Entry1
おとぎのはなし
待子あかね
すきなうたを歌おうよ、きみはいう。
すきな空を歌おうよ、ミキはいう。
ねえ、あなた。
小さいころに、先生に言われなかった?
「持ち物には名前を書きましょう。なくしてはいけないから、持ち物には名前を書きましょう」
おはじきのひとつひとつに名前シールを貼りました。小さい字で「まつむら」「まつむら」と小さいシールにお父さんが書いてくれたのです。いくつもいくつも。夜なべして。それなのに、おいらはご機嫌斜めだったのさ。
「なんだよこれ! こんなの全然かっこよくないじゃない。名前なんて外してよ」
「ミキ、そんなこといわずにさあ。学校で聞いてきたんだろう? お父さん、がんばって書いたんだから」
「そんなの関係ないや! もう、いやだ! さらっぴんのおはじき買ってくれるまで、学校行かないから」
おいらは、父ちゃんに「名前シールを貼っておいて」と頼んだことを覚えていました。それなのに、ものすごく怒ってしまったのです。まさか(頼んでおいて)本当に父ちゃんが、いちいちやってくれるなんて期待していなかったの。それだから、ものすごく父ちゃんのやさしさに苛立ってしまいました。
「持ち物には名前を書きましょう。なくしてはいけないから、持ち物には自分の名前を書きましょう」
なんていわれたものだから、大人になっておいらは、付き合っている人(リカちゃん、リエちゃん、エリちゃん)に名前を印しました。左の耳たぶにそれぞれ、自分の名前(=ミキ)と書きました。
いつからか、ミキという判に気付いたものから、ひとりまたひとりと、おいらの元を去っていきました。何にも言わずに、何の痕跡も残さずに。
何の悲しみも持たずにひとりまたひとりと、減っていくと同時においらは、また、ひとりまたひとりと、増やしていって、性懲りもなく左の耳たぶに「ミキミキミキ」「ミキミキミキ」と耳たぶいっぱいに、油性マジックで書きつめていきました。
これで、おいらの元を離れられなくなる。おいらの元を離れるなんて許さないんだから。気付いていなかったようだったんだ。気付きたくない。おいら自身、おとぎの国から抜け出せなかったということを。図体だけが大きい、ただのこどもでしか。
そう、それでも……
リカが見た空を覚えてる?
リエが聞いたあのメロディを覚えてる?
エリが知っているあのお話しを覚えている?
すきなうたを歌おうよ、きみはいう。
すきな空を歌おうよ、ミキは。