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1000字小説バトル

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1000字小説バトル
第63回バトル 作品

参加作品一覧

(2004年 10月)
文字数
1
小笠原寿夫
1000
2
君島恒星
1000
3
立花聡
1000
4
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
5
左右田紗葵
1000
6
ごんぱち
1000
7
早透 光
1000
8
うちゃたん
1000
9
のぼりん
662
10
柳 戒人
1001
11
朧冶こうじ
1051
12
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
13
柄本俊
1000
14
ながしろばんり
1000
15
キッチンドランカー
937
16
南那津
1000
17
アナトー・シキソ
1000
18
越冬こあら
1000
19
日向さち
1000
20
伊勢 湊
1000
21
るるるぶ☆どっぐちゃん
1000
22
橘内 潤
938

結果発表

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Entry1
温泉
小笠原寿夫

女将は割と美人だった。
女将「いらっしゃいませ~。」
調査員「失礼ですが、お宅の旅館の温泉に入浴剤混入の疑惑がかかっておりますので、少し調べさせて戴きます。ご主人はお出ででしょうか。」
女将「亭主はちょっと用足しに出ておりますの。宜しければ私がお伺いいたしますが。」
調査員「それでは、上がらせて戴きます。」
女将「どうぞ、お進み下さいませ~。」
玄関を入って、広い廊下を抜ける途中に調査員は、チラッと大広間を見た。男湯の暖簾をくぐると、山間に大きな露天風呂が顔を出した。その時まず調査員の目に飛び込んできたものは、桐で出来た細長い看板だった。

・成分 濃硫酸(原液)
・効能 リュウマチ、腰痛、トラウマ
・注意 強酸ですので、入られますと命に関わります

調査員「何ですか、これは?」
女将「うちの旅館、自慢の露天風呂でございます。」
調査員「いやいや、濃硫酸って・・・。危険ですから。」
女将「うちの裏庭から湧き出してきましたの。」
調査員「・・・注ぎ足したでしょ。」
女将「いえ、湧いてきましたの。」
調査員「濃硫酸が地中から湧き出す訳ないでしょ。第一、命に関わりますって・・・。」
女将「純粋な温泉でございます。phも規定量を下回っておりますし。」
女将はきっぱりそう言い放った。
女将「ご入浴なさいますか?」
調査員「いえいえ、結構です。とにかくもう一度、専門家と話し合った上で、再調査させて戴きますので。」
女将の顔つきが少し変わった。
女将「そんなことよりご亭主?」
調査員「はい。」
女将「あっちで、もっと気持ちいいことなさいません?」
調査員「気持ちいいこと、とおっしゃいますと?」
女将「お分かりでしょ?」
調査員「いえ、こっちも公務で来ておりますから、そういったことは・・・。」
女将「この際、温泉のことなんかどうでもいいじゃありませんか。」
調査員「困ります、奥さん。」
女将「あちらの大広間に布団をご用意しておりますので。」
調査員は、まんざらでもない顔をした。
調査員「ご主人は何時ごろお戻りですか?」
女将「あいにく今日は出張に出ておりまして・・・。」
調査員は唾を飲み込んだ。
調査員「そういうことでしたら、私どもも目を瞑りますが。」
女将「さぁさ、ご亭主?どうぞどうぞどうぞ~。」
そして、二人は温泉を出て、大広間の方へ向かい、襖を閉めた。
たまたま、そこへ帰ってきた気弱な亭主が、一部始終を見ていて、先ほどの温泉にゆっくり入っていったという。
温泉 小笠原寿夫

Entry2
秘境の巫女
君島恒星

 彼から突然の、帰郷するという電話。
 この村から出て行ったら、二度と逢えない。そんな予感が全身を襲った。
 神社の巫女の衣装を脱いで、彼の泊まっていた旅館に急いで行ったが、出発した後だった。彼の車は山を迂回する道を走るはず。わたしは道具を握りしめ、山道を走って降りた。
 ひと夏の思い出を胸に抱きながら…

 夏の初めに、彼はやってきた。
 この村には小さな「根治の湯」という温泉がある。その温泉の効用が週刊誌で騒がれてからというもの、有名になった。ストレスからの解放の効果がある。今日も週刊誌の取材があった。週刊誌が狙っていたのは温泉だけでなく、行方不明者がでるので、秘境「根治の湯」と失踪がテーマだと聞いていた。「根治の湯」の湯元に消えていった旅行客というわけだ。その失踪者の生命の源が温泉の効用になっているなどと、在りもしないことを書く週刊誌もあった。
 この村には、年寄りしかいない。若いのは、わたしくらいなものだ。村を出た同級生たちに、早くこんな村から出ろと言われるが、わたしは出たくはない。だって、村に祭られている神社の巫女なのだもの…

 山の斜面を転がるように走って下りた。
 山を横断して、通り道で待つ。
 車がゆっくりと走ってきた。彼はわたしを見つけて、驚いた顔をした。
「どうしたの? そんなに汗をかいて…」
「行くの?」
「ああ、取材とバカンスは終わりだ」
 バカンス? わたしはバカンス?
 車から身を出した彼の前に立ち、彼めがけて握りしめていた小太刀を振り降ろす。首筋にサクッと入り込んだ。血が噴き出す。
 彼の取材テーマは、「秘境にある二度と戻れない村」…そう、それはここよ。
 いままで何人の人を殺したか。
 好きになった男もいた。
 嫉妬した女もいた。
 すぐに好きになるのはわたしの癖?
 大丈夫、今回も村の老人たちが、全部片付けてくれるはずよ。
 どこからともなく、近所の老人たちが集まってきた。
「また、派手にやって…でも、安心しろ、証拠は残さんからな」
 老人たちは、年に似合わないキビキビした動きで、死体を片付けてしまった。
「あんたは、自由にしてろ。なんせ、この村の巫女なんだから」

「秘境の湯と美人巫女」という記事が載った週刊誌が、書店を飾ったのはそれから少したってからだった。
 新しい観光客が、やってくる。
 村の老人たちは、観光地になると喜んでいた。
 新しい男ができるかしら…わたしは舌なめずりをした。
秘境の巫女 君島恒星

Entry3
車窓
立花聡

 西向きの列車に揺られている。南から、正午を過ぎた陽光が眩しい。ちょうど尾道にさしかかったころである。車窓には堤防ひとつを挟んで海が広がっている。彼方に瀬戸内の島々が浮かんでいる。輪郭は靄がかって朧げであった。
 話し声はきこえなくなった。対面の声を張り上げていた若い四人組はひとりを残して眠ってしまっていた。隣の老婆は、もう三十分も動く気配を見せていない。私は手に本を持ったまま、海を向いていた。
 短いトンネルに列車は差し掛かる。暗闇に窓は鏡となって私の顔をうつした。顔が父と似てきていた。微細な近似を計ろうと目を凝らすと再び海となった。差し込んだ光に目眩を感じ瞼を閉じた。ぼんやりとした光りの残像が頭に焼き付いていた。
 私は広島に帰郷しているのだった。このあたりまで近づくと、急に皆が恋しくなる。もう何年も、会っていない友人たちが気にかかる。元気だろうかと、頭を過る。長年ふしぎであった。どうして普段は考えもしない皆の安全を祈るのか。
 あたりは再びトンネルとなった。また父の顔を思った。明るみの気配を感じて目を閉じた。瞼の上に暖かな気配を感じた。私とも父ともつかない顔が幻像となっていた。突然、父の鮮明な顔が思いつき、次いで閃いた。
 厚ぼったい潮の空気が私に連想させるのだ。私の街の気配を、そしてそこでの記憶を。いや、それだけではあるまい。向こうでのつながりを私は惜しんでいるのだ。ふらふらと飛び回る私を広島へと呼び止める錨が減って行くことがたまらないのだと気が付いた。それで当地へ近づくほどに指折り、回想しているのだ。
 まことに小さな閃きであった。私は閃きが、似合わず感傷的だったので、恥ずかしくなり顔を伏せた。頬が弛む。
 緩やかに太陽はまた少し傾斜していた。海は遠のいて、鄙びた街並に変わっている。死んでいる様だった老婆がごそごそ動きだし、手提げの袋のなかをまさぐっていた。眠りに入っていた集団も目を覚ましたようで、話し声が耳に入ってくる。私も本を開いた。
 列車はかすかに北に曲がったようであった。頭上の扇風機が頁を揺らす。私は指先でそれを引き止めた。日焼けしたその頁はもう後が少ない。
 車掌が「糸崎」と告げた。老婆は荷物をまとめ終わったようで、膝にちょこんとそれを乗せた。向かいは話に花が咲いていた。笑い声がする。私の降りる駅はまだ先だ。しかし、次で降りようと思う。急に煙草がすいたくなった。
車窓 立花聡

Entry4

(本作品は掲載を終了しました)

Entry5
ハナノキミ
左右田紗葵

 無理やり創り出したような美しさのすがたのその人は、眠る前の私に大輪の花を持ってきてくれる。ことばのないその時間は、明かりもないのに色鮮やかに残る。
 一輪の花は、わあ綺麗と眺めているうちはそこにある。うっかり寝てしまい目が覚めると、花は、しっとりした皮膚のような花びらの感触、冷えた茎の温度をこの手に残して消える。赤紫のグラデーションや、透けるような白桃色も消える。花を見ていたいがために、夜中の三時すぎまで起きていたこともある。最近は、二時前にはあきらめて眠っている。次の花を望んで。

 花のために、学校に行くと寝不足で、授業を聞いているつもりがいつからか熟睡してしまう。先生方に申し訳ないとは思うのだが、本能的なものでとまらない。
今日こそは眠らないと思いながら――眠りの淵で足を踏みはずす。落ちる。

 授業中、浅い眠りで夢を見る。夢のなかにいるのは、君。花を持つ君。現実で会ってみたい。どうして私のところに来るのだろうか。不細工な私に贈るには不釣合いな美しい花を携えて。
 うつくしすぎる花。何か不吉な暗示でもあるのだろうか。もしかしたら、あの花の1本1本が私の命で、受け取るたびに、花が闇に消えていくたびに私の寿命は減っていくのかもしれない。彼は死神なのかもしれない。妄想に飲み込まれながら、私は今夜も花を受け取るに違いない。
 美しい花とともに、恐ろしいほど慈愛に満ちた微笑みも贈られる。あの人に、会いたいと思ってはいけない。根拠もないのにそれが確かだとわかる。花の君よ、何時か現れてはくれまいか。ここに。あなただけは仲間のような気がする。多様な前世で単細胞生物だったころ、二つに分かれた片割れだった気がする。――色気のない言い方だ。でも、そんな気がしました。花の君。
 
 学校が終わったけど、家に帰りたくない。ポマードと香水と消化しきれないアルコールの臭いに満ちた電車に乗って帰るなんて。でも保護される身の私は帰らなければいけない。

どうせ帰るなら、君の元へ帰りたい。
花の君。名前はなんと仰るのですか。

 電車の中で会えはしませんか。花の君。プラットホームのはしに立っていてくれるだけでもかまいません。電車で目の前にいてくれると、なおうれしい。

 
 帰宅。着替え。夕飯。お風呂。就寝。君を待つ。

 今日も私はあなたのことを何も聞かない。微笑む貴方が花を差し出してくれる。受け取る。それだけが私たちのすべて。
ハナノキミ 左右田紗葵

Entry6
ミッシング・スクリュー
ごんぱち

 きちんと敷けてもいない布団の上で、多分昨日と同じ形のまま、あたしは目を開いた。
 腫れぼったい目をこすろうと手を動かした手に、
 ひやり。
 何か小さな、冷たい、硬いもの。
 掴んでみると、ネジだった。
 短くて、頭が大きめで、先が少し尖っているネジだった。錆びてはいないけれど、ピカピカでもない。
 ネジを見つめる。
 ネジに集中すれば、思い出す事もない。
 視覚を塞いで。
 ネジ。
 触覚を支配せよ。
 ネジ。
 思考を染めて。
 ネジ。
 でもその形が、何だかあの人とダブって。
 冷たい硬さが、拒絶の象徴みたいで。
 抜けてしまったネジは、その意味付けから、ふられ女みたいで。
 あたしみたいで。
 受けるネジ穴がなければ、何の役目もない、意味もない、砂利の代わりにもならない、ただの金属片。
 点字で、何もない紙に、たった一つの点があった場合、それが何を表すかは、誰も分からないってさ。
 仮名であれば、それが音を表せるけれど。
 漢字であれば、名詞や動詞や、幾通りもの音や、意味を表せるけど。
 梵字であれば、宗教的真理まで語れるかも知れないけど。
 一点の点字。
 一本のネジ。
 一本では、何も出来ない。価値がない。在る意味が……ない。

 ――トントン。

『ももちゃん、朝ご飯出来たわよぉ』
「食べたくない」
 ドアが開いて、姉が入って来た。
「食べれば食欲も出るわよ」
 姉は、いつもにこにこ笑う。
「あら?」
 ひょいとあたしの手から、断りもなくネジを取り上げた。
「なかなか良い形ね」
 姉は、ネジの細い方を持って回転を付け、ひょいと投げた。
 ネジはコマみたいに、机の上で、少し首を振りながら回り始める。
 ――ネジ改めコマは、
 回って。
 回って。
 回って。
 それから、
 ゆっくりと回転をゆるめ、首を振りはじめ、最後には倒れて止まった。
 あたしはじっと姉を見つめていた。
 このひとは、いつもそーだ。
 仮にネジの重心が狂ってて、全然回らなくっても、何かまた、別の面白味を見つけるのだろう。
「ああ、これ、電気スタンドのネジね」
 姉は、ネジを電気スタンドの首の部分にねじ込んだ。事も無げに。
「さあ、朝ご飯冷めちゃうわよぉ」
「はいはい」
「『はい』は三回!」
「はいはいはーい」
 悲しい気持ちが消えた訳じゃなかったけど、おなかは、ちょっと空いて来た。
 背中にぎゅっと抱きついて『ありがとう』とか言ったら、多分おねーちゃんはすごく喜ぶだろうから、絶対やらない。
ミッシング・スクリュー ごんぱち

Entry7
白い網棚
早透 光

――午前八時四十分
 車窓に映る景色がグレーに流れていく。
(あの日の朝も晴れていたわね……)
 息子を抱いて私はあの日と同じ電車に乗る。普段は混雑をした車内なのだろう。でも今日は特別な日だった。

 あの日の前夜。主人の帰りが遅く、食事を済ませた私は小さな息子を寝かし付けると主人の帰りを待ち続けた。
『遅かったわね。あら靴が泥で汚れてるわ』
『いやね、お得意さんがうちの現場で車を溝にはめちゃって、出すのを手伝ったら食事でもって言うからさ』
 少し焦った感じの主人に、ちょっと意地悪で言ってみた。
『そのお得意さんて男の人、女の人?』
『えっ、ああ女性だけど、でも何で?』
『だってさー楽しかったって顔してるよ。その人巨乳でしょ!』
『な、何言ってるんだ。ばか』

 ちょっとした冗談。下らない嫉妬だった。

 翌朝、私は意識的に寝坊をした。
 主人は私が起さなければ起きれないほど朝が弱い。昨夜の事をちょっと根に持っていた私は、こうやって取返しの付かない朝を作りだした。
『やっべーこんな時間かよ! 遅刻だ、遅刻!』
 バタバタしながらも、いつもと変らぬスピード。普段は起きてから家を出るまでに約一時間。しかし、それでも今日は急いでいる方で、家を出るまでに約五十分で済んだ。
 玄関で主人の靴が汚れていたのに気付き、意地悪して悪かったなぁ、と言う思いもあったので、ちょっと磨こうか? と言ったが主人は明るく微笑んでこう言った。
『大丈夫。怒ってなんかないからさ』
――午前八時二十分
(優しさが足りなかったの? ほんのちょっと、ほんの一分。どうして……私)

 天気のいい朝だった。洗濯物を干しているとテレビから緊急音が鳴る。
――ピッピ、ピッピ
 籠から主人の白いワイシャツを取出し、何気にテレビを見る。
 オレンジ色の文字が淡々と綴られていく。

『午前八時四十分頃。首都鉄道で爆弾テロが発生。十両編成の前寄り二両が爆破、電車が脱線。死傷者多数。現在――』

――午前八時五十分
 私は持っていたワイシャツを思わず落としてしまう。


 主人が居なくなって一年。
 暗闇そのものだった。死にたい、そう叫び続ける闇の中に私はいた。でもこの子のお陰で、私は今もここに生きられる。

「さあ、パパにこの花を贈りましょ」
 私は息子と一緒に主人のいない電車の網棚へ、そっと白い花を捧げる。

 何処までも続く白い網棚。
 何千、何万もの白い花が、レールの切目ごとに、微かに揺れ続けた。
白い網棚 早透 光

Entry8
僕の彼女
うちゃたん

 ヴィトンの紙袋を抱えた彼女の笑顔は、いつもより一層、愛くるしい。
「こんな高い物、買ってもらっちゃって、ほんと良かったの?」
「気にすんなよ。それ、ずっと欲しかったんだろ?」
「亮くんって何でそんなに優しいの? 由理、亮くん大好き」
 彼女は甘えるように体をすり寄せ、指を絡めてくる。
「なあ、由理」
「ん?」
「……もし俺が死んだらどうする?」
 一瞬、間をおいてから彼女は無邪気な笑顔で答えた。
「由理も死ぬ! 由理、亮くんがいないと生きていけないもん」

 僕の彼女はとても賢い子だ。男が好きな女の子というものを彼女はよく知っている。舌足らずな喋り方も上目遣いも自分を「由理」と呼ぶ癖もすべて計算の内だ。
 彼女は自分が可愛く見える、しぐさや表情、角度まですべて熟知している。その愛らしい外見を武器に、彼女は明るく無邪気で甘えん坊で少し抜けている女の子を完璧に演じきっているのだ。
 彼女は僕に対してすぐ「大好き」という言葉を使う。だけど、彼女は僕自身が好きなわけではない。彼女を好きな僕が好きなのだ。
 いや、違う。男に愛されている自分自身が好きなのだ。
 そんな彼女が、僕一人からの愛だけで満足できるとは思えない。
 僕の推測では、彼女には数人の「彼氏」がいて、彼女にとって僕はその「彼氏」の内の一人でしかないんだろう。
 だから彼女が僕の後を追って死ぬわけないし、たかが男一人死んだくらいで生きていけなくなるようなタマじゃない。むしろ「恋人を亡くした可哀相な女の子」を新たな武器にして、すぐに僕の代わりになる男を見つけるだろう。

 愚問だと分かりながら、わざわざそんな質問をしたのは、僕もまた「そんな彼女に騙されている馬鹿な男」を演じているからだ。
 僕は彼女の周りにいるような、馬鹿な男達とは違う。彼女の演技にすっかり騙されて、自分だけが彼女の「特別な存在」だと思い込んでいるような男達とは。
 まあ、ある意味そっちの方が幸せではあるかもしれないが。
 僕は本当の彼女がどんなにしたたかで、腹黒い女かきちんとわきまえた上で彼女と付き合っている。
 だから彼女に何人の男がいても、ちっとも気にしないし、彼女の口から出る言葉が嘘でも決して傷ついたりしない。

 だけど、もしも彼女が
「由理が死んだら、亮くんも死んで」
 って言ったら。それが嘘偽りのない彼女の言葉だったら。
「いいよ」
 って答えるだろう。それが嘘偽りのない僕の気持ちだから。
僕の彼女 うちゃたん

Entry9
不幸の宅配便
のぼりん

「おい、不幸の宅配便って知ってるか」
 飲み屋の席で突然友人がおかしな事を言い出した。
「なんだよ、そりゃ。最近流行の都市伝説か?」
「オレの近所ではちょっとにぎやかな話題なんだ。玄関でチャイムの音がして、
『宅配便です』という男の声があるのだが、行ってみると誰もいない。『不幸』を
宅配する配達人の声だというのだ」
「はっはっ、大人が騒ぐもんだから、子どもがいたずらでやってるんだろう」
「オレもそう思うんだが、ご近所がちょっとしたパニックになっているし、女房は
本気にして怯えている。事実、不幸の宅配便が来た後、会社が倒産したり、事故に
あった人もいるらしい。まあ、それも未確認情報なんだがな……」
「馬鹿な」
 私は笑い飛ばした。
「あまりひどいいたずらなら、尻尾を捕まえてきっちり説教してやる必要があるな」
「うむ、オレもそう思う」
 さすがに大人の判断である。都市伝説など、大半がこどもの噂話、あるいはいた
ずらにすぎないのだから。


 それから数日してのことである。先の友人から突然電話がかかってきた。
 ただならぬ口調だった。
「ついにオレのところにも来たんだ!例の不幸の宅配便が…」
「そうか。で、犯人を捕まえたのか?」
「いや、そうじゃない」
 ……と、その声は明かに震えていた。
「『宅配便です』という例の声は確かに聞こえたが、ドアを開くと噂どおり誰もいなかった。だがオレ、今、出張でホテルに泊まっているんだよ」
「わざわざホテルの部屋まで来て、不可解ないたずらか」
「いや、出張っても、ここパリだぜ。周りに日本語しゃべれる奴、誰もいないんだけど……」
不幸の宅配便 のぼりん

Entry10
暫定1位
柳 戒人

「NO.1にならなくていい 元々特別なOnly 1」
少し前に流行った歌の歌詞。綾にとっては前の男と別れた時の思い出の曲、ということにもなる。あの日も会社を出てから手をつないでマンションまで送ってもらった。仕事や上司の話をしながら普通に笑っていたのに。その夜、携帯がほかの人とは区別された音楽でメールの到着を告げ、いやに明るいその小さな液晶に、綾は呆然とした。それでも、綾は理由をただしたりはしなかった。結婚するイメージのわく相手ではなかったからかもしれない。もしかすると、相手にとって自分が知る限りでも4人目の交際相手だったことも関係しているのかもしれない。とにかく、その日まで綾の暫定1位だった男は、はるか圏外の見えない場所へ消えていった。
運命の恋、真実の愛、よく耳にはするが綾にはイメージがわかない。あるのは暫定の順位だけではないのか、それでは一緒にいる理由には不十分なのか。結婚は見切りだと綾は思っている。自分にとって満足できるパートナーを見つけ、これ以上は出てこないという見切りと、引き伸ばすリスクとの関係で結婚は決まる。もう25、若いといえば若いがあと30年以上働く気はとてもしない。同窓会に出れば半数近くは人妻だ。人並みの結婚願望が綾に妥協を迫る。
 「暫定1位でいいじゃない」
否定する言葉のなさとは裏腹に違和感は消えない。同棲したって結婚したって心は縛れない。一途な女が褒められたって離婚は増え続けている。いつか出会うんじゃないか、綾は自分が「希望」という病に侵されていることに気づいてはいない。
 綾が暫定1位を失って繰り上がりで1位の座についた男がいる。「特徴は?」と聞かれたら「優しいところ」とでも言うしかない男だ。仕事は中の上、顔はなかなか悪くないし背も高い、でも綾が見てるのはそこじゃない。彼は自然なのだ。スーツが崩れているのも、少し遅刻してくるのも、たまに褒められたときの照れくさそうな笑顔も、他人と意見がぶつかったときの真剣な顔も。彼もまた、結婚するイメージのわく相手ではない。恋の噂は聞かないが、指輪を右手の薬指にしている。右手だから大丈夫なのか、そもそも何が大丈夫なのか。彼は家へ帰って思い出すときに像が結べない珍しい人だ。「キャラ」という言葉が日常用語となり、人に一言の形容詞がつくことが普通になった現代で、一言で説明できない人なのだ。「これがOnly 1かもしれない」綾の病は続く。
暫定1位 柳 戒人

Entry11
お誘い
朧冶こうじ

「冗談じゃないわ」

 開口一発の台詞がそれだった。
 俺が最後の一言を言って十分、黙り込んで全く何の反応も示さなくなったお前を大人しく待っていた俺に対して、いきなりそれはないだろう?
 でもそれを訴えればお前は鬱陶しいと言ってまたその眉間の皺を深くするに決まっている、それが予想できているんだから俺も黙っていればいいのに、あぁだから口から零れていくんだ、お前を怒らせる為のような別の言葉が。
「お前冗談じゃねェってどういう意味だよ、つーかたかだか十分、何考えてたんだ、やけに真剣に考え込んでて、なんかの打診でもしてたっつーのか」
 だってそうだろ、Yes/Noなら即答する筈だろお前の性格上。それともよくあるように明日まで待って、一週間待って、そんなしおらしい台詞の一つ、吐いたって俺には待つ用意があるんだ。
 要するに中途半端なんだよ、全体的にそぐわない印象だ、勿論これは俺の勝手なイメージかも知れないけれど、お前にはそれを守る義務がある筈なんだぜ、今までそうしてきたんだから。
「アンタホント馬鹿。今までこうして喧嘩ばっかしてきたの、だったらこれからだって喧嘩ばっかしてくに決まってンじゃない、なんでわざわざ不快になる為にアンタの隣に居ないといけないの、その想像してたのよ、冗談じゃないわ、アンタも私も相当に不幸よ」
 いつもの機関銃が如く滑らかな毒舌、不機嫌に寄った眉もそのままに俺を攻めていく、これをやられると俺は状況に関わらず反論したくなるんだ、そう、本人達だって自覚している、常にやっている、馬鹿ばかしさ。
「お前こそ馬鹿じゃねーの、今まで喧嘩してたンならちょっとやそっとの喧嘩ならどんなにしたって平気って事じゃねーか、これってちょっと他のヤツとは出来ねーと思わねーのか、こんな気安い関係、お前以外とは築けねェからこう言ってる、お前にはわかんねーのか」
「分かるわけ…、あぁもう分かるわよ、だから嫌なの、だってただでさえ熟年夫婦みたいねアンタ達一生モンの縁でしょうッて言われてんのよ、うっかり明確な関係、一生モンなのよ?考えただけでゾッとするわこれから人生何年あるのよ、嫌よ冗談じゃないわ、だって私アンタの事」
 そこまで言って息を吸い込む、分かってるお前はいつだってそうだよ、お前の理論は複雑怪奇で俺はダチになんでアイツとまともに喧嘩できるんだって変な感心されてんだから。
「そうだ、お前は俺のコト好きなんだよ、だから大人しく俺にしとっけっての」
 お前はやっぱりまた十分沈黙してから、赤い顔を隠すみたいにして頷いた。
お誘い 朧冶こうじ

Entry12

(本作品は掲載を終了しました)

Entry13
C60
柄本俊

 コロコロ転がるサッカーボール。
 それを追いかける公園の子供たち。
 秋の日射しに多少暑さを感じつつ、ベンチでたむろする自分。
 そしてその隣には自分の彼女。
 今日も一日このまんま。
 朝、彼女と会って、何気に公園へやってきて、そしてベンチに腰掛け、数時間。
 交わした言葉といえば、
「おはよう」
「どこ行く?」
「どこでもいいや」
「じゃあ、いつもの公園に」
 それっきり、会話はない。
 一言も。
 彼女は隣で文庫本を読んでるだけ。
 実はこんな休日を半年近くもやっている。
 平日といえば……。


「これじゃダメだろ!」
「もっと真面目に資料を作れっ!」
「お前はまだ新人きどりかっ!?」
 会社の上司から毎日繰り返される怒鳴り声。
 飽き飽きとした感情が顔に出てしまったのかもしれない。
 上司の怒鳴り声はより激しくなった。
 同僚たちは聞こえないフリをしている。
 怒られることは仕方ない。全ては自分が招いた種だ。
 ただ、誰もがその話題に触れず普通にしてることが、かえって堪らない。
「またこっぴどくやられたもんだな」
 そんな揶揄めいた言葉でもかけてくれたほうが、まだマシだ。
 最近、特に思うようになった。
 ここは本当に自分のいるべき場所なんだろうか……?


 彼女が自分の手を軽く優しく暖かく握ってくれた。
 彼女は本に集中したまま。
 さりげなく、さりげなく。
 フッと自分の心が軽くなった。
 落ち着く気持ち。永遠に感じ続けたいこの瞬間。


 コロコロ転がるサッカーボール。
 子供たちが蹴るそのボールの不思議な構造、C60。
 黒い五角形と白い六角形。
 かみ合いそうにない二つの形だが、意外に強固で安定な結合をもたらす。


「ひとつ、質問」
「なに?」
 彼女は文庫本に目を落としたまま訊き返す。
「いつもこんなんで楽しい?」
「うん、楽しいよ。今ちょうど盛り上がってるシーンだし」
「…………」
「主人公が死にそうなんだけど、のほほんとしてて、全然乗り気じゃない割に強くて強くて大活躍なのよ」
「…………」
 全然、分からん。
 その本の内容も、そして彼女の気持ちも……。
 ただ、その瞬間、彼女はもっと強く自分の手を握ってくれた。表情を変えずに。
 本に熱中してのことなのか、それとも自分への気持ちなのか……。
 彼女は不思議な存在だ。


 夢中で子供たちが蹴るサッカーボール。
 コロコロコロコロ、単純に。
 そう単純に。
 色々少し考えすぎてたのかもしれない。
 ふっと思った。
C60 柄本俊

Entry14
ハイタチの穴
ながしろばんり

 穴は有機的に丸く口を開けている。
 後藤からのメールだった。まるのまま定型文で引越しの手紙が来たときは印象の変わりように驚きもしたが、玩具屋だったはずのヤツが今度は養殖ビジネスだというから、少々興味が涌いたのだ。
 見まわしても山の奥。文面にあった「道なり」と思しき道は一本しかなく、行き止まりにあるのがこの穴一つ。マンホールより二回りも大きいだろうか。縄梯子がひとつ下がって、造形として美しいと思った。
――ハイタチという独活の一種を育てています。独活の養殖を御存知でしょうか。極力日に当てないように地下室で養殖して、真っ白なままで出荷します。ハイタチは独活よりも香りがいい上に痩身効果があるという物質が含まれているとかで、お昼のテレビでも大々的に紹介されたために生産が追いつかない有様です。先日「けいちゃん」で久しぶりにお会いしてメールアドレスの交換をして以来ですが、一度遊びにおいでになりませんか――
 穴の壁土は固められている。襞の如く連なった縦の回廊の恐怖は、ただひたすらに底の見えないことへの恐怖だった。果たして、おれは自由意志で、ここに来たはずだった。
 意を決して縄梯子に取りついて穴の底へと下りることにする。リュックサックが壁の向こうに擦れてしまいそうだが、なに、構うものか。ずず、ざず、と背中で音をさせながら、穴の底へ下りていく。十月も半ばでいいかげんに山の中は肌寒かったのだが、洞の中は生暖かな空気である。軋む音一つしないロープ、リュックの様子を見ようとやおら振り向くと、リュックサックは壁に擦りながらも埃一つ、立たず。土色の壁はいつしか粘膜質のそれとなり。
 梯子の綱が、切れた。
 腰に落下の重力が掛ってうわぁ何をするんだ穴が穴がどんどんと閉まってくる洞穴の表皮は段々と肉色を帯びてきて吹き出される黄色の汁が剥き出しの手首にかかると酷い激痛がして酸化の煙をあげてうわぁいてえよういてえよう苦しい苦しああゴリって音がしたけれどももしかして肩の骨か踝の骨が砕かれてああああ痛いイタイイタイあぶぶぶぶぶべべべ溶ける溶ける。

――ハイタチというイタチの亜種の人工繁殖に成功しました。ミンクよりも希少な動物で、香草を食べて育つために毛皮からえもいわれぬ匂いがして、イギリスでは百万ドル単位での取引がなされる品種だそうです。先日の同窓会でメール交換をして以来ですが、一度遊びにおいでになりませんか――
ハイタチの穴 ながしろばんり

Entry15
お風呂
キッチンドランカー

 ああ気持ちいい。湯船にゆっくり浸かるのなんて、もうどれくらいぶりだろう。
なんにも変わっていないだろうと思って帰ってきたけれど、それはあまりにも単純な希望的観測で、お父さんは少し小さくなってお母さんは白髪があって妹は化粧なんて覚えていておじいちゃんは相変わらず腰が曲がっているだけだったけど、猫のミーは昼眠っている時間が長くなっていたのが少し悲しかった。
 あたしはタバコや酒や男と寝ることを覚えた。一人の部屋で真っ暗な天井を見上げてため息をつきながら寝ることも、さんざん飲んでぐだをまいて誰かの胸に抱きついて甘えることも、大嫌いだった目玉焼きが食べられるようになったことも、ここを出て変わったことだ。マイセンよりも、セブンスターが好き。カルーアよりも、カシスが好き。正常位よりも、騎乗位が好き。英単語を覚えるよりも簡単に、年表を覚えるよりも簡単に。
 アルバムに写っている真っ黒な髪のださい太ったショートカットの女の子。あたしがずっと消したかった、大嫌いだったあたし。みんなを見下して、何かに負けることを恐れて、必死で自分を繕ってた。こんな町で一生を終えたくないなんて思って、家を出ることだけを考えてた。そんな勝手な自分が、世界で一番嫌いだった。
だけど、あたしが消したかった「あたし」は、ほんとは幸せだったんだなきっと。ただでこの、あったかいものを与えられて、自分で生きてくつらさなんてなんにも知らずに、この田舎の小さな町で生きていた。今のあたしは、抱きしめられる喜びを知ったけど、その手があっけなく遠ざかっていく明日への不安もまた知っている。そばにいつも誰かがいて笑っていてくれることがどれだけ難しいかも、知っている。無理して笑って着飾って思考能力が麻痺するほどのアルコールを浴びて弱さをかき消しても、ひとりの家で体育座りをして泣いているあたしは、何にも知らなかったあの頃よりも、ずっと、みじめだ。
 あ、なんか、泣けてきた。馬鹿だなぁあたしこのよわっかし。あがったらひとまず冷蔵庫の牛乳飲んで、扇風機に当たろう。そして、少し癪だけど、あいつにメールしよう。帰ったら愛も思いやりもにおいも何もない、抱擁と愛撫を、あいつからもらおう。ここにいるひとたちがくれたこともない痛みを。
お風呂 キッチンドランカー

Entry16
いつもの本屋、ミステリィの棚の前
南那津

 いつもの本屋、ミステリィの棚の前。時間を持て余している時は気がつくと此処に居る。テレビも見ない、雑誌も読まない僕にとっての楽しみと言えば、こんな小説としか言い様が無かった。今家に有る本は既に読んでしまった、だから新しく買いたいのだが、残念、先立つものが少な過ぎるのだ。
 僕の隣で同じ様に棚に目を移す女性が視界に入る。大学生程、眼鏡を掛けた穏和そうな女性だった。僕が既に読んだ本を手に取っている。あれは確か、殺された本屋の店主が抱えていた本が犯人を示す謎解きとなっている物だった筈だ。その作者の物を特に愛読している訳では無いが、一通り全て読破はしている。
 ふと、

僕はこの女性を殺せるだろうか。

 条件は、中規模書店、本棚の高さは人の身長より大きい、人の入りは疎ら、防犯カメラは無い、周りには本ばかりしかない、僕の鞄の中にはあ生憎財布と折り畳み傘とラジオ、女性は細めで薄手のコートを羽織り背は僕より少し低い程度、今は本を探しているため少し屈んでいる。
 凶器は、広辞苑、重さは在るが一撃では殺害できないか。ならば鋭利な物、本棚の端に頭をぶつける。いや、手袋が無いから必ず指紋が付く。悲鳴を挙げられればお終いだ。
 いや、本棚が急に倒れて来たというのはどうだろうか。やり様に拠っては僕の責任にはならないし、本屋の過失で済ませる事ができる。だが本棚が倒れてきた程度で人は死ぬのか。それなら僕が広辞苑を失敬して打撃を加え殺害するのと同じタイミングで本棚が倒れて来ればどうだろう。悲鳴を上げても僕の殺害か本棚の襲来かこれなら判りまい。ここはミステリーのコーナーだから広辞苑は僕が買って帰らねばならない。もちろん、証拠隠滅の為に。
 次、どうやって本棚を倒すか。第一この本棚が自然に倒れる術は無い様に思えるが、僕がやった様に見えない倒れ方をすれば、自然に倒れたで決着してしまうだろう。殺害と同時に本棚横に回り、折りたたみ傘をてこの原理で利用すれば非力な僕でも倒せるか。この行為は人に見られる危険性が高い上に、もとい成功する保証が全くない。それに日本の警察は馬鹿ではなない。
 全く、こんなトリックの物を出版すれば、今時ネットで相当叩かれるに違いない。やはり私は作家ではなく読者の様だ。
 いつの間にか隣の女性は居なくなっている。あの本は購入した様だ。お金が有れば購入したい所だが。
 待てよ、

あの女性は僕を殺す事ができたのか。
いつもの本屋、ミステリィの棚の前 南那津

Entry17
では、これを噛まずに飲み込め。
アナトー・シキソ

どこからか、犬が一匹、現れる。
僕は倒れている。
犬はとぼとぼと、少しためらいながら、僕の所まで来る。
鼻をつけて、あちこち匂いを確かめる。
それから僕の顔を舐めて、ウオンと小さく吠える。
僕が目を覚まさないので少し困る。
もう一度、今度は少し大きめにワンと吠える。
それでも僕は目覚めない。
困った犬は、僕の右手を軽く銜える。
右手が手首から外れる。
犬は、外れた僕の右手を銜えて少し考える。
けど、何も考えつかない。
犬は、来たときと同じに、とぼとぼと歩き去る。
僕の右手を銜えたまま。

目を覚ますと屋上のベンチに座っていた。
右手はちゃんとある。
夜空だ。星はあまりない。
白い光が一つだけゆっくりと移動している。
人工衛星。
僕は煙草に火をつけ、しばらく人工衛星を眺める。
どんな星の光より、あの人工衛星の光の方が美しい。
星の光に意志はないが、人工衛星は存在そのものが意志だからだ。
人間も意志だ。
だから、人間は意志あるものに惹かれるし、意志のないものに意志を求める。
みたいなことを考えながら煙草を吹かす。

だいぶ楽になった。

鞄を持って立ち上がる。
先に進もう。
ペンライトで地図を照らす。
地図の通りだとこの屋上のどこかから梯子が降りているはずだ。
少し探し回り、見つけた。
等間隔に結び目を作ったロープ。屋上の手すりの外だ。
僕は手すりを乗り越え、ロープを垂らす。
上から見ても、ロープがどこかに届いているようには見えない。
そもそも暗くてよく見えない。
ともかく僕は鞄を背負い、降り始める。
何度か落ちそうになりながら、ロープの終わりまで下りた。
やっぱりどこにも届いてなかった。
片足を伸ばして探ってみる。

宙吊りだ。

下を見ても何もない。ただ真っ黒。
暗いから何もないように見えるのか、本当に何もないのか。
ペンライトで照らしてみたが光が弱すぎる。
真っ黒い地面と言うこともありうる。
だから、飛び降りるのも手だ。案外、地面はすぐ近くなのかもしれない。

が、本当に何もなかったら?

ロープにしがみついたまま途方に暮れる。
気付いた。
少し離れた左側に大きな窓がある。

きっとこれだ。

早速手を伸ばそうとすると、窓はひとりでに少し開いた。
僕は手を引っ込める。
窓はひとりでにゆっくりと開いていく。
誰かがこっそりと開けている感じ。
多分そうなんだろう。
だが、窓を開けようとしている者の姿は見えない。

少し待ってみようか。

僕は、ロープにしがみついたまま、夜空を横切る人工衛星を見上げる。
では、これを噛まずに飲み込め。 アナトー・シキソ

Entry18
矢印
越冬こあら

 残業を終えて、遅い電車で駅に辿り着いた。家まで歩く道すがら、黒い矢印が目に止まった。小振りの脚立に固定されたダンボールの矢印は、私の直進を妨げるように左折を促していた。その日は、そのまま帰宅した。

 日曜日、朝食を済ませてから、サンダル履きで脚立まで来た。矢印は、五十センチ角のダンボールにマジックで書かれ、手荒く塗りつぶされていた。よく見ると、矢印の下には「町内会」と小さく書かれていた。
 注意深く観察した後、矢印に沿って歩き出した。しばらく行くと同様な矢印が右折を促し、左折、左折、直進、湾曲、右折と辿っていくと空地に出た。空地にはご丁寧な下向き矢印が「ココ」と告げていた。
 既に何人かが辿り着いて、作業にかかっていた。私はサンダル履きで来たことを後悔しつつ、並べられた農機具から鍬を取って、耕し始めた。しばらく作業を続けていると、矢印を辿ってくる人もずいぶん増えた。
 汗まみれの楽しそうな笑顔が並ぶ。大森さんと増田さんの顔も見えた。
「町内会の行事なんですかねえ」
 隣で鎌を振るう男性に話し掛けてみた。彼は何とも答えなかった。お昼には握り飯が出て、作業は日暮れまで続いた。

 次の日曜日。今度は運動靴を履いて出かけた。矢印の先は、パン屋だった。エプロンと帽子が並べられていて、パン生地をこねる者、窯で焼く者、店頭で売りさばく者と様々だった。私は、プラカードを掲げる売り子役を買って出た。アンパン、ジャムパン、クリームパン。
「ボランティア活動ですな」
 話しかけたが、誰も答えなかった。

 その次の日曜日。矢印は、大森さんの家まで続いていた。玄関には、鉄パイプや包丁が並べられていて、先に辿り着いた何人かが作業を始めていた。家財道具は大きな音を立てて破壊され、その先で、大森さん一家を寄ってたかって袋叩きにしていた。私は庭に回って、犬小屋と物置をボコボコにした。シェパードが尻尾を巻いて震えていた。

 そしてまた日曜日。軍靴にゲートルを巻いて矢印を辿った。途中で松葉杖の大森さんに追いつき、追い越した。顔の半分を覆った包帯が痛々しかった。右に左に続く矢印を軽快に辿っていく。鼻歌や口笛が聞えてくる。
 最後の矢印は、上を向いていた。近くには、小型飛行装置と光線銃が並んでいた。飛行装置を背中に装着し、光線銃を手に、青空に向かった。二十数えて、大気圏を抜けると、大型円盤が見えて来た。
 地球はこうして守るのだ。
矢印 越冬こあら

Entry19
泡の立つ
日向さち

 グラスに氷を入れ、リキュールを量って注ぎ、ソーダを加えて、太い指が、バースプーンを回す。料理運びが一段落したところで、接客スマイルのままカウンターの上を眺めていると、自分の中の、彼に対する気持ちを許しそうになってしまう。
 悪いとは言い切れない。けれど、後ろめたい気持ちを拭うことはできなかった。

 何を優先したらいいのか分からなくなるほど、慌しく働かなくてはならない時もある。ドリンクの注文を受けている間にも、どんどん料理を出さなくてはならない。灰皿も取り替えなくてはならないし、頼まれたらグラスや箸も持っていかねばならない。そんな時に、おねえさん、と客から声をかけられるのも、しばしばだ。
「水割りくれる?」
「はい。ウイスキーでしょうか」
「いや、焼酎」
 当然だと言わんばかりの酒くさい息に笑顔で応えて、オーダーを伝えに行く。カウンター越しに私を見据える彼の目と、水割りで、と聞き返す声には、一切の感情が表れていない。
 次の料理を取りに戻ろうとしていると、彼が、用意した焼酎を持って、カウンターを出る。再び戻ってくると、私が頼まれた焼酎は客の手元にあった。ドリンクを頼まれた時、基本的には頼まれた人が運ぶ決まりなのだが、彼は、周りを見ていて、無言で手伝ってくれるのだ。スタッフの九割は女性なので、何かと頼りにされている存在でもある。
 彼は誰とでもそれなりに仲良くしているが、深い付き合いは望んでいないと、知っている。彼の大学の仲間に聞いてみても、恋愛に興味ないんじゃない、誰とも付き合ったことなさそう、というようなコメントしか返ってこない。
 直接、好きな人いないの、と質問したこともある。
「これだけ女の子がいれば、普通は誰か好きになるんだろうけど」
 他人事みたいな言い方だった。
「普通じゃないんだ?」
「うーん……。みんな、それぞれ可愛いと思うけどね」
 そんな彼だったのに、私は自分を抑制できなくて、いつの間にか、言動にまで表れてしまうようになった。彼に気付かれて、避けられるようになり、今では雑談すら交わさない。こんな状態は終わりにしたいと思っているのだけれど。

 差し出されたグラスには、溢れそうで溢れずに泡が立っている。美味しそう、と思う気持ちを抑えながら運び、客に差し出すと、年いくつなの、と話し掛けられた。愛想よく対応してしまうのは、他の女だったら彼の心を動かせたかも、などと考えたくないだけだ。
泡の立つ 日向さち

Entry20
夜と闇との境界線に雨が降る
伊勢 湊

 病院の屋上は立ち入り禁止になっていた。去年一人の患者が飛び降りたらしい。僕は隙を見てナースステーションからくすねた鍵を手に六階の先へ続く階段を登る。重いドアを開けると風が心地良かった。その先になにがあるのか知らないが、確かにそこは一番その先の世界に近い場所に思えた。

 僕はあいつのために悲しんだのだろうか。それともあいつを亡くした自分のために悲しんだのか。記憶は曖昧で、心は疑問を投げかけるだけで否定も肯定もしない。夫婦カメラマンとして二人でずっと世界を飛び回って生きていくっていうのはどうかしら? 馬鹿言うなよ、そんなにうまくいくわけないだろ。 そうかなぁ、でもそうなったら愉しいね。
カメラすら持っていなかったスーパーでの買い物の帰りだった。誰がどうやったら心臓発作を起こした運転手のトラックが歩道に突っ込んでくることを予想できただろう。来週になったら籍を入れようか、何年も一緒にいても心臓が高鳴るそんな話をやっとのことで切り出した次の日のことだった。
 悲しくて何日も涙を流した。三年前のことだ。僕はカメラマンになって一人で世界を渡り歩いた。あいつには泣いても叫んでも、もう決して叶わぬことの欠片を僕は一人で実現していた。

「いまになってやっと分かったことがあるよ」
 隠していたタバコに火をつけた。
「タバコなんて吸っていいの?」
 懐かしい声が、確かにした。
「病気は治らない。治療費や入院費はどんどん嵩み、仕事が出来なくて収入はない。再就職には微妙な年齢で、離婚した妻のところにいる一人娘には裁判所の取り決めで会うことも叶わない。それで去年ここから飛び降りた人がいるらしい」
「きっと見えなくなっちゃったのね」
「君も、失ったのかい?」
「そうね。うん、でもね、最後まで夢見てた、世界を旅する夫婦カメラマン」
「僕の病気は快方に向かってるよ。治療費も貯金でなんとかなる範囲で済むよ。でも、飛び降りた男の気持ちを感じた。たぶん、君の気持ちも」
「ありがとう。それだけで十分よ。嬉しい」
「でも…」
「バイバイ」
 あいつが微笑み長い髪をなびかせて屋上から不意に飛び降りた。
「待ってくれ!」
 手摺から下を覗き込んだ。あいつの姿はもうなかった。腕に力を込めて体を手摺の上に持ち上げた。ただ、歩み出すように。しかし、最後の一歩が踏み出せなかった。体が止まった。動けなかった。
 夜と闇との境界線に乾く事のない大粒の雨が降った。
夜と闇との境界線に雨が降る 伊勢 湊

Entry21
ミイ君
るるるぶ☆どっぐちゃん

 そのネコは確かに歌を歌っていた。
「ほらどうだい? こいつは凄いだろう」
 と彼は自慢げに言う。レニー・クラヴィッツの腰にクるビートに合わせ、そのネコは歌っていた。鳴き声、というレベルではなく、それは完全に歌であった。
「レニー・クラヴィッツだけじゃあ無いんだよ。こんなのだって得意なものさ」
 クイーンのウィーウィルロックユーである。どんどん、にゃー。どんどん、にゃー。どんどん、にゃー。どんどん、にゃー。
「完璧じゃあ無いか」
 わたしは感心しきっていた。
「凄いものだなあ。Aメロ部分も完全についていっているね。完全に歌だよこれは」
「これだけじゃあ無いんだ。他にもレパートリーはいっぱい有るんだぜ。どうだい、こいつはちょっとしたものだろう」
「まったくだよ。こいつはかなりのグルーブ感だ。ネコ独特の前ノリ感が堪らないな」
「そうだね、堪らないね。こいつは、音楽がとても好きなんだ。飼い主に似るんだね。全く、ひどく可愛いものさ」
 非常に羨ましい。
「うちのネコも、歌うんだけれどね」
 羨ましすぎて、思ってみない言葉が口をついて出た。


「ほら、ミイ君。歌って御覧。ああ駄目だよそんなんじゃあ。グルーブ感が出てないよ。ほら、良く聞いて御覧」
「お父さん、何をやっているのですか」
「ああ、練習だよ」
「練習?」
「歌のね」
「歌の」
「ああ。ほら、良く聞いて。グルーブだよ。歌は魂だよ」
 娘が、また始まった、という顔で見ていた。構わずに続ける。
「ね、ほら、ジャニス・ジョプリンは歌がうまいだろう? こんな感じだよ。ね? 解るだろうミイ君」
「歌なんてミイには無理よ。ミイは芸なんて何も覚えなかったし。そんなに頭が良くないんだから」
「そんなことは無い。歌は、考えるんじゃあなくて、感じるものだからね」
「そんなものかしら」
「ああ。大体言ってしまったからね。ウチのネコも歌えるって。いや、悔しくてさあ、羨ましくてさあ。だから見に来られる前に練習させておかなければ」
「にゃ、にゃ、にゃ」
「ほら、違うよミイ君。身体でビートを感じて。身体だよ。身体で歌って」
「ふう、やっぱり、お歌は、とっても難しいにゃあ」
「そうだね、でも頑張って。ジャニスのように、歌いたいだろう? ジャニスのように、上手に歌いたいだろう?」
「うん、ジャニスのように、歌いたい。頑張るにゃ」
「うん、頑張ってミイ君」
 娘が夕飯の支度を始める。メシの前に、あと三曲は歌えそうだった。
ミイ君 るるるぶ☆どっぐちゃん

Entry22
『ワイヤロイド』
橘内 潤

 ワイヤロイドの老人が空を見上げている。瞳孔がかすかな収縮と拡大を繰り返し、垂れ下がった両手はかたかた小刻みに震えている――ワイヤーが劣化しているのは明らかだった。
 脳髄に埋め込んだ機器と神経線維をワイヤーで接続する。外界からの刺激を機器に組み込まれたノイマン思考群が最適解を瞬時に弾きだし、電気信号として肉体各所へダイレクトに命令を下す――複雑な反応を、脊髄反射の速度で行うことができるのがワイヤード・リフレクション・システム(WiRS)であり、このシステムは多くの軍隊や私設警備員で採用された。ワイヤーを組み込んだものたちはワイヤロイドと呼ばれた。
 従来のインストール・システム――大脳皮質に特定状況下での反応を記述したコードを焼き込む――よりも導入コストが高くつくものの、その反応速度は段違いであった。WiRSはこの後、光速神経系が発表されるまで、軍隊の世界標準だった。
 光速神経系は、WiRSで確立されたシステムをさらに進化させたものである。それまでワイヤーで接続していたものを光学繊維に換え、パルス信号を光波に換えてさらに伝達速度を高めたものだ。外科手術、強化骨格技術の革新と相まって、光学繊維がワイヤーに取って代わるのはあっという間だった。
 光学繊維とワイヤーの相違点は、信号の伝達速度のほかに耐久性の違いがあった。ノイマン思考群の算出した解答を電気信号として出力するWiRSは、いわば人為的に“ひきつけ”を起こさせるシステムだ。つねに電荷を受けつづけるワイヤーは、定期的なメンテナンスなしでは、じきに焼き切れてしまう。
 軍人としての耐用年数をすぎたワイヤロイドはもうメンテナンスされることもなく、使い捨てられた。どのメーカーもWiRSのメンテサービスをもう打ち切っていて、ヤミ調整士に高い報酬を支払わなければシステムを維持できなかった。ワイヤーを切除しようにも、捨てられたワイヤロイドたちにはノイマン思考群に依存した頭脳をリハビリさせるだけの、金も時間もなかった。光学繊維に入れ換える費用があるはずもない。
 彼らに残された道は、ワイヤーが焼き切れて瞼ひとつ動かせなくなる時がくるのを待つか、メンテ代を稼ぐために危険な仕事に手を染めるか――ふたつにひとつであった。