←前 次→

第36回1000字小説バトル Entry18

異邦人

 レースのカーテンがふわりと膨らみ、ベッドで眠る我が子の頬を晩春の風が撫でた。
 その風に嫉妬して、私は家事の手を休め、ベッドに近づき彼の頬にキスをする。

 室内は陽の光に満たされ、全ての物が白いフィルターをかけたように明るく輝いている。
 私は、ぐるりと部屋を見回してみた。

 CDラックに置かれたぬいぐるみ。
 ダブルベッドに、畳み掛けの洗濯物。
 最近開いていないノートパソコン。
 クリーニングからあがってきて、そのまま壁にかけっ放しの春物のコート。
 どれだけ売っても譲っても何故か増えていく文庫本たち。
 ウサギの可愛らしい絵が描かれた歩行器。
 60℃で保温されているジャーポット。
 夫が買った、私は使い方を知らないエスプレッソメーカー。

 私たちの物に加えて、この子のために揃えた物も多い。
 引っ越してきた時は広く見えたこの8畳間も、ずいぶんと物が増えた。

 いやいや。子供がいるのだから、これからもっと、どんどん増えてゆくのだろう。
 元来掃除があまり好きではない私は、心の中で小さくため息をついた。


 ふと、考えたことがあった。
 もう一度、室内を見回してみる。


 この家には、いったいいくつの「物」があるのだろう。何百?いや、下手をしたら何千という数かも知れない。
 でも、私たち大人は、それら全ての物の名前と使い方を知っている。だから、これだけ色んな物に囲まれても、別に圧倒される事は無い。

 もし。もしもの話で。

 ある日突然UFOに連れ去られて、全然知らないどこかの星に連れて行かれたとする。
 宇宙人の家に案内されたとしても、目に入る物でその名前と用途を知っている物は、何一つとして無いのだ。
 そんな世界を旅するのは、いったいどんな気分だろう。
 好奇心などどこかに吹っ飛んでしまい、心細さと恐怖に襲われるのでは無かろうか。


 彼が寝返りをうち、タオルケットから白い足が覗いた。
 汗をかいていないか確認し、タオルケットを直す。

 物心ついた時からずっと、私たちは色んな物を知り、色んな事を覚えてきたのだ。
 何にも出来ない私、なんて思っていたけれど、この世で生きるために必要な最低限のことは、ずっと覚えながらここまで来たのだ。
 そうやって考えると、大袈裟かも知れないけれど、自分という存在が少しだけ誇らしく思えた。

「そうね。先は長いけれど、あなたも頑張ってね」

 小さな異邦の旅人に、私はもう一度キスをした。

←前 次→

QBOOKS