」
拡声器を持った男が僕たちみんなに声をかけてきた。
「そして、こちらを向いてください。」
ばらばらなタイミングでみんなは彼の方向に体を回した。
「これから大事な話をするから聞いてください。」
僕はみんなの反応を確かめてから相槌をうった。
「今から、三つのトンネルのうち一つを選んで、中へ進んでもらいます。」
「名前は、左から貧・平・金です。」
「貧は、名前のとおり貧乏生活から始まります。あなたが、生まれてからその生活以上に貧乏になることは絶対にありません。」
「そして、中央の平のトンネルは、平凡な家庭に生まれます。あなたが生まれてからお金持ちになるか、貧乏になるかは分りません。」
「最後に金のトンネルを選ばれると、お分かりのようにお金持ちから生活が始まります。でも、それ以上にお金持ちになる事はありません。」
拡声器の男が話を終えると、傍聴者にざわめきが響きあがった。
「それでは、一人ずつ選んでお入りください。」
一列に並んでいた人々は首をかしげながらも各々のトンネルに入って行った。
そして、僕の番がやってきた。
僕は、迷わず金のトンネルをくぐり、人生のスタートラインへ足を踏み入れた。
真っ暗な世界から光を感じたので、僕は目蓋を持ち上げた。
僕は、空気を吸う事が出来た。嬉しくて泣き声をあげた。
最高の人生の始まりだと思い、体を動かし喜びを表現した。
しかし、すぐに目蓋が閉じ、自分の体の温もりを感じる事が出来なくなっていた。
真っ暗な中を、ぼくはゆっくりと歩いている。そこには道というものはなく、ぼくは体がうごくがままに進んでいる。遠くから一発の銃声が、人々の笑い声が、教会の鐘の音が、工場の機械たちのさわがしい音がやってくる。音は途切れることなく、歩いているぼくの耳に入ってくる。
ぼくはゆっくりと歩いている。暗い闇の中を、一人で、足音を立てずに...。歩いている方向のはるか先に、とても大きな灯台が建っているのが見える。灯台があるということは、きっと近くに海があるに違いない。けれどもぼくはそこにたどり着けないだろう。これまでにもぼくは歩く方向のはるか先にいろいろなものを見てきた。自由の女神、光り輝くビルの群れ、闇を光で切り裂く飛行機、電飾でいろどられたピラミッド...。でもぼくはそれらのそばに近寄ることができない。ふと気が付くと、目の前に広がる景色が変わっているのだ。周りを見渡しても、過去に見た景色はどこにもない。かわりに新しい「何か」が目の前に、はるか先の方に現れるだけだ。
ぼくはゆっくりと歩く。どういうわけか、体は止まるということをしない。いや、止まるということを知らないのかもしれない。体は―ぼくは何のために歩いているのだろう。ここはどこだ。今何時。家はどこ・・・。たくさんの疑問が頭の中に浮かんでくる。次から次へと疑問がやってきて、次第に頭の中がふくらんでくる。どんどんふくらんで、いつ破れてもおかしくない状態だ。耳に犬の遠吠えが入ってきた。「パチン!」とうとう頭の中は破裂し、ぼくの周りにたくさんの疑問が飛び散った。ぼくは飛び散った疑問を踏み歩く。疑問は粉々に砕け散る。
ぼくはゆっくりと歩いている。暗い闇の中を、一人で、足音をたてずに...。
目を開けると、濃い闇の中にいた。
カーテンに空いた穴から細い光の筋が走り、壁にコイン大の模様をつけていたが、部屋は真っ暗でなにも見えない。感触でベッドに寝ていることはわかったが、ちょっとばかり途方に暮れる、そんな暗闇だった。ドアがどこにあるかもわからない。おまけに飲みすぎで頭がずきずきする。
さっきから腿の外側に感じるぬくもりにようやく意識が届き、手をのばしてフトンの下に手を入れると柔らかい尻に触れた。それから背を撫で、肩を抱き寄せると彼女が起きた気配がする。
髪をすいてやり顎のラインをなぞると、彼女がキスをしようとオレの顔を探している。
舌を出して唇をなめてやる。すると彼女も舌を出してくる。先っぽで、ゆっくりと、よく絡まるように歯の裏と舌を交互に触れていると、彼女はオレの舌を吸うように口に含み、途端にオレの自由を奪う。彼女はさらに強い力でぐいぐい吸おうとする。
少し鼻で息をするようにしてオレは考える。
ここはどこだ?
あれは遮光カーテンか?
外は日が出ている。
明かりが欲しい。
この女は誰だ?
息が苦しくてオレはもうやめてくれと言うように女の頬に手を当てる。
この女は誰だ?
女はさらに強い力でオレの舌を吸い続ける。
女のわき腹と思われる辺りの肉を掴み、笑わそうと思う。
女は笑わない。
淡々と、働き者の蜂が蜜を吸い続けるように、職業的義務感をもってオレの舌を吸い続ける。息が苦しい。
まったくの暗闇で、オレは舌を吸われている。この女は笑わない。
やがてオレは思い直す。
ここがどこかの居心地がいい部屋で、隣にいるのがひっかけてきた女だって?
悪いことが起きているのかもしれない。
もっとずっと悪いことが起きているのかもしれない。
暗闇の中で、オレには何もわからない。
それから気を失う。
さっきの記憶を引きずったまま目を覚ます。5秒?5分?そんなに経っているとは思えない。
今度は真っ先に腿に触れる感触に気がつく。那美だ。
夢か。
「那美?」
カーテンの穴から光が走り、壁にコイン大の模様を作っている。
隣の女がゆっくりと身を起こす。音でわかる。それからゆっくりと顔を近づけてくる。
オレを探しているのだ。
「那美?」
まずいな。
「明かりをつけてくれ」
オレは弱々しい声で懇願する。
首をつかまれる。物凄い力で抱き寄せられ、暗闇の中で何かが近づく気配だけがある。
夢じゃあなかったのか。
「那美」
「誰よ。その女?」と女が言う。
?
誰だこの女?
明かりが欲しい。
初対面の女の子と、なにか食べようか、てことになったとき、「牛丼が食べたい」と言われて、びっくりしたことがある。
そのころは、女子高生が吉野家へ行って、「牛丼、つゆだくで」と注文することが、話題になっていた。
彼女の説明によれば、ふだん女の子どうしでは、牛丼屋になんか入れない。
でも、なんだか話題になってるみたいだし、一度食べてみたかったんだそうだ。
「生卵のことはギョクって言うんだよ」
ぼくは、しょうもないことを自慢気に説明した。
牛肉をドンブリの片側に寄せて、ご飯がむきだしになったところに、紅しょうがをどっさりと乗せる。
紅しょうがで、ご飯を少しだけかきこみ、紅しょうががなくなると、生卵をかけて、すすりこむ。
そして、少なくなったごはんを、まだ残っている山盛りの牛肉で食べる。
彼女は、そんな食べかたを、未開人の風習でも見る文化人類学者のように観察していた。
彼女とは、牛丼を食べたり、ラーメンを食べたり、ゲーセンに入って脱衣マージャンをやったり、という感じで遊んだ。
女同士だとできないようなことを、リクエストされることが多かった。
ぼくたちは、男の本音と女の本音の話をよくした。
ぼくと彼女は、ずいぶん仲がよさそうに見えたらしいけど、けっきょく友だち以上にはならなかった。
彼女は、最初から、友だちモードに持ちこもう、としていたのかもしれない。
そして、ぼくから吸収できるものはすべて吸収していったのだ。
その後、彼女は、就職して一年目のときに、社内でもっとも人気の高い男をゲットして、結婚退職した。
彼女なら、きっと、うまくやるだろう。
ぼくは牛丼を食べるたびに、彼女のことを思いだした。
デフレになって、牛丼が280円になってからは、週に一回は食べるようになり、彼女のことを、よく思いだすようになった。
車検が来月に迫っている。今の車はもう五年も乗っているから、そろそろ買い換えたいと思った。免許取りたての頃、ぶつけてもいいやという気持ちで、中古の安い軽自動車を買った。さすがに十万キロ乗れば、こいつも満足だろう。思えば、こいつにはよく泣かされた。エンジンのかかりは悪いし、エアコンは壊れている、カーステは音とびする、ひどいもんだ。
俺は、とりあえず雑誌に目を通し、前から欲しかったミニバンを選んだ。「競合させて安く買いましょう」どれも同じ文句が並べられていた。俺はA社とB社に絞込み、さっそく見積もりを出してもらうことにした。
まずA社に行った。「うちは値引きありませんよ」強気な態度だった。いわゆるワンプライスってやつだ。ここからが腕の見せ所と思い、交渉を開始した。B社の見積もりを強調しながら交渉すれば、ちょうど決算期でもあるから、結構いけるのではないかと期待していた。
すると、担当者はそんなの屁でもないという顔で、得意気に答えた。
「うちのは、生産が追いつかないほどでしてね。申し訳ありませんが、ご期待に添えないようです」
パンフレットと名刺を渡し、用事があるからと退席してしまう。受付嬢がまさにコーヒーを出そうとする時である。「ごゆっくり」と言われたので、その通り最後まで飲み干した。その後、試乗もしてやった。
次にB社を訪れた。
「うちは値引きとかありません。この価格です」
車種を告げただけで、そう言われた。俺が希望するB社の売れ筋商品は、A社と同じように納車二ヶ月待ちだそうだ。競合もなにもあったものじゃない。始めから門前払いだ。俺は、担当者が笑顔で解説してくるのを、ただ頷きながら聞いていた。その顔に騙されそうになったが、知らぬ間にグレードの高い装備に変えられていて、とんでもない金額になっていた。慌てて保留にする。それでも笑顔の担当者が、何だか怖かった。
思い描いていたものと、どうも様子が違うようだ。雑誌に載っている成功者の美談はいったい何だろう。たまたまニュースを見たら、他業種が不況にもかかわらず、自動車販売は好調だという。何てタイミングが悪いのだろう。俺ならばうまく値切れると思っている全国の同志を、ふと哀れに思った。
さて、実際に俺は何を買ったかというと……。前と同じ型の軽を買った。よく考えたら、車庫に入らなかったのだ。俺は、こいつを乗り潰してやると、固く固く心に誓った。
「そういうことだったのね!」
「なんだよ 三郎、急に大きな声出して。」
「二郎兄さん、私 やっと わかったのよ。ねぇ、いいから聞いて。私達って 生まれた時から、ずっと3人この同じ体よねぇ。」
「なんだ 改まって。そんなの見りゃわかるだろう。昔のダンゴは一個づつ丸めて串に刺してたって話だが 今じゃ機械でガッチャンだわな。」
「その通り。つまりねぇ、私達は 3人の体が1つに くっついちゃったシャム双生児なのよ。」
「ソーセージ? 俺たちゃダンゴだろ。」
「ばかねぇ、腸詰めじゃなくて、3つ子の双生児よ。」
「んなことわかってら。まぁ 俺達 そんなもんかもなぁ。」
「でしょ。私はね、 私達3人は 一卵性のシャム双生児だと思ってたのよ。」
「シャムならそうじゃねぇのか。3つの体に別れるはずが、くっついて出てきたんだろう。」
「私もそう思ってた。でも兄さん達は 男で 私だけ女の子。もともと1つの体だったんだから3人とも男の筈なのに、自分が女だと思っている私は 頭がおかしいんだって思ってるんでしょ。」
「そうじゃねぇのか、お前は 生まれついてのオカマだろ。串を刺すときに変なとこ通しちまったもんだから。」
「私もそうかなって思ってたの、ウフ。でも そうじゃないのよ。」
「じゃ、何なんだ。」
「私たちは一卵性じゃなかったのよ。多卵性双生児として別々に生まれてくる筈だったのが、手違いで 私の体は兄さん達の体と くっついちゃったのよ。きっとそうよ。兄さん達の体と混ざっちゃったから 外見は 男の子になったけど、私は やっぱり女の子だったのよ。2人の兄さんと1人の私の体じゃ 割合的に男の方が強いものね。だから 私は女なんだわ。私は 正常なのよ!」
「変な理屈だな。てことはよ、この体には 男と女が...」
「おい、やかましいぞ、お前ら!」
「ひゃっ、一郎兄さん、起きてたの。」
「サブ、お前 さっきから なに 訳のわかんねぇ理屈こねてんだ。うるさくて寝られやしねぇ。二郎、サブの口にアンコ塗ったくって黙らせとけ。」
「わぁー、兄さん、私は女なのよ。やさしくじげぐぐでぐ....」
「この期におよんでなんだ、くだらねぇ。くたばれ、このオカマ!どうせ俺たちゃ もうすぐ 賞味期限切れで棄てられっちまうんだ。お前が 女だろうが オカマだろうがどうだっていいこったぃ!」
「イヤ。この店のおじさんは きっと 私を 別の箱に入れててもう一度お店に出してくれるわ。賞味期限なんてクソクラエよ!」
寒さに耐える小径の草が、低い陽光をほんのりと受けて、薄い狐色に輝きながら風に揺れている。
私が幼い頃に歩いた時と同じ。何も変わらない風景。今は懐かしいと感じるよりも、ただ淋しい風景に見えてしまう。家を飛出した頃の強情な私は、こんな風に此処を歩くなんて考えてもみなかったからだろう。
最後に父と一緒にここを歩いたのは、祖父の納骨の日だったろうか。
春の暖かな土手にはナズナとタンポポが所狭しと咲いていて、小さな田圃が淡い赤紫色に輝くと蓮華の甘い香りが広がった。お墓の周りを賑わう花々がとても綺麗で、幼い私は何も分からずに楽しんでいたのかも知れない。そんな中、お墓の横に植えられた椿だけは好きになれなかった。濃い緑色の葉っぱがやけに生々しく輝いて、私を近付けようとはしない感じがしたからだろう。父はそんな私の肩を抱き、微笑みながら何かを言った。
納骨を済ませたお墓の前で、祖父とのお別れをと父は私の両手を合わせた。その時の父の横顔は淋しそうにも見えたが、とても優しい顔だった。
(あの時父は何と言ったのだろう)
今となっては遠い記憶の底に沈められ、私一人では分からなくなってしまった。
「ママ、お爺ちゃんはココに住んでるの?」
不意に息子の握った手が下に引き寄せられた。私はその手を握り返すと軽く頷いた。
今度は紅い花を指差して「何の花?」と聞いてきた。
「椿って言うの。紅い花が綺麗ね」
そう言って、また私は父の言葉を考えた。
(椿が嫌いと言った私に向って父は何と言ったのだろう?)
「ツバキか、キレイだね。ほらあのアカイお花ママに似てる」
息子の言葉に私は驚いた。(似てるって?)そして、父の言葉が急に聞こえた。
『ユキ。お前もあの強情そうな葉に似ないで、紅い花の方に似るといいんだけどな』
……そう、父はそう言って笑ったのだ。
後ろから追いついた主人が私の肩に手を掛け、静かに黒い墓石を見ながら言った。
「とうとう身勝手な俺達を許してもらう事も出来なかったな……」
その主人の言葉に振り返りゆっくり微笑むと、もう一度椿を見つめた。
奇麗な緑色の葉を輝かせ、紅い花弁が微かに揺れている。その椿の下で三人一緒に並び、父の前に座った。
私は父の言葉を心の中でくり返した。
(……強情そうな葉に似ないで、紅い花の方に似るといい……)
「ほら、お爺ちゃんに、初めましてって。挨拶をしなさい」
そう言って、私は息子の小さな両手を合わせてあげた。
ここ2,3日はいろんなことが起きた。
昔小学生の頃飼っていた犬は「くろ」といった。もちろん黒いから「くろ」であって、黒い犬に「みどり」なんて名前をつけるほど気が利く人間でもない。朝起きてランドセルをしょって、いつものように裏手にいる「くろ」に挨拶してから学校に行こうと思い、犬小屋に近づいてみると、彼女は死んでいた。でも、最初は死んでいると全然思わなかったから何度か声をかけた。でも起きなかった。「よくねるんだねえ」といって両前足に触ったら凍りに触ったように冷たかった。僕の背中は固く凍った。そのとき初めてなんかおかしいと気がついた。
その日父が仕事から早く帰ってきて、僕が下校している途中で車に乗せてくれた。今思えばわざわざ通学路を車で走ってきてくれたのかもしれない。それで一緒に近くの河原へ「くろ」を連れて行って父が埋めるのを見ていた。最後に線香をあげた。
日曜日の朝、起きたら腕時計が止まっていた。4時20分35秒。去年兄夫婦の結婚式の時にもらった時計。時計が止まるのは本当に突発的で、なんとなく「くろ」のことを思い出した。
前の日までは元気だったのに。。
鏡の前に立つと、なんとなくいつもの偏頭痛がきそうな予感がした。大体目からくるのでコンタクトレンズにするのをやめ、めがねで大学に歌の練習に行った。
月曜には朝早く目がさめた。7時ごろ。そうしたら、なぜか知らないけどものすごい吐き気がした。頭がガンガンした。トイレに行って一度吐き、ベッドに戻ったがまたトイレに吐きに行った。結局、学校は休んだ。伴奏者がうちまで来てくれて水や食料なんかを買ってきてくれて、「どうやって作るのかわからない」なんていいながらおかゆも作ってくれた。今日一緒に演奏する予定だったヴァイオリンの人も薬を分けてくれ、一緒の下宿の人もスープを持ってきてくれた。
結局、昨日も熱は無かったものの胃が痛くて大変だった。レッスンがあったので学校に行った。結局そんなに歌えず、座っていろいろ話したりした。夜にはバイトにも行った。途中で頭が痛くなってきたけどお客さんが幸いにも少なくて何とかなった。店長に「少しあやしい」座薬をもらって少し早めに帰った。
その座薬を使って、今日目が覚めたら、治っていた。すっきり。なんだかすべてが夢のような二日間だった。何もしなかったような気もするし、何かしていたような気もする二日間だった。
その日は、いつもより早く目が覚めた。明るいのに夜みたいに静かで、とても寒い。
昨日から降っていた雪のせいだ。家族はまだ眠っていた。なんだか、世界を独り占めした王様みたいな気分だった。窓から顔を出すと、外は真っ白で、空気がビリビリと耳に聞こえない音をたてていた。
景色は、いつもとは全然違っていて、とてもきれいだった。
町中がこうなのかな、と思って、急いでオーバーを着込んだ。足が埋まってしまうだろうから、長靴も履いて。
友達の家もみんな真っ白だった。
誰もいないのに、道には車の跡と、散歩の人と犬の足跡だけはあるんだ。
王様としては、少しショックだったね。
犬の足跡をたどっていったら、近所の公園の前に出たんだ。
公園は、全く足跡がなかったんだよ。うれしくてモサモサと入っていったら、人がいるんだよ。公園のまんなかに横たわっていたんだ。僕は、びっくりしながら近づいた。
その人はとてもきれいで、肌はとても白くて、本で見た天使みたいだった。
揺すってみたら、その人はまぶしそうに目を開けた。
「あ…、死ねなかったんだ。」
その人が起きて、僕はうれしかった。一人きりではつまらなかったからね。
「ここで、なにしてたの?」
その人と目が合った。すごくきれいでびっくりした。自分の顔が赤くなっていくのがわかったよ。
「眠ってたんだ」
「寒くないの?」
「ちょっと寒いね」
どうして公園で眠るのか気になったけど、その人があんまりきれいだったから、見とれていたよ。
その人は、にっこり笑って、僕の頭をなでた。その手が冷たくて、本当に天使かもって思った。他の人とは全然違うんだ。
「風邪引くから、もう家に帰ろう」
僕は、その人と話がしてみたかったけど、つながれた手の冷たさに何も言えなかった。
公園がもっと広かったらよかったのに。
出口で、思い切って聴いた。
「また会える?」
「生きていたらね」
その人は、微笑んだ。
「『いきていたら』って、どうやったらわかるの?」
「冬なら簡単さ。息が白かったら、生きているってことだよ」
「じゃあ、僕らは生きているんだね」
「そうだよ」
その人は、手を放して、バイバイって僕に言った。
後ろ姿が見えなくなるまで、僕は立っていた。
それから一度も会えなかったよ。これが、僕の初恋さ。その人が、男か女かもわからない。
でも、生きているか、死んでいるかよりも、あの時は気が付けなかったあの人のつらさが、少しでも和らいでいればいいと思うよ。
「みきちゃん大好き!」
今日も3歳になる娘の元へ、幼稚園の男友達が毎日家へと遊びに来る。ある者は手に公園で取ったのであろう野草の束を持ち、ある者はおそらく幼稚園で作ったであろう切り絵の蝶を手に持っている。娘はいつも貰えるプレゼントはとりあえず受け取りはするのだが、あまり興味は無いらしく、すぐ私にまとめてどばっと渡すと、家の前にある公園へと走って行ってしまう。その後を男の子達は懸命に追い駆ける。何やら不思議な光景であるが、こうした冷たい所が男性諸氏に受けているのであろうか。
「僕大きくなったらみきちゃんと結婚するんだ!」
「そうすると、みきたんは一人っ子だから、もれなくおばさんがついてくるけどそれでもいいの?」
「???」
幼稚園年少の子供に内容が分かろう筈も無く、会話はいつもここで中断されてしまう。繰り返し、子供たちは貢物を持ってやって来る。毎日こんな事が繰り返されていたある日の出来事である。
「みき!けいすけ君が好き!」
娘が突如、言い寄ってくる男の子の輪から離れた子と遊び始めたのである。理由は私とその子のママが仲が良かった為、一緒にプールに出かけたり、遊園地に出かけたりと言った”普通とは違う楽しい出来事”が続いたからであろうか。しかし、理由を知らない他の男の子達は決してそれを黙っては居ない。
「みきちゃん!こっちでみんなで遊ぼうよ!その方が楽しいよ!」
「いやだ!みきはけいすけ君と遊ぶ」
今までチヤホヤされていた娘が、急に甲斐甲斐しく1歳年上の男の子の面倒を見ている。何か変だ・・・急に何が起こったのだろう・・・
「こっちでお砂遊びをしましょ!みきおいしいケーキ作ってあげるから」
娘は無理矢理けいすけ君の手を引っ張る。ちょっと嫌そうである。そして無理矢理誘う娘の言葉に返ってきた言葉はこうである。
「けいすけ、みきちゃんよりバッタの方が好き」
娘の手を振り払い、けいすけ君はバッタを捕りに虫取り網を振り回し、バイバイも言わず公園を出て行ってしまった。がっかりと涙を浮かべる娘。やれやれ、まだまだ恋愛なんて早いのに。
「けいすけくーんまってー。みきもバッタ手伝うからー」
瞬殺で振られても、まだ諦めきれないらしい。娘の初恋が終わるまで、十分かからなかった事は大人になってからも、ナイショにしておこう。
逃げる者をついつい追いかけてしまうのは小さい子供でも大人でも、早々変わらない事であるようです。
眠れない夜だった。
身体は疲れて重いのに、頭は働いていた。
何度も寝返りを打つのだけれど、どうやら私の目はまだ夢の世界を見たくないらしい。
無理矢理目を閉じようとすると、瞼の上がきりっと痛んだ。
まるで誰かに瞼の上を引っ張られ、目をつぶるのを妨げられているかの様。
諦めた私はベッドから起き上がって、スタンドに手を伸ばした。
オレンジ色の光が、闇に慣れた私の目を眩しく照らした。
目覚まし時計は8:00にセットしてあり、甲高い音が鳴り響くまであと6時間。
窓を開けると、微かに冬のにおいを含んだ冷たい夜風が部屋に舞い込んできた。
タバコに火をつけると、先っぽの灰がその風に吹かれて赤々と染まった。
苦い煙を一気に吸い込んでは吐き出す。
タバコというのはある種の覚醒作用があると思う。
苦い煙が全身を支配して、身体中のあらゆる神経を刺激するのだ。
おかげですっかり目が覚めてしまった。
眠れぬ夜を過ごすのは今日が初めてではない。
眠れないには眠れないなりに、それなりの理由があるものだ。
それなら無駄な抵抗はやめて諦めた方がいい。
草木も眠る丑三つ時。
そこ言葉通り、辺りは昼間の騒がしさを忘れさせるほどに静まり返っていた。
車のエンジン音も、人の話し声も、近所の犬が吠える音も聞こえない。
ダークな雲が半分の月を隠し、唯一電灯の明かりが辺りを薄暗く照らしていた。
こんな夜は嫌いではない。
私の五感すべてを通り抜け、その声は頭へと響く。
「もう会わない方がいい」
1週間前のことだった。
いつもの待ち合わせの喫茶店で言った私の言葉。
彼は何も言わずコーヒーを啜った。
そして一言。
「わかった」
そしてゆっくりと立ち上がり私のもとを去って行った。
こうなることはもう随分前からわかっていたことなのだ。
2人の距離が少しずつ広がって、気づいた時には私の視界に彼はいなかった。
きっと彼もそれを感じていたのだろう。
だから反論することもなく、私の言葉に従ったのだ。
辛くはなかった。
気持ちが離れたなら、別れは当然のことだ。
先が見えないまま進むことはできない。
でも私はどこかで期待していたのかもしれない。
別れを拒む彼を。
気が付くと私を取り巻くすべてのものが泣いていた。
そして私も泣いていた。
すべては過去なのだ。
彼を愛した現実も、彼が残さなかった傷跡も。
それが悲しいのだ。
すっかり短くなったタバコを灰皿に押し付け、またもう1本取り出して火をつける。
今夜はやはり眠れそうにない。
昇り始めた太陽が急激に沙漠を熱し始めた。
「ふぅ……」
ラクダに乗った男は、浅くためいきをついた。
地平線までほとんど草も木も見えない。ただ、岩や砂ばかりが続く。
布で覆われた男の顔には、雫になる前に乾いた汗が塩の結晶となって、付着していた。
「もう夜が明けたのか。町まで、後半日だってのに」
水筒に目を向ける。
(残りが一つ……半、あるかな)
羊の胃袋を乾燥させたそれには、山羊の乳が入っている。男の生命線と言える大切な水分だった。
彼はラクダの足元を見下ろす。
太陽が昇っていくに従って、自分たちの影はどんどん短く、濃くなっていく。これ以上歩いても、ほとんど進めずに体力が消耗していくだけに違いない。
「……仕方ない、ここで昼を切り抜けるか」
男はラクダから降り、そこにテントを張った。
テントの中で、男は横になる。
疲れと日陰の涼しさが眠気を誘う筈だったが、頭の中は目と鼻の先にある町の事を考えてばかりで、全く寝つけない。
(ええい!)
ぎゅっと目を閉じる。
寝返りを一つ。
二つ。
三つ。
いくつも寝返りを繰り返した後、彼は目を開けた。テントの端をたくし上げ、太陽の高さを確認する。
「思ったよりは時間が経ったな。そろそろいいか……」
男は出来る限りゆっくりと、傍らに置いた水筒に手を伸ばした。
まだ充分に重みのある水筒の中で、水音がする。
これと、もう一本手つかずの水筒がある。行程がもう一日伸びてもどうにかなりそうな余裕はあった。
ごくっ。
反射的に起こった唾液を飲み込む動作が、乾燥した喉にひりひりとした痛みを感じさせる。
男は慎重に水筒の蓋を外し、口を付けた。
湯の様な温度の乳も、乾ききった口には冷たい湧き水に等しい。
「!?」
水筒に口を付けたまま、男は目を見開く。
乳の濃厚な味を期待した舌は、見事に裏切られた。
乳はまるで水のように、味もそっけもなかった。いや、水筒から流れ出したのは、正しくただの真水だった。
口に含んだ水をゆっくりと飲み込んだ後、彼は水筒を覗き込む。
暗くて分かり難かったが、水筒の底には何か、白い塊が溜まっていた。
「……またか」
彼は溜息をついた。
「まあ、水は飲めたから良しとするか」
それから男は、日暮れを待った後、テントをたたむと再び旅路を進んで行った。
投げ捨てた水筒を振り返りもせず。
――それは、世界で最初のチーズが発明される、二〇〇年前の出来事であった。
冬の暗い道。僕は街灯に照らされ一人で歩きながら考えていた。何も無い暗い世界の中に街灯の光だけが綺麗に並んで伸びている。その光をじっと眺めながら僕は歩いていた。
十八年間、周りに合わせてきた、自分を作ってまで……。どこかで持っていた疑問も、心の中の叫びも、無視できた。刺激の多い生活の中で、すぐに消えてくれたから。
でも周りの表面的なイザコザに直面して、心が疲れて、作っている自分が酷く滑稽に、カッコ悪く見え出した。いつの間にか心の中の叫びが無視できなくなっていた。生きている事の意味やリアルな自分について自問自答を繰り返す日々、それを僕はくだらないユメに乗せた。価値観は逆転し、今までの自分は全否定された。
そんな時、一人の大切な人に出会う。彼女には本気で好きな人がいた。でもそいつに遊ばれていた。それが分かって彼女は酷く落ち込み、そして、僕に助けを求めてくる。
あの頃、僕らはお互いにボロボロで、何故か色んな感情が重なって見えた。彼女は彼に対しての、そして僕は自分に対しての。どんなに明らかな現実でも心では認められない感情が……。
僕らはお互いを必要としていた。
でも僕は現実にぶつかる。その中の小さな自分を見る。どんなに心を開放しても、何の意味もないという虚無感や、この現実の中で生きていく恐怖から、僕の心は逃げてしまった。そして作っている自分がまた勢力を強くしていくかのように、本音とは違う言葉を繰り返す様になった。
すべてが、幻だったかのように、脆くも消えていった……。
そして出会った。正反対に、ホントの心を見せない人に。表面だけの付き合いを好む人に。でもそんな感じが今の僕には合っていた。
それはあの子との関係や、探そうとしていた自分自身の夢に対して僕は目を瞑っていて、どこかでこんな無意味な関係を求めていたから。その方がこの現実で生きていきやすいから。そして傷つかないから。でも、途方も無い疑問が消えない。
こんな人生何か意味があるのか? 確かに感情には変化がある。そして自分自身にも。現実には街灯の光しかなくても、心の中には色んな思いや、色んなストーリーが浮かぶ。
でも自分が逃げているのか、向かっているのか、そして自分の感情でさえもホントは分かってない。誰を必要としているのか、そしてされているのか。今の自分は何なのか?
分からない。
でも、僕は歩いていく、今日も意味を探して。
青。青。
青だった。
ブオオ。
時速80キロの景色。車の窓から見える空は青くて、何処までも青くて。
青くて。
それであたし達は久しぶりに空が青いことを思い出したのだった。
「青いね」
薫が言う。
「うん」
空に手をかざしあたしは答える。
「うん。青いね」
かざした手は赤だ。真っ赤な血に赤だ。
「青いね」
青。そして赤。気持ちの悪いくらいはっきりとしたコントラスト。いかにもな罪と罰。
罪。罰。
(君は本校の誇りだ)
(あなたはママの宝だわ)
(でもね。でもね先生。でもねパパ。ママ。窒息しそうなの。あたし窒息しそうなの)
「ねえ、ラジオつけて良い?」
助手席の薫がこっちを向く。黒い瞳が眩しい。
「良いよ」
薫は細い指でちょこんとスイッチを押した。ラジオからノイズ混じりのロックが流れ出す。
ロック。世界で一番陳腐な音楽。世界で一番悲しい音楽。嘘と孤独と安っぽさと無力を混ぜ合わせたそれは決して発火点に到達出来ずに、空中でばらばらになって消えていく。
あたし達の罪。あたし達の罰。あたし達の孤独。あたし達の理由。
「ねえ、ねえ薫」
あたし達は寂しくて。だからあたし達は嘘ばかりで。
「あたし達はさ」
本当の事なんて何も解らなくて。
「あたし達は間違っているのかな」
自由なんて言われても何処に行って良いのかさえ知らなくて。
「さあ、知らない。間違ってるかもね」
そう静かに答えてこっちを向く薫。黒い瞳が綺麗で。どうしようもなく綺麗で。
「でもさ」
泣ける程綺麗で。
「でも間に合ったじゃない。あたし達は間に合ったじゃない」
近づいてくる薫の唇。
あたしはアクセルを踏み込む。エンジンが唸りをあげる。さらに践む。もっと早く。もっと早く。ロックになんかに追いつかれない位に早く早く速く。
(罪も罰も知らない。だって生きてるのだもの。あたし達は生きてるのだもの)
ノイズだらけのカーラジオが鳴る。その悲しい音を、存在そのもののように悲しく綺麗な音を聞きながら、あたし達は初めての口づけを交わした。
パトカーを蹴散らして、検問を蹴散らして、そして気が付くと目の前は壁だった。白い巨大な壁だった。
壁は凄い勢いでこちらに迫ってきた。その壁の向こうにあたしは色々な、そう、色々な、あたしが、あたし達が無くしてしまったモノが在るような気がして、あたし達が行きたい場所が在るような気がして。
だからあたしは強く、強く強く強くアクセルを踏み込んだ。
強い雨と風が叩きつける丘の上の小さな家。
食事の用意をしながらおじいさんの帰りを待つ。
おばあさんの姿を揺れるランプがぼんやり照らす。
「ばあさん大変だ。じいさんが川で怪我をした」
帰ってきたおじいさんは動かない。
村長のところの息子兄弟に両肩を支えられたまま。
その後ろで小さな女の子が母親にしがみついて泣いている。
みんながみんなずぶ濡れのまま。
おばあさんがタオルを配る。
「誰かおじいさんの体を拭いてやってくれんかね」
村長の息子たちがベッドに横たわるおじいさんの体を拭くと、
そのタオルが赤く染まった。
若い命の代わりに受けたおじいさんの傷は
あまりにも深い。
「川辺に土嚢をつんどるときに、じいさんが女の子が川に落ちたのに気付いて飛び込んだんだ。あっという間に捕まえて川岸へ戻って来たが、もう少しのところで流木が襲ってきて…」
誰も何も言えない。
重い空気の中で女の子の泣き声だけが時を刻む。
「なにか、腹が減ったな」
唐突に誰かが口を開いた。
それはおじいさんだった。
元気そうな声とは裏腹に体が震え顔に血の気はない。
皆の驚きが悲しみへと変わる。
「はいはい、大好物のスープが出来てますからね」
答えたのはおばあさん。
今まで何度も答えたのと
きっと同じ言葉で。
「おお、あのスープがあるのか。こいつはうれしい。そうだ、沈んだ顔で寒そうにしているこの連中にも出しておやり」
いくつもの涙が床に落ちる。
「ごめんなさい。っく、おじいちゃん、ごめんなさい」
「これこれ、いつまでも泣いとるんじゃない」
そう言うおじいさんにおばあさんはスープを差し出す。
女の子にも、それから皆に。
「うまい、最高じゃ。ほれ、泣いてないでちょっと食べてみろ」
そう促すおじいさんに、女の子はスープに口を付けた。
それは美味しいスープだった。
女の子の涙が止まった。
皆が口を付けた。
その美味しさに誰の顔からも思わず悲しみが消えた。
「もう泣くことはない。それよりこのスープは美味しいかい?」
女の子が小さく頷く。
「そうか。美味しいと思えるのは、生きている喜びの一つだ。わしの為に泣いてくれるのは嬉しいが、一つわしのお願いを聞いておくれ。いいかい、後からおばあさんに作り方を習って、この美味しいスープをいつか困っている誰かの為に作っておやり。きっとその涙を止めるだろうから」
皆の涙が止まった後
一人だけ一粒の涙を流したおばあさんに
唇だけで何かを言うと
おじいさんは目を閉じた。
僕は死体だ。名前はもう無い。冷たい床に横たわっている。本当はもう生体ではないから、熱いも冷たいも感じないはずだが、長年生きてきた余韻のようなもので、かなりのところを感じる。
しかし、生前の記憶といったような確かなものは先ほど霊が、その他資料と一緒に取りまとめて持っていってしまった。つまり、停電時の電化製品のようなもので、自発的に動いたり、確かなところを感じたりすることはもう出来ない。
それぞれの事情によって異なるが、死体でいる期間は二、三日から長くて一週間くらいのものだ。死体はその儚さが美しい。雪山の遭難やひとり暮しのご老人等の場合は、かなり長い間死体でいなくちゃならないし、木乃伊になんかされた日にゃあ、生きてる時間の何十倍も死体でい続けなくちゃならない。考えただけでも気が遠くなる。
死体といえども無機物に違いないから、他の物質、例えば岩石とか紙片とかと比較すると、その物質であり続ける期間は極端に短い。しかし、まっとうな物質にはそれなりの心構えがあり、性根を据えて物質であり続けているので、比較にはならない。そういった意味では、煙と灰になり、土に返ったとしても物質であり続けるという論理も成立する。
とにかく、死体には何もできないし、ちょっと外出するのでも人様の手を煩わすし、見た目も悪いし、疎んじられるので、やはり一週間前後で本当に死んだことを認識してもらって、別れの儀式を済ませてもらって、消滅する方がよさそうだ。
などと考えていると、どうも周りが騒がしい。パチ、ガシャガシャ。どうやら写真を撮っているようだ。男達が寄ってたかって、写真の次はテープで輪郭を印している。白い手袋でやたらに触られて、白い粉までかけられた。どうやら僕は他殺体のようだ。少なくとも変死体には違いない。これは少々厄介なことになった。騒動が収まると僕は白い布を被せられ、担架で運ばれた。そして車で。
生体の時には体験したこともないような手荒な手法で手術を受け、お腹の中に防腐剤と新聞紙が詰められた後は、静かで冷たい霊安室に納まった。顔から胴から二十数ヶ所メッタ突きだったと漏れ聞いた。きっと怨恨の線だろう。
それからずっと時間がたって、僕はまだ死体のままだ。死体としてはベテランになり、立派な名前もつけられた。「身元不明刺殺体・発見場所都内某所」杓子定規で長い名前だが気に入っている。捜査本部も今月末で解散だ。
冒険というものはこのターザンとは無縁である。
ターザンはジャングルに何十年も棲んでいて、自分が何者であるかを知らない。もちろん、人間というものを見たこともないので人間であることも忘れている。ただ猿でないことだけは、薄々気づいている。
ところで、有名なハリウッド映画の「ターザン」の名誉のために断っておくが、この物語の主人公とは同じ境遇、同名であるというだけで、いっさいの関係はない。面倒な盗作はやらない。
それでもターザンは生きている。存在を問われることもなく、けなげに、ただのんびりと。そこにはまったく、想像のロマンもない。ターザンは愚鈍であって、人間社会とは交渉のない世界をこれで生き抜くのが、今回作者のちょっとしたアジである。
ある日で始まる午後のこと。ターザンはいつものようにゴリラと同じほどの、人間ばなれしたものすごい量のエサを食べた。それはまったく時間の感覚のないターザンが、えんえんと食べ続けるから、そうなるのだ。最近、ターザンはチンパンジーより(もちろん、チータなどと名づける知恵もないので、それとは「他人」である)ゴリラの方と仲が良いので、なんとなく満たされた気分をドラミングで表現してみようと思う。
「ドッコ、ドッコ、ドッコ・・・、ぶっ!」
むせてしまい、変な汁がでた。ターザンは泣いた。泣いたのではない、涙が出た。とてもつらいと感じた。こんな時ふと、人間に帰ったかのように遠い目をして、空を見上げているのが哀れ寂しげである。空はのっぺりとしていた。太陽だけがギザギザとした痛さがあった。なんか感激してきたので、「ンッロオオ」と奇声を発した。決して密林の王に目覚めたわけではない。
ターザンは裸足でそこらじゅうを、猛烈に走った。まったくの暴走である。驚いた不思議な色の鳥たちが、いっせいに鳴き狂った。はばたく羽の音に、ターザンはより一層興奮してきたが、人間の限界を超えるはるかな速度で走ったので、息が続かなくなった。その場にぶっ倒れて、気を失った。辺りはだいぶ影になってきた。
「ターザン、おいしっかりしろ」
遠くのほうで声がした。いや、
「ターザン、しっかりして」だったかもしれない。
とにかくそれは、とおくの遠くの、ずぅっと遠くで聞いたような気がした。
平成十四年一月三十一日
またフラれたよ、
あの子だよ、ほら、
ペン貸してくれた女の子。
「はい、どうぞ」なんて快く貸してくれるもんだからさ、
てっきりオレに気があるのかと思ったよ。
これで何連敗だ……
覚えてないや。
まぁ適当に座って、
座布団にしみ?コーラだよ、
拭くの面倒でさ。
先月も、バイトの子にフラれたんだよね、
あれだってひどい話でさ、
10分休憩が二日連続で一緒だったんだよ。
彼女が意識的にやったんだよ、
って思った。
だのにさ、えっ勘違いしないで、
だって。
ついてないよな。
腹減った?カップヌードルあるよ、いる?
そう、なら五十五円ね。
当たり前でしょ、ただじゃないんだから、
いや今ちょうだいよ、忘れちゃうから。
出血大サービスで消費税分まけてやってんだからさ。
……えっ?借りた金?もうちょい待って、再来月には払うからさ、
いいじゃん、ケチケチすんなよ、
ケチケチすんなよ、いいじゃん、
二千円くらい。
……分かったよ、カップヌードルただでいいよ。チェッ。
えっ?そうね、太った。
実家帰ったとき計ったら、
去年より八キロ増。
えっ?入会する気ないね、
金ないし運動嫌いだし、
忙しいし。
バイトとかゲームとか。
それよりさ、
かわいいだろ、その女の子、
等身大ポスター、超レアもんだぜ。
わざわざ取り寄せたからね、
原宿のあの店。そう、竹下通りの。
今年くるね、その子。
えっ?今度誰が脱退するかって?
知らない。つうか興味ない。
オレ、メジャーなのには興味ないんだ。
そう。まだ露出の少ない子探すのが好き。
あ、なんかオレもカップ麺食いたくなってきた。
これで九日連続、
さすがに飽きてきたな、
明日は吉牛にしよ。
あーぁ、誰かメシ作ってくんないかな。
ゲーム?いいね、やろう。
悪いけどオレ超強いよ、
月曜の朝から今日まで、
コンビニ行く以外ずっと家にいてやってっからね、
風呂も入らずにぶっ通しで。
えっ?さぼった、さぼった。
仮病。いや、親戚の葬式かな……。
店長うざい、マジで、
年下のくせにオレのこと呼び捨てだし。
正社員?メンドくさい。
フリーターがいいよ、
楽だし、責任感ないし、いつでも辞めれるし。
……まぁ金はないけどさ。
えっ、競馬新聞?あるよ、そこらへん、
そのコンビニの袋の中……、
ない?じゃぁ、その缶コーヒーの下は?
あったでしょ。
えっ?
あ、適当に拭いといて、
苦手なんだよね、
そうじとか片づけ。
誰かしてくんないかな……
なんでオレ彼女できないんだろ。
顔も性格もふつうなのに……。